少女の遺書
これを読んでいるあなたへ
私はきっと今ごろ、背の高い女の子と一緒に海に打ち上げられて遺体安置所で横になっていると思います。
私は、私たちは、大きな出来事に遭遇して世界が大きく変わりました。
生きているものが全て形作られたロボットや衝立にしか見えなくなり、代わりに枯れた草木や蛇の死骸がよく喋ってきます。
「お前たちは生きていい存在じゃない。神様もミスをするけど、お前たちを作ったのが一番の間違いだ」
飼っていた犬のナナが死んだ日からその声はいっそう大きくなり、次第に感情を増すようになったのでした。
声が聞こえているのが私だけなら、まだマシだったかもしれません。苦しむのは私だけなのですから。でも私と一緒に死んだ蒼にもその声が耳に入ったようです。
「ねえ蘭子」
蒼は震える声で私に話しかけました。
「なあに、蒼ちゃん」
私はできるだけ平然を装って答えました。ですがかえって恐怖で声が上ずって、感情を隠せなかったことに気がつきました。
「声、聞こえた?」
「なんて?」
「お前は生きちゃいけない、って」
嘘をつく必要なんてありません。私たちは初めて出会った時から、運命で結ばれていたのですから。
「私も聞こえたよ。なんか……、おばあちゃんのような声だったね」
「だよね?!おばあちゃんが低い声で命令してる感じだった……」
しばらく沈黙が続きます。イヤでイヤで仕方がないくらい辛い時間。その間に、私は何か話しかけなくてはいけない衝動に駆られました。
そしてつい口走ったのです。
「ねえ、
私たち、一緒に死なない?」
蒼の目が私の顔をじっと捉え、ずっと見ていました。その表情はハッとしながらも、自分も決意したと言わんばかりのものでした。
「蘭子は……、あの話を信じてるの?」
「蒼ちゃんは信じてないの……?」
”あの話”とは、私たちの通う学校で信じられていた伝説のことでした。
「学校のある七瀬港から、足を赤い紐で結んで入水すると神様からあの世で二人を恋人と認めてくれる」と。
私たちは自分たちを恋人と認識していたつもりはありませんでした。元をただせばただの友人です。
ですがあの日を境に、二人の関係は変わっていきました。
私がこの遺書を書いているのは7月26日。あなたも知っているかもしれません、松江奈津江が殺された事件があった日から35日後にあたる真夜中です。
今は夜中の1時25分。普段からうるさい家族の叫び声や足音も静まって、私のペン先だけが動いています。
この夜の闇と静寂の中で書いているこの手紙というか、遺書の中に事件の真実を書いていこうと思います。
高橋奈津江はテレビでは『友達が多く』て『クラスで慕われていた』と報道されていました。ですが実際は自己主張と協調性の強い仲間でグループを作り、私の双子の妹、加耶を虐めていました。加耶は蹴られ、服で見えない部分にアザをつけられ、心もズタズタにされていました。そして髪をハサミでザンギリにされた昼の時間、奈津江の目の前でバルコニーに足を乗っけて、頭から飛び降り、亡くなったのです。
死体は内臓の一部が飛び出て、脳漿がアスファルトのあちこちに散らばり、足は変な方向に曲がっていました。
現場を目撃した私と蒼は奈津江の顔をただ見つめていました。彼女は焦るどころか口元を笑わせ、眉をひそめてただ一言、言っただけでした。
「追い込まれる方が悪いのよ」
私の中の悪魔がこの言葉によって目覚めました。
放課後、私は蒼を呼んで、こっそり相談しました。加耶の親友であり、私の友達でもある彼女もまた奈津江を恨んでいた一人で、いつか「地獄に叩き落として殺したい」とも言っていた彼女を殺人へ導くには簡単なことでした。
二人で夜、奈津江を深夜の学校に呼び出しました。
奈津江と屋上へ向かう間、私は加耶との思い出話を彼女に聞かせました。
できるだけ大切な思い出を、大切にしていることを表現しながら。しかし奈津江はいかにも「だから?」という風に、まともに相手にしませんでした。
やがて屋上に辿り着くと、奈津江の腕を引っ張って、私はヘリに立ちました。
「さあ、ここが私の死ぬところよ。ちゃんと見ていてね」
私は飛び降りるフリをする瞬間、腕を押さえに入ろうとしたソイツの背中を蒼に押させました。するとゆっくりと奈津江は落ちていき、言葉を紡ぐこともままならないまま死んでいきました。
止めに入ろうとした奈津江は明らかに焦っていたのに、落ちた時の顔は何だったんでしょう。分かりませんでした。今でも想像できません。
死んだ彼女は加耶と同じように内臓を飛び出させ、グチャグチャになった顔面を私たちに見せつけながら横を向いていました。
その顔の醜さを見た瞬間、私は心が安らぐと同時に自分が犯した罪の大きさに耐え切れず、吐き出しそうになりました。しかしそれを見た蒼は私の口をそっと押さえ、トイレまで3階にあるトイレまで連れて行ってくれたのです。
「蒼ちゃんは、怖くないの?」
私は奈津江の顔を思い出しながらえずき、泣きながら質問しました。蒼の顔がどんな表情をしていたかは覚えていません。しかし、口調だけなら今でも真似できますし、覚えています。
「全然?」語尾を上げて、ふざけた子供のようなイントネーションで聞き返していたことを。
私は彼女の心の強さに驚かされました。この世にこんなに強い女の子がいるのかと。そして彼女に甘えるように、抱えられる形で学校を出て家路に着いたのです。
この頃からでしょうか。蒼を友人以上の存在として見始めたのは。
翌日の放課後、ジメジメと熱苦しい学校のロッカーで二人で筆談という形で会話をしていました。
「どうする?」
私が書いたのは、記号も含めたたった5文字の文字の羅列。
「なにを?」
「奈津江のことだよ!」
「私は別になんとも思わないよ。あの子の理論で言えば、”殺される方が悪い”んだもの」
「そうよね……」
私は蒼の顔を見ることができず、じっと下を向いていました。見えるのは、無論ノートに書かれた文字だけです。
しばらく沈黙が続いた結果、蒼が何かを書き始めました。
(”イ、マ、ト、ナ、……)
心の中で文字を読んでいくと、1つの文章が出来上がりました。
「イマトナッテハ、ナツエがニンゲンニミエル。ナンデダロウ」
私は自分の思うことを、ありのままに書いてみました。
「それは、心臓が彼女にもあったからだよ。心臓が止まれば誰だって死ぬ。心臓が血液を循環させて、体を温めているもの。だから、蒼の胸も」
私は蒼の大きな胸にそっと手を置いてみました。柔らかい胸からは、確かに大きな心臓の音が聞こえてきました。
「こんなに大きい壁があるのに……」
つい、小さく呟いてしまいました。何があったのかはわかりません。いつか母の大きな胸が口元にあった頃のことを思い出して、顔を蒼の胸にうずめ、セーラー服のボタンを外し始めました。
最初の蒼はやめて欲しいとばかりに私を壁に押さえつけようとしましたが、やがて受け入れ、ドアの鍵を閉めて行為に至りました。
彼女の胸はとても柔らかく、恋人のためにとっておいていた筈の貞操を私に奪われるのを喜ぶように、彼女は私を受け入れました。
身長167センチの蒼と156センチの蘭子。胸も柔らかいボールとまな板ほどの違い。全てが違う私たちは一心同体となり、これからを受け入れていくようになったのです。
やがて奈津江の葬式が行われました。彼女の手下は彼女の不幸を思って、その他のクラスメートは学年に起こった二つ目の悲劇を思って泣きました。私たちも泣きましたが、「その涙は彼女も人間だった」という事実に対してのものでした。
人間を殺すことは罪である。そう幼い頃から教わってきたのに、なぜ私たちはあっけなく罪を犯してしまったのか。
あなたなら分かるかもしれませんが、これを書いている私には今でもわからないのです。
確かに怒りが私たちを凶行に至らせました。計画を立てているときも、私がバレないように、確実に彼女を死に至らせることを念頭に置いて導きました。
最低限のルールのことも、頭から抜けていたのでしょうか。もし分かっていたら、あなたはまだ人間でいられるということです。
さて、話題が反れてしまいました。奈津江の葬式後、私の世界は壊れてしまいました。
両親の「おはよう」も、私が人を殺したことを見通しているという事を知っているように感じられました。
蒼以外のクラスメートの慰めも同じように、悪魔の拷問の声にしか聞こえませんでした。私を取り巻くマネキン人形。彼らは好きなように関節を動かして、好きなように行動しています。ですが声は天井から、あえて録音されたものが再生されているように思えたのです。
その中で、唯一人間に見えたのが蒼でした。蒼もまた、私と同じような世界にいることに苦しみ、放課後のロッカールームでの行為が救いとなっていました。
やがてロッカールームが使えなくなった夏休みに入ると、二人は私の家の屋根裏部屋で逢瀬を重ねるようになりました。キスの味は苦いものでも甘いものでもなく、無味無臭でした。
かつての甘苦しい匂いがなくなった行為に意味を見いだせなくなって、私たちはますます追い込まれました。
そしてナナが死に、二人で行為の前に祈っていると、例の声が聞こえてきたわけです。
もう私はこの世にいないでしょう。お願いします。どうか、この手紙を見たら警察に提出せずに燃やして捨ててください。
私と蒼は、”普通の女の子”として、恋に苦しんだ末の自殺と思われて死にたいからです。もう一回。もう一回お願いします。この手紙は読んだら捨ててください。
この手紙は、私がたまたま夜の海岸で見つけた二人の少女の片割れの手に掴まれていたのを取ったものである。
確かに高橋奈津江は地元の女子校、桜会女子学園高校の校舎から飛び降りて亡くなっている。この時は事故として処理されたが、まさかこんな事情があったとは……。
私は手紙を読んだとき、そう思った。無論この手紙は書いた張本人、梁瀬蘭子のためにもう既にゴミに捨てた。羽沢蒼は亡くなっていたそうだが、蘭子は今も生きている。
罪を償うなら、こっそり一人で思い悩む方が重く感じるものだ。だから私は蘭子が生きることで罪を償うことを期待している。