婚約破棄という甘美な言葉(ジゼル視点)
『婚約破棄という甘美な言葉』の続編(ジゼル視点)となります。
「クリフ=オーギュスタン!貴方との婚約を破棄するわ!」
ジゼル・フレデリーク=レィファイユ皇女殿下は、17の歳を迎えるその祝賀会で、婚約者に58回めの婚約の破棄を宣言した。
祝賀会に出席した多数の貴族に衝撃を与えた、その翌日。
ジゼルは、59回めの婚約を結んだばかりである、クリフとお茶の時間を過ごしていた。
「わたくし、貴方には愛想も尽きておりましてよ」
祝賀会は明け方まで続いていた。
ジゼルにとっては謁見で祝辞を述べられるばかり。
社交も何も行っていないが、参加者それぞれに適した返答をするだけでも大仕事である。
夜明け前に自室に戻り、睡眠をとったが、生活リズムを崩したくないのできちんと午前中に起床した。
そして本日の予定として、女中から言われたのだ。
本日は、婚約者のクリフ=オーギュスタン様とお茶の日でございます、と。
レィファイユ宮殿で最も美しいとされる薔薇園の、東屋に2人はいた。
ジゼルは、お茶のカップをソーサーに戻し、相手に告げたのだ。
「あなたの所業も、許しておりません」
「ジゼル皇女殿下。………それほどまで、私の」
告げられた言葉に、クリフはその碧眼を僅かばかりに潤ませた。
「それほどまで、私のことを忘れ難く覚えていてくださっているなんて。このクリフ、これからも永遠に貴女を讃える詩人でありましょう」
「ですから!貴方はわたくしの話を聞いておりますの?!愛想も尽きて、許していないと言っているのです!」
「貴女の言葉を私が聞き流すことはありません!貴女が私のことを覚えている、それだけで私がこの世に存在する意義があります!」
「覚えている、それだけで?!わたくしが貴方を忘れられる訳がないでしょう!物心ついた時から婚約者でしてよ?!」
「ジゼル皇女殿下…!!!」
激昂するジゼルに対し、クリフは思わずといったように自身の胸を押さえた。
「こんな昼間から……そのような熱い気持ちを頂いて……私はどうすれば……」
「言葉の意味が通じないの?!語弊しかないわ!どうするもこうするも、貴方はこれまでの立ち居振る舞いを反省し、わたくしに謝罪すべきですわ!!」
「女神が……女神が私に、贖罪の機会を与えてくださる……罪深い私に愛を与えてくださる……」
「なにをどう解釈して、私が貴方を許し愛を与えることになりましたの?!」
「愛……貴女の口から、愛だなんて………」
陶酔したように、うっとりと呟くクリフ。
その様子に気づいたジゼルは、喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。
この状態のクリフには、何を言ってもご褒美でしかない。
黙って睨みつけるのが、一番効果がある。
「そんなに熱く見つめられると、この身が雪のように溶けてしまいそうです…」
「溶けてしまいなさいな!!!」
睨みつけるのも駄目であった。
昔はもう少し効果があったと思うが、いつからこうなってしまったのか。
この男が剣技に秀で軍才にも優れていると、父である皇帝陛下に見抜かれ遠征に出されるまでは、もう少し、もう少しまともであったと思う。
昔、と以前の記憶を回顧しそうになる自身を、ジゼルは軽く頭を振って叱咤した。
どれほど記憶を遡っても、自分のそばには常にこの男が婚約者として存在していた。
皇国で勢力のある公爵家嫡男として、いわゆる政略的な意図をもって、父が選んだ婚約者と聞いている。
歳も近いし、本人の資質を父は気に入っているようだ。
こうして、お茶の日と決められて、週に一度は言葉を交わすのも、昔からの習慣ー-----
「クリフ=オーギュスタン」
ジゼルに名を呼ばれ、クリフは目を瞬かせた。
「わたくし、あなたと初めてお会いしたのは、いつの時でして?」
お茶の日は、昔からの習慣だったろうか。
本当に小さい頃はこのような時間もなかった。では代わりに、幼少期は共に遊んで過ごした記憶もあるわけではない。
いつからかこの男は婚約者として当たり前に側にいた。ごくたまに、顔を合わせ、会話をし、いつからかお茶の日と称して定期的に会うようになり。
長年婚約者として過ごしたはずが、第一印象というべき、最初の記憶がない。
「貴女が数え年にてひとつの頃に、私は母に連れられて皇后陛下のお茶会に参加いたしました。その時でございます」
「その時は、貴方はまだ2歳よね」
「はい、日に照らされ輝く貴女の銀の髪を昨日のことのように覚えております」
「そう。………その次に会ったのはいつのことでして?」
「ジゼル皇女殿下、貴女の2歳の祝賀会でございます。皇后陛下に支えられ、我々の前でお手を振ってくださいました」
「貴方、その時は3歳…よね?」
「はい、皇帝陛下と謁見いたしましたのも、この時が初めてでございます」
「………その次は」
「その2週間後に、皇后陛下のお茶会にて。あの日の貴女も美しかった」
「そのつ」
「少し空いてひと月後、私が父について参内した際に、偶然、庭園にて。貴女は女中を連れてお散歩をしているところでした」
何故こんなことを聞き始めてしまったのだろう。
ジゼルは、自身の体が震えてきたのを感じた。気のせいか、少し喉もかわく。
少し冷めた紅茶を飲み、意識して深呼吸する。
そんなジゼルの様子に気づいたのか、クリフはその眼差しを少し和らげた。
年頃の子女であれば思わずのぼせてしまうような、柔らかな笑みを浮かべて。
「あの日の貴女は、青色のデイドレスを着ていらして…まるで今日のように」
「……わたくし、昔から青色が好きなのよ」
今日選んだデイドレスの色について、ジゼルは少し後悔した。
過去を饒舌に語っても、大事なのは今である。
幼少期の頃の話というのは、他人から聞き幾らでも補足できることだろう。
2歳か3歳か、そんな幼い頃の出会いをはっきり覚えているなんて、まさか信じてしまっていいのだろうか。
いくらこの男とはいえ、まさかそんな。まさか。
揺らいだ動揺をおさえ、ジゼルは深呼吸する。
ジゼルは、今日の装いを、ドレス主体に決めたのではない。
お茶を薔薇園での東屋で、と聞き、ただ足元が広がりすぎないデイドレスを選んだだけ。
この男は気づいていないのだろうか。
わざと分かりにくく、背中を向けないと分からないよう挿したからいけないのだろうか。
誕生日のお祝いにと、流行りの形の真珠の髪飾りを贈ってきたのはこの男ではなかったか。
物に罪はないと女中に説得されたから挿したが、今この時の自分に関心がないのであれば無駄だった。
「わたくし、用事を思い出したわ。今日はもう部屋に下がります」
まだお茶の一杯も飲めていないが、潮時だ。
クリフの眼差しが、少し寂しげに歪むが、気づかなかったふりをする。
ジゼルは、クリフの眼差しから目を逸らす。
そういえば、この男は先日まで、北方の辺境に遠征に行っていた。
昨日の謁見でひと月ぶりに顔を合わせたところ。
ああ、いけない。
思い出してしまった。
しばらく都にいないからと気を抜いていたからか。
皇女として何事にも公平にと立ち振る舞ってきた自分の、隠れた趣味をこの男は市民向けのエッセイ記事で大胆に明かしたのだ。
どこから情報が漏れたのか。
護衛の都合からお忍び観劇はバレたとしても、ご贔屓までは知られないと思っていた。
もう次の観劇ではあの俳優をオペラグラスで見つめられない。
そんなことをしてしまえば、皇女としての公平さに欠けてしまう。
「わたくし、貴方の所業を許していなくてよ」
ジゼルの強い言葉に、クリフは微笑んだ。
その様子を見て、ジゼルは確信する。
この男、ジゼルからは何を言っても効かないのだ。
「ジゼル皇女殿下。貴女は私の女神であり、庇護すべき妖精であり。貴女の眼差しは万人には刺激が強すぎるのです」
「つまり、私があの劇団俳優を贔屓するのが許せず暴露したと、そういうことなの?!」
「許せないなどそんな考えではありません。貴女が1人の男を気にかけるなど、あってはならないことなのです」
「言葉遊びはやめて!はっきり言いなさい!!」
「ジゼル、愛しています」
「誰が愛を囁けと言いまして?!」
ジゼルは席から立ち上がった。
話は終わりである。
想定より時間が短かったのか、少し離れたところで待機していた近衛騎士達が慌てて東屋に寄ってくる。
立ち上がったジゼルに対し、クリフは手を差し出してエスコートをする。
ほんの少しの時間で帰ろうとするジゼルを咎めない。
手袋越しに触れる手は、引き止めることもない。
ジゼルはこの男が分からない。
本で読む恋物語では、男はもっと分かりやすく立ち振る舞う。
やはり父の選んだ政略結婚としての婚約者では、いけないのだ。
この婚約は破棄しよう。
何を考えているか分からない男に、皇族の一員としての役目を与えるなんて、いけないのだ。
生涯を共に過ごすなら、もっと分かりやすい男でなくては。
「わたくし」
「ジゼル皇女殿下」
ジゼルとクリフは、同時に言葉を発した。
優先されるべきジゼルであるが、ジゼルは目でクリフに先を促した。
婚約破棄する相手への温情である。
「…ジゼル、貴女がお好きな色は、青ではなく白ですね」
柔らかな声音でクリフは言った。
ジゼルは少し考える。
あまりにも優しく告げるので、何を指しているか分からなかったが、先ほどジゼルが言った『青が好き』に対しての発言か。
確かに、青色は好きという程でもない。自分の肌の色が綺麗に見えるとは思っている。
滅多に着る機会はないが、好きな色と言われると-----
「貴女の髪を彩るにふさわしい色です」
「……!!」
ジゼルは気づいた。
この男、先ほどからずっと気づいていたのだ。
ジゼルの髪を飾る真珠に。
気づいていて、言わずに、せっかくのジゼルの気持ちを、触れずに。
驚いて声も出ず口をはくはくと動かすジゼルに対し、クリフは美しく微笑んだ。
その眼はジゼルを通して何かを見ているような-----
「結婚式が、楽しみですね」
何かどころか、白い花嫁衣装を着るジゼルを見ているようだった。
「や、」
「や?」
「やっぱり、貴方との婚約は破棄するわ…!!!!」
ジゼルはエスコートされる手を振り解き、熱くなる顔を隠した。
淑女としてあるまじきことと頭のどこかで分かっていても、微笑むクリフを見返せない。
こんな自分は分からない。
この男をどう思っているかも分からない。
泣き出したジゼルは、近衛騎士を連れ、父である皇帝に59回目の婚約破棄を宣言した。
その真後ろをついてきたクリフは、60回目の婚約の締結を願い出て速やかに承諾された。
「婚約期間1日は最短記録だ」
という皇帝は、顔を真っ赤にする娘と、その横で溶けそうに微笑む未来の義理息子を見やる。
「ちょっと頭を冷やしなさい」
普通、が分からないまま育った皇女殿下。
自身の、普通、が異常だと思わないまま愛を捧げる男に対し、皇帝が南への遠征を命じたのは3日後のことだった。
皇女殿下が贈り物を身につけたことにひと目で気づき、その後なにを言われようとへこたれない男。
むしろ可愛くて可愛くて仕方がない。
むしろ愛そのものにしか見えない。
つまり愛。全ての言葉が愛。
皇女殿下の感性はどちらかといえば普通。
なお、皇帝陛下は、男と初めて謁見した時のことを忘れられない。
「こうていへいか、わたしはジゼルさまとけっこんします。ちちうえとお呼びしてよろしいでしょうか」
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