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日本プロ野球

作者: 川里隼生

「2035年の日本シリーズ第7戦が始まります。実況は私、多田野ただの 健太けんたでお送りします。」

テレビから歓声が上がる。

「今年は混戦のセ・リーグで2連覇を果たしたカープと、ペナントレースでは8ゲーム差を付けられながらクライマックスシリーズで3位から這い上がったイーグルスの顔合わせになりました。」

宮崎県のとある公民館では住民総出でテレビに声援を送っている。カープの先発投手、前田まえだ 慎太郎しんたろうはこの地元から生まれたエースだ。


2015年。宮崎県代表として、前田は甲子園のマウンドに立った。結果は2回戦敗退。交代した投手が4失点、サヨナラ負けだった。その年のドラフト会議でカープに1位指名を受けた。メジャーリーグのシカゴ・カブスに移籍した前田まえだ 健太けんたの再来と騒がれた。昨シーズンは「カープ女子」など、カープ人気が上昇していたが、成績が伴うことは無く、ファンも徐々に減っていった。

2034年。この年のカープは違った。前田の好投、4番はベネズエラの救世主、絶対的リリーフ陣、盗塁王の存在。144試合中21試合は10点差、49試合は完封、7回以降の防御率は1.98、96勝で優勝した。


2034年11月12日。マリンスタジアム。俺はプロ入り以来このマウンドに立ったことは無かった。初めての試合が日本シリーズの第1戦になるとは。

今シーズンでプロ19年目。最多勝、最優秀防御率、奪三振王、沢村賞、ベストナイン、投手として獲れるタイトルは軒並み獲った。残ったのは、日本シリーズ優勝。

試合前の練習では、俺の右腕から決め球のフォークが飛び出し、チームメイトもリラックスしていた。

午後6時。試合開始。初めての投球は真ん中から左に曲がるボール。スライダーだ。マリーンズの打者は腕をいっぱいに伸ばしてバットに当てた。その打球は、まっすぐ俺の右肩に飛んだ。


「それでは次はスポーツです。」

「はい。昨日初球を右肩に当ててマウンドに倒れた前田投手は、軽い脱臼で日本シリーズは出場不能となりました。では今日の日本シリーズ第2戦の様子をどうぞ。」

「初戦を獲ったカープ。流れそのままに、と行きたい所でしたが…。4回にマリーンズの8番 阿部あべに先制ソロホームランを浴びると、その後も立て直せず。1勝1敗です。」


俺、阿部 数人かずひとは日本シリーズ第5戦で2点タイムリースリーベースを放った。これが決勝打になり、マリーンズの日本シリーズ優勝が決まった。


2035年の春季キャンプ。俺はカープのチームメイトと共に宮崎に行く事は無かった。東京の病院でリハビリを続けた。マリーンズがマツダスタジアムで胴上げした事は知っていた。今年は俺たちが。その一心でリハビリに励んだ。復帰は9月になるという。


オープン戦。マリーンズ対バファローズ。俺のプロ9年目が始まった。去年の日本シリーズからは8番を務めていた。ペナントレースが始まったらどうなるかわからないが。

二軍時代は本当に辛かった。何度プロを辞めようと思ったことか。でも、カープの前田投手と対決したくて頑張った。去年、クライマックスシリーズで勝ち上がって掴んだ日本シリーズは、初めての対戦になるはずだった。今年の交流戦、もしかしたら日本シリーズでまた戦えるかもしれない。それまで一軍に居続ける。

「8番。ライト。阿部。」

2アウトランナー二塁。ここでホームランを打てれば監督にアピールできる。俺のセールスポイントは何と言っても長打力。

バファローズ先発の緩いストレートが高めに浮く。これだ!

バットを思い切り振り抜いた。ボールはセンターに上がる。一塁に向かいながら打球を目で追う。

中堅手が定位置で取った。3アウト。


「ツーランホームラン! ドラゴンズが逆転に成功しました!」

病室のテレビでは野球中継ばかり見ていた。カープは開幕戦で惨敗。今日の第2戦もあまり良い試合では無い。漢字は不思議なもので、負けられない重要な試合にも「試す」という字を書く。今年の3月で37歳になった。まだまだ試すことがあるのだろうか。


セ・パ交流戦が始まって1週間。ベイスターズが交流戦の首位を走っていた。

「前田さん。面会の方がいらしています。」

看護師が僕を彼のベッドまで誘導してくれた。

「どうぞ。」

カーテンが開いた。彼はどうやら健康そうだった。

「初めまして。私、テレビアナウンサーの多田野健太と申します。取材よろしいですか?」

「良いですよ。」

彼の復帰は9月になるらしい。リハビリは順調だそうだ。

「では前田さん。今年の交流戦はベイスターズが一歩手前に行っていますが、どうでしょうか?」

「そうですね。パ・リーグばかり強いと言われるのは嫌なので、このまま行ってもらっても良いかもしれません。何せカープは交流戦7位ですからね。」

「いえいえ。カープにも充分巻き返せる余地がありますよ。」

この仕事も8年になるが、どうも選手の自虐ネタをフォローするのには慣れない。

「では最後に、現在セ・リーグ2位のカープに復帰した後の意気込みを教えて下さい。」

「もちろん優勝目指して頑張るだけですよ。去年は日本シリーズで一球しか投げられなかったので、今年は完投します。」

「おお。大変強気ですね。わかりました。ありがとうございます。リハビリ頑張って下さい。」


交流戦最後の試合。タイガース対マリーンズ。この試合でタイガースが負ければベイスターズの交流戦優勝が決まる。ベイスターズはデーゲームでファイターズに勝った。この試合はマリーンズにとってメリットの無い試合なのだが、それでも甲子園のレフトスタンドがマリーンズファンで埋まっていた。プロ野球の集客力には本当に驚かされる。

俺はこの試合ではベンチスタートだった。やはりペナントレースでは代打起用が中心になった。時々スタメンにもなったが、中々活躍出来ない日々が続いた。

9回表。ノーアウトランナー二、三塁。代打で俺の名前が初めて甲子園に響く。高校時代は地方予選の2回戦がいい所で、甲子園なんてとても口に出来なかった。前田投手は、ここで1本だけヒットを打った。バントヒットだった。俺に出された指示はスクイズ。どちらもボールを転がす戦法なだけに、何か縁を感じた。

差は1点。タイガースの内野陣もスクイズを警戒していた。

初球は外角に外れたボール球。しかし三塁ランナーはスタートを切っていた。バットを長く持ってボールに当てた。上手くファウルラインを転がる。スクイズ成功だ。

一塁手がボールを取る頃には、三塁ランナーは楽々ホームイン。二塁ランナーも三塁に行けそうだ。俺は全力で走った。一塁手の動揺を誘うためだ。ベースカバーには投手が入っていた。スライディング。

一塁手が投げたボールは投手の頭上を越えていった。エラーだ。ランナーはそれを見てホームに突っ込む。ボールは帰って来なかった。

3対2。ベイスターズの交流戦優勝が決まった。俺はペナントレースで初めてお立ち台に上がった。

「リーグ戦に戻りますが、マリーンズはパ・リーグ1位です。意気込みをお願いします!」

「はい。今日の調子がずっと続くとは限りませんが、これからも頑張っていきます。」

「志低いぞー‼︎」

内野席のファンから野次が飛んだ。どうも俺は強気になりきれない。


オールスターゲームには、前田も阿部も選出されなかった。前田の得票数は充分当選できるものだったが、全て無効票となった。結果はパ・リーグが2勝0敗。

9月。ジャイアンツ対カープ戦試合開始直前。

「明日の予告先発を発表します。カープ。前田慎太郎。」

東京ドームに歓声が上がった。心なしかウグイス嬢の声が嬉しそうだった。ジャイアンツとカープの両応援団から前田のテーマ曲が流れる。その光景は、往年の政治家が言った名言を思い起こさせた。

「巨人軍は常に紳士たれ。」


この日の試合はジャイアンツが日本シリーズ9連覇を達成した当時のユニフォームを着用していた。

1回裏。俺がグラウンドへ向かうと、カープとジャイアンツの応援団が俺のテーマ曲を流した。この雰囲気は一生忘れない。

7イニング投げて5失点。敗戦投手になった。復帰後初登板ならこの程度だろう、とコーチは言っていた。それでも納得出来ないピッチングに変わりはなかった。


9月17日。ライオンズ対マリーンズ。マリーンズの優勝マジックは1。この試合に勝てば優勝だ。俺はこの1年でスタメンに定着しかかっていた。この試合も5番右翼手でスタメン出場だった。

2回表。1アウトランナー無し。先制は俺の6号ソロホームランだった。

5回裏。1アウトランナー三塁。打者は4番。マリーンズのエースが投げた3球目を右翼に打ち上げた。俺がフェンス際で捕球したのを見て、三塁ランナーがタッチアップ。俺は肩に自信が無かった。1対1。

6回表。マリーンズの1番打者にデッドボール。それも頭に直撃する投球だった。打者が何か罵りながらマウンドへ向かう。ライオンズの外国人投手も打者に指を指した。俺を含め両チームの全員がベンチを出た。打者は今にも投手に掴み掛かろうとしていた。

選手達で二人を離そうとした所、監督同士が取っ組み合いを始めてしまった。一軍昇格後初めての乱闘だった。

9回裏も無失点。両監督と問題の二人が退場した後は一向に点が入らず、延長戦に突入した。

10回表。最初の打者は俺だった。変化球で追い込まれ、2球ファウルで粘った後の5球目。ここまで低めの投球だったライオンズの投手が、少し高めに浮いたストレートを投げた。

すかさずフルスイング。左翼手が後ろに下がるが、追いつかない。二塁打。あと一伸びでホームランという当たりだった。

続いてマリーンズの5番打者。この打者は昨シーズンまでファイターズでプレーしており、フリーエージェントを行使してマリーンズに移籍した。ライオンズの投手は2球続けてワンバウンドするボールを投げた。集中が切れているのだろうか。ここで盗塁するのも手かもしれない。だが、俺は足が遅いし、延長戦で危険を冒す必要も無いだろう。3球目。またストレートが浮いた。バットに当たるか否かという所でスタートを切った。打球はマウンドに当たり、遊撃手の頭上を越えた。俺はコーチのサインを見て、一気にホームへ向かう。中堅手の返球が遊撃手に届き、振り向きざまに捕手へ投げた。スライディングで砂埃が舞う。

「セーフ!」

審判が両腕を広げた瞬間、西武ドームに歓声と悲鳴が入り混じった。

10回裏は、抑えの投手が完璧に抑えた。最後のサードゴロを一塁手が取った瞬間、マリーンズのベンチは再び空になった。初めて優勝した。しかし、この輪に監督はいなかった。


9月18日。パ・リーグと1日違いでセ・リーグの優勝球団が決まった。去年ほど良い成績では無かったが、カープが連覇を果たした。最後の投手は前田。マツダスタジアムでの胴上げを果たした。

10月12日。クライマックスシリーズが始まった。パ・リーグのファーストステージはリーグ2位のホークスと3位のイーグルス。ホークスはクライマックスシリーズの通算勝率が4割3分となっていた。ファンの間でも、ホークスは短期決戦に弱いと言われ続けている。しかも、今年はホークスがマリーンズに6ゲーム差、イーグルスとマリーンズは8ゲーム差と離された。実力の差は誰が見ても明らかだった。

一方、セ・リーグのクライマックスシリーズは2位のスワローズと3位のジャイアンツの戦い。カープとの最終ゲーム差はスワローズが2、ジャイアンツが2.5だった。

パ・リーグはホークスの投手陣が炎上。イーグルスが2戦2勝で勝ち進んだ。

セ・リーグは第1戦を10対0でスワローズが取った。第2戦は何と同じスコアでジャイアンツが取った。第3戦。神宮球場は3試合全て満員だった。

ジャイアンツの先発は前田の復帰戦で投げ合った投手だった。背番号18。杉内すぎうち 俊哉としやから受け継いだジャイアンツのエースナンバーだ。

しかし、5回裏にスワローズ打線が爆発。一挙7得点を挙げた。ジャイアンツは後半にホームラン攻勢で追い上げを見せたが、7対5で今シーズンを終えた。

セ・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ。去年と同じマツダスタジアムでの戦いとなった。ライトスタンドは真っ赤。流れを掴みたいカープは、先発に前田を起用した。


俺にとって14度目のクライマックスシリーズ。今シーズンは、マツダスタジアムのマウンドに2回しか上がれていなかった。もし第6戦までもつれれば、2回マウンドに上がれるかもしれない。相手はスワローズ。俺が今シーズンで唯一勝利投手になった相手だ。

午後6時。試合開始。応援も一層気合いが入っていた。俺のクライマックスシリーズ第1球は内角低めの緩いストレート。ボールだ。続いて外角に抜けるスライダー。微妙なハーフスイングは一塁塁審にリクエストした所、ストライクになった。3球目は俺の最速156km/hのストレートが真ん中に決まった。最後は真ん中から落ちるフォーク。空振り三振。幸先良いスタートを切った。

6回裏。2アウトランナー満塁。ここで俺の打順だったが、先制のチャンスだったため、代打が送ららた。スワローズの投手はサウスポーで背番号18。俺と同じエースナンバーだ。ここまで被安打7、フォアボールが2つと、少しらしくない投球が続いていた。被安打は俺が1つ多いが。

次の打者は右打ちだった。初球。捕手が外角のボールを逸らした。バックネットまで転がる。三塁ランナーと投手が同時に走り出した。捕手からボールが返る。スライディングは少しタイミングが遅かった。

「アウト!」

スタンドがどよめく。スワローズファンからすれば「危ない、危ない。」と言ったところか。

投手がマウンドに戻り、一回二塁を向いた。ランナーは全員が進んで二、三塁。二球目はシンカー。内角に曲がりながら落ちる。これを見事にすくった。ライト前ヒットで先制。

その後はカープの継投が好投。1点を守って勝利した。


パ・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ第1戦。8年振りのファイナルステージ開催という事で、マリンスタジアムは10月でも熱気に包まれていた。俺はベンチスタートだった。

7回裏。3点ビハインドながらランナーは2人。監督が主審に交代を告げた。マリンスタジアムにアナウンスされたのは、俺の名前ではなかった。この場面では俺より打率の良い選手を選んだらしい。確かに、俺の今シーズンの打率は2割3分3厘。代打の選手は3割を越えている。

初球は内角高めのストレートだったが、何を思ったかこれを打った。力なく打ち上がった打球は三塁手がファウルグラウンドで捕球した。3アウト。

9回裏2アウトから敬遠で一塁にランナーが置かれ、俺に出番が回ってきた。このイニングからはパ・リーグの最多セーブを獲得した投手が投げていた。初球はカーブ。左打席に入った俺の内角に曲がる。地面スレスレのボール球になった。一塁ランナーを警戒するそぶりを見せ、またセットポジションに入る。2球目は高めのストレート。やや振り遅れ、真後ろに飛ぶ。1ボール1ストライク。次は外角へのスローボール。見送ったが、球審の判定はストライクだった。これで追い込まれた。しかし次は2球続けて外角に大きく外れた。フルカウントだ。6球目は外角ギリギリに入る直球。この球を待っていた。バットを力の限り振り切った。打球とライトのファウルポールが一直線に重なって見えた。しかし風に押されてファウル。飛距離は充分だった。

そして7球目はチェンジアップ。空振り三振で試合終了。イーグルスの抑え投手にはセーブが付いた。


カープは残りの2試合も流れを切らさず連勝。アドバンテージを合わせて4勝に達し、クライマックスシリーズ優勝を決めた。一方、マリーンズは一進一退。アドバンテージを合わせて2勝3敗となった。


今日の試合で負ければシーズンが終わる。前田投手とも対戦できない。絶対に勝つ。その決意を持って試合に臨んだ。初めて3番指名打者でスタメンに入った。

第1打席。1回裏2アウトランナー無し。先発は右投げでサイドスロー。ストレートは最速159km/h。初球からそのストレートで来た。低めに決まって1ストライク。次はスライダー。これも見送って2ストライク。3球目はまたスライダー。さっきより少し高い。バットを長く持って一、二塁間に転がした。ライト前ヒット。しかし、次の打者が続けず得点できなかった。

第2打席は5回裏の先頭。ストレートを打ったが、ライトフライに終わった。

6回表。イーグルスがスクイズを決め先制。

7回裏の第3打席。またも先頭打者になった。3球ボールが続いて4球目。緩いストレートが浮いた。この日一番のスイング。だったのだが、タイミングが合わずホームベース前に叩き付け、大きくバウンドした。しかし内野安打のチャンス。全力で一塁を目指す。遊撃手は大きく前に出て捕球。素早く持ち替えて一塁手に投げた。俺のヘッドスライディングも虚しく、審判の判定はアウト。だが、これに監督が抗議した。試合が中断され、ビデオ判定に入った。しばらくして、主審がマイクを取った。

「えーただ今のプレーですが、阿部選手の手より先に一塁手がボールを捕球し、ベースに足を付けていたため、1アウトランナー無しで、試合を再開します。」

球場は大きなブーイングで包まれた。監督も判定に不服そうだったが、優勝時の胴上げが無かった事でテレビのコメンテーターなどから批判を受けており、それ以上は何もしなかった。泥でユニフォームの文字が見えなくなった。

イーグルスは8回に追加点を挙げ、9回裏にまた最多セーブを獲得した投手を出した。

9回裏。1番打者がレフト前ヒット。さらに2番打者がバントを試みたが失敗。1アウトで俺に第4打席が回ってきた。初球。速いストレートが投げられた瞬間、一塁ランナーがスタート。盗塁だ。俺は敢えて空振り。捕手が立ち、逆に投手がしゃがんだ。ボールは真っ直ぐ二塁手のグローブに収まった。

「アウト!」

2アウトランナー無し。ライトスタンドからは諦めの色が見える。それでも、俺だけは諦めない。2球目のスライダーをファウルにした。3球目は速いボール。ストレートだ。今度こそタイミングを合わせ、力の限り振る。

「ストライク!」

え? 直球をタイミングよく振ってなぜ空振りするんだ? 電光掲示板には、「SFF」と表示されていた。

スプリットだ。速いボールで下に落ちる。かつてイーグルスに所属していた田中たなか 将大まさひろの決め球。いつの間に習得したのだろうか。

最後のバッターボックスで、前田投手の顔が頭をよぎった。


パ・リーグのクライマックスシリーズは、イーグルスが3位から奇跡の大逆転で優勝した。

日本シリーズは、数日置いてから第1戦がマツダスタジアムで開催される。


やっとここまで来た。宮崎の田舎から19年。去年は悔しいだけの日本シリーズだった。俺は第1戦でいきなり先発に指名された。

イーグルスとの通算対戦成績は11試合中5勝1敗。防御率は2.52。

1回裏。カープの4番、通称「ベネズエラの救世主」が先制ツーランホームラン。俺も好投を続け、8回までランナーを1人も出さなかった。

9回表のマウンドにも、俺が登る。ベンチで誰も完全試合の話をしないのは野球の不文律だ。

1人目の打者は三振。2人目はセカンドゴロだった。そして最後の打者。代打の切り札が打席に立つ。初球はあのスライダー。肩にだけは当たらないように注意している。相手は手を出した。一塁手が捕球し、ベースを踏んだ。完全試合達成。人生で2回目の完全試合が日本シリーズだった。

完投による体力の消耗は激しく、もう登板することは無いだろうと思っていた。しかしイーグルスは食らい付き、とうとう第7戦までもつれてしまった。最後の先発は、俺だった。


今シーズン最後の放送席に座る。今年もまた、この席から様々な名場面を見てきた。きっと、ここより選手がかっこよく見えるスタンドは無いだろう。

カメラマンから合図がかかる。3…2…1…0。

「皆さんこんばんは。2035年のプロ野球日本シリーズ第7戦が始まります。実況は私、多田野健太でお送りします。解説は、元ホークス監督の…。」

いつも通りの原稿を読みながら、今日の先発投手のデータに目が止まった。前田慎太郎。メジャーへの移籍が噂される男だ。確か交流戦期間中に取材したことがある。まあ、あの男が移籍するかどうかはこの試合で決まるだろう。


試合は3対3の同点。9回表イーグルスの攻撃が始まった。捕手とサインを交換し、低めに緩いストレートを投げた。見送られてボール。続いて少し上にストレート。これも見送られたがストライク。3球目は内角から真ん中へ曲がるスライダー。空振りを取った。そして最後はフォーク。


「打ったー! 右中間に抜けて行きました! バッターランナーは二塁を蹴って三塁へ! どうだ? セーフ!」


捕手がマウンドへ来た。

「最後がフォークって、読まれてるんじゃないですか?」

この試合は、俺の後輩がマスクをかぶっている。甲子園でバッテリーを組んだ事もある。

「バカ言え。フォーク以外は決め球にならねえだろ。」

「そんな事無いですよ。じゃあ一回だけスライダーで行ってみましょう。」

「お前な。ここがどこだかわかってんのか? 日本シリーズだぞ? 試すのはペナントレースでだけだ。」

「わかりました。わかりましたよ。フォークで行きましょう。」

帰り際に、「これも試合なのに。」と呟かれたような気がした。

次の打者。初球は真ん中から逃げるスライダー。それを捉えられた。センター前に落ち、ランナーはホームイン。目前に迫ったタイトルを、逃した…。


2036年春季キャンプ。

「キャンプお疲れ様です。取材よろしいですか?」

「良いですよ、多田野さん。もうすっかり常連ですね。」

「ええ。しっかり答えてくれるのが前田選手くらいなのでね。」

俺以外のプロ野球選手はそんなにマスコミ嫌いが多いのだろうか。

「今回のキャンプでは、どのような練習をしていますか?」

「新しくチェンジアップを覚えようと思っています。」

「そうなんですか? しかし、もう前田選手は38歳ですよね? 今更新しい球を覚えても…という気持ちは無いのですか?」

「無いですね。日本シリーズでは、球種不足でチームメイトに迷惑をかけてしまいましたし。まあ、フォークがどれだけ通用するかも未知数ですが。」

「ははあ、なるほど。では、メジャーリーグへの移籍が噂されていましたが、なぜ今シーズンもカープに残ったのですか?」


沖縄県。ここでマリーンズはキャンプを行っている。今年からは、チームの主軸としてのスタメン固定もあり得る、と監督に言ってもらえるほどに打力が向上した。時々、なぜそんなに頑張るのか、とチームメイトから聞かれる事がある。その時、俺は決まってこう答える。


「やり残した事があるから。」

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