3 朝食と共にし、図書館へ高速通信をもとめて
「暇ですか?」
とにかく、彼はそう訊いてみた。翌朝である。
朝食のために二階にあるレストランへ出向くナギを、シルベスタは待ち構えていた。
「暇です」
前日と似たような、首からすっぽりと覆っている黒い服を着た彼女は、素気なく答えた。
「朝食をご一緒していいですか? ナギさん」
まあ半ば断られるだろうな、と思いながら彼は訊ねている。何となく、彼女は一人で過ごすのが好きそうなタイプに見えたのだ。
ところが。
「ええ、構いませんが… そのつもりだったのではありませんか?」
「…そう見えますか?」
「ええ。行きましょう。私昨日あまりきちんとしたもの食べていないからお腹が空いてますから」
そして彼女はにっこりと笑う。何だかなあ、と彼は思う。
数分後、「きちんとした」朝食の並べられたテーブルに彼らは向かい合っていた。
「断られるかと思っていた」
「そうですか? 結構簡単なものなんですね」
ナギは並べられた食事を見て開口一番、そう感想を述べた。
「そうですか?」
「こちらの朝食はだいたいこういったものなのですか?」
「そうですね。だいたい。そちらはそうではない?」
彼女は篭に盛られた丸いパンを一つ取る。
「私が寄宿舎に住んでいるからかも知れませんが…… 結構朝からこってりしたものを出すことが多いです。実のたっぷり入ったスープとか」
「ちょっとそれは…」
彼は照れくさそうに笑う。
「その代わりと言っては何ですが、夜はそう多くはないです。ですから、昨日もレストランの方は少し見送って」
「そういうものですか。こちらでは夕食がやはり正餐ですから」
「ええ、聞いてます」
確かに朝でもよく胃にものが入るようだった。彼は瞬く間に篭の丸いパンだの、波型に切ったチーズだの、ガラスの器に入ったヨーグルトのジャムがけだの、深手の皿に入ったとうもろこしのスープだの、果物のジュースだの、丸のままの果物だのが無くなっていく様に目を見張った。
「あなたはそうたくさんは召し上がらないようで?」
「まあ習慣で」
彼女はくすっと笑う。
「これから活動するのではありませんか。しっかり食べておかないといけませんよ。それとも胃がそう大きくはないですか?」
「胃は普通でしょう。ただちょっと昨夜呑みすぎたので――― 肝に命じましょう」
シルベスタは結局ナギの半分も手をつけなかった。下げていいかと確認してボーイが皿を持っていく。そして一度すっかり片付けられたテーブルに食後のお茶が運ばれて来た。
ナギはしばらくその運ばれてきたお茶の付け合わせを見ていたが、ピッチャーに入ったミルクを、濃く入れられたお茶に全部居れてしまう。タフな胃をしているなあ、と彼は再び感心する。
「ところでシルベスタさん」
一口含んだところで彼女はそう切り出す。
「何ですか?」
「どうやら暇が結構続きそうなんですよ。処理が済むまでここに居なくてはならないのですが、いかんせん私はここの街を全然知らなくて」
「そうですね…… 自分もそう知ってる訳ではありませんが」
「でも全くではないでしょう?」
「あまり遊ぶところには縁がありませんでね」
くっ、と彼女はやや顔を緩める。
「そういうところじゃありませんよ。じゃ言葉を変えましょう。しばらく私にお付き合い願えませんか?」
「あなたに?」
「ええ。一人で暇を潰すのは結構疲れるものですから」
どうやら自分の見当は外れたらしい、と彼は感じた。
「そう言われるのなら。ところでどのくらいかかるものなのですか?その処理とは」
「そうですね」
彼女はカップを置く。
「……防腐加工というのは昔は結構かかったものですが――― でも現在はどうでしょうか。一応昨日病院では、三日四日とか聞きましたけど」
「三日四日ですか。そうですね。その位でしたら、休暇も取っている訳ですし、私もこちらに居られますから」
「ありがとう」
そして彼女は二杯目のお茶を注ぐ。その姿から彼は目を離せない。
目が離せない理由は何となく彼も気付いていた。当初の印象と、どんどん彼女の姿がずれてきているからだ。
彼女――― ナギは、写真で見た限り、透明感のある美少女、という印象が大きかった。
おそらく現在でも、ただ何もせずそこに居るだけなら、その印象も変わらないのだろう。だが、一度動くと、その姿は予想をどんどん裏切っていくらしい。
確かに仕事のこともあるが、それとは別の次元で、少々彼女と行動をしてみたいな、と彼は思ったのである。
そもそも朝食の場で「遺体の防腐加工」について口にできる神経は興味深かった。
「あ、それと――― 高速通信のかけられるところはご存知ですか?」
「高速通信? 市内通信ならこのホテルにもありますが」
「ちょっと国の方へ連絡をつけておきたいんです。もちろんこの件自体は、別の方から連絡は行っていると思うんですが、私個人として、帰る時間がどのくらいかかるか連絡しておきたい相手がいますので」
「ご家族?」
「いえ」
ナギは首を横に振る。
「私には家族はいません。学校の寄宿舎に、男爵様のお嬢様がいますので」
「学校の。あなたと同じ?」
「ええ。同室です」
「ああ、じゃあ仲良しなんですね。たぶん図書館に行けばあるんじゃないですか?」
「図書館ですか?」
「だいたいこの規模の都市には図書館や公会堂を据え付けることが州設法で義務づけられています。図書館にはだいたい何処にも長距離用の公衆の高速通信が据え付けられているはずですが」
「そうですか。ではそこまでお付き合い願えます?」
「ええ、喜んで」
実際、当初シルベスタはナギに断られたら、図書館にでも行こうかと思っていたのだ。
暇潰しと表面的な情報収拾には良いところである。まあそれは最終手段であって、実際は、何くせつけて彼女と行動を共にしようと思ってはいたのだが。
「ところでシルベスタさん」
「はい?」
「お仕事を休みにしてきたって今言われましたよね? 何のお仕事ですか? デカダ通運ではないのですか?」
「ええ、まあ。オクティウムって都市はご存知ですか?」
「いいえ。あまり連合の地理は詳しくなくって」
「西都――― ルカフワンの位置は?」
「そのくらいなら。あの列車の終点ですもの。そのくらいは」
「あそこからやや南下するんですよ。で、三方を山に囲まれているようなところで。まあここよりはまともな都会ですが、西都なんかに比べれば田舎もいいところですね」
「まあ」
「まあ、ルカフワンと比べては何処も田舎ですがね。とにかくそのオクティウムの市立大学で助教授なんて役についてます」
「何の専攻ですか?」
「歴史です」
「歴史」
「帝国の――― そちらのお国の歴史が専門なんですよ」
「帝国の歴史が」
ん、と彼は何かが引っかかるのを感じた。
ナギの表情が僅かに硬くなったのだ。
*
前日と違って、風は止んでいた。それに、打ち水をした跡があちこちにある。おかげで前日程砂ぼこりはひどくはない。
市街地というのに、これほど砂ぼこり砂ぼこりと言う理由は、道にある。舗装が不完全なのだ。
だがそれは必要が無いからだ、とシルベスタは思う。
もともとこの地では大して雨も雪も降らない。道がぬかるむことはない。舗装した道がそう必要なほどに高価で貴重な自動車が通ることもない。人々は主に馬車や自転車を利用する。どちらもある程度固まって平たい道であればそう不自由することはない。
この地の道は、人工的に作られたものではない。長い間に勝手に「道」となっていったものである。人や家畜や、もろもろのものによって踏みしめられ固くなり、草も生えなくなったところである。幅も広く、公的なサーヴィスを使ってまで拡張する程のこともなかった。
苦情を言うのはそれこそ、旅行者くらいである。
さてその旅行者二人は、ホテルで書いてもらった地図を手がかりに、図書館へと向かっていた。
ホテルの対応は、実に親切極まりなく、当初は車を出そうかとまで言ってくれた程である。もちろん彼も彼女もそれは丁重に断ったが。
「へえ」
シルベスタは門の前に着いた時、やや感心して声を立てた。
「どうしました?」
「いや、これも結構面白い様式だなあと思って」
「様式?」
「建築様式だ――― ですよ。ほら、この柱とか」
「柱がどうかしましたか?」
「柱の上をちょっと」
彼は正面玄関の、四本立ち並んだ大きな柱の上を指す。
「何か飾りがついてますね」
「そうでしょう。だいたいこちらで大型建築物を建てる時の原則として、こういう円柱がつくんですよ」
「はあ」
「その円柱は、だいたい何パターンかの種類があるんです。例えば真っ直ぐ、何の飾りの無い柱には、上方だけに細かい飾りがつくとか――― 『重厚』とか『典雅』とか、いろいろ言われるんですが…」
彼はそこまでぺらぺらと喋って、はっと気がつく。そして急に顔が赤らむのを感じる。
「すみません、こんな話つまんないですよね」
「いえいえ」
「ついついこういう、帝国の影響を受けた建築物とか見ると、血が騒いでしまうんですよ」
「帝国の影響を受けた?」
「ええ。だから…… いいですか? ちょっと説明加えても」
「どうぞ」
「あの独立円柱の上についているのは丸い飾りですよね」
「ええ」
「あれはもともと連合の様式にはないんですよ」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんです。だからこの建物もだいたい建って百年近く経っているということになるんです」
「そういう所見ただけで、建物の年齢とか判るんですか」
「ええ。おおよそですがね。それに… そうですね、屋根。あの三角の形や、瓦の形など、明らかに向こうのものです」
「ああ、確かに瓦の三角屋根はよく見ますね。でもそれ自体はそう帝国の歴史の中でも古いものではない筈なんですけど。私の見てきたもっと古い建物は、だいたい平らな屋根だったりしますし」
「そうらしいですね。でもその取り入れた時点で、ずいぶん帝国では流行っていた形ということなんじゃないですかね。それが『帝国らしいから』と」
「なるほど…」
ナギはうんうんとうなづく。
「でもすみません、ついこういう話になると」
「いいえ、専門なのでしたら仕方ないでしょう、つい口がすべるのは。そういう方はよくいらっしゃいます」
「そういう方をよくご存知のようですね」
「さほど多くはありませんけど」
中へ参りましょう、とナギは先に立って歩き始めた。あっさりかわされたのを彼は感じた。