龍と出会った日 3
い、いいかな――?
私は悩んでいた。一通り観察も終わってひと段落し、いよいよ次の行動を起こすべきかどうかを。
そう、見るだけじゃなくて触ってみる。という次の段階に進んでいいのかどうかを悩んでいた。
さっきは逸る気持ちを抑えきれず、結果怖がらせてしまった。けどお互いの距離がそこまで大きく開いていないにも関わらず、未だ逃げるそぶりすらないのは、実はそこまで警戒はされていないのかも知れない。
普通、野生動物なら近づこうとした途端に警戒を強めて、威嚇なり臨戦体制なり攻撃的な行動を移るか、すぐにその場を離れて逃げ出すかが大半と本には書いてあった。にもかかわらず逃げ出さない。本が間違っていた?
いや、その本は創作の類が書かれているものじゃないしそれはありえない。それに、新・龍種解体書でも成体の龍とはいえ、ある一定の距離まで近づくと警戒を示す、と書かれていた。じゃあなんで目の前の龍はすぐに逃げ出したりしないのか。たぶん、まだ生まれたばかりで状況が理解しきれていないんじゃないか、と思う。
あと、もしかしたらだけど鳥類などにみられる生まれたばかりの雛が最初に目にしたものを親と認識する習性、これも本に書いてあったことだけど、が龍にもあるのかもしれない。まぁ知能が高いとされている龍が、鳥と同じ習性を持っているかどうかは分からないし、警戒されている時点で大分薄い可能性ではある気はするけれど。
まぁ、けどまだ生まれたばかりなのだ。知能が高いといっても、子供の頃はそれもたいしてことはないのかもしれない。現に目の前の龍は逃げ出してはいないんだし、人間だって生まれたばかりの頃は泣きじゃくるぐらいのことしかできやしないのだ。髪の毛一本ぐらいの可能性くらいはあってもいいかもしれない。
いや……、実は私の考えは実は全部的外れで、そもそもこの場を離れられない理由があるのだとしたら。そう、例えばまだ生まれたばかりで体がうまく動かせないとか……。
一度、改めて考えてみるとこの説の可能性は相当高いように思えた。となるとこのままじっとしているのは非常にまずい気がする。
今のこの状況はいろんなことが上手く重なって、たまたま運良く逃げ出していないだけなのかもしれない。となるといつまでもじっとしているわけにもいかない。私は龍に触りたいし、あわよくば家に連れて帰りたいのだ。
一刻も早く警戒を解いてもらって信頼を得ないと。生まれてから時間も経っているんだ。それに一回警戒されたとはいえ、それ以降は変な行動はとっていないはず。ということは、だ。少しは警戒が緩んでいるかもしれない。ならば、今こそが行動を起こす時!
さっそく、とは言っても決して警戒だけはされないように、ゆっくりと体を前に乗り出していき、徐々に龍に近づいていく。
すると龍は、私が近づいた分だけ首を後ろに下げてしまった。
まだまだ警戒されている……。まぁ、当然と言えば当然だ。だけど、逆に考えると、だ。今すぐ逃げ出すほどじゃないともとれる。まぁ、逃げ出せないだけかも知れないけど、その可能性はこの際置いておく。それに、どっちにしたってここを離れないということは、だ。まだ時間は残されているということ。そうと決まれば後は、とにかく行動を起こすのみ。
まぁ、だからといって今すぐ手を伸ばして触りにいってしまえば、それこそ無闇にだけを警戒心を煽って必要以上に怖がらせてしまうだけだ。もうすでに怖がっている最中かもしれないけどこれも今は考えない。とにかく少しづつでいい、まずは私に慣れてもらうことが一番だ。
えっと、そういう時はどうすればいいんだっけ……。目線を逸らさずにじりじりとゆっくり後ろに下がるんだっけ? いや、これは危険な生き物に出会った時に安全に逃げ出す方法だった。というか触りたいのに自分から後ろに下がってどうするんだ。たしか目線がどうこうというところまではあっていた気がする。ええと……、たしか――。
――そうだ! 相手と目線の高さを合わせるんだ。
さっそく両手を地面につけ、龍に目線を合わせる。すると大きく動いた私に驚いてしまったのか、龍はまたもや少しだけ首を後ろに下げてしまった。
それに、気のせいでなければさっきよりも体が強張っているような気もする。実はこっちが考えている以上に警戒しているのかもしれない。ならあまり大胆な行動をとるべきじゃないのかも。もし、動くことが必要ならその時は、ゆっくり、そして、ていねいに、動かないと……――。
首を引いて、近づいた距離と同じだけ、ゆっくりと後ろに下がる。すると、予想外にも今度は、私が後ろに下がった分だけ、龍は首を前にだして顔を近づけてきた。
近づいたら遠ざかって、遠ざかったら近づいて……。相当警戒しているかと思ったら実はそうでもなかったってこと? 一体どっち!? 相手と逆の行動を取るという天邪鬼極まりない習性があるとか……。それは流石に……まさかまさか、だ。じゃあ、この距離自体に何かしらの意味がある、とか――?
――うーん、さすがにこればっかりはいくら考えても心が読めない限りは分かりそうもない。もうこういう時はとにかく行動しかない!
ええと目線を下げた後は、お腹を見せて敵意がないことを示す、だったはず――。
四つん這いになり、ほとんどうつ伏せの状態まで体の位置を下げて、龍と目線の高さあわせる。互いの目線があったのを確認して、そのまま体を右に半回転させゴロンと仰向けに寝っ転がった。
この姿……、例えるならお腹を撫でられて力と気の抜けた猫のような、そう、これこそまさにだらしのない姿だ。絶対! 他人に見られたくもなければ見せられるわけもない。けど、もし誰かに見られた上にお母様たちにそのことが知れたら、勘当だってありえるかも知れない。それに、最悪お母様に直接見られようものならこれ以上ないくらい取り乱して挙句の果てには卒倒するかも……。私でもこの姿は恥だと思うぐらいの羞恥心はある。それに服だって泥だらけなはずだし、流石にルイスでもこればかりは味方してくれないかも……。けど、たったの今に限っては、そんなことどうだっていい。とにかく目の前の龍の警戒をいかに解くか、今考えるべきはこれだけでいいんだ。
さぁ、ここまでやったんだ。何かしらの反応は起こしてくれないと流石に私も困るぞ……――。
期待とともに、私は龍に目を向けた。
しかし、いや、やっぱりというべきかもしれない。龍は、近づいてくる、首を伸ばしてこっちを覗き込んでくる、みたいなこっちが期待していた反応はしてくれそうもなく。だからといって警戒を強めて距離を取る、首を引く、逃げ出すといったことをするでもなく。私の、この格好の意味が理解できていないのか、まるで人間のように首を傾げて、ただただ不思議そうに私を見ているだけだった。
だめだ、思いが通じない……! そりゃそうだ。そもそも種が違うんだし、思いを通じさせようとしたこと自体に無理があったのかも知れない。種を超えた絆というものは所詮、創作の中の話であり、現実ではあり得ないことなのか……――。
そんなことを考えていると、ほんのちょっとだけ心が冷たくなったような気がした。
――いや……、種が、違う……そうだ! そもそもの近づき方が間違っていたのかもしれない。龍の警戒を解くにはあれではだめだったのかもしれない。まず何よりも最初にするべきは仲間であることを示すべきなんじゃ……、じゃあ仲間であることを示すには、どうするべきか。
ちょっとでもいい、お互いの共通点を探して、強調して、見せて、仲間であると示せばいいんだ。
言い方は悪いけど、模倣し、同じ種であると錯覚させて、騙すんだ。
確認する限り、龍の鱗の色と私の毛の色は同じ白色だ。これは幸先がいい。さっそく見つかった共通点、これを利用しない手はない。けど色だけではまだ弱い。生まれつき白いとはいえ、色が薄くて白に近いというだけだ。龍みたいに雪みたいに真っ白というわけではないし、あともうひとつなにか欲しい……。なにも全く同じじゃなくていい、似てさえいればそれで十分だ。あとは模倣して近づければいい――。
――うーん、共通点……なにかないか……、きょう……通点……きょう……つう……て……ん……――。
思考を続けていると、自然と、無意識のうちに髪の毛に手が伸びて、手櫛をしてしまっていた。
おっと、いけないいけない、また手櫛を。考えだすといつもこうだ。せっかくの綺麗な髪が荒れるから抑えるよう、ルイスに言われているんだった。とはいえ見せる相手もいなければ、この見た目だ、嫁になどいけるわけもない。だから見た目などどうなろうと構わないのだけど、ルイスに綺麗と言われてはしょうがない。そう、あくまで仕方なく従っているだけだ。自分では髪の毛なんてどうでもいいのだけど……、髪?
そうだ髪の毛! これを束ねれば角のようになるんじゃ。角は龍の象徴とも言われる部位だ。仲間であることの何よりもの証拠となるはず。束の数は……龍と同じ二本がいいか。さっそく実行に……おっとそうだ、驚かせてはいけない。しんちょうに、ゆっくりと、おちついて、だ。
慎重に、仰向けの状態からうつ伏せになって、両手で髪の毛を束ねられるだけ束ねて、半分に分け、片方ずつ握り込み、怖がらせないよう、ゆっくりと、少しずつ上へと持ち上げていく。
ゆっくり上へ上へと上がっていく偽物の角につられて、龍の首が上を向いていく。
これは! ものすごくいい反応なんじゃ――。なら、ここはさらに追い討ちだ。
上とくれば次は下だ。ここなら角と同じような感じで再現できそうだし。
髪から手を離して、スカートを押さえ裾全体を後ろへまわし、束ね、根元を両手で掴んで左右に振って見せた。
そう、しっぽだ。
私の行動を見て、龍は偽のしっぽの動きに合わせて首を左右に動かしている。気のせいでなければ先ほどよりも少しだけ龍の頭が前に出ているような気がしなくもない。
いいぞ、警戒されることなく興味を引けている。このままどんどん畳みかけていこう。
今度は、一度スカートから手を離し、左右の裾の端を掴み直す。スカートが裏返ってしまうことなどお構いなしに、裾ごと腕を前に持ってきて最初はゆっくりと、だけど徐々に速度を上げながら腕を上下に動かした。
そう、これは最初の方に失敗してしまった翼の動きを表現している。
なんと滑稽な姿、今の私を見て領主の娘と思う者はいないだろう。しかし、今の私に恥などない。全ては龍と心を通わすために必要なことなのだ。恥ずかしくなんて全くない、けどここまでやったのだ、なにかしらの良い反応を見せて欲しい……。
恐る恐る龍の目を見る。
私の目に写ったのは、目を見開き、おそらく驚愕か、の表情でこちらを見ている龍の顔だった。
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