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廃妃の呪いと死の婚姻5-1

投稿が遅れて申し訳ありません。

天候が安定しませんね。ネット環境が古いせいで、悪天候時はネットが使えません・・・。

廃妃の呪いと死の婚姻5-1


 スポーツシーズンが本格的に幕を開けた頃、若者たちはこぞって猟銃を片手にカントリーハウスへと出かけていった。他の貴族たちもまた領地へと帰っていき、田舎の社交界では、結婚相手を探す若き令嬢達とその母親たちの華やかで真剣な勝負が繰り広げられていた。

「ジェネヴィエーヴ様、お加減はいかがですか?」

 アリアの言葉に顔を上げたジェネヴィエーヴの白い顔は、頬だけが熱で真っ赤に上気していた。目の下は濃い隈で縁取られており、血の気が引いた唇は乾燥してぱっくりと割れて血がにじみ出ていた。

「お労しい、ジェネヴィエーヴ様。さあ、こちらを向いてください唇に薬を塗りましょう。それとお飲み物をお持ちしたので、お辛いでしょうけど無理にでも飲んでくださいね」

 唇に薬を塗られながら、ジェネヴィエーヴは熱でぼんやりした口調で言った。

「どなたか、いらしていたの」

 馬車の音が聞こえたわ。掠れた声で囁くように尋ねたジェネヴィエーヴにアリアは頷いた。

「はい。ミスター・フェラーズが先日のお礼にいらっしゃったんです」

 数週間前、妹から落雷での屋根と外の小屋が全焼したと連絡を受けたミスター・フェラーズは困り切ってしまった。というのも、ミスター・フェラーズを始めとした研究室の半数近くの研究者たちは、食中毒で治療中だったからである。昼食のテーブルに上がったかなり酸味の利いた固いパンは、てっきりライムギパンだと思い込んでいたのだが、思い違いだったようだ。とにかく、ベッドの上で手紙を眺めながら呆然としていた彼は、ノックの音とともに響いたノクターンの声に振り返った。部屋に通されて見舞いの言葉を述べたノクターンは、ゲッソリとこけた頬に絶望の涙を浮かべるミスター・フェラーズに突如手を掴まれて、思わずお見舞いの入ったバスケットを取り落としそうになった。

 ミスター・フェラーズの実家で起こった不運を聞いたノクターンは、自分がジェネヴィエーヴに掛け合ってみようといって、ミスター・フェラーズを宥めると、急いでその場を後にした。帰宅したノクターンから事情を聴いたジェネヴィエーヴは、早速ペンを執って何事かを書き記すと、執事に渡すよう指示した。

「これで事足りるとよいのだけれど。もし足りなければ、遠慮なくおっしゃって欲しいとお伝えして。そうね、ミスター・フェラーズの様な謙虚な方のご家族なら遠慮するかもしれないから、この小切手はそのままお渡しした方がよいと思うわ。家屋の修繕費は全てこちらに請求していただくように手配してもらって。ミスター・フェラーズにも後援金の一端だからご返済は不要とお伝えしてちょうだい」

それでもお気になさるようなら、いつか私のお願いを聞いてくださいとお話しておいて。にやりと口の端に笑みを浮かべた彼女に、ノクターンは苦笑した。ジェネヴィエーヴが首をかしげると、

「今の台詞と表情が侯爵閣下とよく似てらっしゃいましたもので」

 とノクターンが応えた。

 その後、食中毒が軽快したフェラーズは〇〇州の実家に戻ると、修理の完了を見届けてから再び都へと帰ってきたのだった。彼はその日の夕方に、お礼のために訪問させていただきたいと手紙をナイトリー侯爵家へ送った。その返信には申し訳ないがジェネヴィエーヴが数日前から臥せっており対応することができないという断りの文言が並んでいた。

驚いたミスター・フェラーズが、本日お礼とお見舞いを兼ねて訪問してきたというわけだった。対応に出たアリアに丁重な礼の言葉を述べ、妹からいい遣ってきたという感謝の手紙を手渡すと、深々と頭を下げて帰っていった。

「もしよろしければ、読み上げましょうか」

 アリアの言葉に左右に首を振ると、後で読むから置いておいてと答えて再び横になった。

「疲れたわ」

 アリアはジェネヴィエーヴの額に手を置いて、伝わってくる熱に眉根を寄せた。

「中々熱が下がりませんね。・・・最近、体調を崩されることが多くなってきています。それに、魔力の効きが弱まっているようですし・・・。明日から、治療の時間を増やしましょう。これ以上、お悪くなるようですと聖水を飲まれる量も増やした方がいいかもしれません」

 言いにくそうに告げたアリアに、ジェネヴィエーヴはやはりと思った。この夏を境に彼女の健康は緩やかに下降していた。クレメンティーンの呪いは確実にジェネヴィエーヴの体を蝕んでいた。どこかで覚悟していたこととはいえ、他人から告げられると流石に堪えるものがあった。

「お体だけではなく、お心の方はいかがですか?」

 アリアは身体の不調が精神にまで及んでいるのではないかと懸念していた。ジェネヴィエーヴもまたそれが気がかりだった。彼女はゆるく首を振った。いつかは呪いの影響が精神にまで及ぶことになるのだろうが、それにはまだ猶予があるようだった。絶えず供給されるアリアの光の魔力と、聖水の効力に頼りながら、じりじりと弱ってゆく身体になすすべがない綱渡りの現状でいつまでこの身を保って入られるのだろうか。

「きょうは少し多めに魔力を注入しますね。手を握っていますので、お辛かったらすぐに教えてください」

アリアの言葉にジェネヴィエーヴは瞼を閉じた。

そうして、ジェネヴィエーヴは深い眠りに落ちていった。



 紗がかかったような風景をぼんやりと見つめながら、ジェネヴィエーヴの意識は次第に浮上していった。

 パチパチとゆっくり瞬きを繰り返した彼女は、自分が眺める景色に違和感を覚えた。

――これはきっと夢だわ。

 少し高い位置から俯瞰するように切り取られた景色に、ジェネヴィエーヴは確信していた。あたりを見渡した彼女は細い針のような雨が石畳に降り注ぐ様子を見つめて首をかしげた。

――ここは一体どこかしら、街中のようだけれど。

 めったに外出することのない彼女には、ここが一体どこなのか見当もつかなかった。そもそも、首都なのかはたまたは全く違う場所なのかすらわからなかった。何か手掛かりはないだろうかと首を巡らせた彼女の耳に、パシャパシャと水たまりを駆ける足音が届いた。どうやら足音の主は走っているようだった。

 建物と建物の間の暗がりに目を凝らしたジェネヴィエーヴの目の前に、若い女性が飛びこんできた。はあはあと荒い息を吐きながら必死に走る彼女の端麗な瞳には、隠しようもない恐怖の色が浮かんでいた。

――ああ、そっちに行ってはダメ。

 思わず口を開いたジェネヴィエーヴは、全く声が出ないことに気付いた。

 何度も背後を振り返りながら角を曲がった女性は、土地勘がないのだろう、自分が袋小路へと誘導されていることに気付いていなかった。

 目の前が行きどまりになっていることにようやく気付いた女性は、踵を返そうとしたところでバランスを崩して水たまりへ転倒した。彼女の靴はヒールが折れていた。彼女は仕方なく靴を脱ぐと、転んだ時にひねった足を庇いながらよろよろと立ち上がった。壁伝いに進んでいった視線の先にようやく大通りの店の光が目に入る。

 表情を明らめ、ホッと息をついた彼女が通りへと歩を速めたとき、不穏な影が彼女の行く手を遮った。恐怖で声をあげようとした彼女の口を、その大きな手で覆った人物の顔は黒く塗りつぶされたようで、人相がはっきりとわからなかった。ただ、身なりの良い男だということだけは分った。

「―――っ」

 必死に抵抗する彼女を暗がりへと引きずり込みながら、男は残忍な笑みを浮かべた。彼女の悲惨な運命を予感したジェネヴィエーヴは、口に手を当てて悲鳴を必死にこらえた。恐ろしいのに目をそらすことができない。

 男は何度も女性の頬に平手打ちを繰り返した。ぐったりとした女性が抵抗をやめると、懐から小さな瓶を取り出した。男は半開きになった女性の口にその瓶をあてがい、中身を注ぎ込んだ。驚いた女性が液体を吐き出そうとすると、男は馬乗りになって女性の口と鼻をぎゅっと押さえつけた。暫く抵抗していた女性の喉がごくりと動いたのを見とどけた男がようやく手をはなすと、女性は指先すら動かすことができなくなっていた。

 意思を失ったうつろな瞳には、既に男の姿は移っていないようだった。にやりと笑った男は女性の胸元に手を伸ばすと、力任せにそれを引き裂いた。何が行われようとしているのかを理解したジェネヴィエーヴは激しい忌避感にギュッと瞼を閉じた。

 物音がしなくなって、ジェネヴィエーヴがそろそろを瞼をあげると、先程とは異なる景色が広がっていた。夜が明けてからどれほどたった頃なのだろうか、暗雲は太陽の光を完全に遮っている。バタバタという幾つもの足音が通り過ぎていく音にジェネヴィエーヴは振り返った。人波に乗って歩を進めながら、ジェネヴィエーヴの胸は早鐘を打っていた。

――ああ、みてはならないわ

 しかし、いつのまにか人垣の一番先頭に立っていたジェネヴィエーヴは、いやおうなしにそれを目にしてしまった。噴水が吹き上げる水しぶきを受けながら、冷たい石畳に倒れ伏していたのは先程の女性だった。女性の瞳は完全に光を失い、彼女の命の灯がすっかり消え去っていることを示していた。痛まし気に顔をしかめた憲兵が二人がかりで彼女を少し離れた場所に移すのをジェネヴィエーヴは茫然と見つめていた。彼女の背後では野次馬たちが恐怖の入り混じった声でひそひそと言葉を交わしていた。

「これでもう何人目だ」

「この娘は都の者ではないな」

「旅行者だろう。宿屋があるはずだ」

 憲兵たちは野次馬に見世物ではない。この娘のことを知っている者はいないかと声をかけた。

「ちょっと道を開けてくれっ」

 切羽詰まった声にジェネヴィエーヴは、ハッと振り返った。人垣を押しのけて現れた人物の顔に見覚えがあった。今よりもやつれているが、現れたのはケイ・フェラーズその人だった。肩で息をした彼は憲兵の足元に横たわる女性の姿を見て悲鳴のような声を上げた。

「ファニー!」

 駆け寄った彼を憲兵の一人が押しとどめる。

「私はこの娘の兄です。身分証ならここにあります」

 ミスター・フェラーズと彼の差し出した札を交互に見た憲兵は、彼の腕を放すと身を引いた。横たえられた女性と彼の間には明らかに血縁を感じさせる類似点があったから、身内だという彼の言葉を信じたのだろう。

 ミスター・フェラーズは妹の傍に崩れ落ちるように膝をつくと、彼女の顔にかかる髪の毛をそっと耳に掛けた。

「ファニーどうしてこんな」

 震える声で呟いた彼の目に、妹の首にありありと浮かぶ人間の指の痕を見止めて目を見開いた。その上、彼女の身に着けている衣服は原型がわからないほどボロボロに引き裂かれ、所々赤黒い痣がついた素肌が覗いていた。

 妹の無残な様子にケイ・フェラーズの心は決壊した。彼は、妹の身体に縋り付くと、哭涙した。

 ジェネヴィエーヴは耐え切れず、両手で耳を覆いきつく目をつぶった。しかし、彼女の耳の底にはいつまでもケイ・フェラーズの慟哭の声がこびりついて離れなかった。



 目を覚ましたジェネヴィエーヴは全身にぐっしょりと汗をかいていた。熱でふらつく身体をやっとのことで起こすと、呼び鈴を鳴らした。

「まあ、どうなさったんですか。ひどい汗」

 慌てて駆け寄ってきたアリアと看護婦に、

「侍女を呼んで頂戴。身体を拭いて、着替えたいわ」

と頼むと、看護婦は直ぐに頷いて身を翻した。

 体を清め清潔な寝間着に着替えたジェネヴィエーヴは一息つくと、人払いをしてからアリアに夢の内容を告げた。震えながら話すその内容に、アリアは青ざめた。

「それがこれから本当に起こるのですか?フェラーズさんの妹さんに?」

「ええ。残酷なことにね。信じられない?」

 ジェネヴィエーヴが問いかけると、アリアは怯んだように睫毛を伏せた。

「アリア、手紙はどこかしら」

「手紙ですか?」

「そう。ミスター・フェラーズがお持ちになった妹さんからの手紙よ」

 ジェネヴィエーヴの言葉にアリアはハッとして部屋を出て行くと、一通の手紙を持って戻ってきた。

「こちらです」

「あなたが確かめてちょうだい。ねえ、私はミスター・フェラーズの妹さんの名前を知らないわ。ミスター・フェラーズと妹さんのお話をした時はあなたもいたけれど、そのお名前を伺ったことはなかったわね?だから、その手紙に書かれている差出人名を見れば私の夢の内容も少しは信じられるでしょう」

「ジェネヴィエーヴ様のお話を疑うなんて・・・」

 とっさに否定しようとしたアリアに、いいのよと言って首を振ると、ジェネヴィエーヴは手紙を開封するようにアリアを促した。手紙の最後に記された署名を見たアリアは目を見開いた。


Frances Fellers


 署名にはそう記されていた。ファニーはフランシスの愛称である。

「ミスター・フェラーズに妹さんをなんてお呼びになっているかお聴きすればさらに確信が持てると思うわ」

 顔を上げたアリアを見つめながらジェネヴィエーヴは静かに言った。

「どうしたら、この悲劇を防ぐことができるでしょうか」

 ベッド脇に膝をついたアリアの手を握り締めながら、ジェネヴィエーヴは

「そうね。絶対にこれは阻止しなくてはいけないわ。アリア、ノクターンにもこのことを話して、ミスター・フェラーズの許へ行ってくれるわね。今日の訪問のお礼だと言えばいいわ。そこで、妹さんが上京する予定がないか聞いてちょうだい。もし、その予定があるなら一度お話ししたいから絶対に教えて欲しいとお願いして」

と言った。アリアは深く頷くと、涙を拭いて立ち上がった。

「すぐにノクターンと話してきます」

「ええ」

 パタパタと遠ざかっていくアリアの足音を聞きながら、ジェネヴィエーヴは

「私は何もできないから。二人ともどうかお願いね」

と呟いた。


 もう訪問の時間も随分すぎているにもかかわらず、ミスター・フェラーズはアリアとノクターンを快く迎えてくれた。実はミスター・フェラーズは令嬢、特に若くて美しい女性が苦手だった。少年時代から異性との関わり方に困惑することが多い方だった彼だが、上京してからは更にその苦手意識に拍車がかかった。

当初、片田舎から上京してきた爵位もない、あるのは自身の才能と情熱だけという貧乏学生に首都の女たちは冷たかった。家柄もよく将来有望な若い学生がひしめく中で、彼に注目する女性など一人もいなかった。それがどうしたことだろう、彼が学生の中でも不動の地位を確立し、アカデミーの中でも最も将来を期待される研究者として、第3王子の家庭教師にまで抜擢さると、途端に若い令嬢達は目の色を変え手のひらを返した。ミスター・フェラーズは彼女たちの変わり身の早さを面白がりながら、その軽薄さを軽蔑した。

それでも穏やかで人当たりの良い彼に悪感情を抱く女性はほとんどいなかった。彼は無遠慮に自分の領域を踏み荒らされることを嫌った。特に、研究に係る部分にはとても神経質だったから、これまで妙齢の女性たちが彼の研究室に足を踏み入れることは絶えてなかった。

「散らかっていて申し訳ありません。いつもお通ししている部屋が水漏れで使用できなくなってしまっていて、こちらでご容赦ください」

 ソファに積み上げられた荷物をどかしながらミスター・フェラーズは困ったような笑みを浮かべた。あまりの物の多さにアリアが目をぱちくりしていると、ミスター・フェラーズが

「共有スペースに置いてあった荷物を、修理の間中、各自の部屋に分散させたんです。それでこの部屋もこの有様です」

と苦笑した。

「確かにいつも以上に物であふれかえっていますね」

 愉快そうに言ったノクターンに、ミスター・フェラーズが

「その言い方ではいつも私の部屋が散らかっているのではないかと、ラトクリフ嬢に誤解されてしまいそうですね」

と反論すると、ノクターンは肩をすくめた。

「あながち間違っていないでしょう。いや、前回の訪問時よりはましかもしれないですよ。この前は部屋中酷い匂いがして、机や機材によくわからない液体が飛び散っていましたから」

 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべるノクターンに、

「ラトクリフ君を研究室に入れるんじゃなかったと後悔していますよ」

ミスター・フェラーズは眉間に皺をよせてやれやれと首を振った。

 アリアはそのやり取りを眺めていたが、とうとうくすくすと笑いだした。ミスター・フェラーズはきまり悪そうに頭を掻くと、さあこちらへおかけくださいと促した。

交流を重ねる中でノクターンとミスター・フェラーズは随分と親しくなっていた。自然とその双子の姉であるアリアに対しても、ミスター・フェラーズの心の壁は低くなっているようだった。元々貴重な後援者の連類というとこともあり、彼はアリアに対してとても丁重な態度を取っていたが、彼女が教会に認められた稀少な魔力を有しておりジェネヴィエーヴのサポートだけではなく、幼い頃から献身的な奉仕活動を行っていると知り、好感を抱くようになっていた。今では彼にとってアリアが最も気の置けない女性であると言ってよかった。

一方でジェネヴィエーヴに対するミスター・フェラーズの心情はというと、一言で言い表すことのできないものだった。彼女自身は人を威圧するような覇気を持っているわけではなかったし、自分たちの研究に理解を示して惜しみなく援助をしてくれる貴賓ではあったが、ミスター・フェラーズにとってジェネヴィエーヴは非常な緊張を強いられる最も苦手な存在だった。彼女の物憂げな眼差しと、艶めかしさすら感じさせる不安定な美貌を前にすると、その場から逃げ出したくなる衝動を抱かずにいられなかった。それでも善良で誠実な彼は、ジェネヴィエーヴに深い感謝と恩義を感じており、いつもそれを忘れなかった。

「妹に会いたいとナイトリー嬢がそうおっしゃったのですか」

 アリアの口から告げられたジェネヴィエーヴの言葉にミスター・フェラーズは驚きを隠せなかった。

「はい。妹さんの心のこもったお手紙に感動されたようで、もしこちらにおいでになることがあれば、是非晩餐をご一緒しましょうと仰っていました。勿論その際にはフェラーズさんもご招待させていただければ嬉しいと」

「なんとも身に余るお申し出ですね。妹が聞いたらきっととても驚くでしょう」

「ですので、妹さんがこちらに来ると決まったら教えてくださいね」

 恐縮するフェラーズにアリアはニコリとほほ笑んだ。そして、ちらりとノクターンを横目で見つめると、彼は小さく頷いた。

「ところで、僕はフェラーズさんの妹さんの手紙を読んでいないのですが、ミス・フェラーズはなんというお名前なんですか?」

 話の流れ上興味が湧いたといった風で切り出しノクターンに、ミスター・フェラーズは名前を言ってなかったかなと言った。

「名はフランシスといいます。でも僕はもっぱらファニーと呼んでいます。妹は母の名をもらったので、母と区別するために父がそう呼んでいたんです。だから僕もそう呼びつけているんです。僕たちは年が開いていて、君たちとは二つ三つ年上だったはずですよ」

 ファニーという名前にアリアとノクターンは思わず膝の上でこぶしを握った。やはりジェネヴィエーヴは正しかったのだ。

「妹さんもフェラーズさんの様に薬草にお詳しいのですか?あら、いけない私たちったら質問攻めにしてしまいましたね。申し訳ありません。ご不快に思われていないといいのですけれど」

 アリアの言葉にミスター・フェラーズはニコリとほほ笑むと

「御心配には及びませんよ。他の方たちならともかく、これでもお二人のお人柄は分っているつもりですし、ナイトリー侯爵家の方々には妹も大変お世話になっていますから。そうですね、もし妹がこちらに来ることがあればぜひ話し相手になってやってください。妹は風土史というのですか、昔から土地の歴史や伝承に興味があって、フィールドワークと称して色々な場所に出かけていました。特にグレイ夫人のご領地には、ご存知でしょうか、毎年旅行者たちが訪れる史跡がいくつもあります。その中には、地域の者しか近づかないような隠れた遺跡もあって、妹は度々そこに足を運んでいるんです。先代の御当主、グレイ夫人の夫君ですが、その方が奇特な娘だと言って妹のことを可愛がってくださって、それがご縁になって、グレイ夫人もよく気にかけてくださるようになりました」

「まあ、そうなのですね。グレイ夫人とも懇意になさっているということは妹様にお会いすれば、グレイ夫人のお話もできるますね。きっとジェネヴィエーヴ様もとてもお喜びになると思います。ねえ、ノクターン?」

「そうだね。お喜びになるだろう、グレイ夫人のことを慕っていらっしゃるから」

 頷き合うアリアとノクターンに、ミスター・フェラーズもまた、ありがとうございます、妹もきっと喜ぶでしょうと答えた。


その後しばらくしてからアリアとノクターンは暇を告げたのだが、その帰途の馬車の中で、

「ねえ、ノクターン。フェラーズさんがおっしゃっていたグレイ夫人の領地のお話なんだけど」

とアリアが切り出すと、ノクターンも頷いた。

「ああ、ぼくも気になっていた。恐らく、グレイ夫人の領地にある遺跡の一つが、ジェネヴィエーヴ様が幼い頃迷い込んだという遺跡なんだろう。そこにきっとクレメンティーンが葬られているんだろうね。でも一体どこになのか。恐らく、観光客なんかが行くような場所にはありはしないだろし」

 ノクターンは眉根を寄せながら前髪をくしゃりと掻きあげあ。

「そうね。ジェネヴィエーヴ様も、詳しい場所は分らないけれど、地元の人ですらめったに近寄らないような場所と仰っていたし。もし、フェラーズさんの妹さんにお会いする機会があれば、是非そのこともお聞きしたいわ。心当たりの場所はありませんかって。そのためにも、ジェネヴィエーヴ様にもう少し詳しくその場所のお話を伺わないといけないわね。ジェネヴィエーヴ様も早くフェラーズさんとのやりとりの次第をお知りになりたいはずだから、帰ったら早速ご報告がてら、お聞きしてみるわ」

「うん。それで明日の朝にでも内容を教えてよ。僕は図書室に言って〇〇州の地図を借りて来るよ。場合によっては、購入した方がいいかもね。観光地だっていう話だから、もっと詳細な地図や、図録みたいなものがあるかもしれない」

 しかし、彼らはジェネヴィエーヴから話を聞くことはできなかった。ナイトリー侯爵邸に帰宅した彼らを待っていたのは、玄関先で彼らの帰りをやきもきした様子で待っている家政婦長の姿だった。家政婦長はノクターンの手を借りて馬車から降りたアリアに足早で歩み寄ると、ジェネヴィエーヴの容態が悪化したことを告げ、直ぐにでも力を貸してほしいと言った。驚いたアリアが、訪問着のままで急いでジェネヴィエーヴの部屋へと向かう道すがら、何があったのか尋ねると、家政婦長は青ざめた顔で話した。

「ラトクリフ嬢がお出かけになって暫くは時に変わりはありませんでした。早めに夕食を召し上って、汗をかいたからお着替えをされたいというので、侍女に指示を出して戻ると、ベッド上でお倒れになっていたのです。少し嘔吐もされた様子で、今は治療師がついています。侯爵閣下もすぐに戻ると、王宮から伝令が参りました」

 アリアはハッと息をのんだ。

「もっと早く戻るべきでした。フューズ夫人、聖水を用意してください。お目覚めになったら、少しでも飲んでいただいた方がよいと思います。私もすぐに治療に当たります。きっと大丈夫です」

 アリアの言葉に家政婦長はしばし躊躇してから、口を開いた。

「こんなときですが、お礼を申し上げます。ラトクリフ嬢がいてくださることがどれほど心強いか。必要なものは私が責任をもって準備いたします。ラトクリフ嬢はお嬢様をお願い致します」

 思い掛けない感謝の言葉にアリアは一瞬虚を突かれたが、

「はい、最善を尽くします」

といってすぐに力強く頷いた。

お読みいただき誠にありがとうございます。

また次話もお読みいただけますと幸いです。

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