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二匹半の子ぶた

作者: 明日




 昔々あるところ、海の向こうのどこかの国、そのどこかにある小さな森で、豚の家族が暮らしていました。

 お父さん豚とお母さん豚、それにその子供の三匹の子豚たち。

 彼らは仲良く仲睦まじく、五匹で静かに暮らしていました。


 けれども、三匹が小さい間はよかったのですが、しかしやがて彼らの身体が大きくなってくると、少しばかり生活も苦しくなります。

 三匹で一つでよかったベッドは三つになって、集めなければいけないドングリの量も多くなります。大きくなれば、ご飯をいっぱい食べますからね。

 そのうちに、お母さん豚は言いました。


「お前たちはもう一人前だよ。さあ、広い世間に出ていって、それぞれ自分の家を建てて、自分の力で生きていくのですよ」


 それもそうだ、と三匹は思いました。

 もう彼らは小さな子供ではありません。そろそろ巣立ちの時を迎え、大人になるときが来たのです。


「そうだな、お母さん、お父さん。俺たちはこれから一人で頑張るとするよ」


 代表してお別れを言ったのは長男豚。なあ、と二人の弟に目を向ければ、弟たちも頷きます。

「まあ、何とかなるさ」、と次男。

「こつこつやっていくよぉ」と三男。


 そうして三匹は、次の日の朝に両親に別れを告げて、希望と不安を胸に家を出ました。





 森の中をてくてく三人が歩きます。


「でもどうしようか。これからまずは住む場所を考えないとね」


 次男豚は言います。兎にも角にも、生きていくには住む場所が必要だということは皆様もご承知の通りですね。

 しかし次男豚の言葉に長男豚は鼻をフゴと鳴らしました。


「どうでもいいだろ、適当に決めれば」

「そうはいかないよ。最近西の集落では、狼が出たらしいよ」

「ええ?」


 三男豚は次男豚の言葉に身体を震わせます。

 だって、狼です。あの大きな口で丸呑みにされ、鋭い牙で噛み砕かれ、あの爪で引き裂かれることを想像してしまえば。豚の身では抗えるわけもなく、ただ殺されてその日の夕ご飯にされてしまうかもしれません。もしかしたらおやつかも。


「どうしよぅ」

「なあに、狼が来たって構うもんか。俺様の腕っ節の強さを知ってるだろう」


 怖がる素振りを見せた三男豚を、長男豚が笑います。

 大人の狼に会ったことはありませんが、しかし彼には自信がありました。

 なるほど、と次男豚も思います。長男豚は村の中で暮らす豚の中でも一番大きくて、お父さん豚よりも力が強いのが自慢でした。なるほどなるほど、たしかにと思います。長男豚が突進して狼にぶち当たれば、きっと狼だって逃げていくでしょう。


「なるほど、兄さんならそうかもしれないね」


 うん、と次男豚は頷きます。


「じゃあ、ここで別れようか。僕たち三人、ここからは仲良く離れて暮らすとしよう」

「僕はまだ怖いよぅ」

「……そうだね、じゃあ、三男豚が家を建てる場所を決めたら、僕らは別れようか」

 ねえ、と次男豚は長男豚に問いかけます。家のことなどどうでもいい。そう思っていた長男豚は、もちろんそれに頷きました。




 三匹がまず訪れたのは、村の入り口近くの窪地でした。

 いつも彼らがいた場所とほとんど同じ。ドングリはそこかしこに落ちていますし、また茂る木々で日除けも万全。柔らかな草は寝っ転がってお昼寝も出来ます。


「ここなら村も近い。豚通りも多くて、三男豚も安心だろう」


 そう提案したのは長男豚です。

 彼としてはさっさと決めてしまいたいですし、どこでもきっと大丈夫ですからね。


 ですが、その空き地にトトトと足を進めた三男豚は中央に立つと、首を回して辺りを見回して、小さく首を横に振りました。

 

「ここはちょっと、嫌かなぁ」

「何で?」

「その、せっかく一匹で暮らすのに、代わり映えもしないし、いつもの豚が来るのは嫌だよぅ」

 フガ、と鼻を鳴らした長男豚に、しおらしく三男豚が答えます。

「ちぇ、別にどこでもいいじゃねえか」

「まあまあ。せっかくだし付き合ってあげようよ」

 次男豚の取りなしに、長男豚はまた鼻を鳴らして応えました。



 次に三匹が訪れたのは、森の奥の沼地の近くでした。

「ここならどうかな」

 次男豚は大きく息を吸い、湿った空気を胸一杯に取り込み笑顔を作ります。

 いつも自分たちが暮らしていたところとは様子が違い、草木は茂り、日の光は地面に届かず地面もいつも湿っていました。


「ここなら、隠れる場所はいっぱいあるよ。狼が来ても、身を隠せるし泥や草で匂いも消せるしね」

 

 三男豚は、ふむふむと頷いて、その湿地帯の空き地に足を踏み入れます。鼻で押しのけた灌木はたしかに強い匂いを出して、また伏せれば自分の身も隠せます。

 いいかもしれない。と思いつつも、しかし三男はその中央で地面を軽く蹄で引っ掻きました。


「ここもちょっと嫌かなぁ。地面が柔らかすぎるよぅ」

「……そっか」


 うん、と頷いて、次男豚が首を横に振ります。

 勧めたのは彼ですが、しかし三男豚が気に入らないというのならば仕方がありません。


「なら、違うところにしよう。探せばどこかにきっといい場所があるよ」

「なあ本当にどこでもいいじゃねえか」

「兄さんたち、ごめんね」


 少しだけ険悪になった長男豚と次男豚を取りなすように三男豚が言えば、仕方がないな、と長男豚も溜息をつきました。



 それから二つ、崖の下と川の横を巡って、ようやく彼らは辿り着きました。

「ここ! ここがいいなぁ!」

 飛び跳ねるようにして柔らかい草原を跳ねるのは三男豚。

 緑の短い草が風に吹かれてざわざわと音を立てます。


「ようやくかよ」

 悪態をつくのは長男豚。

「そう、気に入ったならここでいいよね」

 ほっとした顔でそれを見ているのは次男豚。


 ここは三匹の育った村からほんの少しだけ離れた高台の上。

 見下ろせば木々の隙間に育った家も見えます。


 やっぱりまだ三男豚も寂しかったというところだろうか。

 次男豚はそう半分推測し、兄と弟を見ました。


「これで充分だろう。じゃあ僕と兄さんは、この近くでそれぞれ場所を探すとしよう」

「うん、お兄ちゃんたち、ありがとう」


 喜ぶ三男豚にまんざらでもなく、長男豚は小さく「おう」とだけ応えました。




 それから少しだけ経ち、三匹もそれぞれそろそろ家の計画も終わった頃です。


「狼が?」

 村の友達に会いに来ていた次男豚が、嫌な噂を聞きます。

 なんと最近、この近くにまた狼が出たそうです。

 村が一つ襲われ、何匹もの豚たちが食べられてしまったという話です。


「ああ、酷いもんでさ。家もぶっ壊されて、小さな子供が親の前で食われて」

 その親が逃げてきたのだ、と友人が語るのを聞いて、次男豚は痛ましいな、と顔を歪めました。

 そして思います。自分がそうなりたくはないし、それ以上に、兄にも弟にもそうなってほしくはない、と。

「お前は今度新しいところに家を建てるんだろう? しっかり作った方がいいぜ。村よりお前たちみたいなはぐれものを襲うほうがきっと大分簡単だ」

「……そうだね」

 次男豚は、深く頷きました。




 話を聞いた次男豚は、長男豚に会いに行きました。


「兄さん、調子はどう?」

「いいに決まってるだろう、最高だよ」


 長男豚は今、藁の家に住んでいました。

「家なんて簡単に建てるのが一番だ。あっという間に建てられるし、涼しくて最高だよ」

「そうだね」

 次男豚は頷きます。

 藁の家はたしかに立派でした。大きさは彼ら二人が寝そべっても転がっても大丈夫なほどですし、天井も高いし風がすり抜けて夏は涼しいものです。

 「冬になればまた上から藁を積んで隙間を埋めるんだ」というのも長男豚の言葉。

 なるほど、たしかに家としては立派なものだ、と次男豚は頷きました。


 長男豚は勿論大満足です。

 なにしろほとんど一日かからず建てられた家です。捨てられていた藁を使ったので、ドングリを誰かに支払ってもいません。

 その嬉しさに、弟たちと別れた次の日からは、家の中で歌ったり踊ったりが楽しくて仕方ありませんでした。



 次に会いにいったのは、もちろん三男豚です。

 高台の上の柔らかな野原でしばらく過ごしていた彼も、そろそろ家を作っている頃だろう。次男豚はそう思っていましたし、それに村から見える高台の上でもなにやら作業を行っているようでした。


「やあ」

「あぁ、兄さん」


 野原に座って家の『土台』を眺めていた三男豚は、振り返って次男豚に挨拶をします。

「調子はどう?」

「とてもいいよ。見て、ようやく家の基礎が出来てきたんだぁ」


 三男豚が示した先では、やけに毛深い豚のような作業員が、せっせと作業をしていました。

「あれは?」

「僕の家だよぉ。作るのに時間がかかるし手間もかかって仕方ないけど……僕も今休憩中」


「……煉瓦、か」

「うん。どんぐりがちょっとかかっちゃったけど、でも安心できるのが一番だからねぇ」

「それもそうだね」


 横に積まれている重たそうな建材を次男豚は見ました。

 赤銅色の煉瓦の山。それを作業員たちはせっせと運んで積み上げて、モルタルで固めていきます。

 なるほど、と次男豚は思いました。

 良いものが出来るでしょう。きっと出来上がった暁には、狼なんて寄せ付けない無敵の家が出来るでしょう。


「……大変だろうけど、頑張ってね」


 これならば安心です。出来上がった暁に、弟が助かるのならば。

 ならばもう言うことはないだろう、と次男豚は踵を返しました。




 自分の家に戻った次男豚は、自分の家を見回して考えます。

 この家も立派なものです。数日間かけて作った木材の家。森の中で拾った木を組み合わせ、丈夫に作った小ぶりな家。

 木の屋根は雨も弾いて、木の壁は風を遮ります。乾いた木の板は隙間をつくって風を通し、濡れた木の板は膨らんで隙間をぴっちりと埋めて温かさを保ちます。


(……これで良いと思っていたけれど……)


 実家の家は土と木を組み合わせた伝統的なものでした。それを参考に、少しだけ簡易的にこの家を作ったものですが。

 しかしこの頃の噂では、木を骨組みとした土壁は狼に打ち砕かれ、木はその息で吹き飛ばされてしまうそうです。

 ならばこれでは不十分で、きっと狼が襲い来ればひとたまりもありません。


 それに、思い浮かべるのは兄弟の家。

 ……きっと足りない。


「兄さんに、話してこよう。僕らはこのままでいいと」


 足りない。だから、このままでいいのだ。そう、次男豚は思いました。




 ある夜のこと。

 森に狼の遠吠えが響きました。

 豚たちは知っています。


 腹を空かせた狼の、襲撃の合図です。



 のしのしと、しかし軽快に森の中を歩く狼は、ふさふさとした毛皮に覆われた立派な姿です。

 舌舐めずりをするように涎を垂らし、スンスンと匂いを辿ります。


「ここらにはぐれの豚がいるらしいな!!」


 狼は聞いていました。最近三匹の子豚が集落から外れたのだと。

 そして彼らはそれぞれ家を建てて、そこでのんびりのんきに暮らしているのだと。


 集落ならばそこそこ手間がかかりますが、しかし孤立している彼らは格好の的です。

 狼はまた舌舐めずりをして、一番近くにあった長男豚の家に向かいました。


 窓代わりの隙間から狼の姿を見つけた長男豚は叫びます。


「やい! 狼!! おとなしく帰れ! さもないと痛い目に遭うぞ!!」


 その声に狼は笑います。

 痛い目に遭う。それはどちらの話でしょうか。

 狼は食い、豚は食われる。それがこの森の不文律でしょうに。


「お前こそ大人しく出てこい。さもないとそんな家なんか吹き飛ばしてやるぞ!」

「お断りだ!」


 なかなか威勢のいい豚だ。

 それはすなわち活きがいいということ。不健康な豚など美味しくもない。食欲をそそるその元気に、狼は喜びます。


「どっちみち俺の腹に収まるだけだというのに!」


 ふふ、と笑ってから、ならばと狼は大きく息を吸い込みます。

 その息の大きさったら、まるでこの森から一瞬空気がなくなったかのようでした。


「ふーーーーーっ!」


「うわあ!!?」


 そして宣言の通りに狼が息を吹き付けると、何の抵抗も無しに藁の家はバラバラに解けて吹き飛んでいきます。

 闇夜の暗い森の中に散らばった藁は、もうどこにあるのかわかりません。


 息を吐きかけ丸裸にした長男豚を見て、狼はクツクツと笑います。

「おお、大きな豚だ。これで俺も腹四分目ってとこかな」

 長男豚は狼にとって、今まで見たことがないほどの大きな豚でした。当然ですね、二匹は会ったことがないのですから。


「いただきまーす」


 にこにこと満悦して、狼は長男豚に襲いかかります。


 けれども。


 襲いかかり、首下に食らいつき覆い被さろうとしたその瞬間。

 狼は強い衝撃を感じました。


「ぐはっ!?」


「狼より強い豚がいないって誰が決めた!!」


 長男豚の頭突きが狼を襲います。一度目は横っ面を、そして二度目は体勢を崩されて無防備な腹を。

 さしもの狼といえどもこれではひとたまりもありません。弾かれるようにして突き飛ばされた狼は、お腹の痛みを堪えながら長男豚を睨みます。


「…………」

「やい、何とか言ったらどうだ! 相手してやるぞかかってこい!!」

「貴様……」

「それとも、明日まで待つか? 俺が一匹しかいないチャンスは今だけだ! 俺には負けるが頼れる弟がいる! 明日には一緒にお前をやっつけてやるぞ!」


 長男豚は、また前足で二度地面を掻いて、突進の構えを見せます。


 あれを食らったら危ないな。

 猪のような立派な牙があったら、負けていたかもしれません。狼はそう思うと、グルルと喉を鳴らして歯がみしました。


「…………いいだろう、明日の晩、腹の中で弟と混ぜてやる」


 それまで精々長生きしろ。

 そう長男豚に告げると、狼は身を翻して森の中へと消えていきました。





「それは大変だったね。やっぱり兄さんもやられるところだったんだ」

「馬鹿いえ! 逃げられたんだ」

 今日の寝床を求めて長男豚は次男豚の家を訪れました。

 藁の家が壊されたことは気にしていませんでした。なにせ、藁の家です。藁さえあればまた簡単に作れますし、明日のうちに作ってしまうことも十分可能でしょう。

 

 しかし、さすがは弟の家です。長男豚は中を見回して、感嘆の息を吐きました。

「俺のには負けるが、立派な家だ」

「だろう?」


 流石に兄さんのと比べればそれなりにね、と言わずに次男豚は笑います。

 変わってないな、とその笑顔に長男豚は溜息をつきました。

「俺もお前らみたいに頭が良ければな」

「兄さんにはその腕っ節があるじゃないか」

「俺にはそれしかねえんだよ」


 そっと横になり、また昔のように兄弟二人で床につきます。

 暗くなったその部屋では、まだ寝息は聞こえません。


「それしかない、なんてことはない。それだけあれば充分なんだ。だから明日も期待しているよ」

「まあ、仕方ねえよな」

 ふう、と溜息をついて、長男豚は暗闇を見つめました。

「なあ」

「うん?」

「あれでよかったのか?」

「これ以上ない成果だよ」


 だって生きて帰ってきてくれた。

 次男豚は言わずに、けれど長男豚にはその声がきちんと耳に届いていました。





 次の日の晩。

 また狼の遠吠えが森に響きました。


 次男豚の木の家。その前で、狼が唾を飛ばして叫びます。

「ここにいるのはわかっているぞ! 出てこい豚ども!!」


「出るわけがないだろバーカ」

 窓から顔を覗かせて、次男豚がからかうように言いました。


 しかし、やはり狼です。豚よりも強く、森では豚は狼に食べられる存在であるべきです。狼はそう思います。

 弱々しい豚の遠吠えなど、負け犬の遠吠えにも劣ります。


「こんな木の家など、こうしてやる!」


 笑いながら狼は木の壁にその鋭い爪を突き立てます。それからばりばりと音を立てて引き裂くと、薄い木の壁など簡単に破れました。


「それから……ふーーーーーーーーっ!!」 


 そしてだめ押しとばかりにもう一度、大きく息を吸って吹くと、木の壁も崩れて吹き飛ばされていきます。

 森の中に消えた木の壁は、もうどこにあるかわかりません。



 中にいる二匹の豚。

 一匹は昨日取り逃した憎い豚。もう一匹はその弟の、少しだけ痩せた豚。

 二匹も入れれば腹六分目にはなるでしょう。


「さあ、覚悟しろ」

「覚悟するのはお前だよ」

「……何?」


 そして一歩踏み出した狼の前足が、すっぽりと地面を踏み抜いて下に落ちます。

「うお!?」

「兄さん!」

「おうよ!!」


 弟の呼びかけに応えて、長男豚が駆け出します。

 全速力。全体重をかけて、狼の顔面へと突撃しました。


「……キャィン!!」


 全速力の頭突きが顔面に当たり、狼は悲鳴を上げて顔を顰めました。

 それと同時に、落とし穴に落とされて固定されていた前足からボキリと音がしました。


 ひひ、と次男豚が笑います。

「こんな簡単な罠に引っかかるなんて、狼も間抜けだね」


「ふざけ……」

「もういっちょう!!」


 次男豚の挑発に乗り、反論を口にしかけた狼に、また長男豚が体当たりをします。

 どすん、とまた音が響き、狼が宙を舞いました。


 ずさあ、と横たわるようにして着地した狼は、自分の口から涎ではなく血が流れていることに気がつきました。

 嫌な臭いです。自分以外の血は香り立つのに。


 そしてよろけるようにして立ち上がろうとした狼は、またそれが酷く難しいことに気がつきます。

 横っ腹、尻尾を纏うようなべとべととした感触。

 灌木の匂いに紛れていて気がつきませんでした。……これは、松脂。


「狼も上手くねずみ取りにひっかかるもんだ」


 遠くから、しかし見下ろすように口にされる次男豚の言葉に狼は腹が立ちます。

 もちろん狼は狼です。松脂程度では地面にはくっつきません。

 けれども、立ち上がるのに酷く苦労し、そして毛皮を濡らす気持ち悪さに顔を引きつらせました。


「鼠ならこの程度で動けなくなるだろうがよ」

「ふうん? なら、鼠よりは少しだけましなのかな」


 グル、とまた喉を鳴らし、狼は次男豚に飛びかかろうとします。

「まあ、鼠じゃないのはわかってるよね」

 しかし、こっちも、と続けられた次男豚の言葉に、僅かに躊躇します。

 その言葉に、だから、と続けられた気がしました。鼠ではない狼だから、と。


 それから、狼が何かの匂いに気付きました。

 ぷうんと鼻に香る匂い。

 松脂に紛れ、気がつかなかったこの甘い匂いは。


 ブン、と狼の大きな耳を掠めて何かが飛びます。



「蜂蜜は好き?」


 飛んだ何かの音。その塊が耳に入って、狼は思わずそちらを見ました。

 そこに落ちているのは、森に住む夜を飛ぶ蜂。そして今自分の身体に塗れているのは、蜜。


「グオオオオオ!?」


 ぶんぶんぶんと集まってくる蜂が数え切れない数、狼にまとわりつきます。

 全身に感じる鋭い痛み。毛皮を貫通し、肌を破り、食い込む針の先からの毒。

 ばしんばしんと腕を振り、尻尾までも動かして追い払おうとしますが、何万匹の蜂を追い払うことはなかなか出来ませんね。


 蜂の毒というものは強烈です。何匹にも刺されれば、生き物など簡単に死んでしまいます。

 狼も必死です。地面に転げ回り、どうにかして蜂を振り払おうとします。



 今だ。

 長男豚は思いました。今の無防備な狼ならば、一発食らわせればなんとかなりそうだ。

 その時を逃す長男豚ではありません。

 二度地面を蹄で掻いて、走り出します。狙うは狼の横っ腹。あばらを砕けば痛いですからね。


 しかし。


「兄さん!」


 次男豚が長男豚を呼びました。

「…………っ!」

 そして、止められるまでもなく、その足を長男豚は自ら止めていました。


 止めた原因は、狼。その視線。


 のたうち回りながらも、しかし長男豚を睨むその視線の強さは、まだ彼に力が残っている一番の証拠です。

 狼は狼です。仮に腕を折られ、蜂の毒に全身を蝕まれて、動けなくなっていたとしても。

 子豚を食らう、狼なのです。



「逃げるよ。ここでの戦果は充分だ」

「……おう」

 悔しさを顔に浮かべながら、長男豚は後退る。後ろを見れば、既に身を翻した次男豚の姿。

 追っていくように駆け出せば、後ろから唸るような、大きな声が聞こえました。


「……! 待っていろ! 明日! 明日の昼にはお前の弟ごと食らってやるからなぁ!!」


 無論豚の兄弟にはその気はありません。

 振り返らず、次男豚は答えます。


「無理だろうね」

「ああ!?」

「そのチャンスはないよ。僕たちが、どうして何の備えもなく、逃げもせずお前を待っていたと思う?」

「…………」


「今日の昼、煉瓦の家は完成したらしいよ。間に合ってよかった」


 そして自分たちも、生き残れて良かった。

 最後にちらりと振り返った次男豚の視線が、ちょうど睨むような狼と交わりました。






 家がなくなってしまった二人は、弟の煉瓦の家に頼ることになりました。

「あ、兄さんたち」


 煉瓦の家の前に立っていた三男豚は、のんびりとした調子で二人を迎え入れました。

「どうしたんですか? こんな夜更けに、随分と汚れてますよぅ」

「ああ、狼にやられた」

「えぇ!?」


 土や埃にまみれている二人は、今すぐにでも水を浴びたい気持ちでした。

「……水場はあるかな」

「こっちを使ってください!」

 そして三男豚に聞けば、水場は煉瓦の家のすぐ脇に地下を通して引いているということで、すぐに身体を綺麗に出来ました。


 中に入って息をついた長男豚は、家の中を見て目を見張ります。

 煉瓦の家の中は外に負けず豪華で、素晴らしい出来でした。

 木の床は磨かれて鏡のよう。窓には小さくとも豪華な硝子が埋め込まれています。壁際には暖炉が置かれ、そこには今日の三男豚の夕食のドングリのシチューが入った鍋が吊されていました。


「すげぇな、三男豚! こんな立派な家を建てるなんて!」

「うーん、えへへ、まぁねぇ、今日の昼にようやく建ったんですよぉ」


 長男豚の驚嘆の声に、てれてれと三男豚は顔を緩めました。

 よかった、とその仕草に長男豚もほっとして、次男豚を見ます。

 しかし、次男豚は長男豚を気にもせず、ただ黙って、周囲を見渡しました。


「……豪華すぎるな」


 ぽつりと呟きましたが、その言葉は、長男豚にも三男豚にも聞こえていませんでした。



 とりあえずは、と次男豚は暖炉の前に座ります。

「あの、兄さん?」

「うん?」

「もしかして、何か心配事ですか? 狼ならきっと大丈夫ですよぉ! この家なら、絶対!」


 心配そうに覗き込んできた三男豚でしたが、しかし次男はただ首を横に振りました。

「いや、なんでもない。ただ、ちょっと疲れたから、暖炉に当たりたいな」

「あ、じゃあすぐにまた火をつけますねぇ。シチューも残りですけど食べます?」

「いただくよ」

「俺も俺も!!」


 はいはい、と三男豚はすぐに道具箱から火掻き棒や着火用の木片を取り出して火をつけます。ぐつぐつとシチューが煮える音と、それから美味しそうな匂いが部屋の中を漂いました。


 シチューを食べながら、次男豚は思います。

(兄さんと僕の家を壊しに来たのは夜。狼は夜襲撃する……と決まったものではないけれど)

 けれど、少しばかりの考え事は、シチューと共に飲み込んで、口には出しませんでした。




 次の日の朝。

 次男豚は昨夜食べきったシチュー鍋に、ドングリから絞った油を注ぎ入れました。

 それから火を熾して、その後ようやくお腹を出して寝ている長男豚を起こします。

「兄さん、起きて」

「……ぉ……おう?」

「起きて。この火を絶やさないように見ていてくれないかな」

「おう、任せろ……けど、何のためのやつだ?」

「狼対策だよ」

「今日はもう来ないんじゃないか?」


 これだけ立派な煉瓦の家です。狼の一息も爪も牙も、きっと歯が立たないに違いありません。

 長男豚の考えですが、次男豚もそう思います。きっと、この家は壊れず、自分たちを完璧に守るでしょう。

 ですが。


「来るさ。今日は、昼だからね」

「……?」


 いつも通りよくわからないことを言う弟だ。

 そう思い、しかし長男豚は目を擦りながら火の番を代わりました。

 



 朝を過ぎ、昼下がり。

 三男豚がドングリ拾いを終えて帰ってきてから。太陽が空高く上り、森の動物たちも活気づいてきた頃です。


「フゴオォォォォォ!! 出てこい! 子ぶたども!!!!」


 煉瓦の家を揺るがすような、大きな咆哮が森に響きました。

 なんだなんだ、と森の生き物たちが遠巻きに煉瓦の家を見つめます。見えない子たちは見えるところを探して駆け回りました。


 三匹の子ぶたたちは、家の硝子窓を通して外を覗きます。

 そこには、たしかに狼がいました。松脂でべとべとに汚れたまま、薄汚れた毛を洗いもせず、怒りに顔を歪ませていました。

 

 狼はまた、大きく息を吸います。


「フウーーーーーーーーッッ!」


 吹きかけるのはいつもの息。

 まるで台風のような、それよりももっと強い風が煉瓦の家に吹き付けられました。



 しかし、煉瓦の家は微動だにしません。

 見ていた森の動物たちも、おお、とざわめきます。あの狼に、壊せない家など今まで考えられませんでしたからね。


 もう一度、と狼が息を吸って吐いても、結果は変わりません。

 微動だにせず、ただ煉瓦の家は建っています。


 舌打ちをして、狼は煉瓦の家をじろりと見回します。

 ゆっくりとその周りを巡って、煉瓦の家の穴を探しました。



「くっそ! 吹き飛ばねえ! 入れそうにねえ!!!」


 大きな声で苦々しくそう吐き捨てると、腹立ち紛れに壁を蹴りました。

 もちろんそれでもびくともしません。



 中にいた長男豚と三男豚は、ほっと息を吐きました。

 これならば、たしかに入ってこられないだろう。


 けれど、次男豚は小さなガラス戸まで開けて、外に向かって叫びます。

「扉は木だろう! 壊して入ってこれるはずじゃないかな!?」

「に、兄さん!!」


 三男豚が次男豚を呼んでその言葉を止めます。

 言葉を止められた次男豚は、それからむしろ三男豚を見て笑みを強めました。

「なに?」

「……その、挑発は駄目ですよぉ……」

 しおらしくそう答えた三男豚から視線を外して、次男豚は外に注意を向けます。

 高台から響いた次男豚の声は森の中にも響いているようで、どこかで「わあ」と悲鳴のような声も上がりました。



 三男豚も叫びます。

「ごめんなさい! 帰ってくださいぃ!! この家はとても丈夫で、狼さんにも壊せないんです!」

「…………」



 外で聞いていた狼は、冗談ではない、と思いました。

 次男豚の言うとおり、木の扉は分厚いですが壊すことは出来るでしょう。けれども、その扉の向こうに、昨夜のような罠が張っていないとも限りません。いいえ、きっとあるでしょう。扉のことを言ったのは次男豚なのですから。


 そして、冗談ではない、と思いました。

 煉瓦の家は壊せません。そして木の扉の向こうには何があるかわかりません。

 ですからこのまま帰るしかない、のですが。



「くそが!! わかったよ!! 大人しく帰るってんだ!!」


 またもう一度、「くそっ」と叫んで、狼は身を伏せました。もうそこにはいないように。中の豚たちを安心させるように。

 けれど、帰る気はありません。冗談ではありません。三男豚のことは置いておいても、昨夜長男豚と次男豚に酷い目に遭わされたのは忘れていません。末代まで覚えているでしょう。


 身を伏せたまま、じりじりと狼は煉瓦の家に近づきます。

 森の住民たちにも見つからないようこっそりと、壁を這い上がって屋根へと向かいます。



(……煙突からなら、入れる、はず)


 誰にも見られるわけにはいきません。なのでじりじりと、ゆっくりと狼は静かに煙突に足をかけました。

(暖炉に火は……入ってないな)

 そして下を確認し、昨日のシチューが入っていた鍋がそこにあるのを確認して、小さく、勢いよく飛び降りました。


 しかし、そこには。



「グアアアアアアア!?」


 狼が飛び込んだ先、シチュー鍋は煮えたぎる油で満たされていました。

 火は消してあったのでしょう。狼に見えないように、しっかりと。

 油は松脂と蜂蜜で汚れた毛皮を焼き、狼の全身に激痛を巡らせます。


 狼は激しく暴れ回り、のたうち回りますが、三男の開けた木の扉をくぐり這々の体で外へと飛び出します。


「くそが! 覚えてろよ豚ども!! この屈辱は……!」


 しかし狼は、周囲から感じる視線にそれ以上言葉を続けることが出来ず、ただひたすら唸り声を上げながら、森の奥へと逃げ帰っていきました。






 それからしばらくして、三匹の住むこの森では、大きな変化が起こりました。

 白昼堂々の狼の襲撃。それを退けた『煉瓦の家』の評判は瞬く間に森中に広がり、『狼対策の家』として話題の中心となったのです。


 豚の村では安全を求めて、皆が煉瓦の家を建てるようになりました。

 もはや三男豚の煉瓦の家も珍しいものではありません。流石に皆はそこまでドングリがないので、水場を引いたり、豪華な調度品はありませんけどね。


 狼の襲撃以来、しばらく三男豚の家を間借りしていた長男豚と次男豚も、またいよいよ自分の家を建てようか、などとも思いました。


「なあ、次男豚。俺も煉瓦の家を建てようと思うんだ!」

「……うん」


 次男豚は、隣で微笑む三男豚を見ました。満足げで、安心しているような。

 その三男豚に、試すように次男豚は言います。


「三男豚、兄さんもだけど、僕も家を建てようと思うんだ。いい業者を知らないかい?」

「自分で建てないの?」

「ものはついでというか、試しにさ」

「うーん、じゃあ、そうだね、信頼できるところを紹介するよ」

「よろしくたのまぁ」


 頼まれた三男豚は、いそいそと自分の煉瓦の家を建てた担当者を呼びました。




 現れたのは、やけに毛深く、それでいて皮が余ったようなだるだるの肌の、身なりの良い豚です。丁寧な言葉遣いで、煉瓦の家の説明をし、また建築費用の大幅な割引をしてくれるというのです。

 今後は扉は補強され、煙突にもきちんと金網が張られるそうです。


「やっぱいいなぁ。ここみたいな、ちゃんとしたやつを建ててくれよ?」

「お任せください」

 長男豚は嬉々として契約書にサインをしようとしました。


 次男豚はその様子を横目に、改めて担当者と三男豚を交互に見つめます。

 それから長男豚のペンと紙の間に手を挟み、「ああ」と声を上げました。


「……やっぱり、煉瓦の家以外も検討したいな」

「え、次男!? 何言ってんだお前!?」

「必要になったらまたお呼び立てするよ。だから今日は帰ってくれないかな」


 ねえ、と担当者に言うと、担当者は苦々しく笑い、それから三男豚を見ました。

 三男豚は少しだけ溜息をついたように次男豚を見て唇を尖らせます。



「では、失礼いたします」


 帰っていく担当者を見送り、三匹の子ぶたは並びます。大中小、と少しだけ年齢順に体格の違う三兄弟は、皆、少しだけ他の二匹と違います。


「なあ、何で急にやめたんだ?」

 長男豚は次男豚に問いかけます。

 やめる理由がわかりませんでした。狼への対策はやはり煉瓦の家がピカイチですからね。

「…………」

 三男豚は兄二人をぼんやりと見つめます。頼れる兄と、頼れすぎる兄と。


「特に深い理由はないよ」

 次男豚は答えます。長男に理由を説明する必要はありません。きっと三男にはなおさら。



 森に入っていく担当者の背中を見つめて、次男豚は笑います。


「松脂って、なかなか落ちないからね」


 担当者の背広からは、ふさふさとした尻尾がちらりと見えていました。





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