15 忍び寄る黒い影
「お疲れー」
放課後、俺は深く考えもせず部室の扉を開けた。
「おつー」
「お疲れ様」
部室に居たのは穂乃果と水無月。
珍しい組み合わせだ。というか嫌な予感しかしない。
なんとなく後ろめたい気がして俺はこそこそと二人から一番遠いソファに座った。
なんだろう、本妻と浮気相手がいつの間にか知り合いになっていた時の男の気分はこんな感じなのか。
水無月は珍しくゲーム機ではなくスマホをいじりながら穂乃果と話している。
俺は空いているソファに座り、カバンから勉強道具を取り出した。ここは大人しく宿題でもするとしよう。
「で、倉庫の裏にツバメの巣があってさ」
ガシャ。俺は筆箱の中身を床にぶちまけた。
「たっくん、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫大丈夫」
なんだ。なんで俺はこんなに動揺してるんだ。なにも後ろ暗いことはないはずだ。
恐々と水無月の様子をうかがうと、フードの奥から悪魔のような瞳が見返してきた。
「おいおい、JK二人と一緒だからって興奮するなよ」
くそう、水無月め。相変わらずデリカシーのない奴だ。
……あれ、これってあいつに弱みを握られているんじゃなかろうか?
「からかうのは止めてくれ。学生の本分は勉強だよ、勉強」
「どうしたの。たっくん、変なの」
くすくす笑う穂乃果。
「それで水無月さん、ツバメの雛はもう生まれてるの?」
「いや、つがいが出入りして巣の手入れをしていたからこれからだと思う。去年からあった巣みたいだから、うまくいけば卵を生むんじゃないかな」
勉強するふりをしながら耳を澄ましていたが、変なことは話してないな。
よし、英語の宿題を済ませておこう。最近、家に帰ると最近ベランダばかりが気になって、勉強が捗らない———
「まあ、見せつけてやったから、ツバメの夫婦も今頃捗ってるんじゃないかなー」
バサバサバサ。俺は教科書とノートを床にぶちまけた。
「ねえ、大丈夫?」
「水無月お前、さっきから何を」
「えー、秋月どうしたんだよ。お前も写真見るか?」
「俺はいいよ、宿題しないと」
「あー、もう見たもんなー。でもほら、肩車でもしないとこんな角度じゃ見れないぞ。ほーら、丸見えだ」
水無月はにやにやしながら俺にスマホを押し付けてくる。
「だっ、だから俺は宿題するんだよ!」
「ねえ、二人とも何の話をしてるの?」
穂乃果が不思議そうに口を挟んでくる。
「いやいやいや、何でもないって! 俺、宿題あるから先に帰るな!」
ああ、もう最悪だ。完全に弱みを握られた。
穂乃果に借りた薄い本なら、ちょっとヤンチャな男に脅されて関係を持たされる展開だ。
……よし、それと比べれば随分ましだな。
俺は勉強道具をカバンに詰め込むと逃げ出すように部室を出た。
「よお、拓馬。部室には行かないのか?」
下駄箱に向かっていると、廊下で他クラスの女生徒に捕まっていた風見が声をかけてくる。
「悪い今日は俺、先に帰る」
「そうか。それじゃまたな」
言って拳を向けてきたので、俺も拳をこつんとぶつける。多分、何かのアニメのシーンを再現しているんだろう。俺も風見のする事には随分と慣れたもんだ。
ん。それよりもなんかシャッター音みたいなのが聞こえた気がする。
歩きながら視線を巡らすと、柱の陰でこそこそしているのは風紀委員長の3年生、馬剃天愛星だ。
俺と目が合うと、あからさまに動揺した様子を見せる。
そういえば流石にこないだはやり過ぎた。ここは和解の意味も込めて挨拶でもすべきだろう。
「ご無沙汰してます、天愛星先輩」
「だから下の名前を呼ばないで! こちらこそ、その節はタ・イ・ヘ・ン、お世話になったわね」
言って、眼鏡をクイッと上げる。
やばい、なんか変なスイッチを入れてしまったか。すっかり風紀委員モードに切り替わっている。
「すいません、今日は本とか持ってきてないんですけど」
「だ、誰がそんなこと言いました! あなたがいかがわしい部活を立ち上げたと聞いて、風紀委員として様子を見に来たのです!」
いかがわしい部活。BL部のことか。
いやいや、名付け親の趣味以外は何もいかがわしいところは無いはずだ。
「俺達は真面目に部活動をしていますよ。活動計画を見てもらえば分かりますから」
「そんなことより、さっきのが同じ1年C組の風見樹ですね」
え、そんなことなのか。じゃあこの先輩、何しに来たんだ。
天愛星先輩は首を伸ばして風見のいる廊下の向こう側を眺めやる。
風見はその場から離れようとしているが、女生徒は仲間を呼んだようだ。気が付けば女生徒の群れに取り囲まれている。
「なるほど。風見樹は噂通り女生徒にも人気があるようですね」
「はあ、イケメンだし性格もいいですからね」
「にもかかわらず、彼女を作るわけでもなく、あなたと友人を続けている」
「まあそうなりますかね」
あいつが重度の二次オタだということはここで言うことでもなかろう。
しかしこの先輩は何を言いたいんだ。彼女は一人で納得したように頷くと、
「あなたも色々と大変だとは思いますが、頑張ってください」
ポンと俺の肩を叩く。
「はい、まあ、頑張ります」
って何をだ。全く分からん。
言うだけ言って馬剃天愛星は、通りかかった男子生徒の何かが気になったのか。腕章の向きを直すと早足に追いかけていった。
ただ、先輩の言葉は一つだけ当たっている。
確かに最近、色々と大変だ。色々と。
――――――
―――
翌日の昼休み。俺は風見と優雅なランチタイムだ。
風見はパンを一口齧り取ると、断面をじっと見つめた。
「どうした?」
「拓馬。これ、ありだぜ」
包み紙には黒メロンパンの文字。
「なんかすげえ甘そうじゃね」
「そう思うのはエアプだぜ。表面のかりんとうはカリッとしてて甘いが、生地は意外と軽めで甘さ控えめ。中のカスタードクリームがいいアクセントだ」
聞いただけで口の中が甘くなる。俺は弁当の唐揚げを口に放り込み、ご飯をかき込んだ。
「お前、毎日メロンパンばかりで飽きないか」
「いや、この黒メロンパンは革命だ。お前もいいから食ってみろよ」
風見は強引に俺にメロンパンを押し付けてくる。
「はい、あーん」
「分かった! 食うからパンを押し付けるな!」
うん、甘い。思ってたより五割増しだ。
「風見君、私もあーん」
ひょっこり机の縁から顔を出したのはA組の登呂川蜜。
風見は驚きながらもメロンパンを登呂川の口に差し出した。
「甘っ! 旨っ! いいね、これ」
「だろ、表面をカリサクにするくらいなら、いっそのことかりんとうにしてしまおうという発想の転換。次はこれ、来るね」
なんか二人で盛り上がっているが、登呂川はC組に何の用だろう。
「登呂川、なんかあったのか?」
「あ、そうそう。花火ちゃんがさっき先生に呼び出されたの」
メロンパンをもちゃもちゃ噛みながら登呂川が立ち上がる。
「水無月が? あいつ、呼び出されるようなことばっかりしてる気が」
「それがね、なんか不穏な雰囲気で、いつもと違う感じだったのよ。放課後、二人とも部室来れる?」
俺達が頷くと、登呂川は俺のお茶を勝手に飲み干した―――
風見と主人公、誤解されるのも無理がない気がしてきました。




