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デビュタントの舞踏会まで約一ヶ月、ミナリアはダンスの練習を中心に、作法の復習、ドレスの採寸などをして過ごした。
ダンスは、なんとか簡単なワルツなら踊れるくらいにはなった。
ダンスの練習で筋肉痛になった足を伸ばしながら、ミナリアは出来上がったドレスを眺めた。
シェリーが部屋の姿見鏡の前に置いたドレスは、青紫色の布地のAラインの大人しめなものだ。
レースもリボンも少なくしてもらった。
(可愛いピンクのドレスとか、似合わないし。フリフリ、好きだけど、ちょっとね)
合わせる装飾品も、シンプルなものを選んだ。
フェルミナとシェリーは残念そうな顔をしていたが。
(そういえば、この世界の貴族って、何歳くらいに結婚するのかしら?)
ミナリアは記憶を掘り起こし、やっぱり、と頷いた。
この世界の成人年齢は、もちろんデビュタントの十五歳だ。その頃に婚約も決める者が多く、十八歳の頃には結婚している場合もある。
(という事は、わたしも婚約者とか決めなきゃいけないのかな?それとも、貴族だから親が決めるのかな?)
デビュタントの後のお茶会は友人をつくる為のもので、夜会は婚約者を見つける為のものなのだ。
(最悪、前世と同じくいかず後家でもいいかなぁ)
ミナリアは、全く出逢いを求めていなかった。
デビュタント当日、ミナリアは朝からシェリーに身体を隅々まで磨かれ、ドレスを着せられ、化粧をされて髪を結い上げられて、会場に行く前にぐったりしていた。
「お嬢様、後はアクセサリーを着けるだけですよ」
「…………もういいわ。動く気力が無い」
「そんな事言わずに。会場では美味しいお料理が食べられますよ」
「頑張る」
既に疲れて片言になっていたミナリアは、美味しいものが食べられると聞いて、急にシャンとした。
「素敵な殿方もいらっしゃいます」
「あ、それはどうでもいい」
「………ええ、まあ、旦那様がご一緒ですと、たぶん出逢いは無いかもしれませんね」
シェリーはやや遠い目をして、ミナリアにアクセサリーを着ける。
ミナリアの父親であるオスヴァルト・ザウアーラント侯爵は、大変な愛妻家であると同時に、大変な子煩悩でもあった。
オスヴァルトに対抗できる様な人物でない限り、ミナリアに近づく事はできないだろう。
「お父様と一緒にいると、お仕事関係のオジサマしか出逢いが無いわねぇ」
ミナリアは、ナイスミドルな男性と新人の青年との妄想を脳内で繰り広げて、疲れを癒した。
(ナイスミドル、もいいかもしれない)
「はい、お嬢様。出来ましたよ」
シェリーがやりきった笑顔でミナリアを立たせる。
「さ、お嬢様、旦那様がお待ちですよ」
ミナリアはシェリーに促されて部屋を出た。
玄関に行くと、シルバーグレイのイブニングコートのオスヴァルトが待っていた。
オスヴァルトは紫紺色の髪を後ろに撫で付け、空色の目を輝かせた。
「ミナリア!なんて可愛いんだ!さすがフェルミナとわたしの娘だ」
「ありがとうございます、お父様」
二人で玄関先に停めてあった馬車に乗る。
馬車は会場である王城に向かって動き出す。
「今日はミナリアのデビュタントだから、わたしがエスコートするけど、次の夜会からは、誰か相手を探さないといけないな」
「…………お父様、私、すぐに次の夜会に出たいとは思っていません。ですので、お相手を探すのは急ぎません」
馬車の中でオスヴァルトが言うので、ミナリアは困った様に笑った。
(今日の目的は美味しいお料理と、素敵な男同士の友情関係を見る事なんだから)
馬車の窓から見える景色をぼんやりと眺めていたら、王城に着いていた。
馬車を降り、父親にエスコートされてミナリアは城の大広間に入った。
何やらどこかで名前を読み上げられた気がするが、ミナリアは城の内装の豪華さに目を奪われていたので、全く緊張しなかった。
「ミナリア。夜会では最初に主催者に挨拶するのだけど、今日はデビュタントの皆が主役だから、近くに来た方に挨拶すればいいよ」
「今夜は、王族の方はいらしてないのですか?」
「そうだね、確か、第三王子のクリストフ殿下がいらっしゃるはずだ」
ミナリアがオスヴァルトと歩いて広間の中へ進むと、すぐにオスヴァルトの仕事での関係者だろうと思われる中年男性が、数人挨拶に近づいて来た。
その人達とそつなく挨拶を済ませて、ミナリアは料理が並べられているテーブルの方をチラリと見る。
「ああ、これは宰相補佐官殿」
オスヴァルトの声に、ミナリアは振り向いた。
目の前に、美形が立っていた。
(ふぉああぁ!!)
ぽかんと口を開けたミナリアに、男性は微笑んで挨拶をした。
「ザウアーラント侯爵、こんばんは。初めまして、お嬢様。わたしはヴィンセント・ノイベルトと申します」
ヴィンセントは薄い水色の髪を首の後ろでひとつに束ね、深い緑色の瞳でミナリアを見つめる。
濃紺色のイブニングコートが似合っている。
「は、初めまして。オスヴァルト・ザウアーラントの長女、ミナリアです。以後お見知りおきを」
膝を曲げて腰を下げ、ミナリアはヴィンセントに挨拶を返した。
(眼鏡インテリ超絶美形!!ほんとにこんな人、いるんだ!?)
「まさか、侯爵にこのような可愛らしいお嬢様がいらしたなんて、知りませんでしたよ」
「言ってませんからな」
(口も上手いな!?美形は!!)
「ミナリア嬢、飲み物はいかがですか?」
訊かれて、ミナリアはオスヴァルトを見ると、オスヴァルトは渋々頷いた。
それを確認して、ミナリアは答えた。
「頂きます」
「では、あちらへ」
ヴィンセントに連れられて、料理が並べられているテーブルの隣のテーブルに歩いて行った。
そこには、色々な飲み物が並べられていた。
「これは柑橘類の果実水ですよ」
ヴィンセントに説明された飲み物のグラスを手に取る。
オレンジ色の爽やかな味の飲み物を口に含み、ミナリアはにっこり笑った。
「美味しいです」
「良かった。…………あちこちから、貴女に声を掛けたがっている男性達がいますけど、どうしますか?」
「…………声を掛けてこないのなら、どうもしません」
ミナリアの答えに、ヴィンセントは笑った。
「貴女は、面白い方ですね」
「…………そう、ですか」
美形に面白いと言われて、ミナリアはなんと反応していいのか分からなかった。
ミナリアが広間を振り返ると、オスヴァルトは数人の男性に囲まれていた。
「申し訳ございません。少々席を外します。父に言伝てをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、わかりました」
ミナリアは軽く頭を下げて、広間を出た。
廊下の先のトイレに入り、ミナリアは深呼吸をした。
(美形って、何やっても美形なんだなあ)
手を洗って少し落ち着き、ミナリアは廊下に出て広間に戻ろうとした。
柱の暗がりから、男性が一人現れた。
「ご気分が悪いのですかな?どうですか、庭園でも見て気分転換など」
「……………いえ、結構です」
ミナリアの前に立ちはだかり、ニヤニヤと笑う男に眉をしかめる。
男を避けて通り過ぎようとしたら、男がミナリアの右手を掴んで引き留める。
「ちょっ、離してください!」
「すぐそこの部屋で休んで行きましょう」
男に腕を引かれて、ミナリアは青褪める。
(ヤバイヤバイ!!何、この男?!)
足を踏ん張って抵抗するミナリアに、男は次第に乱暴になり、ミナリアの腕を強く引っ張る。
「痛い!離して!」
その時、ミナリアの側で突風が起きた。
気がつくと、ミナリアの腕を掴んでいた男は廊下の床に転がって、少女に蹴られていた。
「……………え?」
ミナリアは目を丸くして、男と少女を見た。
少女は腰まである黒髪をポニーテールにして、若葉色の膝丈のワンピースに茶色の皮製のコルセットベルト、深緑色のヒールの無い靴を履いている。
どう見ても少女は今夜のデビュタントの参加者ではない。
その少女は、男を先程から蹴りつけている。
「てめぇ、嫌がる女の子に無理強いしようってのは最低な野郎だな!だから下衆な男は嫌いなんだよ!」
蹴られている男は、既に力なく床に蹲っている。
ミナリアは困惑して、少女を止めるべきか迷った。
「二度とそんな事が出来ないように、その股にぶら下がってる無駄なモノを切り取って引き潰してやろうか?!ああ?!」
少女の言葉に、二方向からひゅっと息をのむ音がした。
すぐに、一人の男性が少女の体を抱き上げて止める。
「充分だ。それ以上やったら、死ぬ」
「殺すつもりでやってるのよ!」
男性は、黒い騎士服を着ているので、騎士だと思われる。
その男性の片腕の上にちょこんと座った少女は、やっと大人しくなった。
そして、ミナリアの側にヴィンセントがやって来た。
「ご無事で良かった、ミナリア嬢」
「は、あ、ええ」
ミナリアはヴィンセントに右手を取られて、状況を忘れて頬を染める。
少女にお礼を言おうと、少女を振り向いた。
少女の顔を見た瞬間、ミナリアは驚きに少女に駆け寄った。
「西凪ちゃん!?」
「へ?」
少女は、ミナリアの前世、南海の妹の西凪だった。
しかし、南海が死んだ時西凪はもう大人だったはずだが、目の前の西凪は十代半ばくらいの少女だ。
「えっと、誰?」
西凪は可愛く首を傾げてミナリアを見た。
「あ、えっと、南海よ!お姉ちゃんよ!」
「はあ?!」
「ほら、えっと、西凪ちゃんはわたしが入院したら、わたしの好きなオレンジジュースを毎日買って来てくれたし、わたしが読みたいって言ったら“俺様シリーズ”の新刊買って来てくれたじゃない!」
「う………嘘ーー!?マジでお姉ちゃん?!でも見た目が全然違う!」
西凪は男性の腕から降りようとしたが、男性が西凪を離さなかった。
「サナ。この人は姉ではないだろう」
「前の世界でのお姉ちゃんなの!降ろして!」
渋々男性は西凪を床に降ろす。
すぐに西凪はミナリアに抱きついた。
「お姉ちゃん!」
「西凪ちゃん、どうしてここに?それに、若返ってるし」
ミナリアは西凪にだけ聞こえるように小声で訊く。
しかし、ヴィンセントが二人の会話を止めた。
「何故、聖女殿がここに?」
ミナリアはヴィンセントを振り返り、ギギギっと西凪をまた見る。
「まさか、西凪ちゃん?」
「あはー。あたしも一回死んだみたい」
西凪の言葉に、今度こそミナリアは意識を失った。
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