31 今日の完落ちさん
「きゃっ!」
「うわ、すいません」
急いで部室から出た俺は女生徒とぶつかりそうになった。
謝ってその場を立ち去ろうとした俺は女生徒の顔を思わず二度見する。
「あれ。もしかして、天愛星先輩?」
「ちょっ! 下の名前で呼ばないで!」
その女生徒は風紀委員長の馬剃天愛星。
俺が戸惑ったのも無理はない。
ひっつめ髪を辞めたらしく、ロングヘアーを耳の上で小さく左右に括ったツーサイドアップなる髪型に変わっている。いつか風見に素晴らしさを熱弁されたスタイルだ。
しかもコンタクトにでもしたのか眼鏡をしておらず、まるで別人である。良く気付いたな、俺。
「失礼しました。それじゃ、俺はこれで」
何故そんなイメチェンをしたのか気になったが、なんか面倒事の気配しかしない。俺はそそくさとその場を離れたが、
「あの、なんで付いてくるんですか」
何故か天愛星先輩は俺の後ろを付いてきている。
「は、ははは、はい?! 何故私があなたを付け回さないといけないんですか!」
だからこっちがそれを聞いているんです。
「そうでないんなら、俺こっちなんで」
振り切ろうと廊下を曲がろうとする俺だったが、上着の裾を引っ張る天愛星先輩。
「なんですか。俺、今日は変な物を持ち込んだりしてませんよ」
「そっ、そんなんじゃないから!」
「じゃあ、なんですか」
「だ、だから。あなたがあんな名前の部活でいかがわしい行為を行っていないか、風紀委員長として監視をしていただけです」
「またですか。そんなの言い掛かりですよ」
「あなた、風紀委員室で私に何をしたのか忘れたのですか」
おう。それを言われると立場が弱い。
「あのですね、先輩。うちの部は心の腐っ、いや、汚れている人は変な風にとらえるかもしれないですけど」
「はいっ? 私の心が汚れているとでも言うのですか! ちょっと、こっちに来なさい!」
「待ってください、ちょっと!」
ぐいぐいと俺を人気の無い階段下に引っ張り込む天愛星先輩。
この学校、人目につかない死角多過ぎではないか。
「だから、俺はなにもしてないですよ!」
高校入学以来なんで女子にこれほど責め立てられるのか。女の子は砂糖菓子で出来ていると聞いていたのに。
怯える俺を尻目に、天愛星先輩はもじもじと目を伏せ、つま先で床をトントンと叩く。
「な、なんか気付かない?」
え。いきなり何言ってんだ。俺は戸惑い、
「なんですか。せめてヒントください」
「ほら、あの、前と違うというか、あの」
もじもじもじ。ちょっと可愛いが、それ以上に訳が分からん。
「ほーら、ほら」
なんか顔を真っ赤にしながら、こめかみから左右に伸びた髪を手の平でポンポンと叩いて見せる。
ちょっと、委員長。あなた3年だし、今年受験じゃないのか。
「えーと、先輩」
イメチェンしたのを言って欲しいのだろうか。
対応に困るが、ここはあえて「見」に徹することにしよう。
あの堅物の風紀委員長が、どうした気の迷いかこんな嬌態を晒しているのだ。じっくり目に焼き付けるしかないだろう。
「ほーら……ほら」
あ、段々勢いが落ちてきた。天愛星先輩、耳まで真っ赤だ。
「あの、その……ほら」
やばい。顔色が赤を通り越して青ざめてきた。
「先輩、そろそろ」
「ちょっと、秋月拓馬! 何とか言いなさいよ!」
「はい?」
いきなり激昂する天愛星先輩。何で切れられてるんだ、俺。
「あなたがこういうのが好きって言うから、髪型変えたり色々したのに!」
何言ってんだこの人。なんかぐいぐい俺を壁に追い詰めてくるし。
鼻をつく匂いは、かけすぎた制汗剤の香りだ。それを追い越してかすかに香ってくるのは馬剃天愛星の汗の香り。
「いえいえ、こういうのが好きとか、俺そんなこと言ってないですよ!」
「それはもう、言ってないでしょうけど! ちゃんと責任はとってもらわないと!」
えー、そんな馬鹿な。なんだこの流れ。
「とりあえず落ち着いてください。いいですか、こんなとこ誰かに見られたら」
「あーもう、この写真見せた方が早いかな」
「写真?」
天愛星先輩はスマホを俺に突き出した。
「ほら、あなたとこれ、同じクラスの風見樹でしょ」
「あ、これ」
つい先日の写真だ。
風見に連れられて行ったアニメイトで、アニメキャラの髪型の変遷について熱く語られた場面だ。ラブピョンの等身大パネルの前で。
そういえば先輩とラブピョン、同じ髪型だ。
「その帰り、二人は相合傘で駅まで」
次の写真は俺と風見の後ろ姿。確か、急に雨が降ってきたので俺の傘に風見を入れたんだっけ。
「で、これが先日、風見樹があなたにメロンパンを」
「ああ、これはなんか新商品が美味しいからって無理矢理食わせようとしてきたんですよ」
……ん?
「あの、先輩」
「なんですか?」
「なんでこんな写真があるんですか」
「安心してください。あなたたち二人のことはちゃんと秘密にしますから。私はあなたたちの味方として傍で見守っていますから」
「待ってくださいよ。これ盗撮ですよね」
「へ? そんな失礼な! ちゃんとシャッター音を無音にするアプリを使ってますし」
へー、そんなアプリがあるのか。って、いやいやいやそうじゃない。
「写真、禁止です」
「え、でも。二人のメモリアルを」
「じゃあ、勝手にその目に焼き付けてください」
俺は天愛星先輩の肩を掴むと、ぐるりと体の位置を入れ替えて攻守逆転。彼女を壁に押しつけた。
もういい加減、構っていられない。早く買い出しに行かないと、あの二人怖いんだぞ。
「な、な、なんですか。またしてもあなたは、風見樹という人がいるにも関わらず、わ、私にそんな!」
「あのですね、俺は」
言いかけて俺は言葉に詰まった。
うるんだ瞳。上気した頬。微かに開いた唇から荒い吐息が聞こえてくる。掴んだ細い肩は小刻みに震えている。
ふと、雑貨屋での登呂川との会話を思い出す。
え、これってかなりやばいシチュエーションではないですか。俺は周りを見渡す。
よし、誰にも見られてないな。ほっとして視線を戻すと、先輩は何故だか目を閉じている。
「っっ!?」
待って待って。無理だって。俺、女の子と手を繋いだこともないんだって。
というか、そもそも彼女と俺、全然そんな関係じゃないし。こんな時どうすればいい――
ああ、そうか。
俺は黙ってその場を立ち去った。先輩、目を閉じてるし。
――――――
―――
「お待たせ―」
俺は戦利品をテーブルの上に並べた。
「ジャガリコはサラダ味で良かったよな。興繕町のローソンはこの時間、からあげクンがちょうど揚げたてだからちょっと足を延ばしてきた。コロンのローソン限定栗味も最後の一個だったんだぜ」
自分でも短期間でメキメキ買い出シストとしての腕が上がっているのが分かる。これが充実感という奴だ。
「へーえ。それはそうと、作戦はこの前決めた通りでいいんだよね」
俺の苦労を知ってか知らずか、登呂川はからあげクンを2種類一緒にモシャモシャ頬張る。
「そうだな。特に今日は話すことも無いか」
水無月はジャガリコを齧りつつ、テレビのチャンネルを回している。消えていった俺の英世さんは何だったのか。
「ああ。今週末、俺の家にみんな集まってもらって、まあ、うまいこと咲良をなんとか説得しよう」
「うんうんそうだね。はい、風見君もからあげクンどーぞ」
俺はジャガリコに手を伸ばそうとして、気付く。
あれ、ちょっと待って。この作戦、なんかえらくボヤっとしてないか。
「なあ、皆もうちょい計画を詰めてもいいんじゃ」
「秋月、明日はジャガリコの明太チーズ味頼むな。期間限定らしいぞ」
「あー、私はアイス食べたい。チョコ系。ね、風見君はアイスなら何が好き?」
「おれはアイス饅頭派だな」
「分かるー。あれって急に食べたくなるよねー。じゃあ明日のおやつパーティーはアイスはどうかな」
おやつパーティーって言っちゃった。ああもう、俺を助けてくれるならそれでもいいさ。
「分かったけど、俺のこともちゃんと考えてくれてるよな?」
登呂川と水無月は虚を突かれた風に顔を見合わせた。食べかすを口の周りに付けながら、こくりと頷く。
「「もちろん」」
天愛星先輩の受験が心配です。
次回、二人の仲を取り持つべく、友情パワーが発揮されます。




