サヨナラだけが、人生だ。
サヨナラだけが人生だ。
たまにそんな言葉を聞くことがある。
誰だったか、有名な小説家が残した言葉だそうだ。
不思議な話で、顔も名前もおぼろげなその人が残した言葉が、この世のどんな酒よりも、心に沁みる気がした。
「はぁあ、やってられっか」
俺は一つ杯を傾けて、そんなことを漏らした。
最愛の人に逃げられもう八年。地元にも帰る気にはなれず、一時期は彼女と同居していた場所にもいる気にはなれず、今までいた会社にもいる気にはなれず、俺は地元山梨からも二人で過ごした東京からも遠く離れた広島の田舎に引っ越した。
ただ、まったくの新天地で一人でやっていく自信も特になかったので、何度か訪れたことがあり、知り合いのつてをたどりまくった結果この地に落ち着いた。
県北地域で一番大きい市であるにもかかわらず、六十五歳以上の人口が半数を超えており限界集落認定待ったなしの地域だ。当然子供も少なく、未だ三十路の俺と同世代の人も少ない。
まぁ、そんな地域だからこそ、最終的に俺は腰を落ち着けることができたわけだ。
俺はそんな地域で約八年、おでん屋の屋台とアルバイトで食いつないでいた。
おでん屋の屋台も冬の時期は好評で爺さん婆さんが、ちょくちょく足を運んできてくれる。
しかしまぁ、春とも夏とも取れない微妙な時期には店には閑古鳥が鳴くことだってある。
今日だって同じだ。屋台を出していても客なんて一人もいない。どうやら今日の客も二けたもいかなそうだ。
俺は客が一人もいないことをいいことに、焼酎を盃に注いで世知辛い世の中を憂う一杯を傾けていた。
まぁ、今は六月の半ば、まだ露に入ったかどうかも怪しいこの時期に少々割高のおでんの屋台に立ち入ろうなんて人が少ないのはよくわかることだ。
しっかし駅の近くの一本道の真ん中にでかでかと店を構えているというのに、さすが過疎が進んだ地域だけあって、誰一人として通らない。人が通りもしないのなら客引きもできない。もういっそのこと満天の星を眺めながら今日は一人で焼酎でも飲んでやろうかと、仕事のことなど知らん顔で乾いた盃に、ちょろちょろと焼酎を注いだ。
「……ねえ」
「ん?」
いざ杯を傾けようとすると、子供の声が聞こえた。
しかし視線を店先に向けるが、子供の姿どころかだれ一人の姿もない。
おっと、まだ焼酎の一本も飲んでねえのに、もう幻聴が聞こえるほど酔ってんのか?
さすがに店ののれんを掲げていながらそれではまずいと思って、俺は盃に注いだ焼酎を飲みほしてから水をコップに注いだ。
「ねえ」
「ん?」
まただ。しかも今度は割かし強い口調で子供の声が聞こえた。
しかし屋台の方を見ても誰もいやしない。
本格的に酔い始めてんなぁなどと己の酒の弱さに驚愕しながら水を傾けようとすると、ぴょこりと、陰から手が生えてきた。
「んん?」
俺は身を乗り出してその手の先を視線で追いかける。
すると屋台の陰になって見えなかった、まだ小学生になっているかどうかもわからないぐらいの坊主と目が合った。
野球帽をかぶった、割と質素な服を着た坊主だ。
「どした?坊主?」
客か?それにしたら椅子にも座ろうとせずじっとぶっきらぼうな顔をしながらこちらを見てくるのは変だよな?っていうか一人か?もう暗いのに……もしかして迷子か?
「ホタル」
「は?」
坊主が小さく口を動いたと思ったら、抑揚のない可愛げない声と顔で何やら意味の分からないことを呟いてくる。
「坊主じゃなくて、ホタル」