第六話 真理の魔眼
ウラヌス卿の言葉が頭の中で反芻されるが、感情がそれを否定しようとする。
……信じたくなかった。
しかし、今のこの状況は、信じたくなくとも認めるしかないようにも思える。
(逃げる?)
無理だ。
ここは馬車の中で、今はかなりの速度が出ている。
もし飛び出せば、最悪死ぬかもしれない。
即死さえしなければ治せる可能性もあるけど、私にはそんな度胸もなければ覚悟もない。
私の震える肩を、ウラヌス卿が抱いてくる。
「ひっ」
恐怖で勝手に声が漏れる。
腕を振り払いたいのに、手が震えて思い通りに動かない。
「貴族が聖女を買う理由は様々だが、必ず一つ、共通の目的が存在する。……それは何だと思う?」
先程まで優し気に聞こえていたウラヌス卿の声が、今はとても冷酷なものに思える。
「わ、わかりま、せん……」
恐怖で頭が回らず、ウラヌス卿の問いに答える余裕などなかった。
しかし、何も声を出さないと重圧に圧し潰されそうになるので、なんとか必死に声を絞り出す。
「……当てずっぽうでもいいから何か答えを期待したが、今の君には難しかったようだね」
そう言ってウラヌス卿は私の肩から手を下ろし、今度は腰を抱いてくる。
「まあ、今の問いかけは最初から正解を期待していたワケではないよ。恐らく普通の女性では、思いついても口に出すのは憚られる内容だからね」
ウラヌス卿の顔が、私の耳元に近づいてくる。
「貴族が聖女を買う目的、それは、聖女の純潔を奪うことにある」
「っ!?」
純潔を……、奪う……?
「ま、待ってください! それは本末転倒です! 聖女を買ったのに、何故純潔を……? それでは、意味が――」
聖女は純潔でなければ、聖女たる資格を失う。
それでは、聖女を買う意味などないハズだ。
「実は貴族の間では、昔からとある迷信が伝わっている。それは、「聖女の純潔を奪った者は、富と名声を得る」というものだ」
「っ!? め、迷信って、そんなことのために……?」
「迷信は迷信だ。科学的にも魔術的にも根拠のない信仰さ。ただ、それを望むものが多ければ、好意的に解釈されてしまうものなのだよ」
それは、信じていなくとも、望むものがいるということ……?
「女性からは理解を得にくいと思うが、関係する女性が処女であることを望む男はかなり多い。それも、純潔の象徴たる聖女を汚せるとなれば――その背徳感からくる興奮は格別なものとなるだろう。言ってしまえば、君たち聖女は禁断の果実というワケだ」
『綺麗なものほど、汚したくなるという人間は多い』
昔、イジメられていた私に対し、ヴィオラさんが言った言葉だ。
あのときは、私が綺麗だなんてありえないと返したけど、今ウラヌス卿が言った内容はそれに通ずるものがあった。
「そんな……」
「くだらないことだと思うだろう? だが、事実だからこそ、こんな風習が今も残っている。皮肉なことだが、こうして君を手に入れられたのも、その風習のお陰と言えるね」
そう言ってウラヌス卿は、私の胸元に手を伸ばす。
いよいよ私も汚される――と思いきや、ウラヌス卿は私のおさげを掴み、優しく指でなぞる。
「綺麗な髪だ。自分で手入れをしているのかい?」
「え? あ、はい、そうですが……」
服や化粧はどうにもならないけど、髪の毛や肌を清潔に保つのは聖水でできるので怠らないようにしている。
このやり方はヴィオラさんに教えてもらったもので、一本おさげの髪型もヴィオラさんに一番似合うと言われたお気に入りだ。
「脅かすような真似をしてすまなかった。君には危機感を持ってもらいたかったので、少々荒療治をさせてもらったよ」
「え? え?」
状況に頭が追いついていない。
「安心してくれ。私にシトリンさんを汚す意思はないよ。もしそんな意思があれば、もっと早い段階で君を襲っていただろうさ」
そんなことを笑顔で言われても困るのだけど、その澄んだ紫色の瞳は何故か嘘を言っているようには思えない。
「私の目が気になるかい?」
「えっ!? い、いえ、その……」
「フフ……、私がこの紫色の瞳を発現しているときはね、見ている対象の本質を見抜くことができるんだ。そしてその代償として、この瞳を発現しているときは嘘がつけない」
「っ!? 魔眼、ですか……」
「その通り。よく知っているね」
聖女学校で習ったことがある。
この世には、魔眼と呼ばれる特殊な目を持った存在がいると。
私たちが純潔であることも、魔眼を持つ人が確認したのだそうだ。
「授業で、習ったので」
「であれば、納得はしてくれるかな?」
「それは、はい……」
私には事実の確認をしようがないので、納得するしかないとも言える。
「……私を脅かしたって、じゃあ、さっきまでの話は――」
「あれは事実だよ。君を見ているとき、私は常に魔眼を発現していただろう?」
「…………」
ずっと見ていたワケじゃないけど、確かにウラヌス卿の瞳は常に紫色だった気がする。
だとすると、さっきまでの話は本当に、本当のことということで……
「うっ……」
足元が崩れ落ちるような消失感とともに、軽い吐き気がこみ上げてくる。
「今まで信じていたものが偽りだったと知れば、君が傷つくことはわかっていた。それでも、君には知る義務があると思ったんだ」
「……? それは、どういう……?」
「君を負の螺旋から救い出した人はただ君の幸せを願っていたようだが、私の考えは違う。一方的な善意は、ときに大きな誤解を生むことに繋がるからだ。何も知らずにいるより、知ったうえで善意を受け止める方が正しい在り方だと思わないかい?」
ウラヌス卿の言いたいことは、わかる気がする。
理由のない善意より、理由のある善意の方が安心できるからだ。
ただ、今はそれより気になることがあった。
「私を救ってくれたのは、ウラヌス卿――、ですよね? でも、今の言い方だと、他にいるように聞こえたような……」
「間違っていないよ。シトリンさん、君を本当に救ったのは私じゃない。君を救ったのは、君のよく知る人物だよ」
私の、よく知る人物……?
……わからない。
でも、心当たりがあるとすれば、それは――
「君の学友、ヴィオラ・マーキュリー。今はプルートーの姓になっているが、彼女こそが君を救うよう手配した張本人だよ」