呪い_続き
「行ってきまーす」
家の中に声をかけて扉を閉める。フェリチタは片付け中だ。前を向いて足を踏み出そうとした時、肌を刺す冷たい、しかし爽やかな風が髪を撫でた。
「うーん、いい天気だ!」
思い切り伸びをして前を見据える。今居る小高い丘から麓を見下ろせば、無数の廃墟と化した住居が見える。少し遠くに目をやれば巨大な恐らく竜の頭蓋骨が横たわっている。村を見つめる目玉があったであろう空洞は向こう側の森を映していた。
町外れの廃墟の並ぶこの村は人どころか魔物すら滅多に出くわさない非常に穏やかな田舎であった。だがそれ故に近くに買い物や食料を調達できる場所がなく、何か必要になれば最寄りの栄えた村や町まで出向かなければならない。不便だったがそれも含めてこの場所の魅力だとアザレアは感じていた。
殆ど崩れ、辛うじて原型を留めている村の役割をはたさない門を潜り村を出発し、細い獣道になりかけている道を進む。
「今日は馬車通るかなあ」
呑気に鼻歌を歌いながら暫く道沿いに住十分程歩くと少し広めの街道に合流する。ここまで来ればこの道を行き来する人々を少ないながらも確認することが出来る。
西に続く道を歩みを進めていると後ろからガラガラとなにかか近づいてきた。
「おーい!小僧!」
振り返ると麦わら帽子を被り、顔にシワを刻んだ痩せた老人が荷馬車の上から手を振っていた。
「イレゴのじっちゃん!」
アザレアが引き返してイレゴの元まで駆け寄るとイレゴは目元の皺を更に増やしてアザレアを歓迎した。
「小僧随分と久しぶりじゃないか、乗ってけ」
「助かるぜじっちゃん!」
お礼を言って荷台に飛び乗る。沢山の荷物の中で座れそうなスペースを見つけてそこに座ると荷馬車は再びゆっくりと動き始めた。
「一ヶ月ぶりぐらいか、元気にしとったか」
イレゴは手に手網を握り、振り返らずに尋ねる。木製の車輪がガタガタと馬車を揺らし、臀部に鈍痛を伝えた。
「元気だよ、じっちゃんこそ元気?最近特に寒いし」
「なあに、作業してれば寒くなんざないさ。それにこいつらは寒ければ寒いほど美味くなる」
そう言うとイレゴは荷台に積んである箱に目を向ける。箱の中にはじゃがいもや人参などの野菜が大量に積まれていた。土の匂いがする。ガタゴトと馬車が進む。
「坊主、いつも通りイベルムまででいいか?」
「うん」
「今日は何を買うんだ?」
「ランタンの蝋燭と……その、俺の誕生日プレゼント…」
羞恥心で顔が赤くなる中、目的を告げるとイレゴは目を丸くした後、豪快に笑い飛ばした。
「ハッハッハ!坊主!誕生日か!」
「う…笑うなよ恥ずかしい…」
「可愛げがあるじゃないか」
イレゴが振り返りアザレアの方をバンバンと叩く。骨ばった細い手が痛い。あんまり強く叩くので片側の肩が叩かれる事に下がる。
「イデデイテ痛い痛い」
「で、何歳になったんだ?」
イレゴは姿勢を戻しながら尋ねる。
「…17歳、って言ってもまだ3ヶ月くらい先だけど」
「なんだ、まだじゃねえか」
「フィルが煩いんだよー」
荷台と運転席を隔てる板の上に顎を乗せて、アザレアは文句を言う。
「恥ずかしいし要らないって言ってるのにさー、聞いてくれないんだもん」
溜息を着くとイレゴは「思春期だな坊主」と笑った後、おもむろに口を開く。
「大人になれば、祝ってくれる者なぞおらん…」
その穏やかな声色で、幼子に諭すように言う。
「小僧、今のうちだぞ。今のうちに目一杯愛されとけ」
突如として神妙な声色になったイレゴに思わずアザレアは顔を上げる。イレゴは依然として前を向いたままだった。
「…それって説教?」
「いいやぁ、年配者からのありがたーいお言葉じゃよ」
イレゴはそう言うと、歯抜け声でふぉふぉふぉと穏やかに笑う。
「自分の親なんてなあ、いつ居なくなるかわからんからな」
「!」
そう言われてアザレアはようやくイレゴが起こしている勘違いに気が付いた。
そういえばフィルのこと全然話してなかったなー…母親だと勘違いしてるんだ…。
元よりフェリチタはあまり自分のことを口外しない。アザレア自身も必要以上のことは話していなかった。イレゴが知っているのは同じ家に住んでいる女性と言うことくらいだろう。きっと魔女ということは知らないだろう。
「あはは、そうだね…」
これ以上喋って墓穴を掘る訳にも行かないので、適当な相槌を打って流す。
しんみりとした雰囲気に包まれてしまった馬車は暫くガタゴトと体を強めに揺さぶりながら進む。その空気に耐えかねたか、イレゴが口を開く。
「誕生日と言えばなんだが…こっちも色々あってな」
「え、何なに?」
「実はな…」
話を聞こうと前のめりになったアザレアにイレゴはそっと耳打ちをする。
「二週間ほど前か…孫が生まれたんじゃ」
「えっ!!」
耳から伝わった情報が脳に行き着いた瞬間、衝撃的な告白に弾かれたようにイレゴの顔を見る。
自慢げに笑うイレゴにアザレアは目を爛々と輝かせる。
「赤ちゃん産まれたの!?イレゴのじっちゃんマジでじっちゃんになったの!?」
「ああ、ああ、そうだとも」
喜びを噛み締める様に、アザレアの様子を眺めてイレゴは首を縦に振る。アザレアは興奮しっぱなしで矢継ぎ早に質問する。
「男の子!?女の子!?」
「男だ、元気いっぱいでな」
「いつ産まれたの!?」
「二週間…とかだったかの」
「今病院!?もう退院した!?」
「落ち着け坊主、落ちるぞ」
──ガッタンッ!!
「うわっ!」
突如馬車が大きく揺れ、アザレアは危うく舌を噛みそうになる。身を乗り出して下をのぞき込むと車輪は土の道ではなく舗装された石畳の道に乗っていた。顔を上げると少々遠方ではあるが目的地のイベルムの街が見えてきていた。
ほれみろとでも言うようにイレゴがほくそ笑んでいる。
「意地の悪い…」
「何を。わしは何も悪くない」
「教えてくれても良かったんじゃないのー?」
「最近耳が遠くてのー」
「あっずるい」
顔を見合せて2人はくすくすと笑う。和やかな空気に包まれた馬車は談笑を紡ぎながら先程より近くなった街の門をめざしてガタゴトと歩みを進めた。