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廃妃の呪いと死の婚姻3-2

随分と遅い時間の投稿になってしまいました。

廃妃の呪いと死の婚姻3-2


ノクターンにも秘密を共有し、調査に協力してもらうというアリアの案は直ぐに実行に移された。

 ジェネヴィエーヴとアリアから打ち明け話をされたノクターンは、戸惑いつつも話を受け入れ調査の仲間入りをすることを承諾し、調査が行き詰まっていることを知った彼は、翌日、幾つかの案を披露してみせたのだった。

 ノクターンの提案とはクレメンティーン及びクリスティーンの周辺を調べ直すことだった。一見関係ないと思われることが、実は有力な手掛かりになるのではないかと彼は主張した。

「例えばどんなことを?」

 アリアの質問にノクターンは少し考えると口を開いた。

「そうだな、彼らの生きていた時代はあまりにも古すぎて、残されている記録も少ない。裏を返せば残っているものは残すべきと判断されたものということだろう」

 ノクターンはそういうと、ジェネヴィエーヴを見て、彼女が説明のために用意した人物相関図から一人の人物を指し示した。

「彼女については調べてみましたか?」

 ジェネヴィエーヴとアリアが首を横に振った。

「この人物がクレメンティーンの処刑と姉妹の実家であるオルティス公爵家の没落に直接関わっているのですよね?彼女はどこの家門の出でどんな人物だったのか、彼女のものであれば少なからぬ記録が残されているでしょう」

 ノクターンが指し示したのは、側妃マルガリータだった。

「勿論正史が必ずしも正しいとは限りません。正史は勝者の歴史ですから。ですが、勝ち残った者たちが翻れば後世にどのように自らを見せたいと考えていたのかが分かります。自らの残酷で醜悪な姿をあえて残そうとは思わないものです。彼女はどのような人物でしたか?」

 じっとノクターンの言葉に耳を傾けていたジェネヴィエーヴは

「わからないわ。彼女はクレメンティーンの敵だけれど、彼女はどのように評価されているのかしら」

「敵を知ることは重要なことですよ。特にクレメンティーンのように陥れられた場合には。どうして王妃だった彼女が廃されなければならなかったのか、それによってどのように歴史が変化していったのか」

「廃された理由は明確よ。マルガリータにとって自分の息子を国王に据えるためには王妃であるクレメンティーンが邪魔だったの。だから、クレメンティーンが王子を産まないように手を回していたし、オルティス公爵家を追い詰めたのよ」

 アリアが答えると、ノクターンは頷いた。

「そうだね。そこまでわかっていてなんでマルガリータの家名を調べなかったの?」

「だって、関係性は明確なんだから、それ以上必要ある?」

「勿論、クレメンティーンについての手掛かりがいくつもあるなら必要ないかもね。でも、今はそんなことを言ってる場合じゃないだろう?どんな小さな手掛かりでもいいから欲しいという状況なんじゃないの?」

「そのとおりだわ。考えてみればクレメンティーンの時代も彼女の身に着けていたドレスの型から同定したのだし手掛かりはどこに隠れているかわからないもの。息子の王子が次代の国王として即位しているのだから、マルガリータについての情報を得ることは難しくないと思うわ。歴代の国王とその母妃についての記載は歴史書に記されているもの」

「ですが、それだけではジェネヴィエーヴ様のお知りになりたい情報は得られないかもしれません。ですので、もう一つの方法も試してみましょう」

「もう一つの方法?」

 首をかしげるジェネヴィエーヴにノクターンは頷いた。

「先程も申し上げた通り、時代が古すぎてクレメンティーンに直接つながる記録を見つけ出すことはそうそうできないでしょう。ですから、同時代の記録から手掛かりを探ってみるんです」

「つまり?」

 アリアが次の言葉を急かす。

「ナイトリー侯爵家の記録です。貴族の家では家門ごとに慣例や儀式儀礼について細かく残されているものです。特にナイトリー侯爵家の様な古くからある名家ではそういった類の記録は保存されているものなのではないでしょうか」

「残っているかしら?」

「駄目で元々ですよ。ジェネヴィエーヴ様から侯爵閣下に頼んでみてください。そうですね、たった一人の後継者として家門の歴史や、領地経営、家政について学びたいとでも説明すればよろしいでしょう」

 閣下はジェネヴィエーヴ様に甘いですから、関心を持ってくれたことに感激なさってすぐにお許しくださると思いますよ。そう言ってノクターンはにっこりと笑った。


「本当に許してくださったわ」

 ナイトリー侯爵はジェネヴィエーヴが後学のために、古い記録を調べたいといったことに、涙を流すようなことはなかったものの、随分感じ入った様子で快諾し、入退室の記録を付け、退出時は必ず鍵を返却することを条件に、資料庫の鍵を渡してくれた。

「よろしかったですね」

 にっこり笑うアリアとノクターンに、ジェネヴィエーヴは薄い笑いを返した。大昔の他人の評価よりも、ナイトリー侯爵邸における自身の評価が気になるところである。

「どうましょうか、マルガリータと記録班で二手に分かれて探しますか?資料の性質上、ジェネヴィエーヴ様には記録班に言っていただくほかありませんけれど」

「そうね、効率を考えればそれがいいのでしょうけれど、私一人でこれを読み解ける自信がないわ。正直こういった文書は初めてだし、古い文書もあるでしょう」

 不安気なジェネヴィエーヴが指摘した文書とは、ナイトリー侯爵家の収支報告書と冠婚葬祭の記録だった。まずは最も古い記録を見てみたいといったジェネヴィエーヴの希望を汲み取った家令があらかじめ用意してくれたものだった。それらが残存している文書のうち、現在のジェネヴィエーヴの目に入れても問題ないと判断された記録だった。

 これらを資料庫から持ち出すことは禁止されていたから、全ての確認作業はこの資料庫の中で完結せねばならなかった。また、これらの文書の見方に付いてざっと家令から享受されていたものの、いかんせん初めて目にする文書であり、ジェネヴィエーヴは眉をしかめた。

「そうですね、保管庫に入りっぱなしになりますから、ジェネヴィエーヴ様とノクターンの二人きりで何時間も過ごすことは許されないでしょうね。二手に分かれるとすると自然と私がジェネヴィエーヴ様とご一緒させていただくことになりますが、正直、私もこれらを読み解くとなると自信がありません」

 ぺらりと表紙をめくったアリアが苦笑を浮かべた。

「それを言うなら僕だってこう言った類の資料を見ることは初めてですよ。では、決まりですね。めぼしのつけやすいマルガリータの調査をさっと片付けて、3人で保管庫の資料を調べましょう」

 ノクターンの提案に、ジェネヴィエーヴとアリアは首肯し、早速三人で保管庫を併設する図書館へと向かったのであった。


 ナイトリー侯爵家の図書館はちょっと他の家門では見られないほどの威容を誇っていた。元々、少なからぬ蔵書を有していたところに、数代前の当主が蒐集癖のある方だったため、その代でぐっと蔵書数が伸びた。手狭になった図書室は拡張され、スペースが生まれた分だけ蔵書も増えていった。その後の当主たちも立派な先祖と図書館に恥じぬよう、蔵書を増やしていったから今では多くの家門の中でも有数の蔵書家といって間違いなかった。

 それらの多岐にわたる分野の膨大な蔵書の管理のために侯爵家では少なくない人数の司書達が雇われていた。それぞれ専門分野があり強いこだわりを持つ者たちで、文献の編成大系に係る技術・運営・思想といったような観点から他の司書と喧々諤々の議論を交わしながら日々図書館学の発展と向上に努めていた。

「ジェネヴィエーヴお嬢様この度は王国史について学ばれたいとか。もしよろしければもう少し具体的にお話くださいますと、私といたしましてもお手伝いができるのでございますが」

 好々爺然とした司書の一人から慇懃に尋ねられたジェネヴィエーヴは、今から150年から200年前の王室の事柄について、特に妃となった方々について調べたいのだと伝えた。

「ふむふむ、お嬢様は第3王子殿下とご婚約されていらっしゃいますからの。御関心を抱くのも当然と言ったところでしょうか。ほっほっほ。お任せくださいませ、ちょうど御用に適うによい文献がこちらにございます。いえいえ、おかけになってお待ちください。若いもの達に運ばせましょう」

 そういうが早いか、老司書は若い司書たちに手早く指示を出すと、司書たちは本の海へと消えていった。

「図書館とは人を誘い込む迷宮の様でしてな、一度足を踏み入れたが最後、私の様なおいぼれでも彼方の書籍こちらの書籍と目移りして気付けば半日が経過していたなんてこともザラなのですよ」

 老司書の上機嫌の話に耳を傾けている内に、早若い司書たちがいくつもの書籍を大きなテーブルに積み上げていった。

「おお、用意が整ったようですな。それでは、何か御用がございましたらお気軽にお尋ねくださいませ。読み終わったらこちらで片づけますゆえ、一声お声を掛けて頂ければ幸いに存じます」

 そうして司書たちがそれぞれの仕事に戻って行くと、ジェネヴィエーヴ達は早速クレメンティーンの政敵であった側妃マルガリータについて調べることにしたのであった。

 予想していた通りマルガリータについての記録はすぐに見つけることができた。当時としては遅い18歳で後宮に上がったマルガリータは、翌年王女を産み、1度の死産を経て22歳の時に王子を産んでいた。その王子こそが、後に国王として即位する男子である。正史では一貫して彼女のことを后と記していたが、実際に彼女が「后」の称号を得たのは夫の死後、彼女の息子が即位した後のことだった。当時の国王は複数名の側室との間に何人もの子供を儲けていたが、母親の身分からしてマルガリータの産んだ第一王子こそが王太子として最も有力視された存在であったのだろう。しかし、次代の国王の母に目されていながらマルガリータは第一王子が即位するまで、何の称号も与えられず側妃どまりだった。これの意味するところは何だろうか。

国王の生前、后の地位にいたのはオルティス公爵家の長女で、王太子時代からの伴侶であったクレメンティーンその人だった。彼女所生の王子や王女は一人として記載されていなかったが、クリスティーンの日記を読んだジェネヴィエーヴ達は、クレメンティーンが幾度も妊娠と流産、死産を繰り返していたことを知っていた。彼女たちはクレメンティーンと国王を繋ぐ線に誰も記されていないことがどうしようもなく切く感じた。無機質な文字の配列からは王妃クレメンティーンに対する国王の感情の所在を知ることはできなかった。彼女が夫を愛していたように、国王が彼女を想っていたのか知る由もなかった。ただ一つ確かなことは国王と並び得た者は、廃妃となったクレメンティーンの他誰一人としていなかったということだった。

「マルガリータは伯爵家の出身だったようですね。彼女の家門はマルガリータ所生の王子が即位した後、侯爵位を賜っています。陞爵の理由は先の国王暗殺に端を発する大逆事件の鎮圧と謀反人たちの処罰に多大な功績をおさめたこととなっています。その2代後には直系の息子が生まれなかったため、王子を娘婿として迎えたとありますね。それに伴って王族男子の当主たる家門が侯爵では相応しくないという理由で、数年後には公爵にまで陞っています。マルガリータはさながら家門隆盛の礎を築いたグレート・マザーですね。はは、みてください王家と家門の系図を。各代に必ず一人は、娘が王族に嫁いでいる。もしくは、王女や王孫が降嫁しています。これほど複雑に絡みつき王家に深く食らいついている家門はそうありません。権力への執念を感じますね」

 ノクターンが片頬をあげて笑った。

「ねえ、その家門って」

 不快気に眉根を寄せたアリアがノクターンの手元をのぞき込んだ。

「アクランド――毒の公爵だよ。そして、侯爵閣下の後妻グローリア・アクランドの実家。閣下に没落させられたが」

 ノクターンが吐き捨てるように言った。ナイトリー侯爵家ではグローリア・アクランドの名は禁句であった。幼いジェネヴィエーヴに対する虐待が判明した一連の騒動の後、ナイトリー侯爵は使用人の総入れ替えを命じたため、当時を知る者はナイトリー侯爵を始めとした一握りの人間のみであったが、幼いジェネヴィエーヴに対する非道な行いは、ナイトリー侯爵家に仕える者であれば誰もが承知しており、ジェネヴィエーヴに近いものであればあるほどアクランド家に対する嫌悪は深く激しかった。当のジェネヴィエーヴはというと、何故かほとんどその記憶が抜け落ちていた。彼女は原作を思い出したことで、知識として「ジェネヴィエーヴ」の過去を知っていたが、幼少時の特にクレメンティーンの呪いを受ける前後の記憶は曖昧模糊としていた。

「まさか・・・。だって令夫人であるクリスティーン様の実家の敵に当たる家門よ?そんな人を後妻に迎えるなんて」

 気色ばむアリアに、ノクターンは侯爵家の系図を指示した。

「仇だからだよ。記録を読む限りアクランド家の権力はそれはすさまじいものだったと思う。みてごらん、4代続けて皇后を輩出している。どれほど邪悪な家門でも強大な権力を有していればそれが正義なんだ。特に逆臣の汚名を着せられたオルティス公爵家の血を引くナイトリー侯爵家としてはどうにかしてアクランドから勘気をこうむらないようにと必死だっただろうね。クレメンティーンの孫の代ではアクランドから妻を迎えている。この女性は直ぐに亡くなったみたいだけど、それ以降も、当主の弟とアクランドの傍系の令嬢が婚姻を結んでいるしね。貴族なんてそんなものさ」

 ノクターンの言葉を黙って聞いていたジェネヴィエーヴは王家の系図を指さした。

「でも今の国王陛下と先代の国王陛下はアクランドから王妃を迎えていないわ。それに先々代の国王陛下の母君は確か辺境伯の御息女だったはずよ。・・・ああ、そういうことなのね。血で固めてきた権力は同じ血によって溶解したのだわ」

 納得した風なジェネヴィエーヴにアリアが首をかしげた。

「つまりこういうことだよ。王家もアクランド公爵家も血が濃すぎたんだ。さっき言った4代の王妃達は夫となった国王にとっては、叔母や姪、従姉妹なんだ。当時は母親の腹違いの妹を妻に迎えるなんて言うこともざらにあったんだよ、今は認められてないけれどね。血が濃ければ濃いほど、その分弊害も少なくない。血筋に根差す遺伝病が発現する確率がぐっと高くなるし、子どもが生まれても育たないなんてことも多くなる。見てごらんよ、時代が下るにつれてアクランドの王妃達が産んだ子供の数に比べて、無事に育った子供の数が圧倒的に少ないことが分かるだろう?とうとう先々代の国王陛下に至っては、アクランド家の女所生の王子はゼロになっている。アリアも王国史を学んだだろう。先々代の国王は旧弊を改め、必要だとお考えになったことは、先例がないと批判を受けようとも覆さず、改革を断行された方だった。それは後宮の人事にもいえたのだろうね。ご自身はアクランド家から王妃を迎えていらっしゃるが、この方との間には王女が一人だけだし、側室との間にお生まれになった王太子殿下には別の家門から王妃を迎えている。アクランド家以外の令嬢が王妃になったのは実に百数十年ぶりのことだったんだよ」

 ジェネヴィエーヴは頷いて、彼の言葉を継いだ。

「今、国政で重きをなしているのは先々代の国王陛下に忠誠を誓い、改革に尽力した家柄の貴族ばかりよ。我がナイトリー侯爵家もその一つ。昔のようにアクランドの女性が王妃になっていれば、いくらお父様でも後妻のグローリア・アクランドを追い出して、アクランド家の不正を指弾することはできなかったでしょうね」

「では、今アクランド家の人たちはどうしているんでしょうか?」

 アリアがグローリアに近い家族たちをぐるりと指でなぞると、

「何人かは亡命したって話だけど、今でも国内で零落した身を嘆きながら、没収されなかった遺産を齧りつつ生きながらえている者たちもいるらしいけど、詳しいことは分らないな。この前『毒の公爵』って本が刊行されたって話しただろう?人気のピカレスクロマンの続編なんだけど、政敵を秘蔵の毒のレシピで暗殺してきた侯爵一家を一介の侠客たちが痛快に懲らしめる内容なんだ。毒の侯爵って言うのが実はアクランド公爵家をモデルにしているってもっぱらの評判。アクランド公爵家の闇は根が深くて、驚くことに王室の指示で十年以上たった今でも調査が細々と続けられていたんだ。その結果、先年これまでは巷間の噂話程度でしかなかった毒薬のレシピの一部が見つかったと公表された。しかも、その薬は人身売買の時に奴隷を調教するのに使っていたとかで、その存在が公開されるとすぐにすさまじい批判が沸き起こったものだから、国王陛下は専門家を新たに招いて、調査を拡大するよう命じたんだ。十数年たってようやくほとぼりが冷めてきたかってところで、この驚愕の事実が明らかにされたものだから、国内で雌伏してきたアクランドの連類たちは、表に出たくても出られない状態が続いている。少なくともあと十年は表舞台には出てこられないだろうね」

 アリアがなるほどと頷くと、彼女の指で隠れていた人物の名前がジェネヴィエーヴの目に飛び込んできた。

「あら?」

 ジェネヴィエーヴはアクランドの系図に身をかがめて、じっとそれを見つめた。

「私、知っているわ、この人のこと」

 ジェネヴィエーヴの台詞にアリアとノクターンは驚いて彼女の指し示した男の名前をみつめた。

「こんな名前間違いっこないわ。初めて知った時にも随分変わった名前だと思ったものよ」

 

セント=ジョン・サープリーチャー・アクランド


「ええっと・・。これってどこまでが名前です?全部?ええ、これ全部一人の名前なんですか?うそぉ。あ、いや、人様の名前をどうこう言えた義理はないですけれど。私達だってアリア(抒情的独唱曲)とノクターン(夜想曲)だし。でも、ええ」

 目を見開いて面食らったように言葉を探すアリアに対して、ノクターンは感情の抜け落ちた瞳でその名前を見つめていた。

「この方のお母様が愛情を込めてつけられた名前よ」

 原作制作秘話がつづられた小冊子には、ちょい役にも関わらず主要人物たちよりその名前の由来に紙面が割かれており、製作者たちの狂気を感じさせられたものだった。ジェネヴィエーヴは僅かに開いた記憶の引き出しをのぞき込み、薄い笑いを浮かべた。

「ごらんなさい、グローリア・アクランドやほかの兄弟姉妹たちよりもずっと年が離れているでしょう?彼の母上は後妻で、たった一人の息子に素敵な名前を与えてあげたかったの。末っ子だから父親の名前を継ぐわけにはいかないから――長兄と同じ名前になってしまうものね――お母上は“セント”を付けて兄と区別することを考え付いたの。そして、爵位を継ぐことのできない息子を哀れんで、せめて名前の上だけでもと、“サー”の敬称を付けて・・・」

 あとは何だったかしら、と記憶をたどるジェネヴィエーヴにアリアが顔をひきつらせた。


「まだあるんですか?」

「そうよ。確か、お母上のご実家は身分は高くないけれど、とても敬虔深い家門で多くの宗教家を輩出しているの。だからミドルネームにプリーチャー(伝道者)という語が付けられているでしょう」

「そうなんですね」

 アリアは何とも判断の付けがたい表情を浮かべている。

「ジェネヴィエーヴ様がご記憶されているということはこの人物が今後何か重要な役目を果たすということですか?」

 うつろな目をして黙していたノクターンが気を取り直して問う。

「ええ。数年後に私の・・・正確にはクレメンティーンの呪詛に意識を乗っ取られた私の手足となって働くことになる一人よ」

 ジェネヴィエーヴの言葉にノクターンとアリアは目を見開いた。

「なんてことかしらねえ。アクランドの一員だったなんて。知らなかったとはいえ仇の親族と手を組んでいたなんてとんだお笑い種だわ」

 自嘲気味に片頬で笑ったジェネヴィエーヴにアリアが気色ばんだ。

「大丈夫です。今こうして気付いたんですから。今後この人と顔を合わせるようなことがあっても、関わらなければいいんです」

「この人物は、どのような役割を担っていたのですか?」

 ノクターンの問にジェネヴィエーヴは表情を曇らせた。

「毒よ。彼自身は何のとりえもない賭博好きの小男だと言われていたけれど、彼は秘密の伝手を持っていて、望み通りの様々な毒薬を用意することができたの。少し体調が悪くなるような極々弱いものから、皮膚を爛れさせ、長く苦しみを与えるようなものまで、用途に応じてそれはもう効果抜群の毒薬をね」

「毒」

 アリアが口を両手で覆った。

「どこから毒を入手してくるのか誰もが不思議がっていたけれど、アクランドの直系だったのならば納得ね」

「ジェネヴィエーヴ様はその毒をお使いになったのですか?」

 ノクターンは真剣なまなざしでジェネヴィエーヴを見つめた。

「ちょっとノクターン、なんてことを訊くのよ」

 焦って彼を止めるアリアをいいのよと言ってジェネヴィエーヴが制した。

「ええ、使ったわ。初めはクラレンス殿下の周りにうるさく群がる令嬢達を制するためだったわね。人の物に手を出した不届き者に対するちょっとしたお仕置きのつもりで。死にはしないけれど、ちょっと具合が悪くなるものや、顔にあばたができるものなど。随分と性質の悪い薬が多かった。でも、ちっとも良心は傷まなかったけれど、次第にそんなものではどうにも思い通りにいかないようになると、もっと危険な毒薬にも手を出すようになっていくの。最終的にはそれが身を亡ぼす一端になっていったのだわ」

 ジェネヴィエーヴは睫毛を伏せた。

「今でもその毒薬が手に入ればそれを使おうと思いますか?それを使えば容易く思い通りに行くとしたら」

 ノクターンが固い表情で聞くと、ジェネヴィエーヴはフッと憂わし気な表情で微笑んだ。

「いいえ、まさか。どんな状況に陥ったとしても、私が私のままである限りは決して手を出さないと誓うわ」

 でも、と言ってジェネヴィエーヴは言葉を切った。

「もし、私の精神が呪いに取り込まれてしまうようなことになれば、きっと同じ過ちを繰り返すでしょうね」

 だからその時はどんな手を使っても私を止めてちょうだい。そう言ってジェネヴィエーヴはアリアの手を取って握り締めた。

「貴女には残酷なことをお願いしてしまうけれど、光の乙女である貴女にしか任せられないことなの。貴女ならば私という器を手に入れ、完全体となったクレメンティーンを完全に消し去ることができるわ」

 顔を青ざめさせ絶句するアリアにジェネヴィエーヴはごめんなさいね、と言って悲し気に微笑んだ。

「その暁にはノクターン、貴方はアリアをしっかりと支えてあげてちょうだいね。その頃にはあなた達の周りにはあなた達を慕い、助けてくれる友人たちがいるでしょうから、きっと彼らもあなたたち姉弟を支えてくれるわ。だから絶対によろしくね」

 ジェネヴィエーヴはもう片方の手をノクターンの握りしめられた拳にそっと乗せた。

「っ、イヤです!絶対に約束しませんっ」

「アリア・・・」

 アリアはジェネヴィエーヴの右手を両手でぎゅっと握り返すと、立ち上がった。

「ジェネヴィエーヴ様、ジェネヴィエーヴ様はご存じないことですが、私が一番嫌いなものは自己犠牲精神たっぷりの主人公が皆を守るために一人で命を落とすお涙頂戴の小説です!それで平和が守られたなんてのたまう狂った世界も、主人公を助けることもできずにお墓の前で涙をこぼすしかない能無しの仲間たちも、皆クソくらえです」

 顔を真く染めてやけくそ気味に叫んだアリアの瞳には玉のような涙が浮かんでいた。

「くそくらえ?」

 心優しいアリアらしからぬ乱暴な言葉にジェネヴィエーヴはパチクリと瞬いた。

「そうです。クソくらえです!私はこう見えて欲深いんです。自慢じゃありませんが、私達は一度、親も家や領地、大好きな音楽もすべて失いました。今は侯爵閣下のおかげでこうして安心して暮らせていますが、だからこそ新しく手にしたものは絶対に失いたくなんてありません。ジェネヴィエーヴ様は侯爵閣下のたった一人のご令嬢で、私なんか全然手の届かない存在ですけど、こうして親しくしていただいて一緒に過ごしてきて・・・、私はジェネヴィエーヴ様のことをお友達だと思っています。私は、ジェネヴィエーヴ様のことが大好きなんです。だから、だから・・・、光の乙女としての役割が何だって言うんですか。ジェネヴィエーヴ様が死んじゃうくらいなら、クレメンティーンの呪いなんて知ったこっちゃありません。どうせ世界が滅びるわけじゃないんですから、クレメンティーンに暴れたいだけ暴れてもらえばいいんです。クレメンティーンがどんなにひどいことされたのか知りませんけど、怨みを晴らしたいなら、好きなだけ復讐すればいいじゃないですか!それで気が済んだらお引き取り戴けばいいだけです。ジェネヴィエーヴ様が犠牲になる必要なんてこれっぽっちもありません!!」

 アリアの大きな声に、離れたところで作業をしていた司書が何事かと振り返った。

ぽろぽろと涙をこぼすアリアの様子に、ジェネヴィエーヴがおろおろと助けを求めてノクターンを振り返ると、ノクターンは噴出した。抑えきれずに声をあげて笑う彼とアリアに挟まれジェネヴィエーヴは混乱した。

「ちょっと、ノクターンあなたまで・・・」

司書が近づいてこようとしたものの、ジェネヴィエーヴが大丈夫だから気にするなと身振り手振りで伝えると、司書はホッとしたように作業に戻って行った。

「ちょっと二人とも落ち着いてちょうだい。アリア泣かないで。ノクターンも笑っていないで、アリアを・・・きゃっ」

 アリアを宥めようと彼女の肩にジェネヴィエーヴが触れたとたん、アリアはガバリとジェネヴィエーヴに抱き着いた。そのまま彼女の肩に顔をうずめて、嫌々をするように頭を擦り付ける。

「ごめんなさいね、泣かせるつもりはなかったのよ」

 ジェネヴィエーヴはため息をつくと、慣れない手つきでアリアの背中を撫でてた。ようやく笑いが引いたのか眼に涙を浮かべたノクターンは失礼しましたと言って顔を上げると

「ジェネヴィエーヴ様、お聞きになったでしょう?どんなことがあったとしてもアリアがジェネヴィエーヴ様を害するなんてことはありませんよ」

と言ってニコリとほほ笑んだ。

「困ったことに、その通りのようね」

 ジェネヴィエーヴが困り顔で答えると、

「ですので、呪い事ジェネヴィエーヴ様をどうにかするというお願い事は諦めてくださいね」

「そ、そうです、諦めてください。わ、私は絶対にやりませんから」

 アリアがジェネヴィエーヴの肩にうずめていた顔をあげて、まだ涙を浮かべながら恨めし気にジェネヴィエーヴを見つめた。

「そうね、そうしたほうがよいようだわ」

 継母グローリアの虐待から解放されて以降、願い事を拒絶されたことのなかったジェネヴィエーヴはアリアとノクターンから突き付けられたあからさまな愛情のこもった拒絶の言葉に、怒るどころか苦笑せざるを得なかった。

ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。

誤字脱字等ございましたらご指摘いただけますと幸いです。

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