32 カマドウマよりじっとしてない
「兄貴、ホントに風見さん来るんでしょうね」
咲良はオーブンからトレイを取り出し、真剣な眼差しでマドレーヌの焼き具合をチェックする。
日曜日の昼下がり。俺はそわそわと時計を見ながら3人の到着を待っていた。
「ホントだって。あいつ甘いものに目がないから。咲良がお菓子作り上手だって言ったら是非食べたいって」
「ふうん。まあ、いいけど」
言いながらもちょっと口の端がにやけている咲良。
そうか。これが青春の目覚めか。風見ならお兄ちゃんも交際を認めてあげるぞ。
「まだしばらくかかるし、いいからあっち行ってて。私、忙しいから」
ミトンを付けたままの手で、シッシと俺を追い払う。
それでもいいさ。風見効果で話をしてくれるまでこぎつけたのだ。相変わらず目は合わせてもらえないが。
「チャイム鳴ったよ。手が離せないから兄貴出て」
時計を見ればすでに約束の時間だ。
「はいはい、いらっしゃい」
玄関のドアを開けると、水無月と登呂川の二人。
「やっほー。来たよー」
「あれ、風見は?」
「なんか少し遅れて来るって」
「まあいいや。二人とも上がりなよ」
二人をリビングに通そうとしたのだが、水無月は迷わず階段を上り始めた。
「おい、勝手に2階に上がるなよ」
「場所なら分かるから安心しろ。ベランダがあるのがお前の部屋だよな」
「あ、私も噂のベランダ見てみたーい」
こいつらマジでやりたい放題だ。俺が止めるのも聞かずに勝手に部屋に上がり込む。
「わー、男の子の部屋なんて入るの初めてだー」
登呂川は俺の本棚を勝手に漁りだす。
しかしこんなこともあろうかと事前にヤバイ物は片付け済みだ。まあ、気が済むまで家探しをしてください。
「ふーん、テレビも無いのか。つまんない部屋だな」
水無月、何でベッドの下を覗き込む。あ、こら、マットレスの下に手を入れるな。前言撤回、水無月をベッドから引き剥がす。
「おい、どこ触ってんだ。女子が部屋に来たからって興奮するなよ」
「お前こそ人の部屋を勝手に漁るな。そもそもお前に変な気なんか起こすかよ」
「そういやそうか。お前、お姉さん系が好きみたいだしな」
水無月の手にはいつの間にか秘蔵の『隣のお姉さん~総集編』が。
「ちょっ! お前、それよこせ!」
「ねー、何でカーテン閉め切ってるの?」
カーテンの隙間に顔を突っ込む登呂川。あーもう、何だこいつら。カマドウマでももうちょい、じっとしてるぞ。
「あ、穂乃果ちゃんだ。おーい」
ふぁっっ?!!!
慌てて登呂川の頭を押さえつけると、窓の外、穂乃果とバッチリ目が合った。穂乃果は表情を変えずに目を逸らし、カーテンを素早く閉めた。
「穂乃果……」
「ちょおっっと! 頭を触らないでよ!」
登呂川は俺を突き飛ばして髪を直しだす。
「あーもう、ぐちゃぐちゃじゃない」
「なあ、これって場合によっちゃ、俺が登呂川を部屋に連れ込んだみたいに見えないか?」
「あー、そうね。完全にあれよね。ふられたそばから他の女に手を出す無節操男だよね。そりゃふられて当然よね」
髪型を崩されてすっかりへそを曲げたか、言葉がキツい。
「二人とも、私に任せておけ」
水無月がスマホで何かを打ち始めた。
「私が掛彬に『たったいま駅前で風見と偶然会った』とか送っとけば完璧な偽装工作完成だ」
ああ、そうか。うん? いや待て、そっちじゃない。
「逆だ逆! 二人っ切りだと思われると困るんだよ!」
「え、わざと妬かせる恋愛テクニックじゃないのか。もう送ったぞ」
「すぐ訂正しろ! ほら、二人並んで。証拠写真撮るから、穂乃果に送ってくれ」
「うーん、でも穂乃果ちゃんを仲間外れにしているみたいで気が引けるなあ」
「じゃあ、秋月抜きで掛彬の家に遊びに行こうぜ」
お前ら自由過ぎるにもほどがあるだろ。
「とにかく写真撮るから。水無月、スマホ貸してくれ」
「慌てるなって。せっかくだから臨場感を伝えないと」
水無月は思案深げに部屋を見渡し、ポンと手を叩いた。
「よし登呂川、二人でベッドに入ろうか」
「花火ちゃん、脱いだ靴下がベッドの下に落ちてるのもいいんじゃないかな」
「それ採用だな。サービスで、パーカーも脱いでやるか」
やめろやめろ、何もするな。証明写真のごとく直立不動でいてくれ。
「こら、勝手に布団に入るな! 脱ぐなって! ティッシュを丸めて枕元に置くな!」
来訪からたったの数分で、何もかもが混沌に飲み込まれていく。こいつら破壊神か。
「……兄貴、なにやってるの」
いつの間にか咲良がドアを開けている。久々に正面から俺を見つめる瞳は、まるで真夏の三角コーナーを見る時のそれだ。
「なっ、何でもないって! それよりちゃんとノックをだな」
「したよ。風見さん来たから、リビングに通しといたから」
去り際、生ごみを見る目で俺を一瞥し、
「私もいるんだから、そういうことは程々にね」
「お、おう……」
いかん。いきなりマイナスからのスタートだ。
「拓馬君、話通り妹さんに嫌われてるねー。こりゃ大変だ」
「気を落とすなよ。思春期の女子というのはあんなもんだ」
誰のせいだよ。この二人を呼んだのは完全に失敗だった。
「いいからリビングに行くぞ。風見を待たしてるんだから」
二人を引っ張ってリビングに降りると、すでに焼きたてのマドレーヌとお茶が並んでいた。オレンジの香りが仄かに漂う。
「よお、拓馬。先にお茶を頂いてるぞ」
「はい、風見さん、マドレーヌどうぞ」
甲斐甲斐しく給仕をする咲良にお礼を言って微笑みを返す風見。登呂川が乱暴に俺の服を引っ張ると、背後から囁く。
「ねえ、風見君と妹さん、なんか仲良くない?」
「そりゃ、俺が中学の頃から何度も会ってるし。妹みたいなもんだって」
「なにそれ。聞いてないよ」
いや、言ってないし。何で俺をそんなに睨む。
「皆さんも座ってください。お茶注ぎますね」
にこやかに俺達をもてなす咲良。俺の妹、こんな感じだったっけ。
「咲良ちゃん、このマドレーヌ美味しいね」
「おー、紅茶もおいしい。はい、風見君も飲んでみる?」
「うん、同じの飲んでるから大丈夫だよ」
本当だ。いつもの格安のティーバッグじゃないぞ。
この前、志乃ちゃんに入れてもらったのと同じ味がする。風見に飲ませようと分けてもらってきたのだろう。
美味しいお茶とお菓子の効果か。雰囲気がすっかり和やかになった。
咲良は流石に気になるのか女子二人をチラチラと見ている。
「お二人は兄貴の友達なんですか?」
水無月はなぜか自慢げな顔をする。
「まあ、それ以上の存在だな。言えないようなことまで面倒を見てやってるし」
「言えないことっ?!」
咲良はビクリと身を震わせて、俺の顔を睨みつける。待て、何でそんな誤解を招く言い方をする。
「何でそうなるんだよ! ほら、最近二人に悩み相談に乗ってもらってるんだ。女子でないと分からないことだってあるだろ?」
「まあ、そうかもしれないけど」
「そうそう、私達は女の子の秘密を教えてあげる先生みたいなものかなー」
「秘密……」
咲良は疑わし気に二人の顔を見つめている。よし、こいつらにはそろそろ帰ってもらおうか。
「でも、兄貴には気を付けてくださいね。二人とも美人だから、兄貴が勘違いしちゃうし」
「……私のことは蜜姉さんと呼んでもらっていいのよ」
「私は水無月だ。何も付けずにお姉ちゃんで構わない」
美人と呼ばれた二人はすっかり上機嫌だ。登呂川がテーブルの下で俺を小突く。
「拓馬君。妹さん、いい子じゃない」
うむ、いい子なのは俺が保証しよう。さて、空気も和んできたところだ。そろそろ話を始めるタイミングか。
俺は気を決して切り出した。
「咲良、あの、穂乃果と志乃ちゃんのことなんだけどさ―――」
準備は整いました。咲良ちゃん攻略作戦の開始です。




