◆揺れる鼓動
「な、なあ……やっぱ止めようぜ」
「今さら何言ってんだよ」
男2人が声をひそめて足取り重く、白い建物内を歩いていく。その手には懐中電灯。共に黒髪、黒い瞳の30歳は越えていない。
ここはアメリカ合衆国、サウスカロライナ州の小さな街。南部地域にある州で、州都はコロンビア。
彼らはちょっとした仕事の帰り、自由行動の時間を利用して廃病院を訪れた。
懐中電灯を持ち前に立って歩いている男の名は八尾 杜斗。185㎝の身長が威圧感を与える。その後ろからビクついてぴたりとついてくるのが向井 時弥。170㎝と小柄ながら筋肉質だ。
壁は色とりどりのスプレーで殴り書きがされていて、床には剥がれ落ちた壁やら割れたガラスやらが散らばっている。
2人は気配を窺いながら真っ暗な廊下を懐中電灯かた手に進んでいく。
カチャリ……
「!?」
時弥は聞こえる音にビクリと強ばり、杜斗の服をギュッと掴んだ。
「なんだよっ」
「いっ今、後ろから音が……」
言われて杜斗は振り返る。しかし懐中電灯を回しても何も見えなかった。
「気のせいだろ」
「そ……そうかなぁ」
開かれたドアを通り病室を覗いていく。1階……2階……3階……と、1つずつ階にある病室を見て回った。
それほど大きくは無い廃病院だが、ゆっくりした歩調にさすがに時間がかかる。
「! ここにも入るのか?」
「当り前だろ」
時弥は目の前の2枚扉に身震いした。左側は留め金がかなり緩んでいて傾いている。
大きな丸いライト、そこは手術室。外からも見える手術台が潰れた病院らしく2人を手招きしているようにぼんやりと白く浮いて見える。割れたガラスを踏みしめて1歩、体を滑り込ませた。
手術道具が乗せられた銀色のトレイ。緑色のシート……どれを見ても気持ちのいいもんじゃない。
「……」
時弥はゴクリと生唾を飲み込んだ。杜斗はじっくりと見られる機会を得たかのようにゆっくりと、さして大きくもない手術室を回る。
その時──
「!?」
「! だからっなんだよ!」
突然、時弥が杜斗の右腕の服を掴んでゆすった。
「いっ……いいい、今っ外に何かっ」
「あん?」
杜斗は外に上半身を出し懐中電灯を照らす。
「何も無ぇじゃねぇか」
「でっでも、見たんだ……」
視界の端に扉の前をスゥ~っと横切っていく影を……
彼はそれを必死に身振り手振りで示すが杜斗はそれに怪訝な表情を浮かべて信じようとはしない。
しかしすぐハッとして時弥に笑顔を向けた。
「お前、幽霊見たって事か?」
「ゆっ幽霊!?」
杜斗は残念な顔をして手術室から出て行く。慌てて時弥はそれを追いかけた。
「チェ……いいなぁ」
「よくなんか無いよっ」
しばらく歩き回り小児病棟の前で足を止めた。
「ここにも入るの……?」
「当然だろ」
今まで見てきたベッドよりもひと回りほど小さなベットが並んでいる。数年前に流行ったであろうオモチャが時折、床に転がっている。
「……」
杜斗は、なんだかやりきれない気分になって今までより足早に通り抜けようとした。
《帰れ──》
「ひゃあぁ!? 今の聞こえたっ!?」
「何がっ? いきなり大声出すなよ」
耳元で叫ばれて杜斗は片手で耳を塞いだ。
「今、『帰れ』って聞こえた!」
「ああ? 俺には聞こえなかったぞ」
時弥は冷や汗が止まらなかった。そんな彼に杜斗は意地悪い言葉を発する。
「そういやさ、日本の幽霊って昔から足が消えてる事多いけど。外国の幽霊はしっかり足があって、走って追いかけてくるんだぜ」
「!? やっやめてよね!」
「わはははは」
その後、ICUに踏み込む。特殊な機械が、使われる事もなく無惨に汚れてあちこちが欠けていた。
パソコンのディスプレイはひび割れて、椅子も座れるような状態じゃない。
数年前に潰れた病院の機械は、今では型落ちでしかない。
するとまた……
《立ち去れ──》
「!? いっ今の聞こえた?」
「何が?」
片眼を細め疑いの眼差しを時弥に向ける。お互いが疑心暗鬼になりかけていた。
時弥は、杜斗がわざと聞こえないフリをしているのではないだろうか。と……杜斗は、時弥が自分を怖がらせるために言っているのではないか? と。
胸に複雑な思いを秘めたまま、2人は無言で歩き出した。
不気味に響く2人の足音。1人では帰れない時弥は仕方なく杜斗の後ろをトボトボとついていく。
「……」
地下へと続く階段に2人の足が止まる。壁には『霊安室』と英語で書かれた札。
時弥は反対するように杜斗の服をつまんでちょいちょいと引く。当然、杜斗は降りるつもりで時弥に怒ったような目を向けた。
杜斗はここを最後に残しておいたのだ。楽しみは最後まで残しておく。踏み出そうとした杜斗の目の前に光が走った。
スターン! と小気味よい音が響く。
「……」
ゆっくりと左を向くと銀色のメスが壁に突き刺さっていた。
「──!?」
時弥はそれを見て声にならない叫びを上げた。そんな彼を鬱陶しそうに睨み静かにさせる。時弥は声を震わせ涙目になってか細く発した。
「こっ、これって、ポルターガイストなんじゃ!?」
「かもな」
さすがの杜斗もメスを見て驚きを隠せない。しかし、それでも階下に降りようと足を前に出す。
《立ち去れ──》
今度は杜斗の耳にもハッキリ聞こえた。体が強ばって動けない。
「……っ」
それでも杜斗は下に降りたい衝動にかられて足を動かした。
《それは勇気とは言わん》
「ひっ!?」
すぐ近くで聞こえて時弥は引き気味に声を上げる。
「かっ、帰ろうよ……!」
「いや……今のは」
杜斗は険しい目をして後ろを振り返った。