第九話 生贄に捧げられた聖女(?)の前に現れた者は、神でも化け物でもなく――
この村には古くからのしきたりで、毎年少女が一人、神に捧げられることになっている。
それはつまり人身御供――生きた人間を生贄とする忌まわしき儀式だ。
選定された少女は聖女として育てられ、14歳になる年の冬に海辺の岩戸に縛り付けられる。
そう、丁度今の私のように……
「寒い……」
今私が纏っているのは、生贄用に誂えられた薄い白装束のみ。
とてもではないが、冬の海の寒さを凌げるような代物ではなかった。
このままでは、神に捧げられる前に凍え死んでしまうかもしれない。
そうなった場合、果たして生贄としての役割を遂げられるのだろうか……
「……まあ、別に生贄の役割を遂げられなかったとしても、全然かまわないけど」
私はあんな村、いっそのこと滅んでしまえばいいとさえ思っている。
少なくとも、生贄まで用意して存続させる価値なんて、絶対にないハズだ。
ただせめて、村人達が妄執する神とやらの姿だけは拝んでおきたい。
そしてそれがもし、意思疎通のできる存在なのであれば、一つだけ確認したいことがあった。
「イルマお姉ちゃんは、どんな心境でここに繋がれていたのかな……」
一年前、私の最愛の姉であるイルマお姉ちゃんが生贄となった。
イルマお姉ちゃんは、生贄の聖女として幼い頃から育てられたこともあってか、別れの日も悲痛な顔は一切見せなかったけど、私との別れだけは惜しんでくれていたと思う。
何故ならば、他者と接することを禁じられ、両親からの愛情も注がれなかったイルマお姉ちゃんにとって、私だけが唯一のまともな話し相手だったからだ。
もしそれが未練となったのであれば少し申し訳なく思うけど、今の私と同じように心細さを埋める存在になれていたのであれば、幸いと言ってもいいかもしれない。
「イルマ、お姉ちゃん……」
意識を保つため意識的に独り言を呟いていたが、寒さでそれも辛くなってきた。
でも、ここで気を失えば死んでしまう可能性もあるため、私は唇の端を犬歯で噛み潰す。
「痛い……」
けれども、痛みのお陰で朦朧とした意識が少しだけ覚醒する。
もしまた意識を失いかけたら今度は逆の唇の端、それでも足りなければ舌を噛んででも意識を保つつもりだ。
でも、私は痛みに耐える訓練など受けていないので、そうなる前にできるだけ早く神とやらには姿を現して欲しい。
◇
ここに繋がれてから、どれくらいの時間が経っただろうか……
二度目の日の入りまでは覚えているので、少なくとも二日は経過しているハズだ。
自信がないのは、私が既に何度も気を失っているからで、今が何度目の夜か自信がないからである。
意識を取り戻すたび、自分がまだ生きていることを不思議に思う。
噛み潰した唇も気づけば傷が塞がっているので、私は思いのほか生命力が高いのかもしれない。
でも、それももう限界が近い。
「イ……、ん……」
最後の力を振り絞ってイルマお姉ちゃんと声に出そうとするが、喉と口内がカサカサに乾いているせいで掠れた音しか出ない。
海が近くとも、潮風では喉を潤してはくれないようであった。
私の中の、今までこの命を繋いでいた何かが尽きたことを感じる。
もう私には何も残されていない。
次に意識を失えば、私は間違いなく死んでしまうだろう。
結局、神は現れなかった。
本来とは異なる日に生贄として捧げられたがゆえに、神は降臨しなかったのかもしれない。
或いは……、やはり神などいなかったのか。
もしそうだとしたら、私も、イルマお姉ちゃんも、何のために――
「っ! 間に合ったか!」
意識が失われる寸前で、前方から声が聞こえてきた。
もう顔を上げる力も無いので確認できないが、うっすらと明かりが洞穴内を照らしているのがわかる。
もしかしたら、神が現れたのかもしれない。
「酷い状態だな……。これでよく死なずに耐え抜いたものだ」
神と思しき存在は、私を鎖から解き放ってから、何か温かい布のようなもので包んでくる。
そして次に、温かく苦みのある液体を口に流し込んでくる。
「……飲み込む体力も残されていないか。仕方ない、緊急事態なので悪く思うなよ」
そう言って今度は、唇に何か柔らかいものを押し当てられ、さっきと同じ液体が喉奥まで流し込まれる。
「んっ……」
液体が喉を通った瞬間、その温かさが全身に広まるような感覚を覚える。
停止していた全身の機能が再稼働し、私の命を繋いでいた何かが満たされていく。
これは、一体……
「成程、そういうことか……。しかし何故? ……ふむ、実に興味深い」
神と思しき者が何か呟いているが、理解が追いつかない。
「あ……」
「喋れるか?」
「は、はい」
「そうか。しかし、まずはここを離れよう。見つかりでもしたら面倒なのでな」
そう言って、神と思しき者は私を抱えて洞穴の外に出る。
月明かりに照らされ、初めて見えたその顔は大人の男性に見えた。
「寒くないか?」
「はい、むしろ暖かくて……っ!?」
そう言って気づいたが、神と思しき者は上半身が裸だった。
そして、自分を包み込んでいるのが上着だということに気づく。
「これ、上着……、寒くないのですか?」
「寒い」
「っ! 服、着てください!」
もしかしたら、神は裸でも寒くないのかもしれないと思ったけど、そんなことはなかったようだ。
「いや、寒いは寒いが、鍛えているので何も問題はない。それより、着心地はどうかね? 少し加齢臭がするかもしれないが、これは最上位のエンチャントが刻まれた年中着れるアーティファクトなのだよ。とても暖かいだろう?」
「は、はい……、凄く、温かいです……」
「ならば良かった」
神と思しき者はそう言って薄っすらと笑みを浮かべる。
その表情が凄く魅力的で、私は場違いにも少しドキドキしてしまった。
一瞬惚けてしまった私だが、すぐに頭を振って正気に戻る。
相手は意思疎通のできる相手のようだし、一番大事なことを聞かなければならない。
「あの、アナタは、神様ですか?」
「いや、違う。私は神などではない」
◇
「海賊、ですか……?」
「そうだ」
男は私にゼアン・セキタクス――海賊団の船長だと名乗ったが、正直にわかには信じがたかった。
あの場に現れたこともそうだし、何よりさっき見せられた光景が神秘的過ぎて頭から離れないからである。
「でもさっき、アナタは空中を歩きましたよね?」
ゼアンはさっき、私を抱えたまま空中を歩いてみせた。
普通の人間にそんなことをできるハズがない。
それに、空を自在に歩ける人間が、わざわざ海賊などをするとは思えなかった。
「海賊でも空くらい歩くさ……と言いたいところだが、その秘密はこの靴にある」
ゼアンはそう言って自分の履く美しい装飾の靴を叩いた。
「この靴は『天翔ける乙女』というアーティファクトだ。性能はさっき見てもらったとおりで、空中を歩くことができる。時間制限はあるがね」
アーティファクト……
そういえば、さっき私が着せられた上着もアーティファクトと言っていた。
アーティファクトとは、一体何だろう?
「ふむ、その顔はどうやらアーティファクトという言葉自体知らない様子だな。まあいい、とにかく私は、こういったアーティファクトや、都市伝説といった神秘を回収するのを生業とした海賊とでも思ってくれ」
説明はしてくれなかったが、実際体験しているので凄い物だということはわかる。
でも、そんな人が何故あんなところに……?
「それより確認させてくれ。あの村の儀式は本来12月の満月に行われるハズだ。何故こんな時期に行われた?」
「それは……」
確かに生贄の儀式は、12月の満月に行われるよう決められている。
しかし、今年は不慮の事故で本来の聖女が亡くなったため、急遽私が代わりを務めることになったのだ。
「成程。しかし、そういったケースでは国から聖女を買って代用していたハズだ。聖女として育てられていない者を代役にするとは思えないが……」
「っ!? どうして、それを……」
それは決し村の外に漏らしてはいけない禁忌だったハズ。
何故……
「言っただろう、それが私の生業だからだ。それで、理由は?」
本来はそんな一言で済まされるようなことではないのだが、規格外のこの男だからこそ、妙な説得力がある。
「それは、私が名乗り出たからです。……イルマお姉ちゃんがどうなったのか、どうしても知りたくて」
私は自分とお姉ちゃんの関係、そして目的を全て語った。
「成程。そういうことであれば、君が回復魔術の効果を発現していたことにも納得がいく」
「……? 回復魔術? 私、そんなもの使えませんが」
「いいや使っていたさ。厳密には魔術として成立してはいないが、君は無意識で自分に対して回復魔術の効果を発動していた。だからこそ、君は生き残れたのだよ。正に、愛の成せる業だ」
ゼアンは満足そうに笑みを浮かべているが、私には何が何だかわからない。
「クックッ……、本来あの村の作り出した聖女は回復魔術を発現しない。何故ならば、愛を知らないからだ。しかし、君達二人は違った。実に素晴らしい。こういう話は大好物だよ」
「っ!?」
私は聞き逃さなかった。
ゼアンは今確かに、「君達二人」と言った。
まさか……
「そして、私にとってはネタバラシこそが最高の娯楽。今から君に、真実を聞かせよう」
◇
「イルマお姉ちゃーん!」
「っ!? 嘘……、まさか、ネリネなの……!?」
村の伝説は、迷信に過ぎなかった。
10年ほど前、伝説を解き明かしにきたゼアンは岩戸の近くで一匹の海魔を討伐した。
どうやらそれが神の正体だったようなのだが、ゼアン曰くただのモンスターだったらしい。
以来ゼアンは、毎年儀式の日に生贄を助け出していたそうだ。
何故わざわざそんな面倒なことを? と思ったが、真実を伝えれば家族を犠牲にした親族が暴動を起こす可能性があるため、機を見ているとのことである。
「……本当に良かったのか?」
「はい。私の目的は、イルマお姉ちゃんがどうなったか知りたかっただけなので、無事が確認できたのであればそれでいいんです。それに、定期的ここには戻ってくるんですよね?」
イルマお姉ちゃんは、セキタクス海賊団の本拠地で医者の見習いとして働いているらしい。
村にいた頃よりも表情豊かになっていたし、もう私がそばにいなくても大丈夫だろう。
「まあ、そうだが……、しかし……」
「煮え切らないですね。責任、取ってくれるって言ったじゃないですか」
「う、うむ……」
乙女の唇を奪った責任――、そんなのは建前だったが、この際最大限に利用させてもらうつもりだ。
きっとこの人なら、私の好奇心を常に満たしてくれると思うから……
「末永く、よろしくお願いしますね? 旦那様♪」