33 サクラサク
「咲良……あの、穂乃果と志乃ちゃんのことなんだけどさ」
途端に咲良の表情が曇る。
「色々と誤解があるみたいで、少し話を聞いてもらえないかなーと」
張り詰めた空気の中、咲良がお茶を飲む音だけが聞こえる。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと話し出す。
「穂乃果ちゃんに聞いたよ。兄貴、志乃にまで手を出すとか信じらんない」
「いいか、最後までお兄ちゃんの話を聞いてくれ。表面的には志乃ちゃんが俺を押し倒して、俺も志乃ちゃんを押し倒した形になってしまったが、あくまでも全部誤解なんだ」
カシャン。
咲良は無言でカップをソーサに置いた。
「穂乃果とのことも誤解だぞ。確かに正座している俺を穂乃果が足蹴にしたことは確かだが、思っているようなのとは違ってだな。俺達は付き合っている訳ではなく、あの場だけでの関係で、その、なんて言うか」
咲良のカップが震えてカチャカチャ音を立て始める。
「あのー、咲良? 分かってくれるかな」
どん! 咲良はテーブルに拳を振り下ろすと、勢い良く立ち上がった。
「どうぞ皆さんゆっくりしていってください! 私、片付けものあるから行くね!」
「あ、おい!」
取り付く島もなく立ち去る咲良に手を伸ばすが、虚しく空を掴んだだけだ。
俺は力無くうなだれた。
「……なあ、俺なんか間違ってたか?」
落ち込む俺の耳に、登呂川の大きな溜息が聞こえる。
「拓馬君、脳味噌の代わりにマドレーヌ詰めてみる? 少しは良くなるかもよ」
「お前、馬鹿だったんだな。薄々気付いてはいたけど」
「悪い、今のは俺もフォロー出来ない」
なんでみんなこんなに辛辣なのか。
「諦めよっか。最初から過ぎた望みだったのよ」
「そもそも付き合ってないんだし、これだって元鞘みたいなもんだろ」
言葉の棘がさらに鋭くなっていく。これが正論DVという奴か。
「もういい。俺は虫だ。夕方自転車に乗ると口の中に飛び込んでくる小さな虫なんだ」
すっかり意気消沈した俺が体育座りをしていると、マドレーヌを食べ終えた水無月がパンパンと手の食べかすを払った。
「まったく、仕方が無いな。乗り掛かった舟だ」
水無月は俺の服で手を拭いてから大儀そうに立ち上がる。
「私が妹さんと話をしてみよう。女同士の方が何かと分かり合えることもある」
「おおっ! 本当か?!」
「秋月には何気に借りがあるしな。どーんと、熨斗を付けて返してやる」
「水無月~、お前意外といい奴なんだな」
溺れる者は水無月にもすがるのか。俺は目を潤ませながら彼女の手を握った。
「こら、どさくさに紛れて触るな! じゃあ、行ってくる」
たっぷり10分もたった頃だろうか。水無月はパーカーに手を突っ込み、悠然と部屋に戻ってきた。その頬に浮かぶ微かな笑み。
「おい、水無月、どうなった!」
「ふっ」
どや顔で親指をびしっと立てる。
「おおっ!」
「悪化した」
「はいっ?!」
どういうことだ。これ以上悪化するような要素がどこに。
我慢できずに台所に駆け込むと、俺に向かってオレンジの皮が飛んできた。
「兄貴最低。近寄らないで!」
咲良が今度は中身入りのオレンジを振りかぶったのを見て俺は退散した。
戻ると、水無月は流石に気まずそうにマドレーヌをモサモサ齧っている。
「お前、何言ったんだよ!」
「だから、首絞めとか全裸土下座とか今どき一般的なプレイだとちゃんと説明を」
「お前、俺の話聞いてた? ねえ、聞いてた?」
「こ、こら、フードの紐を引っ張るな」
もみ合っている俺達を見て、登呂川は仕方が無いとばかりに溜息をつく。
「じゃあ私が行こうか」
「行ってくれるのか?」
「ここまで来たら仕方ないじゃない」
やれやれと肩をすくめる登呂川。今回ばかりはその余裕っぷりも頼もしい。
「それに女の子同士の方が何かと分かりあえると思うよ」
「そのセリフ、ついさっきも聞いた気がするんだけど」
流石に水無月よりはうまくやるだろう。一応期待しながら登呂川が戻ってくるのを待つ。
10分経過。戻ってくる気配はない。
……15分を過ぎた頃、登呂川が戻ってくる。その顔に浮かんでいるのは、そう。何かをやり遂げた満足感だ。
「どうだった!」
「ふふっ」
両手を差し出して親指2本だ。
「あの子、風見君に気がある様だったのでくぎを刺しておきました」
「お前、何しに行ったんだっ!」
もう駄目だ。俺は大の字に寝転がった。そもそも穂乃果みたいな高嶺の花相手に俺が近付けただけでも身に余る光栄だったのだ。
今まで沈黙を保ってきた風見がゆっくりと立ち上がる。
「自信は無いけど、俺が話をしてみるよ」
「え。いいのか?」
風見は無言で俺の足をつま先で小突くと、台所に向かった。
ああ、なんていい奴だ。このまま穂乃果にふられたら、風見でもいい気がしてきた。
そんな時、マナーモードにしていたスマホが震えているのに気付いた。無視する俺を登呂川がつつく。
「拓馬君、電話出て」
「今それどころじゃ」
「いいから」
スマホを見ると、発信者は登呂川蜜。
「ん。あれ?」
「さっき、風見君のスマホとすりかえたの。これで中の会話が聞こえるわ」
なるほど。というかこいつ絶対、常習犯だ。
だが話の内容が気になるのは確かだ。スピーカーモードにしたスマホに3人で顔を寄せる。
『咲良ちゃん、色々大変だったね』
『風見さんも、兄貴の味方なんでしょ? じゃあ、話なんて聞かないよ』
『俺はどちらの味方でもないよ。咲良ちゃんには、ちゃんと一通り話を聞いて考えて欲しくてね』
『兄貴の言い分なんか聞いたって仕方ないじゃん』
困ったような沈黙が続く。
『んー、じゃあ今日は咲良ちゃんの味方だ』
『ホント?』
電話越しにも分かる。咲良のウキウキ声。
しばらくは近況報告やお菓子の作り方の話題で花が咲く。登呂川から黒いオーラが漏れだした。
『さっきだって、部屋で女の人とイチャイチャしてたんだよ。私も家にいるのに信じらんない』
話はいつの間にか俺の悪口に。そうか、あれはイチャイチャなのか。
『ふざけてただけだと思うよ。拓馬、そんな軽い奴じゃないからさ』
『そうかなあ。兄貴は可愛ければ見境なしなんだよ』
『はは。あいつ、顔に出るからなあ。確かにいつも女の子にデレデレしてるかも』
風見の奴、咲良に話を合わせて思ってもないことを。ふと二人の顔を見ると、なぜか小さく頷いている。
「俺、いつもデレデレしてる?」
「うん。正直ちょっとキモイ」
「大丈夫、お前がエロキモいのは知ってるから」
そうか。キモイか。よし、全て終わったら死のう。
『だから勘違いして志乃にもちょっかいかけるんだよ』
『志乃ちゃんのことは誤解なんじゃないかな。だって、あいつの好きなのは穂乃果さんだから』
『あー、やっぱそうなんだ。我が兄ながら身の程知らずだ』
身の程知らずで悪かったな。
『穂乃果ちゃんだって迷惑してるんじゃない?』
『んー、どうだろう。穂乃果さんにとっては、拓馬はそれなりに大切な人なんだと思う』
『誤解でもなんでも、志乃に悪さしたのは許せないよ』
『志乃ちゃんも穂乃果さんが心配であんなことをしたんでしょ。そして、穂乃果さんは志乃ちゃんが大事だから怒ったんだ』
『うん』
『咲良ちゃんも志乃ちゃんが大事な友達だから拓馬に怒ったんだよね。みんな、自分の好きな人を大切に思って行動しただけで、誰が悪いわけでもないんだ』
『うーん、そうなのかな』
『拓馬は色々と不器用だし、誤解というか、周りを勘違いさせることも多いからね』
『馬鹿だからだよ。兄貴が』
『でも良いやつだよ。それは咲良ちゃん、君が一番知っているんじゃないかな』
『まあ、悪人じゃないけどさ』
『志乃ちゃんのことも含めて、穂乃果さんに君の口からちゃんと事情を話してあげてくれないかな』
『うーん、風見さんがそう言うなら』
疑問や誤解に直接触れることもなく、何となく解決ムードだ。
これか。これが女心か。風見は女心マスターか。
こっそり台所を覗くと、そこは二人の世界。楽しそうに談笑している咲良のバックには、満開の花が咲いている。
登呂川は殺し屋みたいな目で咲良を見てるし、水無月は何が気に入らないのか、油性マジックを取り出した。待て、人の家でキャップを開けるな。
わちゃわちゃしている俺達に気付いたか。咲良が照れと不機嫌の間くらいの表情で俺を見る。
「兄貴、何やってんのさ」
「いやあ、マドレーヌ美味しかったからお礼に来たんだよ」
思わず愛想笑いを浮かべたが、多分こんなところがキモイのか。
「とにかく、兄貴にも色々事情があるのは分かったよ」
それってつまり。
「穂乃果ちゃんに、兄貴とちゃんと話をするように言ってくるよ」
「咲良ぁぁぁ! ありがとー!」
「兄貴、くっつくな! うざい!」
うざくて結構。俺は思わず頬ずりをして、咲良にぶん殴られた。
咲良ちゃん、ようやくお兄ちゃんに心を開いてくれました。
完結まであと2話! 明日は昼と夜に更新です。
そして明日の夜、新連載開始します!




