馴染みの店
「ここでいいよ、ありがとう」
イベルムの門の前でアザレアは馬車を降り、そう言った。
「おう、帰りは歩きか。気をつけろよ」
「うん、イレゴのじっちゃんも気をつけてね」
ばいばーいと手を振るとイレゴを乗せた馬車はゆっくりと動いて行った。イレゴはここから少し先の隣町でいつも商品を卸している。
ガラゴロと馬車の遠ざかる音が聞こえなくなるまで手を振ってから、街の門をくぐる。
所狭しと並んだ住居の白い壁がアザレアを出迎え、街の街道には人が溢れている。子供達が楽しげに笑い声を上げて走り回り、それを大人は見守りながら買い物を楽しんでいる。
イベルムはこの辺りで一番大きい街であり、別の街から来る人も多く、お店などが立ち並ぶ歓楽街としてここら辺では有名だった。自分の家からここまで来るのは骨が折れるが、ここなら欲しいものが手に入らないなんてことは無い。
「さーてと、お店は……」
賑わう大通りを進み、枝分かれした横通を曲がる。
「……ん?」
今日はやけに人が多いな……それになにか騒がしい、イベントとかあったっけ?
アザレアが小首を傾げていると、突如人混みの中から女性が飛び出してきた。
「うわっ!」
驚いて飛び退くと女性はアザレアに目もくれず、体の向きを変え、大通りに飛び出した。
「なんだよ一体……」
飛び退いた拍子に尻もちをついた姿勢のまま、女を見送る。すると女が飛び出した方向から見慣れた男が息も絶え絶えと言った様子で走ってきた。
「あ、店ちょ……」
「その子捕まえて……!泥棒だ!」
「えっ!?」
振り返ると先程の女は既に人混みの中に溶け込もうとしていた。
アザレアの目の色が変わり、全速力で女を追いかける。女もアザレアに気づき、逃げ足を加速させる。
「ッ待て!!」
人混みの中に飛び込んで万引き犯を探す。しかし相手もなかなかしぶとく、人を躱しながら奥へと逃げ込む。遂に大通りは横に伸びる街道と合流してしまい、大量の人の波に紛れてしまった。
「くそっ……どこ行った……?」
目の前の大きな街道の交差点は馬車や商人がひしめき合っている。女はこの三方向に延びる街道のどれかに逃げ込んだのだろう。しかしこの人ごみの中から見つけるのはかなり骨が折れる。
わっかんねー!こういう時は……。
「じゃあー……こっち!」
そう言って走る足の方向を変え、右の街道に走り出す。目の前の人を避けながらずんずん前に進んでいく。
「!」
人混みを抜け、視界が開けた先、目的の背中があった。
「居た!!」
「!?」
やっぱ俺の勘ってよく当たる!
女が声を聞いて振り返り目を丸くする。なおも逃走を図るが疲労して足取りがおぼついていない。
「つーかーまーえー……」
腰を落とし、ぐっと踏み込む。
「たァッ!」
気合いと共に、踏み込んだ足で地面を思い切り蹴り出し加速すると、女に飛びつく。
「きゃっ」
女は悲鳴を上げ勢いそのままに二人とも地面に倒れ込みアザレアは女を拘束した。
「嫌っ……離して!」
「大人しく盗んだものを出せ!」
ジタバタともがく女に必死に対抗していると先程の男が、これまたぜーはーと息を切らしながら走ってきた。
「店長!捕まえた!」
「ふ、二人共……はや……ひぃ」
「……大丈夫?」
「それで、どうしてこんなことしたの」
店長が女に向かって穏やかに声をかける。その手には二つのパンが握られていた。女は静かに俯いている。
「…………お腹が、空いたの」
暫くしてぽつりと女は呟いた。
「お腹が空いて、仕方なかったの。でもお金は無かった」
そう言うと今度はぼろぼろと涙を零し始めた。
「ずっと家計が苦しくて、毎日食べていくのもやっとで……でも先月、仕事クビになって、お金も無くなったし三日食べてなくて、っなんでアタシだけこんな思いしなきゃならないのって、ムカついてっ……」
よく見ると女が身にまとっている服は作業着で、あちこち泥や砂で汚れており、膝は穴も空いている。この寒空の下では凍えてしまいそうだった。
「店長、どうする?」
「うーん……」
店長が顎に手を当てて考え込む。頬を濡らす女性を見てアザレアは胸が締め付けられる思いだった。万引きは犯罪行為であり、厳罰に処罰されるべきだ。しかし、この女性を見ていると何かしら恵んであげたくなってしまう。見逃してもいいんじゃないかとさえ考えが巡る。
「いや、万引き行為は店の評判に影響するし、店と契約を結んでくれている農家の方々にも迷惑がかかる可能性がある。評判が下がれば店は立ち行かなくなり僕たちは生活が出来なくなって農家さんたちも収入を確保できず、同じように飢えを経験させてしまうかもしれない」
その思考を知ってか知らずか、そう言うと店長は女性の前にかがみ目線を合わせる。
「残念だけど、看過することは出来ない。貴女を騎士団に引き渡す」
「えっ……」
「見逃すことが、彼女の為になるとは限らない」
女性は下唇を噛み締めて下を向いた。店長は指で眼鏡のブリッジを押し上げる。
「まあ、とりあえずここだと冷えるし、騎士団を呼ぶから彼らが来るまでうちの店で待とう」
そう言うと女性に手を差し出した。
「ただいまー」
カランコロンと店のドアを開け、店長がアザレア達を招き入れる。すると店の奥からドタバタと音がして女性が飛び出してきた。
「ユル!万引きどうなった……あ!!」
「姉さん」
店長が姉さんと呼んだ女性──ユハネが店長が連れてきた女性にビシッと指を指す。
「よくもやってくれたわね!?」
「姉さん、落ち着いて」
「ユルが捕まえたの?ってあら?アザレア君?」
「こんにちは」
「彼が捕まえてくれたんだ」
「えっ!?」
店長──ユルがそっとアザレアの肩に手を置く。
「あらあそうだったの!? ありがとうねえ!」
ユハネにぎゅっと手を握られて少しドキッとする。
「騎士団の人が来るまでここで待たせようと思って」
「は!?」
ユハネが大きな声を上げる。
「それでまた盗まれて逃げられたらどうするの!」
「すごく反省してるんだ」
「そんなのわかんないじゃない!」
アザレアを挟んでユルとユハネが口論を始める。
「貴方はもう少し怒りなさい!万引きなんて許されちゃ駄目なの!他人に甘くして痛い目見るのは貴方よ!」
「甘くしてるつもりなんて無いよ、でも落ち着かなければ話もできない」
「こういうのは警戒するに越したことはないの!」
「ふ、二人とも落ち着いて……」
「……あの」
ふと今まで沈黙を貫いていた女性が口を開く。
「警戒されるのは、仕方ないです。しちゃいけないことしちゃったんだし……」
そう言うと女性は両手首を差し出した。
「あれだったら、拘束してもらって大丈夫です。足も。アタシ、抵抗しないので……」
「…………」
「…………」
女性の発言に二人は押し黙る。
「はあ……拘束なんてしないわよ。……とりあえず再犯防止も兼ねて奥の部屋で話を聞くから、ちょっとおいでなさい」
毒気が抜かれたユハネは呆れたような声でため息をついたあと、少し声色を和らげた。女性が頷き、ユハネも頷くと、ユハネが女性を店の奥に女性の移動を促す。
「私はこの子の相手するから、ユルは店番してて」
そう言うと女性の手を引いて奥の部屋に入り、扉を閉めた。
「さて、アザレア君。僕はこれから騎士様を呼んでくるけど……その前に」
扉が閉まるのを見届けたユルがアザレアに向き直る。
「あの道を歩いてたって事はうちの店に用があったんだよね」
「ああ、ええと、蝋燭を買いに来たんだけど」
「蝋燭ね、いつものランタン用でいいかな?」
そう言うとユルは戸棚から六個まとめて包装された蝋燭を持ってきた。
「ありがとう、お会計を……ん?」
財布を取り出そうとした時、ふと、すぐ側の陳列棚に置いてあるかごの中身に目を引かれた。かごの中には手のひらに収まるくらいの瓶がいくつか入っていた。中には光の球体が閉じ込められている
「これは……?」
支払いを忘れてしげしげとそれを見つめていると、ユルが嬉しそうに口を開く。
「それね!魔術瓶って言うんだ!凄く高価で希少で、何とかここにある分だけだけど手に入れてね!魔税を払わないといけないのはちょっと手痛いけど……それでも十分収益は見込めるはず。最先端の物はどんどん仕入れていかないとね」
得意げにユルは腕組みをした。
「魔術?」
「そう、魔術。知らない?」
「知らない……」
首を振るとユルは、少し考えて分かりやすいように説明を始めた。
「えーっと、君もよく知っている魔法、あれば魔法使いや魔女みたいな、生まれつき魔法を使える人しか使えないよね。あとは魔物、つまり魔法生物や魔法植物。魔術は近代の人類化学の最先端で、なんと魔法が使えない人も魔法が使えるようになるんだ」
アザレアは目をこれ以上無いくらいに丸くする。
「魔法!?魔法が使えるの!?」
「そうだよー、凄いよね。分かりやすく言うと、天然物が魔法、人工物が魔術って感じ」
「へえ……こんなものが……」
「十年くらい前に発明されてから、世間は大騒ぎだったんだけど……覚えてない?」
「うーん……覚えてない……」
「当時アザレア君六歳ぐらいになるし、仕方ないかもね」
はい、とユルに小さめの紙袋を渡される。中には蝋燭とアロマオイルの瓶が二つほど入っていた。
「俺これ頼んでないけど」
「ご贔屓さんへのおまけ」
と、ユルは人差し指を口に当てた。
「えっと、じゃあ蝋燭分のお金だけでいい?」
「いや、それも要らない」
「え!?いやちょっとそれは流石に……」
慌てて袋を返そうとすると押し戻される。
「いいの!今日は万引きだって捕まえてもらったし、遠慮せず貰って?」
「でも……」
「じゃあその代わり!今後ともご贔屓に、ね?」
そう言ってユルは片目をつぶってみせたあと、照れくさそうに笑った。
「そこまで言うなら……」
「うん、貰っちゃって」
ありがとうございます、と頭を下げてお礼を言う。
「さて、結構話し込んじゃったしそろそろ騎士様を呼びに行かないとね」
「あ、ごめん」
「いいよいいよ、お客さんを放置するわけにはいかないしね。ただ人が居なくなるから、一旦店を閉めないといけない」
ユルが店の入口にかかっている『OPEN』の木板をひっくり返しに行く。
アザレアも店を出ようとして、ふと先程見た魔術瓶が目につく。
普通の人でも魔法が使えるようになる……。どんな仕組みなんだろう。しげしげと瓶を見つめる。
「アザレア君、店番してくれるのかな?」
いたずらっ子ぽくユルが声をかけ、ハッとしたアザレアは慌てて入口に向かった。