第二十二話 お転婆令嬢は誰かに攫ってもらいたい②
それからは毎日、イブリーシュと会って色々なことを話すのが私の習慣となった。
イブリーシュの話は私にとって全てが新鮮で、外で遊ぶこと以上の刺激を与えてくれる。
時には先生にも教わらないようなカッコイイ魔法を教えてくれることもあり、私は充実した毎日を過ごしていた。
「お嬢さんは毎日ここにいらっしゃいますが、つまらなくはないのですか?」
「全然! イブリーシュのお話は楽しいもの!」
「楽しい、ですか……。どれもこれも昔話に過ぎないというのに、お嬢さんはやはり変わり者ですね」
「よく言われるわ!」
屋敷では家族からはおろか、陰で使用人にまで悪口を言われているのは知っている。
お転婆だの鬼子だの好き放題言われているが、私自身もそれは認めているので別に気にしてはいない。
「外で遊ぶのも楽しいけど、ここは涼しいから好き!」
「ああ、今は夏ですからね。あまり外で遊ぶと倒れてしまうかもしれません。気を付けてくださいね」
「わかってるわ!」
夏場は太陽の光や水分補給には気を付けるよう、父様達に散々言われている。
だから私は真っ先に水魔法と風魔法を学び、暑さ対策をしっかりとしていた。
「でも、こうも毎日いなくなると、流石にみんなも怪しんでいるっぽいのよね」
「そうでしょうね。ということは、お嬢さんもそろそろここに来れなくなりますか」
「そんなの嫌よ!」
そんなのは絶対に嫌だ。
ここに来れなくては、私はどこに癒しを求めればいいのか。
「貴族の作法も、習い事も、私は大嫌い! いつまでもイブリーシュとお話していたいわ!」
「そう言っていただけると、私としても嬉しいですよ」
イブリーシュは笑顔を浮かべながら、私の頭を撫でてくれる。
子ども扱いされているようでムッとなるが、不思議と嫌な気分ではなかった。
「……ねぇ、イブリーシュ、イブリーシュは凄い魔法が使えるんでしょ?」
「ええ、まあそれなりには」
「だったら、私を遠くまで連れ去ってくれない?」
「それは……、一体どうして?」
「私、このままだと、好きでもない男の人に嫁ぐことになるの」
私はヴァレンシュタイン伯爵家の次女だ。
貴族の令嬢として生まれた以上、政略結婚の道具に使われるのが運命。
そんなことは重々承知している。
しかし、嫌なものは嫌なのである。
だからもし、誰かが私を連れ去ってくれたら――という願望は昔から持っていた。
それは、普通なら夢見がちな少女の妄想に過ぎなかっただろう。
しかし、今私の目の前には、それを現実にしてくれそうな存在がいる。
「政略結婚、というヤツですか。今も昔も変わりませんね」
「やっぱり、昔からこういう風習はあったの?」
「それはもちろん。しかし、だとしたらお嬢さんがいなくなっては問題があるのでは?」
「それは……、多分。でも! ヴァラン様だって私のことを嫌っているハズだわ! だってあの人、私と目を合わせてくれたことすらないもの!」
私が変わり者のお転婆娘だという噂は、既に貴族の間では有名な話だ。
夜会を抜け出し中庭で遊びまわっていたのが原因だが、結果としてどの夜会でも出禁扱いとなったので良かったと思っている。
しかし、そんな私でも利用価値はあるらしく、オーランド侯爵家のヴァラン様はヴァレンシュタイン伯爵家の次女である私に婚姻を申し出てきた。
恐らく、魔道の名門であるヴァレンシュタイン家との繋がりに目を付けたのだろう。
当然ながら両親は、家の厄介者である私を体よく放り出せるため、迷うことなくそれを快諾。
話はとんとん拍子に進み、5年後に嫁ぐことが確定してしまった。
「ふむ……、では相手側も、お嬢さんのことを愛しているワケではないと」
「そうよ」
「であれば、お嬢さんをお救いしたいところですが、何分私は封印されている身ですからねぇ……」
「でも、イブリーシュならこんな封印、自力で解けるんじゃないの?」
「それは難しいです。誰かの協力があれば、話は別ですが」
「じゃあ、私が協力するわ!」
私は飛びつくようにイブリーシュの手を握る。
イブリーシュは困ったような笑みを浮かべ、私の手を握り返した。
「いいんですか? これは悪魔との契約になりますよ?」
「構わないわ! 私を救ってくれるなら!」
「しかし、好きでもない男に攫われるという意味では、私もヴァラン様とやらと変わりありませんが……」
「そんなことないわ! だって私、イブリーシュのこと好きだもの!」
出会ってまだひと月ほどだが、私はイブリーシュに好意を抱いていた。
一緒にいて楽しいと感じる――、好きになる理由なんて、それで十分だ。
「ふむ、そうですか……」
イブリーシュは、握られている手とは逆の手で顎に触れ、目をつぶる。
そして10秒ほどしてから目を開き、優しく笑みを浮かべる。
「わかりました。どうやら、私もお嬢さんのことを好ましく思っているようですし、契約を結びましょう」
「契約って、どうすればいいの?」
「そうですね。何かお嬢さんの大切なモノはありますか?」
「大切なモノ……、このペンダントとかは?」
いつも胸に下げているペンダント。
これはまだ、母様が私に愛想を尽かしていない頃にくれたペンダントだ。
今となっては、これだけが親から貰った唯一のプレゼントとなっている。
「それで構いませんよ。では、失礼して」
そう言ってイブリーシュは、私の胸からペンダントを引き寄せ、口づけをする。
突然の行動に私は一瞬何するのと叫びそうになったが、真剣そうなイブリーシュの顔を見て言葉を飲み込んだ。
凄い量の魔力がペンダントに流れ込んでいるのがわかる。
きっと、私には想像もできないような複雑な術式が込められているのだろう。
それを理解した途端、私は本当に悪魔と契約したのだと実感した。
――5年後
イブリーシュとはあの日以降も何度か会うことができたが、程なくしてそれも終わりを告げた。
私の行動を怪しんだ使用人達の捜索により、壁の抜け穴が発見され、封鎖されてしまったのである。
無理矢理こじ開けることも考えたが、流石は魔道の名門たるヴァレンシュタイン家の使用人……
魔法による堅牢な封印がされ、私の力では破ることはかなわなかった。
イブリーシュのいない鬱屈な日々を過ごし、ついには5年が経過した。
私の歳は14歳となり、今夜はそのパーティが開かれることになっている。
誰も祝う気がないのにパーティをするなんてくだらないと思うが、それでも貴族としてはやらなければいけないのだろう。
「エバ、今日はヴァラン殿もいらっしゃるのです。くれぐれも粗相のないように」
「はい、お母さま」
年齢を重ねることで表面を取り繕うことができるようになった私は、薄っぺらな笑顔でそう返す。
母様は私の返事に満足そうに頷くと、部屋を出ていった。
それを確認した私は、両手を広げてだらしなくベッドにダイブする。
(あと、もう少しの辛抱だ……)
誕生パーティが始まり、集まった貴族達が表面上の挨拶を交わしている。
主賓である私には当然多くの貴族が声をかけてきたが、どいつもこいつも「見違えるようになった」とばかり言う。
私は何も変わっていないのに、表面を取り繕うだけでこれなのだから、本当に誰も何も見えていない。
そんな中、唯一私の本質を見抜いていたのが、皮肉にもこの男だった。
「エバ・ヴァレンシュタイン! 今日この時をもって、君との婚約を破棄させてもらう!」
ヴァラン・オーランド。
婚約者であるこの男が、私を指さし高らかにそう宣言する。
「ヴァラン殿、一体何を!?」
傍らに控えていた母様が血相を変えて反応する。
「私は知っている! ここ数年、彼女の素行が良くなったと噂されていはいたが、実際は何も変わっていないということを!」
そう言ってヴァラン様は、手に持った紙束を突きつけてくる。
そこには、私がここ数年で行っていた魔法実験や冒険者の真似事などの詳細な記録が書かれていた。
「これは……!」
母様もそれを覗き込み、驚愕の表情を隠せない。
「将来私の妻となる女のことだ。悪いが密偵を使って調べさせてもらったぞ」
ここに書かれていることは、どれもこれもヴァレンシュタイン家が内々に処理した案件である。
外には伝わらないように箝口令が出ていたハズだが……人の口に戸は立てられぬというヤツなのだろう。
「そうですか。残念――、いえ、もう取り繕うのはやめましょう……。ヴァラン様、婚約を破棄してくれて、ありがとうございます!!!!!」
「……へ?」
私が大声でお礼を言うと、ヴァラン様は間抜けな顔で固まってしまった。
「いや~、イブリーシュとの契約には、良好な関係を続けるのが不可能だと思った場合っていう条件があったんですけど、その必要すらなかったですね。始まる前から終わっていました」
私はそう言いながら、今日もひっそりと付けていたペンダントを胸元から取り出す。
そして迷わず口づけをした。
「契約」
その瞬間、凄まじい魔力がペンダントより解き放たれる。
契約の代償となり粉々になった魔石のペンダントが周囲に散らばり、床に紋様が浮かぶ。
禍々しくも美しい紋様は妖しく輝き、私以外の人間から魔力を吸い取っていく。
「こ、これは、一体……! エバ! お前、何をやった!」
父様は膝を付きはしたものの、それでも意識をはっきりと保っている。
流石はヴァレンシュタイン家の当主と言ったところか。
よく見れば、母様や妹達もうっすらと意識は残っていそうだ。
「ごめんなさい、父様、母様……。私、悪魔と契約してしまったの」
一定量の魔力を吸い取ったのか、紋様の輝きが増す。
その瞬間、膨大な魔力が屋敷の外へ放たれ、大量のグラスが割れるような音がした。
「……まさか、こんなに早く契約が履行されるとは思いませんでしたよ」
それから数秒経って、私の影から黒衣の男が姿を現した。
短く切り揃えられた黒髪に、紅い瞳、彫刻のように整った容姿、そして執事服のような恰好をした男――イブリーシュ。
「お久しぶりですね、お嬢さん。少し見ぬ間に、大変成長されたようだ……」
「アナタは変わっていないわね、イブリーシュ」
私は変わった。
あの頃はイブリーシュの胸元にすら届かなかった背も、今では頭一つ分くらいの差しかない。
胸も成長したし、髪も伸ばした。顔も少し大人びたと思う。
……もう、子供扱いはさせない。
「イ、イブリーシュ、だと……。貴様は、まさか……」
「貴方の想像通りだ、現ヴァレンシュタイン家当主よ。なるほど、面影がある。200年間、脈々と血が引き継がれてきたわけだ」
「何が……、何が目的だ!」
「目的は、このお嬢さんを頂きに来ただけですよ」
そう言ってイブリーシュは、私をいわゆる”お姫様抱っこ”で抱きかかえる。
「信じられないかもしれないが、私には本当にそれ以外の目的などないのだ。これ以上、ヴァレンシュタイン家にもこの国にも関わる気はない。それでは――っと、お嬢さん、何か言い残すことはありますか?」
「そうね……。父様、母様、私をここまで育てていただいたこと、本当に感謝いたします。一度は見放された身ですが、愛を感じたこともなかったワケではありませんでした。それは本当に嬉しかった。ですが……、やはり私は、変わり者の鬼子だったようです。鬼子は鬼子らしく、これからは悪魔とともに生きていこうと思います。……では、さようなら」
私が別れを告げると、イブリーシュはふわりと浮き上がり、二階の窓に足をかける。
下から「待て!」と声が聞こえるが、もう振り返る気はなかった。
夜空に飛び立ち、青い月が瞳に映り込む。
こんなに美しい夜空は、初めて見たかもしれない。
「お嬢さん、今夜は気温が高いようです。暑くはありませんか?」
「いいえ、イブリーシュがひんやりしているし、夜風もあるから涼しいわ」
「それは良かった。……ところで、これからどこに向かいましょうか?」
「そうね……」
青い月に照らされた紅い瞳が、怪しく輝く。
その瞳を見ていたら、私は本当に、悪魔に攫われたのだなと実感した。
この胸のドキドキは、恋なのか、それとも別の感情なのか、今の私にはわからない。
ただ、この悪魔と一緒であれば、きっとこの先、どこに行こうとも退屈することはないだろう。
だから――
「アナタと一緒なら、どこへでも行くわ」




