実践! 幼女鑑賞道。そして……
翌日。
僕は摩耶さんに連れられて、再びあの幼稚園を訪れていた。
今度は保母さんに見つからない様、街路樹の陰に身を寄せながらこっそりと鑑賞を開始する。
「摩耶さん。この姿は逆に不審に思われるのでは? この際、保母さんに掛け合って堂々と鑑賞させてもらうというのはどうでしょう? 我々に邪な気持ちが無いという事を説明できれば、あるいは向こうも判ってくれるんじゃあ」
「うむ。伊織君の言いたい事も分かるが……残念な事に、幼女鑑賞という趣味の高尚さは一般人には中々理解し得ないものなのだ。たとえ我らに一切邪心が無く純粋に鑑賞を行いたいと主張しても、彼女達は聞き入れてくれまい。しかし、それも仕方の無い事なのだ。彼女達は園児を守る義務があるのだし、世には慈しむべき存在の幼女たん達に劣情を抱く不逞の輩も、決して少なくは無い。たとえば……」
そう言って摩耶さんは、我々から少し離れた路上を睨みつけた。
「見たまえ。あの男を」
不快そうに眉をしかめる摩耶さんの視線を追ってみると、そこにはやはり園内を凝視している一人の男。
脂にテカったむさ苦しい長髪で、時代遅れなプラスチックの黒いサングラスを掛けている。服装もヨレヨレの着古したTシャツにくたびれたジーンズ、足元は素足に小汚いサンダル。どこから見ても、いかがわしさしか感じない男である。
鑑賞の仕方もまた、不快なものだった。
ジーンズのポケットに両手を突っ込み、猫背になって首を突き出す様な姿勢で園児たちをまるで舐め回す様に見つめ、下品な笑みを口元に浮かべている。サングラスを掛けていても尚園児たちに対する愛情の微塵も感じられないそれは、正に邪な視線と呼ぶに相応しかった。
「あの人は……なんだか不愉快な気持ちになりますね」
生理的な嫌悪感すら抱きつつ、摩耶さんにそう感想を述べる。
「うむ。あの者は決して幼女鑑賞者などでは無い。奴の態度からは幼女たんに対する感謝の念も尊敬も慈しみも全く感じる事ができない。只ひたすら自分の情欲を満たさんが為に彼女達を視姦する、我々とは相容れぬ存在なのだッ!」
「ええ」
師匠の言葉に深く同意した。それ程、目の前に居る男は不愉快に感じられる。
僕は今、生まれて初めて『視姦』とはこういう事を言うのかと理解した。
「幼女鑑賞者は、いかなる時でも心身ともに紳士たらねばならない。それが鑑賞する幼女たんに対する、最低限の礼儀なのだ」
この日もきっちりと三つ揃えのスーツに身を包んだ摩耶さんは、まるでフォーマルなパーティー会場に居るかの如き立ち振る舞いで、背筋も綺麗に伸びている。僕も、師匠の言いつけ通りにちゃんと身だしなみを整えて襟の付いたシャツを着用してきた。
我々の気配を察知したのか、その男は一瞬こっちを向いて小さく舌打ちをすると背中を丸めて去っていく。彼が視界から消えるまで、摩耶さんは険しい視線をその背に送っていた。
「まったく、嘆かわしい……お、見たまえ伊織君。我らが天使達のご降臨だ」
急に明るくなった師匠の声に誘われてそっちを見ると。
「おお……」
昨日目にしたふたりが、またしても仲良く手を繋いでやって来た。
彼女達は共に小さなスコップを手にしており、砂場に腰を下ろすと楽しそうに山などを作り始める。
「心が洗われますね」
きゃっきゃと笑いながら小さい手でぺたぺたと砂山を盛っている天使達の姿に、僕は頬のほころびを隠せない。横目に摩耶さんを見ると、彼も目を細めてふたりを鑑賞していた。
「あの子達は、ここの幼稚園でもツートップと言える逸材だよ。黒髪の美しいおかっぱでタレ目がちのほんわかとした子は、つぼみちゃん。もう一人の鮮やかなブラウンのツインテールがとても似合っている活発な感じの彼女は、そらちゃんだ」
どこから調べて来たのか、師匠は彼女達の名前まで知っていた。おそらく高レベルの幼女鑑賞者ならではの情報収集能力なのだろう。
「君は、あのふたりだったらどちらが好みかね?」
不意に投げ掛けられた質問に、僕は頭を悩ませる。
「うう……ええと、どちらも素晴らしい子ですから甲乙はつけづらいですが……」
「何も優劣をつけろと言っている訳では無い。直感的に答えたまえ」
優しげにそう囁く師匠。
これも、僕の鑑賞力を試す質問なのだろうか?
いや。この段階でそれはもう無いだろう。この人は、僕に鑑賞の心得を教えてくれているに違いない。
彼の言う通り、直感を頼りにもう一度二人を真剣に鑑賞した後、
「僕は、つぼみちゃんですね」
と返答をした。
師匠は、その答えに大きく頷く。
「そうか。私はそらちゃんだ」
そう呟くと、師匠は再び無言になって真剣な目つきで鑑賞を再開する。
え? 今の質問なんだったの?
心にモヤっとしたものを感じつつも。再び無言になって真剣な瞳で鑑賞を行っている摩耶さんに、僕は言葉を掛ける事ができなかった。
その日から暫く――
僕は毎日、摩耶さんと共に幼女鑑賞を続けた。
彼の見つけた木陰の鑑賞スポットは見事に我々の姿を隠してくれている為、初日のあれ以来保母さんの目に留まる事も無かった。それに木陰なので、真夏日でも快適に鑑賞を行う事ができる。恵まれた環境で良い師匠の指導の下、僕の幼女鑑賞力は日に日に上がっていった。
そんな、とある日。
「師匠、僕気付いた事があるんですが」
「なんだね?」
例によって二人の天使達を真剣に鑑賞しながら、僕は師匠たる摩耶さんに疑問を投げかけた。
僕の抱いた疑問。それはここ数日の、そらちゃんの態度だった。
今まで、勝気で活発な彼女は常に全力疾走で園内を走り回り、はためくスカートとその中に秘めた美しいおぱんつを惜しげも無く我々に披露してくれていた。
ところが。
何日か前から、彼女は徐々にそれを気にする様になっている。少なくとも僕の目にはそう見えた。
今もつぼみちゃんと楽しそうに追いかけっこをしているけれど、しきりと手をお尻の方に伸ばしてスカートのめくれを気にかけている。
「そらちゃんを見てください。今の彼女は明らかにぱんつを露出させる事に羞恥を抱いています。これは、摩耶さんの持論と相容れないものではないのでしょうか」
――ぱんつだけれど、恥ずかしくない――
彼女達についてそう語った師匠の言葉を、今のそらちゃんは否定している。僕にはそう思えた。
しかし。
摩耶さんは一心に彼女を見詰めたまま、
「いや、伊織君。彼女はついに、幼女としての最熟成期を迎えたのだ」
と、吐息と共に呟いた。その声は微かに震えている。
「さ、最熟成期……ですか?」
「そう。今まで全然気にしていなかった事が、急に恥ずかしく感じる――それは、彼女が幼女から少女へと変貌を遂げる予兆。今が最も美しい時なのだ」
ぐっと拳を握りしめ、言葉を絞り出す摩耶さん。その横顔には喜びや感動、そして哀しみの入り乱れた複雑な表情が見て取れる。
「幼女から、少女へ……では、師匠。彼女は、もう」
「ああ。そう遠くない内に、そらちゃんは立派な少女へと旅立っていくだろう。それはすなわち我々の鑑賞対象ではなくなるという事だ」
彼女が幼女では無くなる。
その一言に、胸にぽっかりと穴が開いた様な気持ちになった。
僕が初めて目にした、ふたりの天使。
そのうちの一人が近いうちに居なくなるという事実は、今まで知らなかった幼女鑑賞の厳しい部分をまざまざと僕に見せつけていた。
「そうですか……寂しいですね」
ぽつりと零した僕に、しかし摩耶さんはがっしと肩を掴んで言う。
「ああ、確かに寂しい。しかし、これも幼女鑑賞のさだめ。我々は笑顔で彼女達の成長を祝い、送り出してあげるのだ。それこそが、今まで我々の心を豊かにしてくれた彼女達への、最後の恩返しなのだよ」
語る摩耶さんの、瞳にキラリと雫が光る。
そう。彼も哀しくない訳が無いのだ。しかし、それでも彼は笑顔で彼女を送り出そうと紳士的態度を貫く。そう言い切っている。
これが、幼女鑑賞道――
改めてこの道の奥深さを垣間見た気がして、僕は身を引き締めた。
「判りました、師匠。これまで以上に真剣に彼女達を鑑賞し、心に焼き付けます……笑顔でさよならを言えるように」
「良く言った。それでこそ、私の見込んだ男だ」
固く握手を交わし、頷き合う。
僕達ふたりの瞳には涙が浮かんでいるが、これは決して悲しい涙では無い。そらちゃんの成長を慶ぶ、嬉しい涙なのだ。漢が流すに相応しい涙なのだ。
感涙に震える僕達。
なので、いつの間にかフェンス越しに我々の事を見ていた二人の存在には全然気が付いていなかった。
「ねえねえ。おじちゃんたち、なにやってるの?」
「うわあっ!」
「すわ!?」
突然掛けられた幼い声に、師匠までもが驚愕の声を上げる。
でも、それも仕方の無い事だろう。
何故なら、僕達に声を掛けて来たのはふたりの天使達だったのだから。
「おじちゃんたち、いっつもつぼみたちのことみてるよね。どーして?」
可愛らしい舌ったらずな口調で問うてきたのは、つぼみちゃん。イメージに違わないおっとりとした喋り方がとてもキュートだった。
「そら、しってるー! おじちゃんたち、へんたいなんでしょー! いっつもそらたちのぱんつみてるもん!」
やはり見た目通りに勝気なそらちゃんは、僕達を指さしてそう言い切った。……て、僕もおじちゃんなの!?
「え、ええと、ね」
思わず返答に困ってしまう僕。
下から見上げて来る、ふたり。そこには不審と不安の色が浮かんでいる様に思えた。
確か、上から見下ろす事は相手に威圧を与えてしまうという話をどこかで聞いた事がある。
僕はしゃがんで彼女達と同じ目の高さになって、あらためて二人に視線を送った。
間近で見ても、やはり彼女達は完璧だった。
サラリと風に踊る、傷みの欠片も感じさせない髪。
つきたてのお餅みたいに、柔らかそうなほっぺた。
さくらんぼの様に、愛らしい唇。
そして、僕を見詰めるピュアな瞳。
そんな彼女達に、当然嘘などつけない。天使に嘘を言える者など、どこにもいないのだ。
でも、一体どう言えば彼女達が納得してくれるのか?
一瞬の間に色々と考えた僕は、おそらく動転していたのだろう。気が付いたら、
「ぼ、僕はっ、きみたちと友達になりたいんだっ」
なんて事を口走っていた。
嗚呼、僕いったい何言っちゃってるんだ!?
確かに心の奥では、ただ遠くから鑑賞するだけの事に小さな不満も感じていた。できれば彼女達と仲良くなりたいと、ちょっとだけ思ってもいた。楽しくお話とかできたらと考えていた。
でも、知らない大人にいきなりこんな事言われたら、普通ドン引くだろう。ああもう僕は何やってるんだ。
「おともだちー? いいよー」
「そ、そうだよね。突然変な事言ってごめ……え?」
「おにいちゃん、やさしそうだし。つぼみ、おともだちになってあげるー」
それは、まさしくエンジェリックスマイル。
たおやかに咲く牡丹の様にやわらかい微笑みで、彼女は僕にそう言ってくれた。
そして。
「つぼみちゃんがそういうんだったら、わたしもおともだちになってあげる。でも、ぱんつみちゃだめなんだからねっ!」
そらちゃんまでもが模範演技と言える程に華麗なツンを織り交ぜつつ、そんな事を言ってくれる。
ぼ、僕明日死んじゃうんじゃないかな?
まるで一生分の運を使い果たしてしまったかの様な超展開に、却って恐怖すら感じてしまう。
世間の目を気にしながら、ひっそりと行わざるを得ない幼女鑑賞。特に鑑賞の対象たる幼女からはあまり良いイメージを持たれないというのが、この世界の常識である。
ところが、僕は今その常識をあっさりと覆してしまった。対象である幼女たんと、友達になってしまったのである。
「……あ」
しかし、そこで僕は急激に不安になってしまった。
――これは、もしかして幼女鑑賞の作法に反する行為だったのではなかろうか――
対象に接する事無く、ただ秘かに鑑賞を行う事が幼女鑑賞の作法だとしたら、僕のこの行為は明らかにルール違反だ。礼儀と作法を重んじる摩耶さんが、それを許す筈が無い。
「え、ええと、師匠。こういう場合は、いったいどう――」
そう、摩耶さんに教えを請おうと後ろを見ると……
そこには何故か、彼の姿は無く。
「あなた、ちょっと事務室まで来てもらえるかしら?」
おっかない顔をした保母さんが、腕を組んで仁王立ちしていた。