躁転①
躁転とは、うつ状態だったのが、一転して元気になる事です。
私の場合は、眠れなくなります。
月曜日に日本年金機構から封書が届いた。開けて見たら、年金の更新手続きに必要な診断書と年金機構に送り返す封筒が同封されていた。
先週、躁転したから急遽病院に予約を入れて先生に診察をして貰い、お薬の調整をして貰ったばかりだったが、期日が今月末までとなっていたので、父に電話をして翌日に病院まで連れて行って貰った。
私は約六年前に入院中に年金の受給手続きを、精神保健福祉士さんに手伝って貰いながらしたのだった。手続きをしている間も、主治医の院長先生からは「うつでは年金出ないと思うよ」と言われていたが、数ヶ月後に審査に通り、私は精神障がい者三級の年金を受け取れるようになっていた。偶数月に、約十万円の年金の支給があった。
先生に年金を受け取れるようになった時に報告をしたら、「年金は貴女にではなくて、家族に出されるものですからね」と諭された。その言葉の意味は分からなかったが、お金は使わないで貯金しようと決めて、振り込み先がゆうちょ銀行だったから、積み立て式のかんぽ保険に加入した。
クールなワーカーさんに、お礼を言ったら彼は無表情に「よかったですね」とだけ言った。彼は一年半前に病院を辞めてしまっていた。別れの言葉も言えずに寂しかった。
総合受付で事務の課長さんに、診断書作成代を払い、書類に署名して印鑑を押して、課長さんに「次の外来受診日に受け取りたいです」とお願いしたら、私が言った通りに書類に書き入れてくださった。
父は私を待つ間に病院のパン工房のパンをたくさん買っていた。
帰りに物産館に寄ってみたら、珈琲豆が数種類売られていたから、パッケージが気に入ったのを選んで買った。
躁転しても、今では少し元気になるくらいで、酷かった時のように問題行動は取らないようになっていた。
先生から「躁を経験した人は、それが一番いい状態と考える患者さんもおられます」と言われ、「たしかにそうですね、何でも出来ると錯覚してしまいます。脳の中で、変な脳内物質が出ていて快感があります」と診察の中で話していた。
不思議と躁転すると自覚出来るのだった。私の場合は、睡眠が取れなくなっていた。病院に電話をして、受付の方に外来の看護師さんに繋いでもらって、手持ちのお薬で気持ちの昂りを抑えて眠らせる効果があるお薬を飲んでも良いか先生に聞いて貰って、折り返し外来の看護師さんから電話がかかって来て、「お薬を飲んでいいです。うちの中で過ごしていてね」という先生からの言葉を貰い、受診日まで手持ちのお薬を飲んでいた。
受診日まで毎日睡眠時間を書いたものを先生に見せて、「お薬、もう一錠増やそうか」と言われた。私は何が何でも眠りたかったから、是非!という気持ちで「はい」と言い、他にも飲みたいお薬があったから、それも出して貰っていた。「一錠増やしたお薬は眠れるようになって、一週間したら二錠から一錠に減らしてね」と注意を受けた。
睡眠時間は躁転してから、お薬が増えたおかげで、平均三時間だったのが七時間くらい眠れるようになった。中途覚醒もしなくなった。
寝ている間に、脳がどれくらい休めるかで躁状態は収まり、またうつ病の改善に睡眠はとても重要なのだった。
今月は誕生日イベントが来るし、来月には親友や友達が泊まりに来るし、お盆には親戚が集まるから、スケジュールは詰まっていた。両親は私を心配しながらも見守ってくれていた。
家に帰ったら、母が猫たちと留守番をしてくれていた。私はシャワーを浴びて、浴衣に着替えてから、早速買って来た珈琲豆を挽いて珈琲を淹れてみた。熟成されていなくて、若い感じの味がした。母は気に入ったようだった。
母とお昼ご飯を作った。簡単に冷しゃぶを作った。試しにココに豚肉を少し与えてみたが、気に入らなかったようで食べなかった。三人で食べた。
昼薬を飲み、後片付けをしてから、ソファーに寝転んで猫たちとお昼寝をした。起きたらもう夕方でビックリした。
猫たちに餌を与えて、晩ご飯を作るの面倒だなーと思っていたら、チャイムが鳴り玄関に行ったら、両親が野菜を持ち、泊まるつもりで着替えやパジャマを持って訪ねて来たのだった。
母の得意料理の天ぷらが晩ご飯のメインだった。私はキュウリとワカメの酢の物を作った。青紫蘇の千切りも混ぜた。父には好物のタコのお刺身を、母と私はサーモンのお刺身だった。母はサーモンが好きだった。天ぷらに使う野菜は自家製だった。
父は晩ご飯前にお風呂に入る習慣があったから、お風呂を沸かして入浴剤も入れてあげた。
母に「叔父さんは来ないの?」と聞いたら、「帰りが遅くなるから来ないと言ってたわ」と言った。
食前に夕薬を飲んだ。母は私が食前にお薬を飲みことを気にしていて、先生に「娘がお薬を食前に飲むのですが、よいのでしょうか」と尋ねたら、先生は「食前でも食後でも精神の薬は関係ないです。きちんと薬を飲みさえすればいいです」と端的に仰っておられて母は安心したようだった。
キッチンのテーブルに料理を並べて、三人で乾杯をしてから食べ始めた。両親はビールを飲み、私はノンアルだった。
私は躁転すると、なんだか気持ちが一杯になり、食べられなくなるのだったが、その夜はゆっくりとしたペースではあったが、ちゃんと食べた。
食べ終わって父は横になってテレビを観ていたが、母と片付けをしてから二人でお風呂に入った。母が犬に引っ張られて転倒事故をしてから、入浴介助をしていたが、私はその後も母が心配で一緒に入浴していた。
母はお風呂に猫たちが一緒に入って来たのに興奮して喜んでいた。母のお気に入りのルナの身体を洗ってやっていた。猫たちも洗ったし、長風呂になって私は疲れてしまった。父はソファーに横になって寝ていた。
冷凍庫からアイスクリームを出して、キッチンのテーブルの椅子に腰掛けて母と二人で食べていたら、父が起きて来て「俺も食べる」と言うから、アイスとスプーンを渡した。ココにバニラアイスを少しあげたら、ゆっくりと舐めて食べた。
母が「サクラもアイスが好きだったわよね」と言った。「ココね、性格もサクラに似ているの。気が強いよ」と私が言うと両親は笑っていた。
就眠薬に頓服で出して貰ったお薬を加えて飲んだ。
和室に両親が寝る用にお布団を二組敷いた。シーツをかけて、枕には枕カバーをして、綿毛布を被せた。
私は歯を磨いてから、寝室に行ったら子猫たちがベッドの真ん中に固まって寝ていた。そっと脇に寄せて、ココとベッドに横になって、読みかけの本を読んでいたら、十分もしない内に強い眠気に襲われて、私は電気を消して寝た。
翌朝八時過ぎまで寝ていた。中途覚醒もせずに十時間以上寝ていた。
お薬のお陰で眠れるようになった!と喜んだが、睡眠はまだ不安定で眠れたり、眠れなかったりした。
一週間後の予約がやっと取れて、母に病院にまた連れて行って貰った。院長先生にお薬の調整をして貰った。本来はてんかんを治すお薬だけれど、脳の興奮状態を鎮めて穏やかに鎮静化してくれるお薬で、副効果で睡眠を助けるお薬を出して貰いたいと言うと、先生も頷いてくださった。そして気持ちを安定させて興奮を抑えるお薬が一錠増えて、お昼にも飲むことになった。一緒に飲む胃薬も出された。このお薬を飲むと副作用で手の震えが出るのだが、気にしていられなかった。「手の震えより、心の震えが大ごとです」と先生に言うと笑っておられた。
その後、カウンセリングの先生にカウンセリングを一時間以上時間をかけて母と一緒に受けた。私は不安な気持ちが出ていた。いつも躁転すると動揺してしまって、どのように過ごせば良いのか分からず先生に相談していた。先生からは「ご両親が来られたら安心しましたか?」と聞かれて、「はい。ぐっすり眠れました」と答えた。「一人で不安感が酷い時にはご両親に相談してください、ご両親は文さんの事を必ず助けてくれますよ」と言ってくださった。母が「以前に比べたら、文はだいぶ落ち着きました。文はいま猫の親子を飼っているんです。文は猫が大好きで、猫たちがいるから文は大丈夫かな、と思っています。私たちも文の家にどの程度の頻度で行けば良いのか迷っています」と言った。先生に猫たちの話をしていなかったから、スマホで撮った猫たちの写真を先生に見せた。先生は赤ちゃんの頃からの子猫たちの写真を見て、「可愛いー」と何度も言っておられた。「しばらくは文さんの様子を見に毎日行かれてください」と先生は母に仰った。母は「はい」と先生に言った。
終わってから先生と外来受付に行き、八月の次回の予約はすでに入れていたが、九月のカウンセリングと診察の予約を外来受付で入れて貰って、カウンセリングの先生や看護師さんに頭を下げてお礼を言って外来のフロアを出た。午前中の早い時間帯に診察やカウンセリングを受けたくて、気が早いと思われるだろうな、と内心思いつつ予約を入れたのだった。
母に電話したら、喫茶店で夏限定のカレーを食べていると言った。
私は障害者自立支援医療費受給者証の申請を町役場にして下さいね、と受付の方から必要な物がプリントされた紙を貰ったり、お会計をしたり、お薬を受け取っていたから、私が喫茶店に行った時には母は食べ終えていた。今日からだと言う夏限定の野菜カレーを私も頼んだ。ボリュームたっぷりのカレーで、サラダの量も多かったが完食した。昼薬を飲んだ。昼薬も増えていたから、それも早速飲んだ。
パン工房さんの山型食パンも二袋買った。
母と「美味しかったけど、多かったねー」と話しながら家路についた。
帰りに町役場に寄って障害者自立支援医療費受給者証の継続手続きをした。日本年金機構から振り込み証明葉書だけでなく、ゆうちょ銀行の入金欄のコピーや障害者証書のコピーまで必要だった。証書や通帳は実家に置いていたから取りに行ってまた町役場に行った。全部のコピーを取られて不快な気持ちになった。病院で貰ったプリントには、必要ない物までコピーを取られた。なんだか暴かれている気持ちがした。
猫たちは玄関でお出迎えしてくれた。
手を洗い、うがいをしてから猫たちに餌を与えた。母には薄めの珈琲を淹れてやり、私はシャワーを浴びて洋服から浴衣に着替えた。
ソファーに横になってそのまま寝てしまった。
クールなワーカーさんは別の病院で働いておられるそうです。最後にご挨拶したかったです。