新たなる世界
あれから僕は、幼稚園の事務室でめちゃくちゃに怒られた。
今までの人生で、ここまで怒られたのは初めてなんじゃないかっていうくらいのレベルで怒られた。
しかも、いくら弁明しても保母さんは僕の事をロリペド変態野郎だと決めつけて、
「幼稚園児に欲情するなんて、異常な事なのよ。もっとこう、大人の女性に興味は湧かないの? 年上とかは駄目なの? 私今なら彼氏いないわよ?」
なんて事まで言われた。当然、僕達は紳士だという主張も幼女鑑賞という高尚な趣味についても全然理解してくれない。
最終的にはつぼみちゃんとそらちゃんが僕の事を「おともだち」と庇ってくれたので大事には至らなかったものの、危うく家とか学校とか警察とかに連絡されるところだった。もしかしたら、僕が身なりをきっちりと清潔に保っていた事もプラスに働いていたのかも知れない。
「最近、近所で不審な人物が多く目撃されているの。たとえ君が彼女達と本当に『おともだち』だったとしても、私達は君を認める事はできないわ。今日の所は穏便に済ませてあげるけれど、次は無いですからね。もうウチの周りをうろついたりしないで頂戴」
そう、おっかない顔で念を押された。
「不審な人物」か。きっと僕とか摩耶さんの事なんだろうなあ。
……なんて事があったにも関わらず。
僕は今日も例の秘密スポットで幼女鑑賞を続けていた。
いや、今はもう『幼女歓談』と言わねばならないだろう。おともだちになってくれた、つぼみちゃんとそらちゃん。このふたりとフェンス越しに会話する事がこの頃の基本スタイルになりつつある。
そして――
「ふうん。まやはやっぱりへんたいさんなのね」
「うむ。変態か変態じゃ無いかと言われれば、私は変態だろう。だが、聞きたまえそらちゃん。世の中には『良い変態』と『悪い変態』がいるんだ。そして私と伊織君は良い方の変態なんだよ。言うなれば、正義の変態なんだ」
「そうなんだー。でも、へんたいにはちかづくなってせんせーにいわれているの。そら、あっちにいっちゃおーかなー?」
「ははは。心配はしなくて良いよ。私達は変態だけど紳士だから、このフェンスを乗り越える様な事はしない。安心してそこに居たまえ」
何故か摩耶さんは当たり前の様に、僕の隣でそらちゃんと会話を楽しんでいる。彼は『友達の友達は皆友達だ』と、どこかで聞いた様な事を言っていつの間にか彼女達とおともだちになる事に成功していた。
あの日、『友達』の僕を置いてひとりで逃げたくせに……
「あ、いおりおにいちゃん。あっちからけーびいんさんがきますよ」
つぼみちゃんが事務室を指さして言う。示された方を見てみると、青い制服を着た警備員が事務室から出てきて巡回を始めていた。
彼女の目には、どこかワクワクした雰囲気が見える。おそらくは、子供特有の無邪気な『ちょっとだけ悪い事をしている気分』に浸っているのだろう。
「おっと。今日の所はここまでか。じゃあつぼみちゃん、そらちゃん。また明日お話しようね」
僕達は立ち上げり、彼女達に挨拶をして場所を離れる。
「うん、ばいばい」
「あしたも、そらにあいにきなさいよ!」
ふたりは小さく手を振って応えると、踵を返してぱたぱたと走り去って行った。最後に惜しみ無くおぱんつを拝ませてくれるつぼみちゃんマジ天使。逆に見せない様に気をつかいながらも結局見えちゃっているそらちゃんも、恐ろしい程に愛らしかった。
そして天使達が立ち去ると、今度は僕達に大きな脅威が向かって来る。幼稚園が最近新たに雇った警備員が、訝しげな顔をして僕達の隠れている街路樹に歩み寄ってきたのだ。
「よし、伊織君。新たなレッスンだ。ついて来たまえ」
言うや、摩耶さんは素早い身のこなしで死角に滑り込み逃走を開始する。
「はい」
僕も押し殺した声で応え、彼に倣った。
身を屈めて生垣に隠れながら進み、遮蔽物の無い所は思い切って突進。そのまま大通りではあえて堂々と歩いたり、そこからすかさず小さい通りに入って今度は壁を越えたり潜り抜けたりと立体的な機動を加える。
「いいかね。この様に、逃走は時に大胆に、時に繊細にと状況に合った動きをしっかり見極める事が肝心だ」
「はい、師匠」
そう。
先日の苦い経験から僕は、師匠たる摩耶さんから逃走術のレクチャーを受ける事となった。なんだか自分の中の大切な部分がどんどん削られていっているような気がしないでもないけれど、きっとこれも幼女鑑賞を行う為に必要な技術なのだ。そう、自分に言い聞かせつつ。
「そして、逃走を完遂する為には心理効果を最大限に利用する事だ。どれだけ普通の人が通らない様なルートを思い付けるか。どれだけ追手の裏をかく事ができるか。そういった事を常に考えて逃走をするのだ」
例えば、人の家の庭とか店舗内とか、そういう『道』で無い部分を上手に活用する方法。
例えば、あえて現場の近くに身を隠して追手を遠ざけてから安全に逃走する方法。
そういった相手の心理を突いた逃走方法などを、何故か摩耶さんは異常なまでに豊富な知識で僕にレクチャーしてくれる。
……うん。これも幼女鑑賞という高レベルな趣味を嗜む為に、仕方の無い事。なんだよ……な……?
「ふう……それにしてもまったく、警備員まで雇うなんて。この前保母さんに見つかっちゃったのは大きな失敗でしたね」
一通り逃走術の教授を受けた後、僕達は裏ぶれた小さな商店街の一角で小休止していた。
「ふむん。しかし仕方あるまい。聞く所に拠ると、ここ暫く我々以外にも不審な人物が多く目撃されているらしいから、早かれ遅かれこうなっていただろう。これから先は更に厳しい環境になっていくだろうが、せっかく天使達とおともだちになれたのだ。今まで以上に気を付けて、より充実した鑑賞を行おうではないか」
マールボロをくゆらせつつ、摩耶さんがしみじみと言う。
さりげなく僕達も不審な人物である事を明言しちゃった彼に複雑な思いを抱きながらも、
「そうですね」
と僕も頷いた。手にしていた缶コーヒーが、べきょんと小さく音を立てる。
僕は、見知らぬ『不審な人物』とやらに強い憤りを感じていた。
幼女鑑賞という高尚な行為を貶めるその者を、きつく戒めたいと本気で考えていた。
でも、その認識は少し甘かったみたいだった。
なぜなら――
その不審な人物の目的は、幼女鑑賞どころでは無かったのだから。