運命の出会い
改めて、摩耶と名乗ったその男を見る。
この暑さにも関わらず、三つ揃いの高そうなスーツをきっちりと着こなした中肉中背の紳士的風貌。しかもあれだけ走ったのに何故かスーツには皺ひとつ無かった。年齢は三十代半ば位だろうか。やや茶色がかった髪をオールバックに整え、少し色の入った楕円形のお洒落な眼鏡をかけている。綺麗に結ばれたえんじ色のネクタイも、きっと高価な物なのだろう。
彼は内ポケットからマールボロを取り出すと、使い込まれたオイルライターで火を点けた。キンと高い金属音が埃臭い小屋に響く。
美味しそうにゆっくりと煙を吐き出した後、煙草の箱を僕に差し出してきた。
「吸うかね?」
「いえ……まだ高校生なので……すみません」
なぜか謝ってしまう僕。
「いや、こちらこそ失礼した」
彼はやけに漢らしい笑顔でそう言うと、もう一口だけ煙草を深く吸い込んでから行儀良く携帯灰皿にそれをしまった。
「最近は、実にせちがらい世の中になってしまったね。我々の様な者には、生きづらい世界だ」
彼は小さく首を振り、哀しそうに言葉を零す。
「は?」
……一体、何を言ってるんだ? この人は。
「知っての通り、あの幼稚園は近辺でも類を見ない程に素晴らしい子達が居るのだが、それ故に警戒も厳しくてね。我々の趣味が世間には中々認知されづらい物だと分かってはいるが、それでも寂しい事だよ。そう思わないかね?」
ええと? なに? 趣味?
って言うか『我々』って? 僕も一緒なの?
「あのー。い、一体、何を言って」
「はっはっは、そう謙遜する事は無い。君の審美眼は大したものだ。彼女達はあそこの幼稚園の中でも群を抜いているからね。その若さでそれだけの眼力とは、同好の士として尊敬の念に堪えない」
何だ?
一体この人は何を言っているんだ?
そして何故、僕はこの人に褒められているんだ?
「ご、ごめんなさい。何を言ってるのか分かりません。その、『同好の士』て、いったい」
僕の態度を見て、彼も何か思う所があったのだろう。摩耶と名乗ったその男は、少し意外そうな顔をして言った。
「君は、ひょっとして幼女鑑賞道の同人では無いのかね?」
「……はい?」
このひと、いまなんていいましたか?
「そうか、そうだったのか。これはまた失礼した。君のあの真剣な眼差しと選択は、中々なレベルの幼女鑑賞者と見受けられたのだが」
なんとなく酷い事を言われた気がした僕は胸に言い様の無い痛みを覚えつつも、先程の自分を思い返してみる。
「あ、あー。それは、もしかして……」
何故かポリスメンに追い駆けられる目に遭う、そのちょっと前――
塾の夏期講習の帰り道だった僕は、不意に聞こえた幼児特有の高い声につい誘われて、道すがらの幼稚園に視線を向けた。
そして、そこにふたりの天使を見つけたんだ。
ひとりは、綺麗な黒髪をおかっぱに揃えたタレ目がちの大人しそうな女の子。もうひとりはライトブラウンの髪をツインテールに纏めた、勝気な顔立ちの女の子。
彼女達は楽しそうに笑いながら、幼稚園の庭を駆け回っていた。
どこにでもありそうな黄色い帽子も。水色のスモックも。紺色のスカートも。
まるでふたりの為にあつらえたかの如き実に見事なマッチングで、そのイノセントな笑顔は見ているこっちまでも幸せにしてくれる微笑ましいものだった。
そして、何より――
走る彼女達の、スカートの中から時折チラリと現れる、陽光に美しく輝く白い聖布。
僕は思わず、足を止めて彼女達に見入ってしまったのだった。
それが五分だったのか十分だったのか、今となっては覚えていない。それ程に、僕は天使達に心を奪われていたのだった。
「あんなにも真剣に、そして純粋な眼差しで幼女鑑賞を行っている者を私は久しぶりに見た。あの時私が不覚にも保母に見つからなかったら、君は何時間でも鑑賞を続けていたのではないかと思う程だ」
「え!? 摩耶さん、あそこに居たんですか?」
「ああ。君のすぐ後ろで鑑賞を行っていた。なので、いち早く逃走する事ができたのだよ」
……すると、もしかしてあのポリスメンは僕じゃなくて摩耶さんを追っていたのか?
って言うか、僕はただ単にこの人の巻き添えにされただけなのか!?
「はぁぁぁぁぁ」
がっくりと膝を落としてうな垂れる。
何の事は無い。僕はこの変態のとばっちりを受けて、無意味に追い回されていただけなのだ。
あまりの馬鹿ばかしさに、泣きそうになってきた。
「なんですか。なんなんですか」
未だにプルプルしている足の筋肉に喝を入れて、立ち上がる。
そして、
「帰ります」
彼に背を向けて、僕は小屋を出ようとした。これ以上こんな変態と関わりたくない。純粋にそれだけを考えていた。
ところが。
「まあ、待ちたまえ」
なぜかその変態は僕の肩をがっしと掴み、呼び止める。やめてくださいその手を離してください変態がうつります。
「なんですか一体。これ以上、僕に何の用が?」
まるでばっちいものを振り払う様に彼の手を除ける。しかしその変態は妙に素早い身のこなしで僕の前に立ち塞がると、おごそかに両手を広げて言った。
「私が見た所、君には素晴らしい素質がある。どうだね、私と一緒に幼女鑑賞の道を歩んでみないかね?」
それは無駄と言い切れる程に素晴らしい笑顔で、堂々と。
この変態は、僕をとんでもない悪の道に誘い込もうとしやがりました。
「無理ですイヤですだめです他を当たってください」
尚も彼を押し退けて帰ろうと試みた。
しかし。
「君は、彼女達の中に『天使』を見たのではないのかね?」
「なッ!?」
短く、しかし力強く囁いた彼の言葉に、僕はまるで雷に打たれたかの如き衝撃を受けた。
彼の放ったその一言は、それ程僕の心に深く、強く突き刺さっていた。