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1 デカダ財団三男坊の不運

 時間だ。


 窓を開けてもいいか、と彼女は同行者に訊ねた。構わん、と相手の男は答えた。

 がたん、と音をさせて彼女はやや立て付けの悪い窓を開ける。途端、やや砂混じりの風が大きく吹き込む。

 男はその砂がおでこに張り付くような感触を嫌い、顔をしかめる。吹き込んだ風が逆戻りして、彼女の嫌いな強い整髪料のにおいが漂ってくる。

 もういいだろうさっさと閉めろ、と男は彼女に強い口調で命じる。それも彼女の嫌いな部分だ。

 彼女は何を思ったか、服の大きな水兵襟から白い大きなタイを外した。そして窓の外へふっと飛ばす。

 何をする、と男は腰を浮かせた。

 彼女は口の中で何やらつぶやくと、すっとかがんだ。

 窓の外から一瞬鋭い光が走った。


 ―――約束の時間だ。


 大きなピアノを、演奏中の舞台から勢い良く突き落としたような音が響く。

 大きな襟で、彼女は風とともに吹き込む窓ガラスの破片を避ける。

 そして彼女の前の男の額から血が噴き出した。



「ふう」


 ひでえほこりだ、と彼はつぶやく。

 ホテルのロビーに入る前に、帽子を取ってぱたぱたと砂を払う。本当は帽子どころか、髪にも服にも、舌にさえ絡みついていそうで、全身一気に音を立ててはたきたいところだったが、さすがにそれは思いとどまった。


 確かにこの街じゃそうだろうな。


 おそらくスーツの内ポケットあたりまで、砂は入り込んでいるだろうな、と彼は思う。部屋を取ったら思いきりぱたぱたと服を振り回してやろう、と秘かにもくろみはじめる、

 つい二十分前に彼が足を踏み入れた、ここフラビウム市は、「偉大なる国境地帯」と呼ばれる大砂漠に面した都市でふる。

 とはいえ、「都市」と言っても名ばかりのもので、これ以下の規模になると、連合の州設法では「市」と認められない。逆かもしれない。この辺境地区に唯一それらしく人が集まるこの街を「都市」としておきたいがため、州設法もここを基準にしているのかもしれない。

 さてその辺境都市「唯一の」ホテルは、わりあい年代物の五階建ての建物である。彼はあまり建物関係には詳しくはないが、少なくとも百年は経っているだろうと思われた。

 外側の扉を開けると彼を待っていたのは、旧式な回転扉だった。案外軽く回るのに彼は驚く。中に入ると、いきなり柔らかな光に自分が包まれるのが判った。

 吹き抜けのロビーの、高いガラス張りの天井から光が降り注いでいる。寝不足の目にはやや痛い。

 彼はややぼんやりとその様子を眺めていたが、やがて自分に注がれる視線に気がついた。フロント嬢が何の用か、と言いたげにじっと彼を見ている。


 さて。


 彼はフロントへ向かう。急なことだったので、ホテルに予約の高速通信一つ入れていない。とすれば、返ってくる返事は予想がつく。


「部屋はあるかな?」

「あいすみません、本日は満室でございます」


 実にていねい、かつ慇懃にフロント嬢は言った。

 ほう、と彼は片方の眉を上げて見せる。実に人を外見で判断するいい教育をされているなあ。

 もちろん彼は知っている。こういう対応は常識である。そして、こんな辺境のホテルに満室などある訳がないというのも常識である。体のいいお断りである。

 そんな格式ばったところかよ、おい。

 安い値段で泊まれる部屋もなくはない。だがそんな客ばかりが陣取ると、この「唯一の」ホテルには赤字が出かねない。いい客を沢山、もしくは長く泊めたい、というのがどんな宿でも本音だろうから。

 確かに彼は「市内唯一のホテル」言い換えれば、「第一のホテル」にはふさわしい恰好ではなかった。

 確かに一応スーツに帽子、とそれらしい姿はしている。だがその仕立てが決して上等のものではないことは、少し客商売している者なら簡単に判断がつく。

 しかも彼の柔らかそうな薄茶の髪は、連合における成人男子の常識的な「紳士」な方々よりは結構長く、しかも無造作に後ろでくくられている。

 靴ときたら、磨いてもいず――― というより、それは明らかに運動靴だった。砂ぼこりに汚れたそれは、ぱたぱたとはたけば、ずいぶんと色を変えるであろうことは見た誰にでも予想がつくだろう。

 ま、気持ちは判るけどね。彼はためいきをつく。


「満室ねえ? 金なら出すけど?」

「現金即払いです」

「ふーん…」


 すると彼は、スーツの内ポケットに手を突っ込んだ。なけなしの金の勘定をするために財布を出すのだろう、とフロント嬢は思った。

 だが。


「あー… これじゃまずい?」

「え?」


 銀色のカード。

 フロント嬢は目をむいた。

 連合でも有数の財団・デカダ通運の特権カードが彼女の目の前にあった。



 ざあ… とシャワーを浴びながら彼はやっと人心地ついた気分になる。

 大陸の西半分を統治する大国「連合」に名高い財団、デカダ通運の三男坊は、その日、国境間近い都市フラビウムに居る。普通なら居る筈のない所に、普通なら居るはずのない彼は居る。

 ことの起こりは、構内放送だった。


 連合有数の財団であり、国内最大の運輸業者であるデカダ通運の会長には、男女合わせて五人の子供が居る。

 三人の母親を持つこのきょうだいは、上から順に、プラティーナ、ゴールディン、シルベスタ、スティル、アルミーナという。

 父親であり、会長であるヴォータル・コシュガンド・デカダは、この五人を手元で一緒に育て、全員にある程度の金銭の自由を保証する特権カードを渡した。

 ま、何はともあれ効き目はあるよなあ。

 銀色の金属のカードを見ながらシルベスタは思う。

 濡れた髪をざっと拭くと、一服しながら彼は鞄から仕事の資料を取りだした。


 ―――本業じゃねーのになあ…


 厚手の書類封筒の中には、一人の人物についての資料が入っている筈である。彼はくるくるとまかれた紐を解き、中から十数枚の厚手の紙を取りだした。そしてそれと一緒にばらばらとすべり出てくる数枚の写真。

 彼は思わず目を大きく広げた。これは極上品だ。

 本業でない「仕事」の、今回の内容は簡単と言えば簡単だった。

 彼は人に会う約束があったのだ。「帝国」からの客人である。

 「帝国」は、国境の大砂漠をはさんで、この大陸の東半分を統治する国であり、その名の通り「皇帝」が存在する国である。両国は今のところ、戦火を交えることはなく、二百年程度の平和な付き合いが今のところ続いている。

 その両国をつなぐ方法は、現在この時点において二通りしかない。

 一つは、大陸の近海を大陸ぞいにぐるりと回る北・南二種類の海路であり、もう一つは、砂漠を真っ直ぐにつっきる大陸横断列車である。

 彼の待っている人物は、その列車で来るはずであった。しかも、ここではなく、終着駅である、連合首都・「西都」ルカフワンで会う予定だったのだ。

 不本意な「仕事」にさらに不本意なアクシデントが重なって、彼はやや調子が狂っていた。



 数日前、いきなり大学の官舎の共同通信機が鳴った。


「シルベスタ・デカダ助教授… お近くの通信機にお願いします」


 その時彼は食堂に居た。夕飯の時間だったのだ。

 職場である大学は広かった。

 まあ連合の何処へ行っても、大学構内というのは広いものであるが、彼の勤務するオクティウム市立大学は特に広かった。

 したがって、構内の何処かで鳴った高速通信のために、彼は構内中に名前を連呼されるのである。

 ただでさえ、何かしら聞き覚えされるこの名である。連呼されるのは好きではないので、食事も半ばに、慌てて最寄りの通信機へ飛びついて、点滅する回線のボタンを押した。


「はい?」


 全くその時は、通信の相手の見当がつかなかった。何せ頭の中は、ようやくこのオクティウム市大の図書館にも回されてきた本のことで一杯だったのだ。

 それもずっと読みたかった帝国の著名な歴史家イヴ・カナーシュの本である。この手の本は民間の書店で扱われることはまずない。しかも最近帝国で発禁になってしまった本である。そうなると、この先輸入されることはまずない。慌てて史学助教授である彼が、図書館に催促したぐらいの本である。

 それがやっと届いたと聞いて、夕食後取りに行こうと思っていたのだが…


『おうっ元気か?三男坊』


 陽気な声が彼の気分を一気に突き落とした。脱力しそうになる身体をため息混じりでささえ、通信機のマイクにうめくように返事する。


「…なんか御用ですか? 親父どの…」

『用があるから通信してるんだがなあ?ああお前、明日来い』

「は?」

『聞こえんかったか? こっちへ来いと言ってる』

「…こっち… こっちって、そっちですか? 西都ですか?」

『ルカフワン以外の何処があるって言うんだ? 相変わらずお前は頭悪い。資料を出しておいたから道々見てこいよ』


 ぴ、と軽い音が耳に届く。一方的に通信は切れた。反論するタイミングもつかせない。

 はぁぁぁぁぁぁ… と溜息をつきながら受信器を頭から外すと、これでもかとばかりに彼は顔を歪めた。そしてまたかよ、と口の中でつぶやく。

 シルベスタ・アンクシエ・デカダは、現在の本業のために、ルカフワンにある本宅を離れ、遠く離れたオクティウム市に住んでいるのだが、時々こうやって、ある日突然、父親から高速通信が飛んでくる。

 本業は、オクティウム大学の助教授である。しかも専攻は史学である。帝国史である。財団トップの三男坊としては、ろくでなしの部類に入るのかもしれない。

 とは言え、好きでやっているのだから彼は何と言われようと聞く耳は持たない。それだけは彼も主張してきたのだ。

 主張も通り、何とかここ十年ほど自由に気ままにやっているつもりではある。正直言って、別に特権カードも要らなかった。

 確かに現在の職場は、ルカフワンの「学府」で教授をやっている、会長の愛人Aである母親のコネが無かったと言ったら嘘になる。

 だがまあ、それはそれとして、地方の助教授をやっているなら別に食うには困らない。

 好きな本を手に入れるのにも、別にコレクター癖が強い訳ではない彼には大量の金が要る訳ではない。そんな奴にカードを持たせたところで宝の持ち腐れだと思う。

 だが父親はまあまあ、と彼にカードを握らせ、一年に一度くらいの割合で、それを使えとばかりに「仕事」を命じてくる。

 授業はどうしろっていうんだよ、とさすがに彼もわめきたくもなるが、天下の財団会長には、市立大学のお偉方も逆らうことはできず、デカダ助教授は、一ヶ月近くの「特別休暇」を取らされる羽目になる。

 さすがに十年もそういうことが続いていれば、上司も同僚も学生も慣れたものである。名前が名前ゆえ、彼の実家が何処であるかなど、上層部でなくとも勝手に知れるものである。彼自身別に隠そうともしていないのだから。

 旅行鞄を抱えて駅に居る彼を見かけたりすれば、「またですか~」だの「がんばってくださいね~」等の学生の悪気のない声が飛ぶ。彼は苦笑を返すしかない。

 「仕事」の内容はいろいろである。

 時には父親の代理で会議に出席することもあるし、他企業のトップと会談することもある。

 かと思えば、不審な様子のある地方の傘下の会社に潜り込んで調査しろ、と言われたこともある。

 好きではない。

 だが育った環境が環境なので、一応何でもこなせる。

 別にこなしたくもないのだが、何でも屋の素質があったのかどうなのか、何とかなってしまう。

 そしてついつい何とかしてしまう。悲しいかな、それは性分だ。

 何とかなってしまうので父親も懲りずに何かと彼を使う。

 ああ面倒だ、とシルベスタは思う。思わずにはいられない。できれば彼は一年中好きな研究をし、適当に授業し、時々調査旅行に出るといった、ごくごく平穏な生活をしたいのだ。

 ―――とは言え、降ってくる災難にいちいちケチつけても仕方がないので、とにかくそのたびに、厄介事はさっさと済ませようと決めて出かけるのだ。

 皮肉にも、その態度が結果的に「何とかなってしまう」ことになるのだが。

 そんな訳で、今回もまた、せめて物事がスムーズに運んでくれればいいな、と思いながら列車に乗り込んだのである。ただし借りた本はきっちりと鞄に入っていたが。

 ところがそう思っている時に限ってアクシデントというものは起こる。人生は皮肉に満ちている。


 当初彼は、オクティウムからルカフワン行きの列車に乗った。ところがあと特急の駅二つか三つ、というところで車掌に声を掛けられた。

 何ですかと訊ねたら、高速通信が入っているという。嫌な予感がした。

 元気な父親の声は、方向転換を告げていた。彼は最寄りのターミナル駅で途中下車し、帝国行きの大陸横断列車に乗った。国境寄りの街、フラビウムに行くために。

 さすがに列車の乗り継ぎが続くと体力を消耗する。好きな本でも何度も何度も読むと飽きる。やや意地悪な気分になっても仕方ない。別に彼は最上級の部屋などいつもは取らないのだ。


 そしてホテルのロビーにこの日の夕方、待ち合わせをしている。今回の「仕事」は人と会うことだった。

 ぱらぱらと、「資料」を彼は眺める。それはホテルに入る寸前に、局留めになっていたものを取ってきたものである。

 写真には、一人の少女が写っていた。美人だ、と彼は一目で判断した。

 判断の材料はいろいろあったが、何よりもまずその髪と目に視線が飛んだ。長い白金の髪に、濃い金色の目。珍しい。

 そしてスタイル。たっぷりとした服で隠されているとはいえ、すらりとした身体つきはずいぶんとバランスが良い。

 たっぷりとした服も制服だろうな、と思われた。水平襟は帝国では学校の制服以外には使われない。向こうの基本はハイカラーである。

 資料には、東海華皇立第一中等学校高等科二年、と記されている。

 だったら十六か十七か、と彼は思う。

 そしてまさかなあ、とも思う。「人に会え」という「仕事」の時は、いつでも何処か冷や冷やせずにはいられない。本当にただの「仕事」なのだろうか?

 時々「仕事」と銘打った「見合い」になっていることもあるのだ。もちろん仕事もある。だがその中にそういう状況が組み込まれていることもある。対談先の令嬢だの、会議の際の臨時秘書だの……

 そのたび自分から断ったり、相手に断られるように仕向けたりしてきて、とにかくそういった話は彼はことごとく潰してきた。

 だが父親は懲りずに何度でもそういう出会いを企む。

 親とはそういうものなのか、それともデカダの血を継ぐ者が一人でも多いほうがいいと思っているのか、それとも三十を二つ三つ越してしまった息子に単純に気を回しているのか――― 

 そのへんのことは彼も判らないし、別に判ろうともしていないのだが。

 だから今回も、変更して会う相手が女性と聞いて、警戒せずにはいられなかった。

 当初は男性だったのだ。

 だから鞄の中には、当初会う予定だった人物の資料も入ったままである。こちらは道中車内で飽きる程読んできた。

 エグナ・マキヤ・ホロベシ男爵。帝国で最近急激にその規模を拡大させてきた、「ホロベシ総合生活工業社団」の会長である。

 ところがアクシデントである。その男爵が亡くなった。

 ただ亡くなっただけではない。殺されたのだ。

 シルベスタはテーブルに広げられた写真の一枚を手に取り、しばらく眺めていた。確かに美人だ。再び率直な感想を述べる。だがその綺麗さに、何故か違和感が湧いた。

 何故だ?

 彼は写真をあっちに返しこっちに返し、その理由を考えてみる。そしてふとその理由に思い当たった。髪型だ。

 白金の髪は、上だけ無造作に耳の下程度に短く切っているが、下は細く長く延ばし、三つ編みにしている。整った顔立ちも、大きな金の目も確かに綺麗だが、その一点だけで、何かしら奇妙なバランスが生じる。

 そして彼はまだこの少女の名前すら見ていないことに気付き、「資料」の一枚に手を伸ばした。

 見慣れない綴りが目に飛び込む。


「イラ・ナギマエナ・ミナミ…」


 確かに珍しい名だと思う。


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