呪い
──ごめんね。
こんなことしか出来ないわたしを、恨んでもいいから。
それでもあなたには生きて欲しいの。
この魔法を貴方の為に。
これはあなたを生かす鎖で、全てを隠す呪い。
いつか鎖が解ける日が来る。
その時はあなたをすごく苦しめてしまうと思う。
その時はそばにいるから、わたしが君を守るから。
だから、どうか今だけは。
「──誰?」
自身の問いかけで目が覚める。何かを求めて伸ばした手のひらは天井を向いていた。
「……」
ぼすっと力を失った片手が体の横に落ちる。しばらく沈黙したあと、顔を傾けて窓の外を見る。カーテンの隙間から覗く朝日が鼻から顎までを照らしていた。太陽の傾き方からしていつもより長く寝ていたようだ。カーテンの影に隠れ光から逃れた瞳を壁に向け、ぼんやりと脳を回す。
今の夢一体なんだったのか。呪いだとか言っていたような……。
なんでだろう。顔も、男なのか、女なのかも分からない人だけど。
「泣かないで…」
そんな気がして仕方なかった。
「……起きよ」
これ以上考えても恐らく答えは出ない。そう思い俺は朝日とのキスを止めた。
「おはようアザレア君」
部屋のドアを開けリビングに出るとそう声をかけられた。
「おはようフィル」
「今日はお寝坊さんだね?もうすぐご飯できるよ」
長い白髪を揺らして少女──フェリチタは微笑んだ。
「ごめんね、ちょっと横にずれて貰えるかな」
そう言われて体を一歩横に移動させると、アザレアの後ろの鉢植えからハーブが数本、ふわふわと浮かび上がりフェリチタの元に飛んでいく。
フェリチタは魔女と呼ばれる存在だ。アザレアは八歳の頃、助手として迎え入れられ、そこからこの家に二人で暮らしている。
「うん、出来た」
そう言ってフェリチタはくるりとアザレアの方を向く。
「わたしがお皿に盛り付けるから、運んでくれる?」
「勿論」
アザレアはそう言って既に盛り付けられてあるサラダの皿を持ち上げる。
「こういうのは魔法でやらないの?」
アザレアはふと疑問をフェリチタに投げかける。
「出来ることは出来るだけ魔法じゃなくて自分でやりたいの」
「え、でもさっきハーブ取る時魔法使ったじゃん」
「それは…手が離せなかったから」
フィルの目が泳いでいる、嘘をついている。単に面倒臭がったなこの人。
アザレアがそんなことを考えていることには気づかず上手くごまかせていると思っている彼女は最後のスープを器に盛り付け机に運んだ。
机に並んだ皿からは暖かく湯気と食欲をそそる香りが立ち並ぶ。
「じゃあ食べよっか」
「うん」
それぞれ着席し、並んだ料理を前に手を組む。
「暁に感謝を」
そう目を瞑り祈りを捧げ、食事にありつく。木彫りの器に盛られた豆のスープが空腹に染み渡った。
「そういえばさーぁ」
変に間延びした声でフェリチタが話し始める。
「アザレア君、もうすぐ誕生日だねえ」
「ああ…そういえばそうだね」
「何か欲しいものある?」
「無いよそんなの」
豆のスープにバゲットを浸し、かぶりつきながらぶっきらぼうに答える。フェリチタは頬をふくらませた。
「もう、去年も同じこと言ったよ?本当に無いの?」
「無いって、俺はこの生活が続けばジューブンなの」
「でも…」
尚もフェリチタは不満そうな声を出す。フェリチタはしばらくの間腕を組み、うーんと眉間に皺を寄せて唸る。
「……スープ冷めるよ?」
「そうだ!」
フェリチタが唐突にパチンッ!と手を叩く。
「わっ!何!びっくりした!」
「いいことを思いついたの!」
あのね、と言ってフェリチタは立ち上がり簡素な木製のキャビネットの上に二つ並ぶランタンを一つ取って戻ってくる。ほら見て、とフェリチタはダイニングテーブルの真ん中にそれを置く。
「この前ねランタンに使う蝋燭が切れちゃったの、それで今日アザレア君に買い出しを頼もうと思ってたんだ」
フェリチタがランタンのそこを指さす。蝋燭を置くための場所には小さな白い塊が縁にこびり付くほどしかなかった。
「ほんとだ、無くなってる」
「予備の分も買ってきて欲しくて」
「うんいいよ」
二つ返事で了承する。買い出しなど手馴れたものだ。
「それで思いついたんだけど、予備の分の兼ねて多めにお金を渡すからさ、街のお店を色々見てきたら?」
「えっ?」
予想外の提案にアザレアは素っ頓狂な声を出す。
「お店でなにか見つけて気に入ったのならそのまま買って良いよ」
「え、いや…」
「それとも後日一緒に買いに行くほうがいい?」
「いやそれは大丈夫!!」
フェリチタはアザレアの戸惑いなどお構いなく続ける。
「アザレア君あんまり寄り道とかしないし、お使いも必要なものを買ったらすぐ帰ってくるでしょ?私はね、アザレア君にもっと色んなものを見てほしいの」
ただでさえ街に買い出しに出るのは時間がかかるのに…
「寄り道なんてしてたら帰りが遅くなるよ」
「アザレア君はいつも早すぎるんだよ。ランタンを持って行けば暗くなっても安心でしょ?買ったやつ使ってもいいから、ね?」
フェリチタは少し意地悪っぽくアザレアに微笑みかける。
「寄り道をして自分の誕生日プレゼントを見つけること、これを今日は宿題にします!」
困ったな…特に欲しいもの自体無いのに…
しかしフェリチタがしっかりものを言いつけるのは珍しいことで、それほど彼女にとって大切なことなのだろう。これはある種の彼女なりの我儘なのかもしれない。
「わかったよ…」
アザレアは眉を下げて困った顔をして笑った。これもある意味親孝行かもしれない。
それを聞いたフェリチタは花のような笑みを浮かべて満足そうに頷いた。
「そうと決まれば、朝ごはん早く食べちゃおう。スープが冷めちゃう」
そう言って再び席について食事を再開した彼女はバゲットを小さな口で口いっぱいに、しかし半分ほど頬張った。