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今日は4月1日

エイプリルフールウソネタに疲れた人へ贈るエイプリルフールネタショートショート

今日はエイプリルフール。していいのは午前中だけで午後にネタ晴らしをしなくてはいけないだ そんなことはなく一日中していいだ 実は二日あるだ などといろいろな説はあるが、まるっとまとめて簡単にウソをついていい日である。そんな性質を生かし、少し前まではTwitterなどのSNSやソーシャルゲーム上で企業や一インフルエンサーらが工夫を凝らしたウソ企画で一日限りの祭りを開催し、インターネット上で話題をかっさらう日であった。しかし、インターネットでウケたネタというものは広く人と繋がるWWW(ワールドワイドウェブ)の性質上、多くの短絡的な人間の目に留まり廃れやすい。エイプリルフールも例外ではなく、昨今の病気や引退などをネタにしたフェイクニュースじみたウソによる炎上や同性婚という性的マイノリティをネタにしたことによる炎上などで陳腐化し、エイプリルフールネタを止める企業や冷笑する個人が増えつつある。

 

 本日4月1日というのはそんなエイプリルフールの日であり、この文章を読んでる皆さんは私が1つ超絶抱腹絶倒ウソをかまして笑わせてくることを期待しているであろう。しかし、炎上リスクを考えウソで笑いをとることは遠慮させていただく。代わりと言っては何だが、4月1日にまつわる別の話をさせていただく。今日4月1日というのは「エイプリルフール]とは別に「同級生のうちもっとも幼い者の誕生日」という別の側面も持ち合わせている。ご存じのない読者もいるであろうから、一度書かせていただくと、日本において同級生というものは「4月2日生まれから翌年の4月1日生まれの同じ年の児童」を指す。なぜこのようになっているのか、それは……学校教育に関する法律と年齢の計算に関する法律が、突然発見されインターネットをほどほどに騒がすものの実際はそこまででもないカードゲームのコンボカード並みに変なシナジーを生んだ結果なのだが、ここでそのことに関して得々と語ると文章が冗長になってしまい、時間に追われタイムパフォーマンスを重視しがちな現代の読者から嫌われてしまうのでやめておく。もし"この文章を読んだ後"気が向いたのなら、今こちらの文章を読むために利用している端末などで「4月1日生まれ 学年」などと調べてみて、各人の蘊蓄会話手札にでも加えておいてほしい。

 

 さて、「4月1日は昨年度の学年になる~!」などと普通の人には縁が無い豆知識を披露したところで、そんな豆知識をひけらかすまでに至った私の境遇について語ろう。私は三十九年前の今日、この世に生を受けた。勘のいい読者ならばもうお気づきであろう。そうである、私は「一番幼い同級生」として小学校に入学し、中学高校と過ごしたのだ。一番辛かったのは小学生の頃であった。小学校における早生まれはハンディであるということは有名であるが、例にも漏れず4月1日超早生まれの私も大きなハンディを背負っていた。考えてもみてほしい。4月2日と翌年4月1日、その差はほぼ1年である。このほぼ1年の差は幼少期の子どもには大きく、私は身体的にも精神的にも周りの子から大きく劣っていた。かけっこをすればビリっけつ、テストをすれば間違いだらけ、負け続けの小学校生活は私の自己肯定感を大きく削っていったのである。次に辛かったのは中学時代。私は周りの子に比べて大変発育が遅れており、体育の時間前の着替えではいつも周りと体を比べていたたまれない気持ちになったものだ。……まあ発育の遅さは早生まれではなく体質が主な原因であったようだが、と私は自分の今の体を眺めながら思う。そんな生活を過ごしていた私は、当然4月1日生まれがなぜ上の学年になるのかと疑問を持ち、インターネットを使って先ほど述べた豆知識を見つけるまでに至ったのであった。日本の法律のバカヤロー!

 

 そんな感じで「一番幼い同級生」として辛酸を舐めてきた私であったが、三十代後半に慣れつつある最近、4月1日生まれの思わぬ利点を見つけたのだ。それを今日も味わいに来た。


「最近、老眼になってきたみたいで、小さい文字が見えないの……」

「ずーっと腰が痛いの、もう年かしら?」

「歯周病になっちゃって……」


 そんな周りの愚痴じみた報告に一通り耳を傾け、私は元気よく応える。


「そうなの、大変ねぇ。私はまだそういうのないわ~~~!」


 私は今、高校時代の同級生と私の誕生会を兼ねた飲み会をしている。居酒屋の狭いテーブルの上にはケーキなどのかわいらしいお祝い食事はなく、酒のツマミにピッタリな料理がいくつか並んでいる。年のせいか並んでいる食事のほとんどが脂っこいものではなくさっぱりした物であるが、一部私が頼んだ唐揚げなどの脂っこいものが存在する。それらは、刺身などのさっぱりした物に比べて減りが遅く残っているようにうかがえる。最近の私はそんなテーブルと老いを嘆く同級生を見るのが好きだ。そう、「一番幼い同級生」であった私は「一番若い同級生」になったのだ。まさにコペルニクス的転回である。かつての一年の発育差は今では一年の老化差になっており、私はかつての同級生と出会うたびに優越感を得られるようになった。同級生が細かい文字を読むのに困っていたら代わりに読んであげ、物を運ぶときはより重い物を持ち、硬い食べ物があったら代わりに嚙んであげ……これは冗談である。ともかく、私は1年分の若さを武器にして今を楽しく生きている。


「ほんと羨ましいわ~」

「来年はあなたもなるから覚悟しなさい!」

「ちゃんと噛めるうちに、食事を楽しんでおくのよ」


 周りからの羨望のまなざしが熱い。見ているか劣等感ばかりだった昔の私よ。学生の頃の発育差なんて今となってはもはや関係無い。超早生まれというのも悪くないものである。学生時代は運動勉強発育の差に大いに苦しんでいたが、今は人生百年時代である。発育の差を絶望する時間よりこの一年の若さを味わう時間の方が圧倒的に長い。……「体感時間だと20歳で人生の半分が終わる」という実験結果があった気がするな。ええい知らない。私は今を生きている。体感的にはつかの間であろうが、今の若さというものを大いに楽しみたいものだ。

 

 しかし、来年にはいよいよ四十代、本当は目のかすみや疲れの取れなさなどの老いを感じる瞬間が最近出てきた。だがそれでも私は若いとウソをつく。だって今日はエイプリルフールである。ちょっとの優越感に浸るためのウソぐらいだったらまあいいだろう。そんなことを考えながら私はお皿に残っていた唐揚げを1つ口に放り込んだ。その唐揚げは完全に冷めてしまい、肉のジューシーさをかけらも感じられないただの油の塊であったが、その油を若い私は必死に楽しんだ。

初投稿です。

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Nolaノベル、カクヨムにも投稿しております。

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