16 この件は内密に
その日の放課後。
部室に飛び込んできた穂乃果は開口一番、
「ねえ、水無月ちゃんが呼び出されたって?」
そう言ってぐるりと俺達の顔を見渡した。
「なんかねー、猫に毒だかなんか盛った人がいたらしくて、なんか知らないけど花火ちゃんが容疑者なんだって」
ポリポリと小動物のようにプリッツをかじりながら、登呂川。
「まさか。彼女がそんなこと」
穂乃果はそう言いかけて、
「す、するはずないでしょ」
何故か動揺しながらどさりとソファに腰を下ろす。
「穂乃果の言うとおり。水無月がそんなことやりかね――いや、やりかね、いやいや、やりかねないこともないこともない」
3回も間違えた。つーかどっちだ。
「落ち着けよ拓馬。俺達が信じなくてどうするんだ」
「うん、そうそう」
風見の言葉にふんすふんすと頷く穂乃果。
これじゃ俺だけ悪者だ。いや、俺だって水無月を信じる気持ちは皆と同じだぞ。
「だよな。水無月の口から説明してもらえば俺達も安心だしな。部室に来るんだっけ?」
「うん、顔を出すって」
ぽりぽりぽり。カリカリ音だけが部室に響く。
8本目のプリッツが登呂川の胃に収まった頃だ。
「お疲れさん。良かった、みんな揃ってるな」
キャラに似合わずこっそりと部屋に入ってきたのは、顧問の蜂須賀先生だ。
「あれ。どうしたんですか、先生?」
先生は慎重に扉を閉めてソファに座る。
「……水無月の件、知ってるな?」
俺達は目くばせをしてから、揃って頷く。
「猫の餌の件ですね?」
「んー、まあ私も詳しいことは聞いてないが。あくまでも水無月は参考人として呼ばれただけだ。どこからかあいつの名前が挙がったから」
蜂須賀先生は足を組み、懐かしそうに目を細める。
「先生がお前らの年頃にも覚えがある。青春のモヤモヤとかムラムラが変な風にだな、こじれるんだ」
「……水無月がやらかした前提になってません?」
「あくまでも水無月の青春の1ページということで、お前らで秘密裏に相談に乗ってやってくれ。何しろお前ら、BL部の仲間だろ?」
……この部の正式名称は“Bloom of Youth Laboratory”
蜂須賀先生命名、略して『青春ラボ』だ。
「あいつの青春のお悩み。せっ、青春ラボで解決してやろうぜ」
顔を真っ赤にしながら、蜂須賀先生。
「……いや先生。自分で言ってて恥ずかしそうでしたよね。俺達もこの部の名前、恥ずかしいんですよ?」
俺の突っ込みを無視する先生に、穂乃果が身を乗り出した。
「先生、水無月さんがそんなことしたって証拠はないんですよね。ちゃんと周りに説明すれば分かってもらえるんじゃないですか?」
「……もちろん噂だよ。だが、こうなった以上、人の口に戸は立てられない。一度広まった噂は色眼鏡となって本人の姿を歪める。あいつ、お世辞にも自分の身を守るのが上手じゃなさそうだしな」
さすが腐っても(?)先生だ。ちゃんと水無月のことを考えてくれているようだ。
「あいつのために何かできないか考えてやってくれ。それで、だ」
先生は懐から封筒を取り出すと、テーブルの上に置く。
「少ないけど、これとっといてくれ」
……え、なにそれ怖い。
怖いので返そうと手を伸ばすが、それより早く登呂川が封筒を奪い去る。
「ちょっ! 登呂川!」
蜂須賀先生の目がキラリと光る。
「よし! お前ら封筒受け取ったよな? 私がここに来たこと誰にも言うなよ」
「え? 先生が来たこと秘密なんですか?」
「だって上手くいかなかった場合、私の名前が出ると火の粉がかかるし。じゃ、後は任せた」
……最低だ。さっきちょっと見直したのに。
目を輝かせて封筒を覗き込む登呂川を尻目、蜂須賀先生は来た時と同じようにこっそりと部屋を出ていく。
「登呂川お前、そんな怪しいお金受け取ってどうすんだよ」
「中身、お金じゃないよ。これ何?」
登呂川は封筒の中から、見慣れぬ紙札を取り出した。紫式部の絵が描かれたその紙切れは――
「図書券……?」
俺は札に顔を寄せる。
「俺、初めて見た」
「私も。これ、まだ使えるのかな?」
近付いてきた穂乃果の顔にどぎまぎしつつ、さり気なく図書券をポケットに入れようとする登呂川に釘を刺す。
「……それ、部の活動用だからな?」
――――――
―――
「おつかれー」
部室に現れた水無月はいつも通りにソファの空席に座ると、ゲーム機を取り出した。
「あれ、お前らなんかあったのか? みんなして暗い顔して」
「あの、水無月さん。先生に呼び出されたって聞いて」
穂乃果がおずおずと声をかける。
「ああ、それか」
しばらく言葉を探すように黙ってから、
「あー、なんかカマボコが」
カマボコ?
一同、毒気を抜かれて次の言葉を待つ。
「中庭にワサビ入りのカマボコが置いてあったとかで。被害はなかったみたいだけど」
それだけ言うと、水無月はゲーム機の電源を入れる。
そういえば、少し前に市内で猫狙いの毒エサ騒ぎがあったのを覚えている。幸いにも被害は出なかったが、しばらくは注意の張り紙をそこらじゅうで見かけたものだ。
部室は再び沈黙に包まれる。よし、ここは俺が行くしかない。
「今回は猫の被害がなかったのは幸いだ」
「ああ、そうだな」
気のない返事を返す水無月。穂乃果も胸を撫で下ろしながら、
「そうね、取り返しのつかないことになる前でよかったね」
「水無月さん、心にもやもやすることがあったら、いつでも俺達に相談してもらっていいから」
「花火ちゃん、どんな時でも私達は味方だからね。部室の外ではどうか分からないけど」
「えー、あの。あれ。なあ、ちょっと」
水無月も俺達の暖かい言葉に感無量なのか。言葉に詰まって俺達の顔を見渡す。
登呂川はうんうん頷きながら立ち上がり、水無月の肩をポンポンと叩く。
「花火ちゃん、出来心って誰にでもあるんだと思う。大事なのはこれからどう変わっていくかだよ」
登呂川、いいこと言うなあ。穂乃果も笑顔で立ち上がり、
「私、お菓子を買ってきたからみんなで食べませんか!」
「よし、じゃあ俺達はジュース買ってくるから。風見、行こうぜ」
「おう!」
「ちょっと待った! 何か変なことになってないか?」
立ち上がった俺達を水無月が制する。
「私はやってないからな! 無罪じゃなくて無実。先生には事情聴取されただけだ」
しんと静まり返る部室。
遠くグラウンドから聞こえる野球部の掛け声。吹奏楽部のトランペット吹きがラピュタの例の曲の冒頭をリピートしている。
リピート回数を数えきれなくなった頃、穂乃果が重い口を開いた。
「えー、うん。私はもちろん分かっていたよ。私は」
こいつ、自分だけ助かろうとしている。待て、俺も続くぞ。
「おう、俺もお前を信用してたぞ。なあ、みんな」
高速でカクカク頷く一同。
「うわ。お前ら割とひでえな」
やばい。さすがに水無月もショックを受けたか。
「やだあ、私達は最初から花火ちゃんを信用してたに決まってるじゃない。でも」
「でも?」
「A組じゃ、花火ちゃんが猫に毒団子を食べさせたとか、毛をトラ刈りにしたとか、マジックで眉毛描いたとか根も葉もない噂が流れてるよ」
一個、根も葉もあるのが混じっている気がする。
「別に構わないよ。噂とかどうでも別に」
水無月はゲームを再開したが集中できないのかすぐに止め、
「今日は帰るよ。Wi-Fiの入りも悪いし」
カバンを肩にかけながら立ち上がった。
言いにくそうにしている俺達にひらひらと手を振りながら、
「気にすんなよ、そんなんじゃないから」
立ち去る水無月のフードの被り方がいつもより深かったのは俺の気のせいか。
しばらくの後、俺達は一斉にソファに崩れ落ちた。
「やっちゃった」
「ありゃりゃー」
「最低だな」
口々に呟く皆を見ながら、俺がこんなことを言い出したのは罪悪感からか。
「……じゃあ、ほら、あれだ。俺達で真犯人を見つければいいんじゃないか」
3人とも豆鉄砲を食らったような顔で俺を見返してきた。
「拓馬、何か考えでもあるのか?」
「いや、特に無い」
皆はがっかり感を隠そうともせず、視線を落とした。
バリ。登呂川が穂乃果の持ってきたポテチの袋を開ける。
「とりあえず、食べながら考えよっか」
猫はモフるもので苛めるものではありません。




