きっとこれが初めまして
「あ?……あぁ、名前か」
どうやら坊主と呼ばれることが気にくわなかったらしい。
「で、どうした?何か用か?」
「お腹すいた」
坊主は間髪入れずに答えた。無表情のままで、声にも特に抑揚もなく、しかし間髪入れずに答えた。どうやら相当腹が減っているらしい。どうやらお客だったらしい。
しかしこんな小さな坊主が一人だけというのは少々ひっかかった。しかし周りを見回しても、こいつの親らしき人影はない。
「お前ひとりか?」
「うん」
「……、まぁ客ならいいけどよ……。お前金あんのか?」
「お金?」
すると坊主は首をこてんと横に寝かした後、うつむいた。
これは金なんか持ってないなと思っていると、坊主が懐から何かのキャラクターが描かれているコインケースを取り出した。
「一万円ならある」
「はぁっ!?」
そして坊主はコインケースの中から本物の一万円を取り出して見せつけてきた。
え?ちょっと何でお前のような小学校に通っているかも怪しいぐらいの子供が、一万円なんて大金持ってるの?何で福沢諭吉が財布の中にいるの?俺なんか財布の中には野口英世しかいないんだぞ?こいつの親ってなんでこんなガキにこんな大金渡してんの?バカなの?もしかしてボンボンの息子だったりすんの?
「これを渡せばいい?」
しかもどうやらこの坊主、金の価値を全く理解していないようで、その一万円札を渡してこようとしやがる。
え?お前はその一万円札で何を買うつもりなの?俺が今日ここに用意した食材もしかしたらそれで全部買えるぞ?あ、でも焼酎合わせたら足りないか。
「あと喉も乾いた。ジュース飲みたい」
「え?あ、おう」
そう頷きながら坊主から一万円を受け取る。
…………受け取ってしまってもいいのだろうか?
「って、そもそもここにはジュースはないんだ。あんまりにもニーズがないから」
「……?ないの?」
小さな口をへの字に曲げて、こてんと首を倒す。
「あ、……いや、用意できないわけじゃない。ちょっと待ってろ」
ただ、さすがに一万円を握らされた手前、そんな顔をされるとどうしようもなく罪悪感にも似た感情が湧き上がってくる。
俺は坊主をそこに座らせて駅前にある自販機まで走ってオレンジジュースを確保し走って戻った。
「ほら、これでいいか?」
そういや注文聞くの忘れたと思ったが、坊主は「ん」と小さく首を動かしてそれを受け取った。
「……」
坊主は受け取ったペットボトルのふたを開けようとするが結構苦戦している。
「かしてみ」
そのペットボトルをひょいと持ち上げて、ペットボトルのふたを開けてから坊主の手に戻した。すると結構坊主は喉が渇いていたようで、ごくごくと小さく喉を鳴らしながら一気に500mlの半分を飲み干した。
「何が食べたい?」
「なんでもいい」
まさかおでんの屋台をやってて一万円をつかまされなんでもいいと言われる日が来るとは。というか坊主は坊主で、店に来たってのに注文は何でもいいとか……普段どんな教育されてんだ?
「ほい、熱いから気をつけて食べろよ」
とかなんとか思いながら子供にも比較的人気のある大根とちくわ、はんぺんなんかをよそって坊主に出した。
すると坊主はよほど腹でも減っていたのか割りばしを大根にさして、まるで大食感が豪快に肉を食らうようにかじりつく。
「あっつ」
ただ、そんなことをすれば中までしっかりと汁の沁みている大根の熱に苦しむのは明白だった。坊主は慌ててオレンジジュースを口に流し込む。
相当熱かったのだろう。今までぶっきらぼうで表情もほとんど変わっていなかったのに、今回だけは目じりに涙を浮かべている。
「だから言ったろ。先ずはフーフーしながら、冷まして食べるんだよ。急いでもいいことはないぞ」
そう言ってやると、今度は何度もフーフーと息をかけながら恐る恐るといった形で大根を口に運んだ。今度は大丈夫だったらしい。その後もフーフーと息を吹きかけながら口いっぱいに大根を頬張った。
「お前、親はどうした?」
聞くと坊主は一度口の中で「親?」と反芻した後、口の中の大根をのみ込んでから言った。
「お母さんなら家にいるよ」
「親父さんは?」
「いないよ」
「おぅ、そうか」
おっとぉ、踏んじゃいけない地雷を踏んだ予感がするぞ?
というか、小学生に上がるかわからないような年頃の子を夜一人で外に出し、一万円を持たせている母子家庭とかどんな家族だよ。
「お前、家はどこだ?」
「あっち」
いや指で指されてもわからねえよ。
「住所分かるか?」
フルフルと首を振られる。まあ、家の住所までちゃんといえる年ごろには見えない。
「この辺の近くか?」
「違う。電車に乗って、眠くなって寝て、起きたらここについた」
「大事件じゃねえか」
「びんごしょうばら?に行きたい」
「あぁ、それはここだな」
すぐ近くの駅の名前だ。
「ん?確かさっきあっちって言ってたな。ってことは三次の方か?」
この近辺は本当にど田舎で、駅に止まるのはワンマン電車ばかりだ。しかもこの駅に到着する電車は隣の市から出てくる電車しかない。さっき坊主の言っていたあっちの方ってのを加味すれば、たぶん隣の市である三次の方だ。
「わからない。なんか家から何回も電車に乗った。三次まではお母さんも来てたけど、「そこから先は一人で行ってね、お母さんは家にいるから」って言ってお母さん帰った」
「その親頭おかしいんじゃねえの!?」
何その親?年端もいかない子供に一万円預けて島流しですか!?
子供が成長するためには崖の上から突き落としたりしちゃうタイプですか!?
「二十日に三次駅に迎えに行くからそれまでがんばれって言ってた」
「二十日って、後四日もあるじゃねえか!それまでどうしろって親に言われたんだよ?」
「一万円渡した人についていきなさいって言ってた」
「お前の親って本当に人間なのか!?」
何その親!もしこいつがとんでもねえ奴に一万円渡してたらどうなるんだよ!それ以前に見ず知らずの人にいきなり一万円とか渡していたら普通に誘拐に合うぞきっと!
ていうか一万円ってさっきの一万円か!?ほんの少し猫糞してみようかなんて魔が差してたさっきの一万円か!?
「だからおじさん、よろしくお願いします」
今更のように坊主が頭を下げる。
ふざけんな。そう言ってやりたかった。一万円なんざつき返し、面倒なこの坊主は見なかったことにして帰ろうかとさえ思った。
「……」
しかし、しかしである。もしこの坊主がさっきと同じように、誰彼構わず一万円渡し、二十日まで面倒見てくださいとか言ってどうなる?絶対やばい案件まっしぐらになるに決まっている。予言してやろうか?たぶん十日後にはテレビのニュースか新聞に誘拐事件とか身代金要求事件とか載るぞ?
「あとこれ、一万円渡した人に渡しなさいって」
俺がいろいろ考えあぐねていると、坊主は背負っていたリュックから何やら封筒を取り出して渡してくる。
「……」
すっげー嫌な予感がした。だって結構封筒が分厚いんだもん。ただの紙を入れているふくらみじゃないんだもん。猛烈にこんな幼い子供に持たせていたら不味いもののふくらみだもん。
「おじさんがだめなら、別の人のところに行く」
「何でそんな風に自分を脅迫材料にできるんだよこえーよ!」
おそらく世間の悪人の多さを知らないからこその発言だろうが、坊主も坊主で俺の正義感だか罪悪感だかを煽るようなことを言ってきやがる。
仕方なく俺は、その封筒を受け取る。きっと中にメッセージの一つか二つあるだろう。そう思って中を覗くと、想像した通りの大人のあれと、三つ折りにされた便せんが二つほど入っていた。
『この度、私の娘、ホタルを預かってくださりまして、誠にありがとうございます。いきなりのことで少々驚かれているかもしれませんが、この手紙を読んでくださっているのであれば、ホタルから一万円を受け取ってくださったということですね。ありがとうございます。まことに常識外れとも思いますが、ホタルが一人で旅をしてみたいと申したのです。まだ七歳になったばかりの娘ですが、一人旅をしたいと自分から言い出したホタルの力になりたいと、このような形をとらせていただきました。封筒の中には100万ほどございます。ホタルの費用はそこからお使いください。残りましたら、そのままお礼として受け取っていただきたく思います。二十日の一番の三次行の電車に、その子を乗せてください。よろしく、お願いいたします。
追伸。私はあなたを見ています』
「こえーよ!」
達筆な字で書かれた手紙を、俺は思わず叩きつけた。そしてすぐにあたりを見回す。
そう。こんな坊主が一人で出歩くなどありえないのだ。一人旅だろうが何だろうが、絶対に少し離れたところから見守っている!つまり、この屋台を視界に収められるどこかに絶対にいるはずなのだ。こいつの親が!
そうでなかったら、自分の娘を旅に出させる親がどこ、に……。
「……娘?」
え?あれ?
「え?お前ってもしかして女なのか?」
今度はちくわをくわえた坊主に問いかける。坊主は一度きょとんとした後、コクリと頷いた。
まじか……。髪も短く野球帽も被っていたし、なんか男の子っぽい格好してるし、絶対男の子だと思った。さすがは小学生。男子のような恰好をすれば見分けなんか全然つきやしない。というか普通七歳の女の子って結構かわいいものに目がなかったりするんじゃないの?違うの?
ていうかもっとダメだろ親御さん!何で七歳の娘を知らない人間の家に泊めようとかするんだよ!娘さんのみに何かあったらどうするんだよ!ぶっちゃけ俺の家に泊めたりなんかしてみろ!?次の日警察が俺のもとを訪ねてきたら俺はどんな言い訳すればいいんだよ!
やっぱりだめだ。きっとこんなガキを預かったら、とんでもなくやばいことになる!もう予感じゃない、これは確信だ!絶対に何かある!
『私はあなたを見ています』
……しかし、もしこいつを突き放し野垂れ死にするようなことがあったら、俺殺されるんじゃねえか?だって見ず知らずの人に百万をポンと出してくるような奴だぞ?
俺の危機管理能力が今警笛を上げ警告している。こいつを突き放したらまずいことになると……っ!
そ、それにだ。百万、だぞ?百万が目の前、もっと言えば俺の手の中にあるんだぞ?こんな娘を四日預かるだけ。絶対に普通の生活をするのなら一万円もいらない。ならほとんど百万は丸々手に入れることができる……。
「……」
熟考し、乾いた盃に一度焼酎を注いだ。
それを一気に流し込む。
よしっと頬を叩いた。
「腹決めるか」
俺はその百万を懐の奥にしまい込んだ。