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歪められた蓋2

 段々と目の前の歪みが収まっていく。少しの吐き気と目眩のなか、目の前の景色に目を凝らす。

 赤い夕焼けが見える。その赤より赤いものがある。その赤はごうごうと音を立てて周りを取り囲んでいる。

 ──燃えている。

 家が、人が、思い出が燃えている。家は残骸と化している。人は既に生命活動を終えている。

「何……これ……」

 絞り出したはずの声は何故か空気の流れを感じないまま発せられた。耳がおかしくなったのか。声が高く聞こえる。心無しか地面が近い。

 炎に飲まれた街の中を駆ける。誰か、誰かいないのか。

 目の前がぼやけ始める。視界に手が映り、その手が目を拭うと、透明な雫が付着した。

 泣いている。今自分は泣いているのか。しかし泣いた時特有の、目頭の熱と喉の奥が締められる感覚は無い。

 なんで俺は泣いてる?何が悲しい?

 それにここ……多分知ってる場所だ。

 崩れた家の前を通り抜けようとした時、ぐちょりと足元で音がした。目線が下に下がると、今日Valenciaで見つけたドロップスの入った瓶が、無惨に割れている。割れ目から零れた飴玉が熱によって溶かされ混ざり合い、足はそれを踏んだようだった。

 己の喉から嗚咽が聞こえた。

 ──ドオォォン……。

 背後で轟音が鳴り響き、地面を激しく揺さぶった。突風が吹き荒れる。

「お父さん!お母さぁん!」

 高い声で泣き叫ぶ。

 分からない。何故この体は勝手に泣くのか。何故この体は勝手に走るのか。何故この体は勝手に叫ぶのか。

 行く宛ても無いまま轟音がした方に足を進める。もう走る気力は無いようだ。家から離れ、見通しの良い場所に出る。


 ──────竜?

 見通しの良い広間の、家が燃え、更に見やすくなった村の入口の方。見上げるほどの巨体が目の前にあった。黒い鱗を持っていた。

 そして、その竜の前に一人の少女がいた。

 白いワンピースは泥で汚れ、見慣れた白い髪は赤黒い何かがこびりついている。

 名前を呼んだように思う。しかし煙と涙でまともな言葉にならず、咳と嗚咽となって地面を転がった。

 それを聞いて振り返った彼女の頬には、血がついていた。透き通った瞳と目が合う。

 その瞬間、頭に激痛が走り、再び視界がぐらりとゆがみ始める。

 自分の膝ががくりと折れたのが分かった。視界がどんどん狭まっていく。

 待って。待ってよ。彼女がそこにいるんだ。

 想いとは裏腹に、視界は下を向き地面を見つめている。しゃくりあげる声が止まらず、視界は最早使い物にならない。耳鳴りが酷くて周りの音が分からなくなる。

 そんな視界の中で彼女がこちらに向かって来ているのが辛うじて分かった。

 手を伸ばそうとした時だった。


『────駄目だよ』


 ふわりと風が頬を撫でて、目の前に青々とした新緑の葉が一枚現れた。それは柔らかな光を放ちながら、ふわりふわりと漂っている。酷い視界の中、何故かその葉はしっかりと視認することが出来た。

『今はまだ、その時じゃない。君の奥に、大切にしまっておいて』

 誰かの声が聞こえた。知らない男の声だった。

 次の瞬間、葉が眩い光を放つ。白い閃光が体を包み込んで、音が遠ざかった。燃える家屋も、白髪の彼女も、全てを飲み込んで光は輝きを増してゆく。全てが一瞬の出来事だった。

 その記憶を最後にアザレアは再び気を失った。





「────ん……?」

 冷たい風が顔に突き刺さる。目の前の空は真っ黒だ。

「あれ……俺、寝てた……?」

 ゆっくりと体を起こす。

「何してたんだっけ……」

 街から帰ってきたら家の近くに女の子がいて、その女の子と話して、ブチ切れられてそれから……。あっ!!

「ッ!!財布!お金!ペンダントは!?」

 微睡んだ意識が覚醒し、弾かれたように自分の持ち物を確認する。鞄をひっ掴む様にして財布とその中身を確認する。その二つがあることを確認すると、今度は上着のボタンを急いで外し、中に着ていた服の胸元を掴んで空いた首元の隙間に手を突っ込んだ。

「良かった、あった……」

 そう言ってアザレアは、服の中から、銀色のペンダントを取り出した。

 銀色のペンダントには蓮の花とそこに留まった蝶の装飾が施されている。

 ペンダントを掲げるとペンダントは沈む日の微かな光を反射し、鈍く輝く。

 幼い頃にフェリチタからプレゼントされた御守りで、魔物を退ける効果があるらしく、出かける時は必ず持ち歩くように言われている。正直、効果については半信半疑だが、過去に一度だけ無くして手酷く叱られた経験があるので持ち歩いている。基本フェリチタは悟るように叱るが、フェリチタがあれほどまでに怒ったのは後にも先にもこの時だけだった。

「あの時の雷は二度と浴びたくないからな……」

 当時を思い出してブルッと身震いする。すると、

「ハッ……ハッ……ハックシュッ!」とくしゃみも出た。どうやら恐怖だけの身震いでは無かったらしい。

「いつの間にか夜だし、早く帰ろう」

 尻や背中に付いた砂を払って立ち上がる。後ろを見ても、黒髪の少女は見当たらない。

「……フィルに相談した方がいいよね……?」

 怪訝な顔をしてアザレアは目の前の丘の上の明かりの灯る我が家に向かった。




「ただいまー……」

「アザレアくん!」

 扉を開けると声が聞こえた。ダイニングテーブルの席に座っていたフェリチタが、立ち上がって玄関まで出てくる。

「すごく遅かったから心配したんだよ?もう外真っ暗なのに」

「ごめん、ちょっと色々あって……」

「大丈夫?何かあったの?」

「うん、大丈夫。心配しないで」

 怪我もしてないよ、とフェリチタを諭すと、フェリチタも少し落ち着いた様子で表情を和らげた。

「そっか……何も無いなら良かった。お腹すいたでしょ?今日ポトフだよ」

 そう言うとフェリチタはキッチンに向かい、ポトフを器に盛り始めた。

「やったね」

「ふふ、大盛りだよー」

 一旦部屋に戻って荷物と上着を片付け、手を洗って戻ってくると、テーブルの上に沢山盛り付けられたポトフが置かれていた。湯気が熱気とともにお腹の空く匂いを鼻腔に運んでくる。口の中がよだれで満たされていく。

「うっまそう!暁に感謝を!」

 雑な祈りもそこそこにポトフに食らいつく。そんな食べ盛りをフェリチタは向かいの椅子に座って微笑ましく眺めていた。

「街で何かいい物は見つかった?」

 しばらくアザレアを見守っていたフェリチタが口を開く。

「あー……まだ自分の欲しいもんが分からなくて、買ってない」

「そっか……」

 特に何気ない一言だったが、フェリチタは少しだけ眉を下げ、すぐに笑顔を見せた。

「確かに、急に色々言い過ぎたかもしれないね。わたし、アザレア君に押し付け過ぎたかも……ごめんなさい」

「ごめんなんてそんな、謝らないでよ」

 予想もしてなかった謝罪の言葉に少し動揺し、少し大きな声が出た。

 フェリチタはバツが悪そうに人差し指で自身の頬をぽりぽりと掻く。

「わたしね、君には楽しい誕生日を過ごして欲しいの、だから誕生日プレゼントは自分のペースでいいからね。ゆっくり、欲しいものを見つけて欲しいの」

「分かってるよ」

 そう言って笑ってやると、フェリチタは安心したように柔らかな笑顔を見せた。

 フィルはお人好しだ。だがそれ故にすぐに自身よりも他人を優先したりする。同情を誘って怪しい壺を売りつけられても買ってしまうじゃないかってたまに思う。そんな彼女のことは俺が誰よりも分かっていると思う。だから、俺だけは、彼女を安心させる言葉を選びたい。

 八歳の頃から育ててもらってるからね、彼女のことは大抵分かるぜ。

 なんて宛先不明のドヤ顔を心の中でする。

「ところで、今日はなんで遅くなったの?」

 フェリチタが頬杖をつきながら話しかけてくる。

「あー…………えっと、帰る途中で女の子に会ったんだ。丘の下、すぐそこの廃墟の所でさ」

 どこまで喋ればいいものか。考えながらアザレアはぽつりぽつりと先程起こった事を話す。フェリチタは静かに耳を傾けていた。

「そんなとこで何してるのって聞いたら、パパに会いに来たって言ってたんだ」

「パパ?」

 首を傾げるフェリチタに、「そう」とアザレアは頷いた。

「この村に俺たち以外に住んでる人とかいないよね?」

 フェリチタが考える仕草をする。

「森の動物達もそんな素振りはしてなかったし、森にいつの間にか住み着いたって訳でもなさそう……」

「だよなあ……」

 少女の正体が掴めず、アザレアはため息をつく。あの子は一体何の目的でここを訪れたのだろう。

「うーん……他に何か言ってなかった?どうやってここに来たとか」

「ああ、えっと……」

 フェリチタの質問に、腕を組んで一通り少女との会話を思い出してみるが、そもそもまともな会話をしたのが最初しかない。あとは一方的にまくし立てられただけだ。

「…………無いね!」

「そっか……」

「変なことしか言ってなかったしなあ、面白い頭してるとか何とか」

「面白い頭?アザレア君寝癖直さなかったの?」

 フェリチタがくすくすと笑う。

「違うよもう!」

「あははは」

 反論するとフェリチタは鈴の音を転がすように可愛らしく笑った。

「もー……」

 はぁ、とため息を着き、目線を机を向け、記憶を手繰り寄せる。

「えーっとなんだっけ『あなたの頭の中、すっごく面白いことになってるね!』だったっけな」

「どういうこと」

「え?」

 低い声に顔を上げる。

 視界に映ったフェリチタの顔から先程の笑顔の一切が消えていた。

「それ、どういう意味?」

 フェリチタがアザレアの瞳を真っ直ぐ見つめて、問いかける。

「えっ……えっ?どういう意味ってどういう……」

「答えて」

 先程の穏やかな談笑が嘘のように、フェリチタは静かに回答を待つ。鬼気迫る何かはアザレアを震え上がらせるのに十分だった。

「わ、分からない」

「分からない?どうして」

「どうしてって……」

 しどろもどろに言葉を絞り出す。視線が泳ぎ、握りしめた手が汗で滲む。怖い、フェリチタが怖い。

「あっ……ご、ごめんなさい!」

 そんな様子に気がついたフェリチタがハッとして表情を変える。

「怖がらせたかったんじゃないの、ただ心配で」

 フェリチタはアザレアの手にそっと触れながら顔色を伺う。

「……ごめんなさい」

 謝罪の言葉を言ってフェリチタは静かに俯いてしまった。

 あれだけ怖かったフェリチタが今では泣きそうな顔をしている。本当に表情豊かな人だ。

「フィル……そんな顔しないで」

 そんなフェリチタが面白くて、そして安心して、ゆっくり息が漏れた。フェリチタもアザレアが笑うのを見てほっとしたような顔をした。

「アザレアくん、アザレアくんが良ければ、その時の事、詳しく教えて欲しいの。私にとって大切なことなの」

 フェリチタはそう言って重ねた手を優しく握った。その手は慈愛に満ちている。

「…………わかった」

 ゆっくり頷いて、アザレアは少女の話を再開する。頭の中が面白いだの、見せろだの、よく分からない発言と要求、そしてそれを拒否したら、烈火のごとく怒り狂われたことを話した。

「えっ、顔を掴まれたって……大丈夫なの?怪我は?」

「いや掴まれたのは怪我なかったからいいんだよ、あ、でも腕引っ掻かれたな」

 そう言って爪痕の残る腕を見せるとフェリチタは「まあ」と言って救急箱を取りに行った。

「自分でやるよ」

「いいから、じっとして、ね?」

 フェリチタは手際よく、傷口の手当をする。消毒をし、軟膏を取りだし患部に塗り広げた。

「塗り終わったけど包帯巻く?」

「いや、量少ないしこのままでいい」

「そう、わかった」

 そう言うとフェリチタは軟膏の瓶の蓋を閉める。

「ありがとう」

 お礼を言うとフェリチタは首を振って髪を揺らした。

 フェリチタは昔からよく傷を癒してくれた。フェリチタは昔、傷の手当や薬などを与える医者のようなことをしていたらしい。幼い頃、あちこちも走り回っては怪我をして帰ってきた俺を、フェリチタはいつも笑って手当してくれた。あの温かい手を覚えている。

「ねぇ、フィル?」

「ん?」

 フェリチタが救急箱の片付けながら返事をする。

「昔医者をやってたってさ、いつ頃の事?」

「…………」

 それを聞いたフェリチタはただ何も答えず穏やかに微笑んだ。黙秘する、そういうことだ。

 ……やっぱり駄目、か。

 アザレアは何度目かの落胆を味わう。

 フェリチタは自分の過去を話さない。昔からそうだ。今までも何度か過去について聞いたが、その全てにフェリチタは微笑みを持って回答を拒否してきた。 アザレアにとってフェリチタの過去は別に絶対知りたいものでは無い。けれど。

 ……少し寂しいと思うのはわがままなのかな。

「……ごめんね」

 眉を下げたフェリチタが言う。

 謝るくらいなら聞かせてくれてもいいじゃん。




 シンクに出した食器をフェリチタが洗っている。風呂から上がったアザレアはパジャマに着替えると、「おやすみ」と吐き捨て足早に自室のドアを開けた。

「あっ、お、おやすみ──」

 バタン。

 フェリチタの慌てた挨拶はドアの向こうに遮られた。

「……おやすみ」

 少しの罪悪感から扉越しに小さく呟く。その豆粒のような罪悪感が余計に自身を掻き乱す。

 頭から布を被り、濡れた髪もそのままにアザレアはベッドに突っ伏した。

 不貞腐れているのか、疲れたのか、なんだか全てに無気力になった気分だ。

「はぁー…………」

 深く長いため息は、余計に体を鉛のようにさせた。

 フェリチタの返事を頭の中で反芻させる。彼女の顔が浮かぶ

 何故教えてくれないのか、何故いつも謝るのか。


 ごめんねという言葉は、何を思って言っているのか。

 答えの出ない問いを繰り返している。

「バカらし……」

 普段なら気にならない、答えてくれないのはいつもの事だ。しかし今日はそうではない。

「やっぱあの夢のせい……かな」

 アザレアには一つ、フェリチタに言わなかった、言えなかったことがあった。


 あの黒髪の少女に顔を掴まれて、気を失って、そして変な夢を見て。そしてその記憶はほとんど残っていなくて。

 炎の中を走る夢。他にも何か燃えてた気がするけど覚えてない。大部分が焼け落ちてしまった。けど強烈に覚えていることがある。


 ────白髪の魔女。


 頬を血をつけ、炎の中に佇む、一人の女性。毛先にかけて徐々に桃色に染まった髪を揺らし、振り返った彼女は透き通った瞳でこちらを見ていた。

「フィル…………」

 シーツごとぎゅうっと手を握りこんで、爪の下の指皮が白くなる。

 過去を教えてくれないのはなにかやましい事があるから?それともこれはただの悪い夢?答えは出ないし、出て欲しくない。

 あの夢がフィルの過去という保証はどこにもない。寝てしまえば忘れてしまう、ただ夢見が悪かったそれだけのもの。

 育ての親が血を浴びて立ち尽くしているのも、彼女の周りだけ炎の勢いが強かったのも。全部全部全部ただの悪夢。

 …………そうだよね?

「俺……なんか、怖いよ」

 どうしようもない感情を眠気が溶かしてくれるのをひたすら待っていた。

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