ハクとアオ
織と麻貴が倒れていた場所にうずくまる二頭の虎。
一頭は輝く白い毛に漆黒の模様。もう一頭は蒼い毛に漆黒の模様。そして二頭とも目が覚めるような金色の瞳をしていた。
ルカの知る虎に比べて格段に大きく美しい。
織と麻貴はどこに行ったのだろう。忽然となくなってしまった二人の姿を探していると、後ろで創が感心したような声をあげた。
「巫女の虎が人間として生まれていたとは驚きだな。やはりお前は今までの巫女と違うらしい」
「巫女の虎?」
「そうだ。この虎はお前の守り手。どんなときもお前に付き従い命を捨てても守り抜く。健気でかわいらしい下僕どもだ。本来ならばどこかで虎のまま生を受け巫女が覚醒すると現れるものと聞いておったが…これは面白い」
クックっと創は笑って虎を眺める。
創の話が本当なら、この虎は織と麻貴なのか?ルカは歩みよりそれぞれの手で二頭の虎に触れた。
艶やかな感触、身体は温かく生きているのを感じる。
「織…麻貴ちゃん…」
虎は静かに目を開き同時にルカを見た。そしてルカの手を大きな舌でペロリと舐める。
『我が名はハク』
『我が名はアオ』
白い虎はハク、蒼い虎はアオと名乗った。
『我が巫女と共にあろう』
頭の中に直接響く声は不思議な感覚だった。
二頭はゆっくり立ち上がりルカを守るように左右から身を刷り寄せる。そのままじわじわと創と距離を取る様にルカを後ろに下がらせた。
立ち上がった姿は一層大きく荘厳さも感じられ、ルカは無意識に安堵して大きく息を吐いた。
しかし完全に安堵したわけではない、ただ織と麻貴が、虎に姿は変わったが死んでいないということに安堵しただけだ。
この冥界という世界のことも、不可思議な自分の姿も鬼の創も、何一つ状況は変わらない。
ルカは思考を無理矢理活性化させる。今まずするべきことはなにか。
とりあえず、創の目的を知ろう。
「創さんは…私をどうするつもりなの?」
ルカの問いかけに創は小さく笑う。
「お前は面白いことを聞く…。まぁしかし、巫女が生まれなくなって久しいからそれも当然のこと。我はお前と契りを交わし子をなす。そして鬼の一族をかつてのように栄えさせること、それが一つ目の目的」
創の顔が感情をなくす、赤い瞳だけが輝き、奥の方に情念が沸き上がり、美しさが増したような気がした。
「そして、我ら鬼を裏切った人間に復讐すること。これが二つ目の目的…いや、悲願ともいうべきか」
その姿にルカは心の奥から震え上がった。長い時間の思いがこもった言葉と、力を見せつけるように創の周りに闇と不気味な風が発生する。
だが同時にその姿はとても美しい。魔が人を魅了すると言うのはこういうことなのかとも思う。
だからと言って創の思惑に乗るわけにはいかない。鬼の花嫁なんて得体の知れないものになるのはごめんだ。
ルカは震える体にぐっと力をいれ創を睨む。虹色の瞳に捕らえたれた創は興味深そうに眺め返した。
「その強気な目もなかなか良いものだが…やはり我はもう少したおやかな方が好みだ」
からかうような創の言葉にルカは静かに返す。
「私は普通の人間だから、鬼のお嫁になんてなれない。ましてこんな世界でなんか生きていけない」
「案ずるな。契りを交わせばお前も鬼となる」
「え…」
鬼になる?
「我の力をもって、お前は鬼に変化する。すべての鬼を統べる我の、ただ一人の伴侶としてお前は生まれ変わるのだ。くだらない人間なんかでいるよりよっぽど光栄なことだろう?」
さも当然のことのように言われても誰が納得できるものか。高慢な創の言葉にルカは怒りで目の前が真っ赤になった。
その時。
『巫女よ、そなたはこの鬼を憎むのか?』
ハクがルカに語りかける。
「ハク…?」
ルカの目を優しく見つめるハクは再び同じことを問うた。
憎む…普段のルカならそんな感情を持ったこともない。誰に対しても明るく優しいのがルカの性分だ。しかし今のルカの中にあるのは戸惑いと恐怖と、不満、悲しみ、怒り。
自分の中で、納得のいかないことばかりへの負の感情がグルグルと渦巻き、どす黒いもう一人のルカを作りあげる。
「これが憎むって感情なのかは分からないけど…それでも、私はこの人が嫌い」
『では、何を望む?』
今度はアオがルカに語りかける。その瞳も優しさが感じられるものだった。
「私が望むのは…元の世界に帰りたい。織と麻貴ちゃんと、また遊びたい…笑い、たい…」
涙が溢れ視界が滲む。もうこんなとこに一秒だっていたくない。
帰りたい。帰りたい。帰りたい。
望みはただそれだけだった。世界のことなんて、鬼のことなんて、ルカにとってはどうでもいいことだ。ただ、自分の置かれたこの状況を何とかしたい。
『では、その望みを叶えよう』
ハクは言って、創の臨む。低い体勢をとり牙を剥き出しにして威嚇する。
『我らは巫女のためにある。巫女が望まぬことは排除する』
アオも同様に創に敵意を露わにした。
「ハク…アオ…」
二頭の美しい虎は、創からルカを遮るように前に立ち金色の瞳を輝かせた。




