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最果ての姫仙人

 

 昔々で始まるお伽噺とぎばなしのひとつ。


 大陸の東、その最果ての森の奥に居ると言う姫仙人。

 姫仙人は絶世の美しさと老いぬ体、すべてを見透かす心眼と英知を持ち人の世を見守っていると言う。

 深い深い森の奥にある霧に囲われた湖の孤島に住み、確固たる願いを持つ心根の良い者だけがたどり着くことが出来、(あい)まみえる事が出来ればどんな願いも叶えてくれるという言い伝えが人々に語り継がれていた。


 そんなお伽噺を信じて東の果てを目指すものがまた一人また一人と深い森の中をさ迷いながら歩くのだった。






 今もまた森を抜けようと必死に歩む男が一人。

 昼夜問わず足を進め最低限の休息のみで先を急ぐ。

 男は弥一と言った。

 また十にも満たない幼い娘が重い病にかかり医者には成す術は無いと見放され、藁にもすがる思いで遥々北の小さな村から旅をしてきた。

 姫仙人のところにはどんな病にも効く妙薬があると言う、伝説ともお伽噺とも言える話を信じて。

 きっかけはたまたま村に来た行商人の言葉だった。

 その行商人の祖母もかつて重い病を患っていたという。

 行商人が言うには祖父は祖母の治療費を稼ぐために出稼ぎへと村を離れていたが祖母が死の淵にあると知らせを聞き急ぎ村へ戻る最中、祖母の無事を願い続けているといつの間にか深い森の中に迷い込んでいたらしい。

 早く祖母の元へ帰らねばと焦りならがら森を進んだ先に霧に囲まれた湖へと出て姫仙人の住む城へと辿り着いたそうだ。

 そこで幸運にも妙薬を賜り、祖母は一命をとりとめたと言う。


 その話を聞いた次の日、弥一は旅立つことを決めた。

 必ず姫仙人の元へたどり着くと決意して。

 幼い娘が死に行く姿を何もせず見ているよりも一縷の望みにかけてみることにしたのだ。

 弥一は妙薬を貰えるならばどんな対価でも自分の命でも差し出すつもりだった。

 しかし、姫仙人の居場所としてわかっているのは“東の最果て”と言うことだけ。

 そんな漠然とした場所でも行くと決めたのだ。

 森を通る度に最果ての前に広がるという深い森である事を願った。

 だが森を抜けてもまた道があり進むとまた森がある。

 その繰り返しだった。

 どこまで行けば最果てなのか、ただひたすらに東へと向かう。

 平野を歩くと先の見えぬ不安が押し寄せ緑の影が見えるとその旅に歓喜した。

 今度こそはと。


 そしてまた何度目かの森に入った瞬間、霧雨が降り出した。

 気温が下がり湿り気が体にまとわりつくとじわじわと体温を奪っていく。

 食料も残りわずかで荷は軽かったが長旅の疲れが歩みを遅くしていた。

 日が落ちるに伴い一層濃くなった霧。

 先の見えぬ白い世界に弥一はふらついて思わず膝をついた。

 疲労の溜まった体に張り付く様に細かい雨が降り注ぐ。

 少し休むべきかと考えるも今この瞬間も娘が苦しんでいると思うと立ち上がり前へ進まねばと思うが体が重く動けなかった。

 弥一はそのまま倒れるように近くの木へと凭れた。

 村を出てどのくらいたったのだろうか。

 娘はまだ無事だろうか。

 時折、こちらの無事を知らせる為に手紙を送っていたが返事を受け取ることは出来ない。

 不意に自分が旅に出たのは間違っていたのだろうかと不安が押し寄せてくる。

 ボロボロの体に心が疲れてしまっていた。


「おや、珍しい。久しぶりのお客さんだ」


 どこか陽気さを含んだ声に弥一は顔を上げた。

 村を出てただひたすらに歩き続け、森に入ってからも先が見えず少ない食料しか口にしていないせいか頭が朦朧としていた。

 人の声を聞いたのはいつぶりだろうか。

 だから目の前に突然現れた黒いローブを纏う黒髪の男の姿についに死神が現れたのかとさえ思ったのだった。


「俺の方へ先に来たか。だがまだ、連れて行かないでくれ」

「え?なんだ、お客さんじゃないのかい」

「娘の、娘の病を治して貰う為に、姫仙人様に会わなければ」


 ブツブツと呟くように話す弥一の言葉に黒い男は首を傾げた。


「うん?やっぱりお客さんかな。随分疲弊しているから混乱しているのかも」


 飄々とした口調に相手はまだ若い男だと察する。

 弥一はグッと拳を握りしめた。


「……消え失せろ。俺はまだ、死ねない」

「いい心がけだ。それじゃ、まず身なりを清潔にしないとね。そこに温泉があるから入っていきなよ」


 男が指差す先にはもうもうと湯気を上げる露天風呂の姿があった。

 コポコポと涌き出る音に今更ながら気付く。

 だが弥一は首を振り、気を振り絞って立ち上がった。

 ここで人に会えたと言うのはまだ“最果て”ではないのだろう。

 それがわかって良かったと思い気を取り直す事にした。


「早く前に進まないと。姫仙人様に……」

「だから、清潔にしないと連れて行けない、っての」


 弥一が言い終わらないうちに男は弥一の胸座むなぐらを掴むとその体を露天風呂へと投げ入れた。

 大の男を驚くほど軽々しく放り、弥一の体はザバンと音を立てて湯に沈み込んだ。

 一瞬上下がわからなくなり焦るも底に手が付いた事で体制を建て直し弥一はなんとか湯から顔を出す事が出来た。


「ゴホッゴホッ、何を」

「おお、しっかり頭まで浸かったな」

「いきなり何をする!」


 抗議の声を上げてザバザバと湯をかき分けて男のところへと戻る。

 湯縁近くまで来たところで男が手を差し出した。

 少し躊躇うもグイと腕を捕まれて引かれる。

 先ほどとは違い意外なほど優しく手を引かれ湯縁石を乗り越えた。


「頭がスッキリしたかい。汚れもすっかり落ちたみたいだね」

「た、確かに」


 先程まで立ち上がるのも辛いほど疲弊していたと言うのにいつの間にか体に力がみなぎっていた。

 ぼんやりとしていた思考も今は目覚めたばかりのように冴えている。

 空腹さえも薄れているようだ。


「さて、ここは渡船場だよ。ほら早く乗りな」

「渡船場?」


 先程は白い霧に囲まれて見えなかったがいつの間にか霧が薄れ目の前には湖が広がっていた。

 その湖の中央には山のような島とそびえ立つ城、それを支えるかのような大樹が見える。


「まさか……」

「姫仙人に会うんだろう?」

「あ、会えるのか姫仙人に」

「うん、僕は迎えに来たんだよ」

「ついに、ついに来れたのか……ああでもこんな濡れた姿で」

「うん?濡れた姿じゃないだろう」


 不思議そうに首を傾げた男に湯に落としたのはお前だと言おうとして服が乾いている事に気付いた。

 髪も乾いていて、旅の汚れが染みついていた服も体もスッキリと綺麗になっている。


「そんな馬鹿な」

「まぁいいから早く乗りなよ」

「あ、ああ」


 弥一は促されるままどこか頼りなげに見える小さな木の船へと乗り込む。

 グラグラと揺れたのは最初だけで岸を離れると船はスーッと静かに動きだした。

 男が軽やかに船頭に立ち舵を取る。



「姫仙人は本当に会って下さるだろうか」

「遥々遠くから確固たる願いがあって来たんだろう、お会いなさるさ」

「ありがとう。私は弥一と言う、君は姫仙人の家臣か何かかい?名前を教えてもらっても良いかな?」

「……瑠璃」

「瑠璃さん、さっきは失礼な態度を取ってすまなかった」

「いいよ気にしてない」

「はは、真っ黒な姿にも驚いたものだから」


 しかしよく見ると瑠璃の髪もローブも黒ではなかった。

 霧の中で黒く見えたそれは深く濃い青だった。

 その瞳さえも深い青の輝きを放つ。 瑠璃というその名の色。

 弥一はここで初めて瑠璃の顔を今までしっかりと見ていなかった事に気付いた。

 よく見ると湖の孤島を見つめるその顔はとても整っており十代かと思わせる幼さを残した青年だった。

 その青年に軽々と投げ飛ばされたのかと思うとどこか不甲斐なさを感じた。


 程なくして船は孤島の小さな渡船場へと辿り着いた。

 瑠璃は弥一を連れて城の入り口へと向かった。

 城の入り口は渡船場からは少し高台にあり、上へと登って行かねばならない。

 石畳の道が階段へと変わる時、前方から軽やかな足音が響いて来た。


「瑠璃さま」


 息を切らせて現れたのは艶やかな黒髪にぱっちりとした赤みがかった大きな瞳を持つ少女だった。

 動きやすそうな簡素な服に前掛けを纏っている。

 腕まくりをしたきゃしゃな両手で小さな包みを抱えていた。

 瑠璃の後ろにいる弥一に気付くと少女は驚きの表情を浮かべた。


「まぁ!お客様ね、お客様なんてどのくらいぶりかしら。私は姫様の侍女のヒナと申します」

「や、弥一と申します」


 勢いに押されながらも答え、ぺこりと頭を下げるとヒナは嬉しそうに笑った。


「瑠璃さま、ここからはお客様のご案内は私がさせていただいてもよろしいでしょうか」

「え、あ……ああ」

「よろしいのですね、ありがとうございます。では姫様付きの方々へのご連絡はお願いしますね」

「あ、ああ」

「これは差し入れです。あとで召し上がってくださいね」

「あ、ああ」


 矢継ぎ早に話すヒナの勢いに押されて瑠璃は困ったようにしながらも役目を譲った。

 押しつけるように渡された包みを受け取って呆然としている。

 ヒナは姿勢を正すとくるりと振り向いて弥一に声を掛けた。


「では参りましょう、弥一様」

「は、はい。瑠璃さん、ありがとうございました」


 弥一は瑠璃に礼をすると意気込んで進むヒナの後ろを小走りで追いかけていった。

 その姿を見送りながら瑠璃はくしゃりと髪をかき上げてため息をつく。


「……まぁいっか」


 一つ呟くと先程頼まれた事を思い出し、城へとのんびり足を進めた。









 弥一がヒナに案内されたのは姫仙人と応対する部屋の控えの間。


「ではでは姫様にお声がけしてきますので少々こちらでお待ちくださいね」


 そう言うとヒナは部屋を退出して行った。

 控えの間と言っても弥一にとってはとても豪華で整った部屋だった。

 落ち着いた色合いでまとめられ、質の良さを重視した様な家具。

 うながされた椅子もテーブルも触れてはいけないような気すらして弥一はヒナが戻ってきても最初に部屋に入った時と同じ場所で立ち続けていた。

 しばらくするとヒナが戻って来て驚く。


「なんで座っていないんですか。……もしかして立っているのが好きなんですか」

「い、いや……なんというか恐れ多くて」

「そんな事ないですよ、お客様をちゃんとおもてなししないと姫様に私が怒られてしまうのですから、嫌じゃなければ座ってくださいませ」

「い、嫌だなんて」

「なら座ってください、今お茶を入れますから」

「も、申し訳ない」


 そーっと遠慮しながら座る弥一にヒナはクスリと笑いながら目の前のテーブルにお茶を並べた。

 弥一はチラリチラリとお茶とヒナを見比べてなかなか手をつけようとしない。

 ヒナは弥一が危惧している事に気付き、弥一の前の椅子に腰を下ろした。

 予備のカップにお茶を注いでいく。


「私も一緒にいただきますから気にしないでお飲みになってくださいね」

「は、はい」


 ヒナが自分の分のお茶を手にするとホッとしたように弥一はお茶に手を伸ばした。

 落ち着いた頃を見計らってヒナは弥一にここに来た目的を問いかけた。

 弥一は問われるままに娘が重い病にかかり医師に手立てはないと言われたこと、その病状や余命について話した。


「それで姫仙人様のところに妙薬はないかとお尋ねしに参った次第です」

「そうですか……大変でしたね」

「でも今更ですが突然尋ねてきて姫仙人に無礼ではなかったかと心配です。こんなしがない者の話など聞いてくださるでしょうか」

「姫様は慈悲深いお方ですから安心してください。それに弥一様でしたら大丈夫ですよ、姫様が厭われるのは心根の汚い嘘や偽りなどですわ。ですからありのまま正直に誠意を持ってお会いすれば宜しいのです」


 ヒナはそう言って柔らかく笑った。

 幼い少女でありながら弥一を気遣い暖かい言葉をかけてくれる、さすがは姫仙人の侍女だと弥一は感銘を受けた。

 またヒナにどこか娘の姿を重ねみて、じわりと目頭を熱くするのだった。





 ほどなくして

 平身低頭で弥一は姫仙人の前にあった。

 お茶で喉を潤しているとどこからか柔らかい鈴の音がリンと鳴り響き、別の侍女が姿を現した。

 その侍女に連れられ謁見の間へと案内されたのだった。

 膝を付いてしばし待った後、現れた姫仙人は小柄で紗の布で顔を隠し清楚な白い装いで静かに目の前に座した。

 その両側には二人の側仕えと思われる女性、黄金色の髪の婦人とヒナよりは少し上だろうと思われる栗色の髪の少女が控えていた。

 まず、黄金色の髪の婦人にここに来た目的を問われた。

 娘が病にあること治す(すべ)が無く余命三年と言われた事、そして姫仙人の話を聞き妙薬を求めて旅に出て辿り着いた事を述べた。

 しんと静まる中に鈴の様な声が響く。


「そう、娘の病を治す薬が欲しいのね」


 ヒナの様な無邪気さはないものの年若い声だった。

 だが、しっかりとした物言いに圧力すら感じる。


「はい。対価として差し上げられる物は少ないですがこちらと私に出来ることなら何でもさせていただきます。だからどうか……」


 弥一が差し出したのは水晶花と呼ばれる限られた水源にのみ咲く花の種だった。

 希少な薬花の一つでその種は滋養に良いとされている。

 採取量は少ないが弥一の貴重な収入源の一つだった。


「……残念だけれど病を治す薬は無いわ」

「そんな」

「まぁその病を治せる“かもしれない”薬ならあるけど」

「そ、それでも構いません」

「……あなたが村を出てどのくらいたったのだったかしら」

「深い森に入るまでに一年半ほどかかりました。森に入ってからは数えておりません」

「ふぅん、それで薬を手にしたとして帰るのにまた一年半かかるとしましょう。娘の余命は約三年。戻る頃にはもう天に召されているかもしれないわよ」


 胸を刺す言葉に弥一の体がビクリと強張る。

 グッと弥一は唇を噛み締めた。

 それは旅のさなか何度も弥一の頭をよぎり考え無いようにしていた事だった。

 引き返して娘の側にいようと思ったことも数え切れないほどあった。

 それでも、弥一は諦めず目指すものの為に旅を続けた。


「間に合わなければ貴方の時間は無駄だった事になるわね。その時間、側に居ることも出来たでしょうに」


 一縷の望みを託してここまで来た、そしてお伽噺の場所は存在した。


「構いません、希望があるのなら。娘も病と戦うと私を送り出してくれました。私が戻るまで必ず生きると」


 弥一の妻も初めは頑なに止めたけれど最後は戻るまで娘は自分が守ると、待っていると言ってくれた。

 その妻と娘の想いにも応えたい。

 眦が熱くなる。


「必ず薬をもって戻ると娘と妻に誓ったのです。お願いします姫仙人、お願いします」


 悲痛な叫びのように弥一は頭を下げて頼み込んだ。

 その姿をじっと見つめていた姫仙人は一度目を閉じたあと側仕えに声をかけた。


杏花(きょうか)

「はい姫様」


 黄金色の髪をした女が姫仙人の呼びかけに答えた。

 姫仙人は袂から小袋を取り出すと側使えに手渡す。


「これをあの者に」

「かしこまりました」


 側使えは小袋を受け取るとゆっくりと弥一の元へと近づく。

 そして膝をつくと弥一の手を掬い上げ、その上に小袋を乗せた。


「旅の方、姫様からこちらを」

「こちらは……」

「あなたの娘が治る“かもしれない”薬よ」

「あ、ありがとうございます」


 感激して小袋を両手で握りしめ頭を下げる弥一。

 その瞳には涙が浮かんでいた。


「誤解しないようにね、あくまで“かもしれない”って話よ」

「はい、それでもありがとうございます。私は代わりに何をすればよろしいでしょうか」

「あのねぇ私は治るかどうか分からない薬をあげて対価を貰うような事はしないの。だから、その種も持って帰りなさい。もしその薬が娘に効いたのなら“たまたま”だから気にしないで良いわ」


急に態度を崩し砕けた口調に代わる姫仙人の姿に弥一は瞬きをして様子を窺う。


「あの、姫仙人?」

「ふふっ旅の方、姫様は対価を必要としないと仰っているのですよ」


 杏花がそう補足すると弥一はとたんに狼狽えた。


「そ、そんな。いけません」

「うるさいわね、良いからあなたは早く村へ戻りなさい。薬を持って行っても娘が既に天に上っていたら意味がないわよ」

「姫様、そういう物言いは感心しませんよ」


杏花に窘められながらも姫仙人は早く行けとばかりに手を振った。


「は、はい。私はこれで失礼させていただきます」

「……それと、その水晶花だけれど」

「は、はい」

「花びらはどうしているの」

「花びら、ですか。落ちるのをまって種だけ集めておりますが」

「半透明の花が咲いたらその花びらを集めて乾燥させると良いわ。水晶花の花びらは甘いのよ」

「なんと……花びらを口にしたことはありませんでした」

「湯に溶かせば薬湯となるでしょう。もし商売にするのなら、あなたが信用出来る貴族か領主にあなたが持って行きなさい。争いごとの起きぬように交渉するのよ。出来ないなら今の話は忘れなさい」

「はい、このような助言までありがとうございます。必ず、そのように致します」

「引き留めて悪かったわね。行きなさい」

「姫仙人、本当に本当にありがとうございます。この御恩は決して忘れません」

「感謝は娘が元気になってからしなさい。“かもしれない”薬なんだから」


 涙を流しながら何度も何度も頭を下げる弥一に姫仙人はそう言うと退出を促した。

 控えていたヒナが扉を開け、弥一を出口へと案内する。



 弥一が去り扉が閉まった後、姫仙人の側に控えていた栗色の髪の少女が口を開いた。


「姫様ってば意地悪に言わなくても良いのに」

更紗(さらさ)

「わざと意地悪に言うなんて姫様らしくないですね」

「更紗、姫様はあの者の決意を確かめられたのですよ」


 更紗と呼ばれた少女の言葉を杏花が窘めた、二人とも姫仙人の腹心の側仕えである。


杏花(きょうか)、良いのよ」

「良くありませんよ。更紗、姫様のお気持ちを推し量れるようにおなりなさい」

「はぁい、どうせ私は杏花様より三百年も下ですもんね。まだまだですよ」

「もう拗ねないのよ、更紗」


 頬を膨らませる少女の頭を姫仙人が撫でる。

 すると更紗はすぐにニコニコと笑顔に変わった。

 杏花は微笑ましそうにその光景を見ながらもう一人の姫仙人に仕える者を思い浮かべた。

 自分よりもずっとずっと前から姫仙人と共に居る深い青の者。

 いち早く旅人の訪れを察し、迎えに出た青年。


「私だって瑠璃には敵いませんよ」

「あー、あの人は謎ですよねぇ」

「瑠璃は謎なんかじゃないわよ。杏花も撫でてあげようか」

「姫様ったら」


 いたずらっぽく笑う姫仙人に杏花は苦笑するが相手は遠慮なく手を伸ばしてその黄金色の髪を撫でた。

 撫でられる自分よりも嬉しそうに微笑んでいるのが紗の布越しに伝わるものだから杏花も照れを隠して好きに撫でさせる事にした。

 先程の硬い声音よりも無邪気な話や仕草の方が姫仙人らしいと思いながら。





「お、その顔は上手くいったようだね」


 城から出ると弥一は渡船場へと走り出した。

 待ってくれていたのだろうか辿り着いた場所にいた瑠璃は弥一の顔を見て嬉しそうに笑った。


「ありがとう瑠璃さん、あなたのおかげだ」

「違いますよ。貴方の思いがここへの道を開き、姫仙人を動かしたんだ。薬を貰えたのでしょう?」

「ああ、姫仙人様は治る“かもしれない”と言う薬をくださった」

「それはまた……曖昧な薬ですねぇ」

「きっと万能薬など無いのだろう。それでも私には希望の薬だ」


 医者も成す術がないと言った病に可能性が生まれたのだ。

 ありがたいと弥一は胸にしまった小袋を大事そうに撫でる。

 夢見ていた、お伽噺の様な出来事が自分の身に起きたのだ。

 娘が助かるかもしれない。

 瑠璃は感激に打ち震える弥一を船に乗せると深い森へと向かって漕ぎだした。

 森は雨こそ降っていないものの深い霧が漂う。


「ヒナさんにも後で宜しく伝えて貰えるだろうか。とても良くしてくださったんだ」

「あ、ああ……わかった。さぁ着いたよ」

「ありがとう、少しでも早く戻れるように頑張るよ」

「道中気をつけて。良いかい弥一さん、このまま真っ直ぐに進むんだ。霧を抜けて森の中もただ只管に真っ直ぐ進めば抜けられる、森を抜けてもまた霧に囲まれるだろうけど帰る故郷と待っている家族を思い浮かべながら真っ直ぐに進むんだ」


 瑠璃のひどく真剣な忠告に弥一はごくりと唾を飲み込むと頷いた。

 言われた事を頭に叩き込む。


「わかった」

「振り返ったり雑念に捕らわれたりしては駄目だよ。前だけ見て」

「肝に命じる」

「風が導いてくれるよ」

「本当にありがとう」


 弥一は手を振って走り出す、瑠璃はその背を祈る様に見送った。

 やがて霧がその姿を包み込み見えなくなるまで、ずっと。







「はぁ、はぁ、はぁ」


 響くのは自分の呼吸の音だけ。

 肺が痛くとも駆ける足を止めない。

 逸る気持ちのせいか弥一はどこまでも駆けれる気さえしていた。

 彷徨ったはずの深い森は気付けばあっという間に抜け出ていた。

 今はただ白い霧の平野を駆け抜けている。


「つる子、ゆみ……待っていてくれ、急いで帰るからな」


 妻と娘の名を呼び弥一は一心に霧の中を走り抜けた。

 瑠璃に言われた通り、帰る場所を家族を思い浮かべながら。


「霧が薄くなってきたな」


 弥一は次第にはっきりと見え始めた光景に思わず足を止める。

 目の前に広がる景色は旅立った時とそう変わらない懐かしい景色。

 見慣れた木々に連なる道。

 家族の待つ村へと繋がる丘の上に弥一は立っていた。


「……ありがとう。ありがとう姫仙人」


 一年半かかった道のりをあの霧を抜けただけで越えられるはずがない。

 だが、お伽噺は実在したのだ。

 不可思議な力が家路を繋いでくれたのかもしれない。

 疑うよりも早く駆け出し薬を大切にしまっている胸元に手を当てて感謝する。

 弥一の目にはいつの間にか涙が溢れていた。

 全力で駆けるその姿に見知った村人が声を上げる。

 返事もそこそこに目的の建物へと飛び込んだ。


「今戻った!」


 息を切らせてかけた大声に返って来た二つの声。

 弥一は止まらぬ涙と共に愛しい家族へと駆け寄った。











「ちゃんと辿り着けた様ですよ、姫様」

「良かった、そうでないと困るわ」


 物見の場としている城に寄り添って立つ大樹のとある枝の上に並ぶ二つの人影。

 先ほどまで目の前の霧に映し出されていた景色が消えて白い靄だけがあたりを包む。

 瑠璃はフードを落とし、髪を風にさらした。

 それに倣うように姫仙人も顔にかけていた紗の布を取り外す。

 姫仙人の乱れた髪を瑠璃が手を伸ばして整えていると赤みがかった大きな目がこちらを覗き込んでいた。


「私の意を汲んでくれたのね」

「……」

「ありがとう」


 弥一へと伝えた言葉を言っているのだろう、姫仙人はいつだってお見通しだ。

 瑠璃はゆるゆると首を振る。


「それよりも侍女のフリは辞めた方がいいですよ“ヒナギク様”」

「……ちょうどいいタイミングだったのだもの」

「あとで杏花にお叱りを受けるでしょうけど覚悟しておくんですね」

「……そ、それより差し入れは食べた?」

「ええ、美味しかったです」

「そう、良かった」


 安心したようにヒナギクは胸をなで下ろした。

 おそらく自分への差し入れを作っていてあの侍女のような装いだったのだろう。


「今度は一緒に食べましょう」

「うん」


 二人は笑みを交わすとまた、視線を前に向け遠くの景色を眺めた。

 白い景色の先に、思いを馳せる。


「それにしても戻るのにあと一年半もかかっては娘さんの命に間に合わないかもしれませんし少しでも近くの場所に出ればと思いましたが、まさか故郷の村まで行くとは」

「……それだけあの者の願いが強かったのよ。私の術はあくまで補佐的なものだもの」


 掛けた術は霧を抜けた時に弥一の帰路が少しでも短くなるようにと思う強さが、願いが目的地への距離に反映するという言うものだった。

 愛する娘の生命に間に合うように。


「時に人は思いもしない凄い力を発揮するわ」

「きっとあの人の娘さんも治るでしょうね」

「純粋な思いと切なる願い、強い信念が無いとこの渡船場へは辿り着けない。長い時の中で忘れ去られても構わないと思っているのに不思議と人は現れる。だから私は人の世を離れられないのだわ」

「人の世を見守る役目と時には導くことを担われてるんでしたっけ」

「どうだったかしら、昔過ぎて忘れたわ。人は嫌いじゃないけどね」

「忘れてなんかないクセに。まぁ、そんな姫様だから俺は側にいたいって思うんです」

「……あなた生意気よ」



穏やかに微笑む瑠璃の肩にヒナギクはそっと寄り添う。

 長い時を生きる二人の時間は緩やかに流れていた。






  





 昔々で始まるお伽噺のひとつ


 最果ての姫仙人

 悠久の時を経ても語り継がれるのは時にはそれがお伽噺ではなく

 心より願い信じる者の前にはその姿が現れるからかもしれない

姫仙人は今も最果てより人の世を見守っている

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