29 志乃ちゃんの告白
「こないだの夜、見ちゃったんです。拓馬さんが土下座して、お姉ちゃんがその、上から踏みつけるみたいな」
「ちょ、ちょちょちょ、志乃ちゃん! 何言ってんの!」
いやいやいや、なんだそれ。そんなことしてない。
いや、待て、似たようなことはしているようなしていないような。
「その前も、ベランダ越しに拓馬さんの首を絞めてたのを私、見ちゃって」
それも誤解だ。穂乃果が口を塞ごうと飛びかかってきただけなのだ。
しかしどう説明すればよいのか。戸惑う俺に志乃ちゃんは堰を切ったように話し続ける。
「拓馬さんもお姉ちゃんも高校生だから、そういうことをするのも仕方がないって学校の友達が言ってて」
……志乃ちゃん、友達は選ぼうか。
「でも、お姉ちゃんは昔から素敵で優しくて。そんな変なことは、しちゃいけない気がして」
「うん、全面的に賛成だ。あのね志乃ちゃん、俺とお姉さんはなんでもないんだよ」
「なんでもないのにあんなことするんですか」
ああ、しまった。順番を間違った。
「違う違う。そもそも誤解なんだよ。俺とお姉さんは、志乃ちゃんの考えているようなそんなことはしていないんだ。ね、分かってくれるかな」
志乃ちゃんは心ここにあらずで小さくうなずいた。
「はい、分かります」
「分かってくれるかい? じゃあ、今日のことは周りには言わないようにしようね。うん、そうしよう。約束だよ?」
志乃ちゃんは「分かります」ともう一度、自分を納得させるように呟くと、
「男の人って、その、そういうことを定期的にしないと、我慢できないんですよね」
うわあああ、何でそうなる! 完全に話が良くない方向に。
「ちょっと志乃ちゃん、誰からそんなこと聞いたの?!」
「学校の友達に借りた本に書いてありました」
よし、転校だ。今すぐ転校しよう。
「どうしてもというなら、お姉ちゃんの代わりに私が!」
「はいっ?!」
志乃ちゃんは言うなり立ち上がる。
「いえ、あの、踏みつけたりとか、上手にできないかもしれないですけど、それでも」
そうかそっちか。それなら安心、じゃない。さすが穂乃果の妹だ。なんて思い込みが激しいんだ。
「あのね、ちょっと一旦落ち着こうか」
「私じゃダメなんですか?!」
志乃ちゃんは俺の座るソファに飛び込むように身を投じた。頬に張り付く乱れ髪が、色気に近い何かを醸し出す。
落ち着け、俺。彼女はまだ子供だぞ。
「あ、あの、近くないかな」
「私ももう中学生です。あと3年で義務教育も終わるし、大人みたいなものです」
なんだそのガバガバ理論。
身を寄せてくる志乃ちゃんに、気が付けば押し倒されているような状況だ。
もっと子供の身体と思っていたが、なんだこの得も言われぬ柔らかさと良い香り。水無月を肩車した時を思い出す。そう、これは女の子の身体だ。
とにかく、こんなところを誰かに見られたらまずい。俺は志乃ちゃんを引き離した。
「きゃっ!」
ああもう、なんて軽いんだ。勢いあまって、志乃ちゃんはソファに仰向けに倒れた。
「大丈夫?」
「あ、はい……」
その時、床に落ちる荷物の音。自分の顔から血の気が引く音を、俺は確かに聞いた。
確かめるのも怖い。顔を向けると、そこにいるのは穂乃果だ。青白い顔で俺達を見つめている。
志乃ちゃんは強張った顔で体を起こすと、乱れた胸元をかき寄せた。
この絵面はヤバイ。とことんヤバイ。彼女のフリフリ服は胸元のリボンが乱れやすいだけなんだ。信じてくれ。
「お姉ちゃん!」
「あなた達、何やってるの!」
穂乃果は足早に駆け寄ると、志乃ちゃんを俺から引きはがした。
「ち、違う! そんなんじゃなくて、誤解、誤解なんだ!」
「違うの、お姉ちゃん! 私は」
「二人とも説明して! 何をしてたの!」
説明か。えーと、どう説明すればいいんだ。
要するに、志乃ちゃんが誤解して俺を押し倒して、俺が勢い余って志乃ちゃんを押し倒し返して。
……いいのか、それ言って。火にガソリンを注ぎやしないか。
「志乃! 何をされたの!?」
慌てるばかりの俺に業を煮やしたのか、穂乃果は志乃ちゃんに詰め寄った。
「だから、違うの。私が変なこと言って拓馬さんを困らせただけで。でも」
言いかけた志乃ちゃんはちらりと俺の顔を見て、
「お姉ちゃん、ごめんなさい。拓馬さんと今日のこと秘密だって約束したから」
いやいや、違う違う違う! 違わないけど大いに違う!
途方に暮れる俺に、穂乃果は血の気の引いた顔を向けてくる。視線が氷のように冷たい。
「志乃はまだ12才なのよ」
「いや、あの、これは誤解で、その」
俺のしどろもどろの釈明は穂乃果の心には全く響いていない。
「出てって」
口を挟む余地のない、毅然とした口調で俺に告げた。
「出てって! もう二度とうちに来ないで! 二度と私達に関わらないで!」
「お姉ちゃん!」
「志乃ももうたっくんと会うんじゃありません!」
――終わった。
俺は気が付けば自分の部屋のベッドに寝ころんでいた。
穂乃果に電話は通じないし、LINEもいつになっても既読が付かない。
完全に終わってしまった。俺は何も考えることができず、ただ天井の染みを見つめ続けた。
次回シリアス展開……には、残念ながらなりません。
拓馬君、男を見せてくれます。




