22 急展開 + Intermission ~少年の日の思い出
昨日とは打って変わって、今日は平和な一日だった。
最後の授業を終えた俺は大きく伸びをする。いつも通り始まったホームルームも蜂須賀先生の胸を眺めているうちに終わり、今日も業務終了だ。
「ホームルームは終わりだが、まだみんな帰るなよ」
先生の合図で腕章をつけた生徒が教室に入ってくる。あれ、あの女生徒って。
「みんな静かに。突然だが今から持ち物検査をするぞー。おい、馬剃。あとは任せた」
先生に促されて前に出たのは他でもない。風紀委員長の馬剃天愛星だ。
ざわつくクラスの様子に動じることもなく、人差し指で眼鏡をクイッと押し上げる。
「はい。皆さん、机の中の物をすべて出してください。カバンも中を開けて見せてください」
へえ、高校ってこんなに頻繁に持ち物検査があるものなのか。
雑誌、漫画、ゲーム機など校則違反が次々と見つかっていくが、馬剃天愛星は口頭注意のみで没収まではしない。そんなに厳しい検査では無さそうだ。
段々と近づいてくる検査の順番を前に俺はカバンの中を確認する。
大丈夫。穂乃果から薄い本は預かっていない。エロい本とかも入れてないし、清廉潔白そのものだ。
ちらりと穂乃果に目をやると、なぜかカバンを胸に抱えて青い顔をしている。
……うわ、あいつ先日の件、懲りてないぞ。
サクサクと進んでいく持ち物検査も俺の番だ。
馬剃天愛星は俺の顔をしばし眺めてから、机の上の教科書やノートを手に取り、丹念に一ページずつ確認していく。
あれ、おかしい。他の生徒の検査は10秒やそこらだったはず。クラスメートの視線が俺に集まる。
カバンの中身も内ポケットまで丁寧に中身を引っ張り出され、ハンバーガー屋の割引チラシまでも不審そうな目で睨みつける。
馬剃委員長は最後に俺の筆入れを開くと中身を漁り始める。なにも後ろ暗いことはないはずだが、微かな違和感が脳裏をよぎる。
はて、風見に何か借りっぱなしになっていたのが無かったっけ。俺が思い出す前に、委員長の手がぴたりと止まり、眼鏡の奥の瞳がどろりと輝く。
細かく震える委員長の手には定規が一本。
そういや数学の時間、風見に定規を借りたっけ。
風見ファンクラブ公式ファングッズの試作品で、本気度すら感じる出来だった気が。《ITSUKI HAYAMI LOVE》の文字と、風見の顔イラスト入りだ。
「あの、それ何か問題がありますか」
「だ、大丈夫! う、うん、ごめんなさいね。私、こういうの気にしないから」
馬剃天愛星はそそくさと筆入れを閉めると俺の手に握らせた。なんだこの変な雰囲気。クラスメートは完全に疑いの目で俺を見ている。
そんな俺への疑念も次の瞬間、一気に吹き飛んだ。教室に男子の風紀委員が息せき切って飛び込んできたのだ。
「委員長、1年A組です! 来てください!」
馬剃天愛星の表情が途端に引き締まる。
「皆さん、ご協力ありがとうございました。持ち物検査はこれで終了します」
足早に教室を出ていく馬剃天愛星。さっきの風紀委員の言葉を思い出す。
1年A組。水無月と登呂川のクラスだ。何があった。
俺と風見は立ち上がり、顔を見合わせる。
その時、風紀委員が出て行った扉が再び勢いよく開くと、そこには深刻な表情をした登呂川蜜が。
「3人とも部室に集合! 急いで!」
――――――
―――
部室に着くなり、登呂川はノートパソコンをテーブルに置いて画面を開いた。
「なにがあった? 風紀委員がA組で何かあったって」
「花火ちゃんが! 花火ちゃんのカバンからゲームが出てきたの!」
え。それがどうした。穂乃果と風見も毒気を抜かれてポカンとしている。
「そりゃ、あいついつも持ち歩いてるじゃん」
「じゃなくて! 電子遊戯同好会の部室から盗まれたレア物のゲームソフトが、花火ちゃんのカバンから見つかったの!」
虫を見る目で俺を一瞥すると、登呂川は録画ファイルのチェックを始めた。
持ち物チェックはそのせいか。水無月のカバンから出てきたということは、完全に狙い撃ちでハメる気だ。
「カバンから出たってことは、犯行は今日なのか?」
「うちのクラス、5限が体育だったから。こっそり忍び込ませるならそこね」
登呂川がパソコンを操作するのを黙って見守る俺達。
早送りの画面の中では昼休みが終わり、女子生徒が荷物をもって退室する。残念ながら、いや、幸いにも女子更衣室は他にあるのだ。
と、始まった男子生徒の着替えシーンで通常再生に戻る。
「うーん。ほら、花火ちゃんの目の届かない時間と言えばこの時間もそうなのよね」
「ですね。しっかり確認しないと」
え、そういうものなのか。確かに、穂乃果と登呂川はうら若き乙女なのだ。異性の着替えシーンに邪念を持ち込むとか、俺の心が汚れている証拠である。
「あ、この坊主頭の生徒」
「野球部の筒井君だね。うん、花火ちゃんの机の側で着替えているし、目を離せないよね」
「そうよね、彼を見る周りの目が怪しいよね」
何故か4人で男子生徒の着替えを眺める羽目となったが、特に水無月の机に触る者は無し。しばらく早送りで無人の教室の場面が続く。
これで証拠が見つからなければ、水無月は窮地に陥る。焦りで心がざわつき始めた頃、画面に動きがあった。
「止めてくれ!」
女生徒が一人、教室を覗き込んでいる。登呂川は皆に目配せをすると、再生ボタンをクリック。
生徒は真っすぐ水無月の机に近付いている。周囲の気配を確認しているのか。机の前でしばらく立ち止まった後、素早い動作で水無月のカバンに何かを入れた。
もう一度あたりを見回すと、そのまま何気なく教室を出ていく。
俺達は言葉も無く、無人の教室を眺め続ける。
「ねえ、この人って」
恐る恐る、口火を切ったのは穂乃果だ。俺は大きく頷く。
昨日、水無月と廊下で鉢合わせた生徒に違いない。ビンゴだ。
電子遊戯同好会、鳥海真美子。
Intermission ~どことなく距離のある二人 ある一日
「お疲れー」
ぶらりと訪れた放課後の部室。先客は登呂川一人だ。
登呂川は手元に視線を落としたまま、軽く手を上げる。
「お疲れ、拓馬君。今日は一人?」
「ああ。風見の奴、ファンクラブの連中に捕まってる」
「やっぱ風見君、カッコいいもんね」
少し離れた所に座って様子をうかがうと、登呂川は漫画に熱中している。
……実をいうと、俺はこいつには微妙に馴染めてない。
ここは少し頑張って距離を縮めよう。
「登呂川も漫画とか読むんだ」
「ううん、そんなに読まない方だけど。私――」
単行本から顔を上げ、にこりと笑う。
「オタクになろうと思うの」
「オタクに……?」
……なんだこのちょっとピリッとする物言いは。
こいつにオタクの何が分かるというのか。相手するの大変なんだぞ
「風見君、オタクって奴でしょ? 私もオタクになって、風見君のハートをゲットするって寸法よ」
「それでマンガ読んでるのか」
「花火ちゃんに今流行ってるスマホのゲーム教えてもらったし、穂乃果ちゃんからは漫画借りたんだ。良く分かんないけどこれ、女子の間で人気あるんだって」
穂乃果に漫画……?
俺の不安を余所に、登呂川が読んでいるのは普通の少女漫画だ。
ホッと胸をなでおろす。
タイトルからすると、出雲のあやかしカフェほっこり事件帳な感じで、ヒロインが俺様な竜神の末裔に「面白い女だ。気に入った」とか言われる系の奴だろう。
穂乃果に山ほど読まされたので詳しいんだ。
「イケメン沢山出て来るし、結構面白いよ。最新話が乗ってる雑誌も貸してくれたの。拓馬君も読む?」
登呂川はテーブルの雑誌を指差す。
「ありがと。この号はまだ読んでない———」
持ち上げた雑誌の下には、『表紙がやけにカラフルで薄い本』の姿が。
俺は勢いよく雑誌を戻す。
「! あっ、あとで読むよ!」
……穂乃果の奴。“布教”をするにしても相手を選ばなさ過ぎだ。
よりによって登呂川に狙いを定めるとは――
「……いま何か隠した?」
俺の態度に何か勘付いたか。登呂川がじろりと俺を見る。
「なんにも。ほら、校則で漫画とか持ち込み禁止じゃん?」
……よし。雑誌を取るように見せかけて、さり気なくその下の薄い本も回収しよう。
俺が再び手を伸ばすと、登呂川の手も雑誌を押さえてくる。
「訳分かんないな。ちょっとこの雑誌見せてくれる?」
「え。駄目だって。俺が先に読むから」
「後で読むって言ったよね。これ、何かあるのかな?」
登呂川の表情はどこまでもにこやかだ。
試しにズリズリと雑誌を引っ張ってみる。
と、同じだけズリズリ引き戻される。
マズいぞ。完全に登呂川に警戒されてる。これでは雑誌を奪うことはできない———
……あれ。そういや俺、別にこの雑誌が欲しいわけじゃない……?
それなら話は早い。
俺はもう一度雑誌を引っ張る。
引っ張り返されるタイミングに合わせてパッと手を離すと、素早くその下の薄い本を奪い取る。
「ビックリした。ちょっと拓馬君、急に離さないでよ」
「悪い、急用を思い出してさ」
「……ん? なんか今、後ろに隠した? 私の目をごまかせると思ってるの?」
登呂川がジト目で俺を見て来る。
「なんでもないって。ほら、今度風見の寝起き写真とかやるから」
「……寝起き写真」
「ああ、中学の修学旅行の時のだ」
目を閉じて考え込む登呂川。
再び目を開けた時、そこには聖母のごとき笑みが浮かんでいる。
「……私は何も見なかったわ。拓馬君、用事があるんでしょう?」
……すまない風見。例の一枚だけは死守するから今回だけは許してくれ。
俺は薄い本を手に部室から飛び出す。
さて、こんな物を持ち歩くわけにはいかない。はやいとこ穂乃果を探して返さないと。
……しかしまあ。あんな普通の少女漫画にも薄い本ってあるのか。
だけど男女の恋愛物同人誌とか、穂乃果もやっぱり一人の乙女なんだな。18禁マーク付いてるけど。
俺はパラパラと本をめくる。
「あれ。なんで番頭とヒーローが付き合ってるんだ……?」
しかもヒロインの目を盗んで逢引きするのが萌える……的な展開である。
……畜生、腐女子どもめ。どこでもやりたい放題だ。
全くけしからん。思わず読みふける俺の前、暗い影が差し掛かる。
「……何を読んでいるのかしら?」
「っ!」
眼鏡をクイッと上げて、俺を見下ろすのは風紀委員長、馬剃天愛星。
「えーとこれは……天愛星委員長。お読みになりますか?」
「だから下の名前で呼ばないで。……そして秋月拓馬君」
「はい?」
「い、今から風紀委員室……来てもらえるかしら?」
なぜか急に委員長の顔が上気し、眼鏡が曇りだす。
「……え? なんで?」
「決まってるでしょ。校内にそんないかがわしい本を持ち込むなんて……指導が必要よ……?」
問答無用。委員長は俺の腕に手を回す。
「大丈夫……大丈夫よ……私はあなたの味方だから……」
「……え。やですって。何か怖い」
天愛星委員長、細身の身体にも関わらず、やたら力強く俺を引っ張る。
「大丈夫……ちゃんと風紀委員室は人払いするから……誰にも見られないから……」
「なおさら怖いんですけど?! 先輩、こんなに力強かったんですか? ちょっと待って! 誰か助けて!」
「大丈夫……大丈夫だから……」
……結局、なんとか隙を見て逃げ出すことに成功したが。
あのまま連れられて行ったらどうなったんだろう……
大人になっても、時折懐かしく思い出すことになる、甘酸っぱい少年の日の思い出である———
話が急展開です。
そして拓馬も、登呂川と仲良くなろうと色々頑張っているようです。




