第六話 伯爵様が遣わせた女性(ひと)。
アリッサが伯爵領領都で洗礼を受け、ウエインベール村へ戻った二日後のこと。
「では、領主様。私、ウエインベールへ向かいます」
「お願い。うちの領の、可愛い聖魔法使いさんを守ってあげてね?」
「かしこまりました。ですが、期待しないでくださいね。私は騎士ではなく、魔道士なのですから……」
「何を言うんだか。ここの騎士長よりも強いくせに」
「いえ、あれはその。騎士長殿の調子が悪かっただけで」
「そういうことにしておくわ。頼んだわよ?」
「はい。一命に変えましても」
「あなたの覚悟は十分に伝わってるわ。けれどその重たい言い回し、どうにかならないものかしら? だからお嫁に行く話が――」
「かかかか、関係ないではありませんか?」
「どうせしばらくは、どこへも嫁ぐつもりはないのでしょう? 嫁ぎ先が決まるまででいいから、アリッサちゃんのこと、よろしくお願いね?」
「それって、一生……、いえ、そんなことは」
「あなたはお酒の癖がやや悪いと聞いています。彼女の実家は酒場も経営してるのですから――」
「わかっています。ですがなんていうか、その。色々とすみませんでした……」
彼女を送り出したのは、クルムポート伯爵領の領主、ヴエンディエラ・アク・クルムポート。この国では少数派にあたる、女性伯爵である。
アリッサの元へ派遣した彼女は、自らの大事な手駒であった。クルムポート魔道士団、次席魔道士のリリティエット・ウィム・メルトライト。クルムポート伯爵家の寄子で、騎士を多く輩出しているメルトライト男爵家の令嬢。
次女であった彼女は、家を継ぐことはない。十二歳のとき、他家へお嫁に行くかどうか決めさせたところ、兄弟たちと同じ職業軍人として、伯爵家へ仕える道を選んだ。
だが、剣や槍などの刃物を扱うのが苦手だった彼女は一度は騎士を諦める。だが幸い、五歳のときに風魔法のスキルを得ていたから、魔道士を目指すことになった。
魔道士は近接戦闘になると、致命傷になる可能性があるため、兄や姉たちに頼み込んで、近接格闘術を学ぶ。選んだ武器はなんと、魔道士が持つ木製の杖だった。
ただ、その腕前は、クルムポート騎士団の騎士長(騎士団長に次ぐ強さ)を退けてしまうほど。メルトライト流、杖術の開祖と言っても過言でないほどの強さだった。
伯爵閣下の話では、今年の洗礼でイヴニス様の守護を得た女の子がいる。もし、彼女の身に危険が及べば、この国にとって、とてつもない損失になってしまう。
早めにウエインベール村へ常駐し、彼女を見守る。有事の際は、身を挺して守るのが彼女に与えられた使命である。
半年ほどは毎日食事をとって通い、酒場の常連客を装う。怪しまれることなく、自然に村へ溶け込むことに注力する。その後は、聖女候補であるアリッサが、魔法で困っていることがあるなら、自ら名乗り出てかまわないので教えてあげてほしいとのこと。
昼頃に、乗合馬車でウエインベール村へ到着。伯爵家で部屋を借りてくれたとのことで、その部屋へ先に行くことになる。
「うそ? 何で隣なの?」
しばらくの間、伯爵閣下の命令で常駐することになった。いわゆる長期出張扱いになるからと、領都にある騎士隊の寮を引き払ってきた。寝具は最初から納入してあり、荷物は翌日届くことになっていた。
賃料も年単位で伯爵家から、支払い済みだ。お給金も継続してもらえる。それどころか、危険手当までも加算されるとの説明を聞いた。
かといってこれは唖然とする。ターゲットである村長宅兼、酒場のウエイン亭。その右隣だと誰が聞いていたか?
「(二階ですよ、二階? それも道路側。窓開けて、右下見たら酒場じゃないですか?)」
半年は怪しまれることなく、自然に振る舞うよう命令されている。この状況でそれがどれだけ、大変か。いくら有事の際、すぐに到着できる距離だとはいえ、もう少し考えてほしかったと、リリティエットは思っただろう。
その晩リリティエットは、夕食も兼ねてウエイン亭へ足を運ぶ。村長宅兼、この村で一番大きな宿屋であり酒場も経営している。掃除も行き届いていて、料理の良い匂いも漂ってくる。
この村の村長は、クルムポート伯爵家と同じ女性だと聞く。おまけに、警護対象のアリッサの母親だというではないか?
宿場町として独自に発展したこの村。夕方だというのに、馬車の行き来が絶えない。その上、酒場も大入り満員だ。
調理場へ続く、カウンターの前には、赤毛の二つ分けした可愛らしい少女が座っている。話に聞いていた彼女が、警護対象のアリッサ本人だろう。
「(か、可愛いですね。あの子を見てるだけで、お酒が何杯でもいけそうですよ……)」
「お、見ない顔だな?」
リリティエットに野太い声がかけられる。
「あ、はい。今日、となりに越してきました」
「そうか。儂はこの村で鍛冶屋をやってる、ブルズゲアってもんだ」
「ご丁寧にありがとうございます。私は魔法研究をしているリリティエットと申します」
「そうか。ところで、いける方なのか?」
「いけるといいますと?」
「もちろん酒だ」
「えぇ。嗜む程度には(じゅるり)」
「ならアリッサちゃんのところへ行ってくるんだな」
「と、いいますと?(いやいや、接触は駄目でしょう?)」
「そら、これは俺のおごりだ。このジョッキも持って、『お願い』してこい」
「あ、はい……」
右手にグレープネーブル、左手にジョッキを持たされたリリティエット。流石に行かないわけにはいかなくなり、恐る恐るアリッサの前に。
「あ、あの」
「うん。はいっ」
アリッサは、笑顔で両手を差し出してくる。何故か酒場の皆から注目を浴びている。目立ちたくはないのに、どうしたらいいか悩んでいると……。
『グレープネーブルをアリッサちゃんに』
そうあちこちから声が上がる。
「あ、はい。お願いします」
「じゃ、いい?」
アリッサは、グレープネーブルを両手で挟み込む。リリティエットの持つジョッキの上にかざして笑顔。
「はい? お願いします」
「いくよ? ぎゅーっ」
『おおおおおおおお』
回りから、いつものかけ声のようなどよめきが聞こえる。
「わっ! すごっ」
「はい、できあがり」
横からジョッキに氷を入れる人。また横からお酒を注ぐ人。ついでに、かき混ぜてくれる人。皆、この店の常連客だ。
「(ごくり)」
生唾を飲み込むリリティエット。
「おいしいよ?」
首をこてんとかしげて、笑顔までサービス。ついでに、絞り終わったグレープネーブルのなれの果てを左手に持たされた。
「……んくんくんくっ。ぷはっ。甘くて酸っぱくて、すっごく美味しいです。こんなお酒の飲み方あったんですね」
ジョッキの三分の二まで一気に飲んでしまった。結局彼女は、その晩『グレープネーブルの生搾り』を五杯おかわり。ほろ酔い気分で部屋に帰って爆睡。
翌朝、自己嫌悪に陥るという。
「領主様に言われたばかりだったのに……」
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あれから半年。村にも慣れてきた。ウエイン亭の隣に住んでいるから、毎日のように顔を合わせてしまう。
何もしていないと怪しまれることもあり、更に溶け込むために考えたのが、昼食タイムの終わったウエイン亭のテーブルを借りて、子供たちに読み書きを教えるようになったこと。
気がつけば『リリティエット先生』と呼ばれるようになる。彼女自身も悪くないと思い、毎日が楽しくなっていた。もちろん、朝昼晩の食事と晩酌はウエイン亭。
読み書き教室が終わり、風呂に入って一休み。日が落ちると、いつもの晩ご飯と晩酌を楽しみにウエイン亭へ足を運ぶ。
カウンターで料理を注文し、悪酔いしないように先に晩ご飯。今日のおかずは、この地域で育てられている鶏肉の揚げ物。沢山の生野菜を先に食べていると、揚げたてのものが運ばれてくる。
熱々のものをナイフで切って、小さいかけらを口に運ぶ。じゅわっと旨みの強い、鳥の脂。噛み応えのある肉質。料理人である、アリッサの父ダンドロールの絶妙な味付け。
「ふぁっ、おいし……」
幸せな瞬間。お腹いっぱいになったあとには、『生搾り』が待ってる。そう思った矢先の出来事。
長く続くと思っていた、幸せな瞬間。平和ぼけしていた自分自身を呪う。日常があっという間に転んでしまう。
夏場だというのに、薄手とはいえローブのようなものを頭から羽織った怪しい人影が、数人店内に崩れ込んできた。
いつものように、カウンター前に座っていたアリッサを抱きかかえる男の声がする。店内にはそれなりの人数、常連客がいる。日が落ちたとはいえ、大胆な犯行だ。
「――騒ぐなっ!」
リリティエットは、いつも肌身を離さない、愛用の杖を右手に握る。だが、下手に動けない状況であることは確かだ。アリッサの喉元には刃物が添えられている。
酒場の客の中には、腕に自信のあるものも少なくはないだろう。だが、アリッサの身を案じ、誰も動くことはできないでいる。
そんな、緊迫した状況が続こうとしていた。
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