第一話 ぎゅーっ。
第一話 ぎゅーっ。
ほぎゃぁ――
『聖の女神イグニス様。拳の神アダムス様。火の神フェルミス様。水の女神アクエス様。地の神ノーミレス様。風の女神ウィムレス様。闇の女神ノワレス様。偉大なる七柱の神々の皆様に祝福され、今ここに新しい命が生まれました。この子が健やかに育つ時を、お見守り下さいますよう、お祈りいたします――』
この日、新しい命が生まれた。
伯爵領の領都から派遣されている、神官が祝福の祝詞を唱える。
ここはフォーミレストラの中央大陸。そのやや北側に位置する場所に、アールベルム王国がある。雪深い山間の地域、そこにクルムポート伯爵領があり、そこから南に延びる王都へ向かう街道沿いに宿場町があった。
村民もそろそろ九十名を超える。百名を超えると町へと変わっていく。だから宿場町でありながら、いずれ町になるであろうと言われている、まだ村扱いのウエインベール村。
そこで一番大きな宿屋兼酒場を経営する家。村長宅でもあるこの家の主人ダンドロールと、妻クレーリアの間に生まれた長女。実は村長がクレーリアで、ダンドロールは旦那さんだったりするのだが。
「お疲れ様。よく頑張った。ありがとう。愛してる」
クレーリアの手を握り、男泣きをするダンドロール。
「大げさよ。ほら見て、こんなに可愛い女の子」
クレーリアの傍らに眠る、元気そうな笑みを浮かべる赤子。彼女は赤子のまだ短い髪を指先でくるくると弄ぶ。
「赤毛なんだな」
「そうなの。珍しいけれど、うちの亡くなった曾お婆様がね、赤毛だったって聞いてるわ」
「なるほどな。俺とお前が金髪だから、精霊様が授けてくれたのかと思ったよ」
「馬鹿ね。そんなことそうそうあるわけないじゃないの」
このフォーミレストラにも、『精霊の取り替え子』という言い伝えがある。ただそのほとんどが、隔世遺伝の薄い血が出る場合で、勘違いだったりするわけなのだが。
「名前、どうするか?」
「そうね。曾お婆様の名前からいただいて、『アリッサ』なんてどうかしら?」
彼女の曾祖母の名は、アリシアテーラだった。
「アリッサ・ウエインベールか。良い響きだな」
「お父さんも気に入ったみたいよ。アリッサ。すくすく育ってちょうだいね」
「そう願いたいね」
「……ぅぁ」
アリッサが目を覚ましたようだ。彼女のとび色の瞳がダンドロールを見る。彼に手を伸ばして笑ったように見えた。髪の色は違えども、瞳の色は両親と同じ。
「おぉ。お父さんがわかるのか?」
ダンドロールは小さなつぼみのような、アリッサの手に右手の人差し指をそっと差し出す。
「あ、あなた。気をつけ――」
「っ! ……あだだだだだっ!」
途端、ダンドロールは顔をゆがめて辛そうな声を上げる。
「ぅー」
アリッサは嬉しそうにしながら、ダンドロールの指を掴んで遊んでいるようだ。
「だから言ったじゃないの。この子、結構力強いみたいなのよ」
「……ぁぅ」
疲れてしまったのだろう。ダンドロールの指を離して、眠ってしまうアリッサ。
「ふぅっ、ふぅっ……。強いとかそういうレベルの話じゃないぞ? どうなってんだこれ?」
折れてしまうまで強い力ではなかったが、油断していたせいもあり、あらぬ方向へ曲げられてしまったのだろう。
「将来有望よね」
「お転婆にならなきゃいいんだけどな……」
▼
あれから五年ほどが経つ。よく食べ、よく遊び、大きな病をすることなく、すくすくとアリッサは育っていた。
時は夕方。所は酒場ウエイン亭。宿泊客だけでなく、この村に住む者も仕事を終えてここへ寄ることも多いという。お酒を飲むだけでなく、晩ご飯もここで食べる人も多い。
そんなウエイン亭の奥、カウンターの傍に行儀良く座る一人娘のアリッサ。綺麗な赤毛を、こめかみのやや上で二つ結びにしている。いわゆるツインテールという髪型だ。
彼女は両親の仕事の邪魔をしないようにするだけのために、ここへ座っているわけではない。実はここが、彼女の立派な仕事場だったりするのだった。
「アリッサちゃん、お願いできるかな?」
酒場の常連であり、刃物職人の親方ブルズゲア。背は少々低いが筋骨隆々で、口ひげを携える五十に余るくらい。
彼がアリッサに持たせたのは、カウンターで購入した、王都の更に南で栽培されている、グレープネーブルという名のぎゅっと果実の詰まった、黄色い柑橘類の果物。甘酸っぱく、お酒に合うと評判の交易品。この宿屋、ウエイン亭でも交易商から定期的に仕入れているものだ。
「うんっ。いい?」
「おう。ちょっと待ってくれるか」
ブルズゲアは、大きめのジョッキをアリッサに差し出す。すると彼女は、グレープネーブルを両手で挟み込むように握り、前に差し出した。
「いくよ。ぎゅーっ」
『おぉおおおおおっ!』
回りの客からもどよめきがあがる。
アリッサは、グレープネーブルを押しつぶし、最後には握りつぶしてしまう。ジョッキに当たる面は、丸く皮が切り取られていた。絞られた果汁はそこから、ジョッキの中に落ちていく。柑橘類だからか、皮からはじけた成分が、彼女を包み込むように良い香りを発している。
「はい。できあがり」
「ありがとう。アリッサちゃん」
「えへへ」
アリッサがブルズゲアに渡したものは、まるで硬く絞った雑巾のようになってしまった、グレープネーブルだったもの。膝の上に置いてあった、手ぬぐいで両手を拭き拭き。彼の手の上に残ったものは、五歳の女の子が握ったとは思えないなれの果て。丸太のような腕を持つブルズゲアですら、ここまで見事に絞りきることは難しいだろう。
だが彼は驚くことなく、ジョッキに氷を入れて、なみなみと酒を注ぎ、木の細い棒で攪拌させて半分ほどまで一気に飲む。
「――ぷはっ。アリッサちゃんの『生搾り』。相変わらず旨いわな」
「じゃ、俺も」
「俺も頼もうかな?」
「はいはいー。じゅんばんにね?」
この酒場で名物になっていた、グレープネーブルの生搾り。アリッサの握力は、同年代の子供の優に数倍。瞬間的には大の大人を超えてしまっている。
『せーのっ』
「ぎゅーっ」
『おぉおおおお』
「あはっ」
果肉部分はなるべく触れないよう、器用に絞っていく。村長夫妻であり、飲食店の店主夫妻でもある両親の思いを、肌で感じて育ったからだろう。
沢山の果汁を余すことなく飲んでもらいたい。そういう心遣いも覚えているようだ。
ことの始まりはつい半年前ほど前――
力自慢でもあるブルズゲアが、酒に酔って自慢げに半分に割ったグレープネーブルを片手で絞ってみせる。酔っ払いの常連客たちは拍手喝采。
だが、それをたまたま見ていたアリッサが、真似をしようとした。グレープネーブルを持って、ブルズゲアの隣の椅子の上に立ち、彼のジョッキの上に真似してぎゅっと絞ろうとする。だが彼女の片手には、グレープネーブルは大きすぎた。
それでも意地になった彼女は、両手の手のひらで押しつぶすようにぺしゃんこにしてしまう。手についた果汁をペロリと嘗めて、『おいしっ』と笑顔。
呆気にとられていたブルズゲアも、ジョッキに入った果汁を一気飲み。『旨いな』言い、笑顔でアリッサの頭を撫でるという。そんな、ちょっとした事件があったのだ。
今日も酒場は大入り満員。看板娘である可愛らしいアリッサを愛でるためか? それともこの『生搾り』を楽しみに来ているのか?
誰もがこの異様な光景に、けっして驚いたりはしない。それはきっと、このフォーミレストラに存在する、『七神様の加護』というものがあるからなのだろう。
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