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6 シルベスタという男が振られた理由

「ナギ?」


 頭の整理を何とかつけたので、彼は立ち上がり、閲覧室の方へ向かった。

 閲覧室は、平日であったので、人も少なく、静かだった。

 彼女は一体何の本を探しに行ったのだろう?彼はふと疑問になる。一つ一つの本棚の通りをちら、と彼は見ながら奥へ奥へと進んでいく。

 居た。

 彼女は生物学の棚のそばで何やら本を手にしていた。ずいぶん厚い本だった。本を取ったらしい棚の向かいの棚に背を預けると、足を組んで面倒臭そうな表情で本を眺めている。


「ナ…」


 呼びかけようとした時だった。 

 とす。

 ひどく軽い音が彼の耳に入った。

 ぱん。

 そして再び別の軽い音が耳に入る。彼女が本を閉じたのだ。だがそれだけではなかった。彼女は閉じた本を思いきり振り上げると、投げようとしたのだ。


「ナギ!」   


 シルベスタは慌てて彼女に駆け寄り、その手を横から掴んだ。


「―――あなたか」


 ナギはその金色の目を大きく見開くと、怒っているとも笑っているともつかない顔になった。


「何しようと… 本を… そんなでかいのを…あなたかって…他に誰が居るって」

「…さて?」


 彼女は掴まれたままの手を軽く払った。


「私はどの質問から答えればいいんですか?」

「あ…」


 ナギは黙って、本でそばの棚を指した。昔からの建物にそのまま備え付けてある棚は、年季の入った木製である。

 その木製の棚に、何かが突き刺さっていた。


「…これは…」

「短剣にしか私には見えないが」


 顔色も変えず彼女はそれをずっと抜く。銀色に光る刃の真ん中辺りに棚に塗られていたワックスが軽く絡んだ跡がある。おそらくそこまで深く突き刺さっていたのだろう、と彼は思った。


「ふむ」


 彼女は本を棚に戻すと、その短剣をあっちへひっくり返し、こっちへひっくり返し観察する。

 短剣と言うよりは、小柄である。柄と刃の部分の太さがそう変わらない。そしてつばの部分が無い。

 彼女はポケットから薄い玉子色のハンカチを出すと、その短剣の刃をくるみ、ぎゅっと強く結んだ。


「刃が当たってはけがをするからな」


 そんな独り言そもつかないことを彼女はつぶやいた。

 シルベスタはその一連の行動をやや呆然として見ていたが、やがて、ナギがその短剣を、先ほどハンカチを取りだしたワイドパンツのポケットに入れた時、ようやく言葉が出た。


「ちょっと待ってくれ、ナギ」

「何ですか?」

「それをそのまま何処かへ持ってく気か?」

「ええ」

「ポケットに入れて?」

「ええ。他に入れる所もありませんし」

「そういう問題ではなくて…… これは、事件だろう?」

「事件…… でしょうかね?」

「事件だろ?故意的にそれは投げられたんじゃないか?」

「まあそれはそうなんですが……」


 ナギはどう言ったものか、と言いたげな表情になる。


「でも誰も信じるとは思えませんよ?」

「それは…」


 彼は辺りを見回す。先ほどからこの辺りには自分達の他誰もいない。専門を勉強する者以外にはそう必要とされない地域なのだ。


「それに、誰がわざわざ私をここで狙うというんです?」

「いやそれは…」

「あなたの連れだから?だったらあなたを狙った方がここでは自然だ。では私でもあなたでもないとすればただの通り魔ということになるが…」

「その可能性があるなら」

「だとしても私は今あまり騒ぎを大きくしたくないんだ」

「ナギ」

「私はなるべく早く帝国へ戻りたいんだ」



 とにかくこのまま図書館の中に居るのが果たして安全かどうか判らない、というのは意見が一致したので、二人は外へ出た。


「それにしても君、ずいぶんと平然としていたじゃないか」

「…まあ」


 彼女は言葉をぼかした。


「無いとは思うが、シルベスタ、あなたには狙われる理由は心当たりがあるのか?」

「そりゃ全く無いとは言えないが」

「デカダの三男坊だからな」


 く、と早足で歩く彼女は笑う。


「だけどあなたを狙うのは結構簡単そうに見えるが」

「そうか?」

「家族とは一緒に暮らしてないんですか?暮らす気はないんですか?」

「いや」


 彼は首を横に振る。


「仕事が仕事だし…」

「でも別にオクティウムでなくても良かったんじゃなかったですか?」

「まあそうだけどね。君の方の資料には入っていない? 俺は会長の本妻の子ではないって」

「ええ。でも法で認められた実子扱いをされているでしょう?」

「…まあそうだけど…」


 同じセリフばかりが枕詞につく。


「俺は十の歳まで、母親と暮らしていたから。どうしても家族意識という奴が薄いのかもしれない」

「ああ、それじゃ私と同じだ」

「君と? ああ、そう言えば、家族はいないって…」

「ええ。母親が居ましたが、十四の時に亡くなりました。もうずっと昔のことですね」


 そう昔ではないと思うが。彼はその言葉を呑み込む。彼女がポケットを再びごそごそとまさぐり始めたからだ。


「さっきの短剣ですけど。…何か変わっていると思いませんか?」


 彼女は歩きながら、まるで手作りの焼き菓子を恋人に見せるような調子で短剣をくるんだハンカチを広げた。


「変? ああ、そう言えば変だな。こっちではあまり見ない型だ」

「ええ。小柄です。…帝国のものです」

「え」


 彼の足が止まる。ナギは再びそれを彼の手から奪い去る。そしてやや彼に接近する。


「それも結構上等のものですね。いえ上等、というよりは、手入れがよくされている、と言った方が正しい。刃が何度も研がれた跡があります」

「じゃ帝国の」

「ええ。もしくは帝国を装った――― でもいま現在、連合と帝国の間にいさかいを起こさせるようなことは」

「どちらにもメリットはないな」

「と思う。だとしたら、帝国の者が、帝国人の私を狙った、と見た方が分かりやすいんですよ」

「でも君」

「まあ確かに男爵にも敵は無い訳ではなかったですからね」


 彼女はていねいに短剣をくるむと、再びポケットに入れた。


「あ、あれ何ですか?」

「あれ? ああ、喫茶店だよ。…そうだな、お茶でもどう?」


 道の端にテーブルと椅子が出されている。ガラス製の風と砂よけが張られているが、天井は無い。

 ナギはその店の周りをちら、と見渡し、ええと言った。

テーブルの一つにつくと、大きな固い布地の真っ白なエプロンをつけた給仕が飛んできて、注文を訊ねる。シルベスタは薄いコーヒーを頼み、ナギはジャム入りの茶を頼んだ。


「断られると思ったんだけど」


 給仕が立ち去ったのを見計らって彼はつぶやいた。


「あなたはそればかり言っているな。よほどそういう経験が多いのか?」

「いや、それ以前に、あまり女性を自分から誘ったことはないんでね」

「ほー」


 彼女は意外、という顔になる。


「でもその歳だ。付き合った女性の一人や二人無い訳ではないでしょう?」

「そりゃあね。でも長続きしなくてね」

「そんな気がする」

「そうか?」

「ああ。何となくな」

「そうか…」


 彼はふっとため息をつく。そんな気がするように、見えるのか。


 

「私はあなたのこと好きなのよ」


 彼女はそう言った。

 一番最近付き合って、一番最近別れた彼女は別れる時にこう言った。同じオクティウム大学で、文学の研究室で助手をしている彼女は、彼より七つも歳下だったが、時々彼よりひどく大人びた表情をした。

 尤も二人とも、大人と言われるには充分すぎる年齢ではある。

 付き合いだしてから二年、保たなかった。それでも長く続いた方である。

 彼女が別の男に走ったことは、共通の友人である同僚から彼は聞いていた。


「好き? だったらどうして?」

「私がどうしてあのひとの所へ走ったかって聞きたい?」


 彼はその理由を聞きたかった。けれど反面、聞きたくないとも思った。


「聞きたいなら教えてあげる。あの人は私が一番好きだからよ」

「それは――― 君が奴を好きなんじゃないのか?」

「好きよ。でもあなたを好きになった時程じゃないわ」


 彼は驚いた。


「じゃあ何故」

「だって」


 彼女はまっすぐ彼の方を向いた。その視線は彼を責めていた。


「シルベスタのことはすごく好きなのよ。今でも好きよ。だけどあなた、私が一番じゃないじゃない」


 そんなことはない、と彼は言った。すると彼女は首を大きく横に振り、言った。


「そんなことはないわ」


 彼女は断言した。


「別に他の女性がどうの、ということじゃないし、たぶん男の人って、だいたいそうだと思うの。それが仕事だったり、何か自分を賭けられるものがどうのって。ううん、あなたのお家のことも関係ないわ」

「じゃあ何? 俺にはよく判らない」

「私疲れたの」

「疲れた?」

「私が欲しいのは、私たちの家庭を一緒に作ってくれるひとだわ」

「それは結婚相手ってこと?」

「そう呼びたいならそう呼んでもいいわ。でもそういう形式のことじゃないのよ。別に籍がどうの、一緒に住んでどうの、ということじゃないの。あなたと何かしていても、何をしていても、私のすることがするすると向こうへ行ってしまうだけなんだもの」


 彼女は吐き出すようにそれだけ言った。


「あの人は、私が泣いていたら、私がどれだけ邪険にしようとそばについててくれるわ。あなたは私をしばらく一人にしておくわ。たぶん冷静になるには、あなたの方が正しいのよ。だけど、あの人のすることの方が、私は嬉しいのよ」


 心臓を素手で掴まれた気持ちがした。


「仕事に夢中なあなたはとても好きなのよ。一番生き生きしてるのよ。新しい歴史の説が発表された時とか、帝国からの資料が届いた時とか、そういう時のあなたの表情ってすごく――― 何っていうか、可愛い? っていうか、そういうのあるのよ。そういうの、私すごく好きだったわ。だからそういうあなたで居て欲しいとは思うのよ。でもそういうあなたと居ると、私どんどん悲しくなるのよ」

「悲しかった?」

「悲しかった。一番楽しそうな時のあなたの中には、私なんて何処にもいないんだわ」

「そんなはずは」


 だが、そんなはずはあった。確かにそうなのだ。

 彼女が居れば嬉しいが、彼女がいなくとも生活に変わりはないのだ。

 つまりそれは、彼女を自分の生活の一部にはしていなかったということなのだ。


「あの人は、私があなたのこと好きでも何でも、そういう私が好きで、一緒に居たくて、私のために仕事をがんばることが楽しいって言ったわ。だから私あの人の方をとったわ。だってあなたと一緒に居ても、私はあなたの何にもならないんですもの」


 そんなことない、と言いたかった。だがそれは言ってしまったら嘘になる、と彼は思った。

 確かに彼女が居てもいなくとも。

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