地獄の開演
死んだ怪物に囲まれ、
男がそのうちの一匹の首を跳ね飛ばす。しかし
首だけになりながら、ズリズリと這い寄って来る
ミシェルが慌てて弓を射ようと構えるが
「待って!ミシェルちゃんは
絶対に弓を射っちゃダメだよ!」
「で……でも」
「あれは生きた死体……リビングデッドだと思う
生命が無いのに、誰かに偽りの魂を入れられている
今、生命の大神様の力を借りたら、多分
私達諸共……なら、まだいいけど
どこまで被害が出るか解らないの……」
生命の神以外に魂を創り、与える行為
神への反逆者、生命への侮辱に他ならない
機会さえあれば裁きを下す
その機会を握っているのはミシェルなのだと。
いやミカも同じだ。どの神が
どれ程に怒っているのか、想像もつかない
少なくとも、生命の神は1番危険だという事しか
徐々に、怪物達の包囲が狭まる。
ジリジリと崖の無い谷底へ追い詰められる
バサリ
リルムが外套を脱ぎ捨てた
脱ぎ捨てた服の下には
胸と下半身の一部を、小さな布で隠しただけの姿
その姿に皆が見惚れる
脚で円を描き、円の中心で彼女は舞う。
魂を込めた踊りを
男達だけでは無い。ミカとミシェル。
怪物達も、彼女から視線を切ることが出来無い。
雨風でさえも彼女の踊りを邪魔しまいと
避けていく
この踊りを目に、脳に、記憶に……
焼き付ける事しか、出来なくなってしまう
…………
何故ミカは歩いているんだ?
今歩けば、この踊りを忘れてしまう
動いてはいけない。動いてはこの踊りを……
いや、ミカの事よりも
この踊りを忘れない事が重要だ
忘却という恐怖に体が動かない
周りの人が居なくなっていく
それでも俺は、リルムから目を逸らす事が出来ない
肩に手を置かれる
リルムが話し掛けている……誰に………
「今…貴方は……怪物達……から見えて…いない
今の…うちに…逃げて」
「……あ……ああ」
やっと正気に戻る。気が付けば残っているのは
俺と、リルムだけ
他の皆はかなり後方、俺達が来るのを待っている
怪物達は皆、リルムを凝視している
「急がない……で…ゆっくり」
俺はリルムの指示に従おうと足を……
「…………い」
リルムに向き直る
「リルムはどうやって逃げるんだ?」
怪物達はリルムを見ている
彼女は逃げられないのでは、ないのか?
何故『お願い』と、声にしたのか?
「私は……ここで…死ぬから………心配…要らない
この円…から…出たら……加護が…消えるから」
「そんな事は納得出来ない」
「お嬢様を……もう……悲しませないで
これが……私の願い…貴方にしか……叶えられない」
リルムは喉を押さえながら、訴えかける
俺しか叶えられない願い
俺なら叶えられる願い
怪物達がこちらに向かって
進軍を開始する。
「な…んで……?」
リルムの驚きの声
自身の魂の踊り
命すらも差し出した、術が破られたのだ
意図的に解除されたか……
あるいはリルムの命には、何の価値も無いという
存在否定の絶望に落とす為か
もう……リルムの願いは叶えられない
彼女と、クヌギ.イシノギはここで死ぬ
その事を少女は悲しむだろう
そして嘆くだろう。リルムなどという
役立たずを、付けてしまった自分自身に
死ぬ事で解決しようとした罰なのか
リルムは膝をつき、何も出来無い…
無価値な自分に後悔しながら、涙を流す
俺は……俺は……何がしたかった?
何がしたくて、この両手を手に入れた?
何が欲しくて、この牙の無い口を手に入れた?
何を望んで……寿命を持つ脆弱な人間になった?
無様な生に憧れたか?
森で出会った少女の……最後の願いを叶える為か?
違う!
俺の……私の望みを、叶える為に他ならない……
望みは叶っている。今は俺の望みを叶えている途中だ
そうだ……
私が……人間である必要など無かった
俺が……人間で在りたいと思う必要も無かった
「リルム……ここには俺しか居ない
君の本当の願いを言ってくれ……
俺に叶えられなくても、今の私には伝わるから
その為に………俺がいるんだ」
彼は間違い無くクヌギ.イシノギだ
顔も、声も変わってはいない
疑いようも無く、それでも彼は………
彼とは、似ても似つかなかった
本当の願い それは、見世物小屋でのあの日
少女が口にした、リルムを人として
生かしてくれた言葉
リルムは口を開く
私の願いはお嬢様の幸せだと
「私……は…お嬢様……
お嬢様の笑顔を観ていたい!一緒に踊りたい!
あの子と………ずっと一緒にいたい!」
大粒の涙が溢れ出る 先程の涙とは別の……
それは小さな願い。しかしリルムにとっては
とても大事な、本物の願い
自身の胸の奥に、閉まっていたはずの願いが
涙と共に、席を切ったように溢れ出す
とても美しい願い。
それを叶える事は、クヌギ.イシノギには出来ない
彼は、リルムに背を向け、無言で去って行く
彼女は、自分の本心に気付けたのだ
死にゆく彼女にとって最後の『そんな事はさせない!』
俺は親指の付け根を齧る
抉れた肉を大地に吐き捨て、血は……やはり出ない
人間である必要など無い
俺の望みさえ叶えられれば、魔物でも構わない
蔑まれても構わない
親指を力いっぱい握り込む
ボキッ!
骨が外れた。しかし力を緩める事は無い
俺はこの怪物達を、殺せる術を持たない
ならば呼べばいい!それを成せる物を!
俺の血で……
俺だけが出来る、最も簡単な解決策
人間には到底不可能な、到達点
そうしてやっと1滴……
滲み出た血液はそのまま地面に
ポタリと落ちた
俺は瞳を閉じ語りかける。
声など届かない。遥か地の底の底……さらに深く
その為の血だ。魔法陣など必要無い
必要なのは俺の言葉であり……私の言葉
血液はそれを伝達する為の信号にすぎない
漆黒の深淵にまで届いた
1滴の血液が漆黒に呑まれる
私は現世と深淵を繋ぐ者
私は汝等全てを統べる者
俺が言葉を標とし
俺が魂を寄る辺とせよ
汝の魂を燃やす栄光を求めしもの
俺が血に刻む栄誉を賜りたしもの
私が汝に与えん
一滴の血液が……深淵に波紋を起こす




