03 熱い視線
「はい、ゲーム終了! 交代だ、次の組入って!」
体育教師の大声が響く。
十分間走り回ってクタクタの俺はバスケットボールを次の組に渡した。ミニゲームとはいえマジ疲れた。ボール取られまくるし、一点も取れないし。
体育館の壁にもたれながら、ぼんやりと女子のコートを眺める。
女子のコートでは穂乃果も試合を終えてコートから出てくるところだ。男どもの視線が集まっているのが分かる。
穂乃果、やっぱ可愛くなったよな。胸もいつの間にあんな大きくなったんだ。
昨晩の白いブラを感慨深く思い出していると、額の汗をぬぐいながら友人の風見樹が隣にくる。
「拓馬、最近運動不足じゃないか。動きがヘロヘロだったぜ」
風見樹は爽やかなイケメンだ。
さらりと流した前髪はバスケで激しく動いても何故か崩れない。
物腰は柔らかく、何より性格が良い。盛り過ぎじゃないのか。
当然女子人気は高く、バスケのミニゲームでシュートを決めたときは黄色い声援が上がったほどだ。
なぜこんな完璧超人が平凡な俺の友達なのか。
「お前、少しは容赦しろよな。俺のパス、ことごとくカットしやがって」
「勝負は勝負さ。なあ、拓馬。昨日の魔法少女ワクテカだけどさ、良かったよな」
いやいや、俺見てない。つーか何で見てるの前提なんだ。
風見は構わず話し続ける。
「大島センセ脚本回は作監がテッシーだから期待通り神回だったな。Bパート初めのトト子の告白シーンの作画がマジヤバだったし、そのシーンに力を入れるのが分かってるというか。そもそも魔法少女のアンチテーゼ作品は数あれど――」
そう、風見樹は重度のアニオタだ。しかもアニメの話になると早口になる。
女の子から告白された数は数知れず、その全てを「俺、平べったい女の子しか愛せないから」で断っているのだ。
中学の頃からファンクラブがあり、古参の風見ファンはそれも含めて奴を支持しているらしいからこの世界は奥が深い。
風見のアニトークを聞きながら、俺は昨晩の穂乃果との出来事を思い返していた。
……良く分からない所も多かったが、とりあえずオタクであることを知られたくないらしい。
しかし穂乃果がオタクだとは知らなかった。小学生がゲームやアニメが好きなのは普通のことだし、俺の中の彼女はそこで止まっているのだ。
そういえば、オタクのこいつなら用語も色々知っているはずだ。
「なあ、風見。腐ってるってどういう意味かな」
「腐ってる? 食べ物とか?」
「まあ、そんなとこ」
「古くなって変な匂いがしたり、色が変わったりとかそういうのじゃないか」
まあ普通そうだよな。
「うん。じゃあ、女の子が腐ってるってのはどういう意味――」
ゴスン。鈍い音が頭蓋の中を反響する。
一瞬意識が遠のき、気が付けば俺は風見に支えられていた。
「おい! 大丈夫か拓馬!」
え、なに。何が起こったの。
この衝撃はバスケットボールが当たったのか。しかしボールはコートじゃない方向から飛んできた気がする。
「ご・め・ん・な・さーい!」
ちっとも心のこもっていない声の主は、穂乃果だ。
いや待て。なんで穂乃果からボールが飛んでくる。あいつの試合はとっくに終わってるぞ。
しかもなんだ今の謝り方。
「いってー、マジで一瞬意識飛んだ」
ようやく支えらずに立てるようになったが、足元がおぼつかない。
後頭部にバスケットボールの直撃だぞ。普通ならぶつけた奴は正座させられて先生に説教コースだ。体育教師何してんだ。
「わっはっは。掛彬、気を付けるんだぞ」
……笑ってやがる。畜生、ダサいジャージ着てるくせに。
「拓馬、大丈夫か? 保健室行くか?」
「いや、しばらく休めば大丈夫」
風見は本気で心配しながら俺に手を貸そうとする。いい奴だ。
「たっくん」
駆け寄ってきた穂乃果が俺の顔を覗き込む。流石に心配したのか。
穂乃果は俺の顔を覗き込み、
「ゴメンネ。ウッカリブツケチャッテ。ダイジョウブ?」
何故か棒読みだ。
こいつ、心配なんてしてやがらない。顔を見ると、相手を絶対殺す系の目をしてやがる。俺、被害者じゃないの?
穂乃果は手を伸ばし、俺の後頭部を気にする素振りを見せながら、素早く耳元で囁いた。
「……今晩、夜九時。ベランダ会議」
微かに耳にかかった息のせいか。穂乃果の口調がことさら冷たく感じられる。
「え、あの」
「ホントゴメンネ」
可愛らしく手を合わせてから去っていく穂乃果。
ぱたぱた走る後ろ姿を、クラスの男子達の視線がアメリカ軍の最新兵器ばりに追尾している。
やっぱり穂乃果の男子人気はすごい。まあ、俺はそんな穂乃果と深夜の逢引きをしたんだけど。
昨晩の親しげな穂乃果と今の冷たい態度のギャップについて考えている内に、最後の組のミニゲームも終了。
色々とあった体育の時間は終わり。教師の指示で軽くストレッチをして解散だ。
全くひどい目にあった。風見を誘ってジュースでも買って戻ろう。
そう思っていたら、いきなり肩を組んできたのはクラスメートの持永。猿かそうじゃないかで言えば猿だ。
「秋月、お前いーよなー。俺も掛彬さんにボールぶつけられたいぜ」
「は? いやマジで痛かったぜ。意識飛んだし」
「そのぐらい我慢するさ。俺も掛彬さんに心配されたいぞ」
心配だと。少なくとも俺はされていない。
今度は反対側から同じくクラスメートの煤田が肩を組んできた。こいつもまごう事なき猿だ。
「掛彬とめっちゃ顔近かったじゃん。いい匂いしただろ?」
「しねえよ。お前変態かよ」
すいません。怖くてそれどころではなかったです。強いて言えば汗の匂いです。
つーか俺の髪に鼻を突っ込むな。
「待てよ、まだ匂いが残ってるぜ。秋月、嗅がせてくれ!」
「俺も俺も!」
群がるクラスの男子ども。
「や、やめろ! 俺に触るなー!」
地獄だ。俺が何をしたというんだ。何で汗臭い男子高校生にもみくちゃにされなきゃいけないんだ。
一歩引いて笑っていた風見も、いつの間にか俺をまさぐる一団に加わっている。なんだその楽しそうな顔。
『掛彬ー! 俺達にボールをぶつけてくれー!』
ついには声を合わせて叫びだす。駄目だ、このクラスの男子達。
うわあ、女子連中の冷たい視線。俺は違う。違うんだ。
「……ん?」
女子の冷たい視線の中に一つ、なぜか熱く俺を見つめてくるものがあった。
穂乃果だ。さっきまでの冷たい態度はどこへやら、頬を上気させ、もみくちゃになっている俺に熱い視線を送ってくる。
なんだ。なんなんだ。全く訳が分からない。
「掛彬さん、馬鹿男子は放っておいていこー」
「ほんと、馬鹿が移るよ」
穂乃果は女子連中に囲まれて名残惜しそうに去っていく。まったく、この地獄のどこに名残要素があるんだ。
騒ぎを聞きつけた体育教師に一喝されて俺はようやく男子地獄から抜け出せた。
先生、ジャージがダサいとか思っててすいません。