第十九話「クロとは」
そこは黒く、暗く、何もない空間。
クロは、そんな寂しく、不気味な場所に一人立っていた。これは、夢だ。さっきまで、華燐達と並んで布団の中に居たんだから。
これは夢に決まっている。
だけど……夢なのに、妙にリアルで、この場所を知っている。そんな感覚がクロにはあった。
「……うっ!」
ひどく濃く、そして臭い。
これは血の匂い。
夢なのにどうして、こんな。
「―――けて」
「え?」
声が聞こえる。
クロは、思わず声が聞こえたほうへと振り向いた。誰かはわからない。ただ、黒い人の形をしたなのにかが、何十人も倒れており、クロに手を伸ばしている。
「たす、けて……」
「いてぇよ……!」
「な、なにこれ。どうしてこんな……!」
知らない。
こんなの知らない。だけど、知っている。もしかして、自分が失った記憶と何か関係があるのか? かなり気になるところだが、クロは逃げた。
走って、走って、走り。
「なッ!?」
道がなくなった。
いつのまにか崖のような場所に辿り着いており、後ろからは何か巨大な存在が大きな足音を響かせ、近づいてきている。
このままじゃ追いつかれる。
追いつかれたら何をされるかわからない。
近づいている存在がわからないはずなのに、なぜかわかってしまう。近づいてくるだけで、威圧されるほどの存在。
それから逃れるために、クロは。
「きゃああああっ!?」
自ら崖を飛び降りた。
どこまでも、落ちていく体。いったいどこまで続くんだろう。そして、この下はいったい何が待っているのだろう。
怖くて、目を瞑ったクロが次に目を開けた時には。
「はあ……はあ……はあ……」
温泉旅行で泊まっている宿の一室。
その天井が映った。
ひどく呼吸が荒く、汗も大量に流している。呼吸を整えつつ、左へそして右へ視線を向ける。左には華燐、右にはバルトロッサの寝顔が見えた。
そこで、ようやくクロは安堵の息を漏らす。
「……」
少し外の空気を吸ってこよう。そう思ったクロは誰にも気づかれないように起き上がり部屋から出て行こうとする。
「クロ。どうしたの?」
しかし、華燐が起きて、どこへ行くのかと問いかけてきた。
「ちょ、ちょっと外の空気を吸ってくる。なんだか汗掻いちゃったから」
「私もついていこうか?」
「ううん。一人で大丈夫。華燐はゆっくりしてて」
クロは、笑顔を作りそのまま去って行く。
「……あの小娘。妙な気が漏れていたな」
クロが去った後、バルトロッサは静かに目を開けそう呟く。
「僕の尻尾がびんびん感じ取ったよ。彼女から漏れ出しているのは」
「やっぱり、心配。ちょっと行ってくる」
と、コトミの体を借りたコヨミが呟き、華燐は有奈達を起こさないように部屋を飛び出して行った。
・・・★・・・
「おーい。ジャージ神。こんなところで寝ていると通行人の邪魔だぞー」
「らいじょうぶよー。もう、誰もきやしないってばぁ……うへへ」
「これは駄目なのです。完璧に酔い潰れているのです。まったく、こんなに飲んで。神という自覚はあるのですしょうか?」
「それをお前が言うか?」
「わたしは、神様としてちゃんとやっているのです」
今朝の隆造さんとの会話が気になり、皆が寝静まった後、俺は少し旅館周りを警戒しつつ歩いていた。ニィの協力も得て、今のところ何もない事がわかったので戻ろうとしたのだが。
その途中で、酒瓶を持ったまま廊下で酔い潰れていたジャージ神リフィルを発見。
どうやら、月を肴にして酒を飲んでいたようだ。
辺りには、酒瓶やビール缶がいくつもあり、もう一人で歩けないほどに酔っているだろう。
「はあ、このまま放っておくわけにもいかないし。連れて行くか」
「しょうがない子なのです」
俺は、酒瓶を持ったままのリフィルを背負い聖域の入り口がある場所まで移動する。
「ん? おい、ニィあれってクロじゃないか?」
その途中だった。
有奈達と一緒に寝ているはずの記憶喪失少女クロが外に出て、池を見詰めていた。それだけだったら、ただ涼みに来たのだろうと思う。
しかし、明らかに様子がおかしい。
「しかも、体から漏れ出しているのです」
「ああ。あの力……まさか」
彼女から漏れ出している黒い靄。
感じた事がある。
あれは……邪気だ。
「ああぁ……! うぅぐっ……!?」
体を抱き、クロは苦しむ。
このままじゃ、やばい。
俺はニィに視線を送り、止めるように伝える。ニィの力ならば、クロの邪気を抑え込むことも、祓うこともできるはずだ。
「クロ!!」
が、それよりも早く動いたのは華燐だった。そして、それに続くように現れたのは。
「ハッ!!!」
「あぐっ!?」
隆造さんだった。
漏れ出した邪気を祓い、そして何かの術を施した。すると、クロは静かに意識を失う。華燐は、倒れるクロを抱き寄せその場に座り込む。
「ふう。なんとか間に合ったか」
「隆造さん」
「おお、刃太郎くんか」
「さっきのは、邪気なのです。やはり彼女は、普通の人間ではないのですね」
ニィの言葉に、隆造さんはああっと頷き語りだす。クロの額にある紋章に触れながら。
「まず、クロと最初に出会った時、この紋章が気になった。どこかで見た事があるものだってな。それで、色々と古い書物を調べると……わかったんだ」
「なんだったの?」
「封印術。しかも、これは式神に施す封印術だ」
「式神にって……じゃあ、クロは誰かの式神なんですか?」
式神とは、ファンタジーでいう使い魔のような存在だ。あっちの世界でも使い魔を使役していた者達は多くいた。
使い魔は、術者と契約を結び戦いや私生活などを共にする。獣だったり、悪魔だったり、中には幻獣などを使役していた奴もいたっけな。
「で、でもお父さん。この子からは、術者との繋がりが」
「ああ。正確には、この子はもう式神じゃない。すでに契約は破棄されている。そして、この子に施されている封印術は……禁術の部類に入るものなんだ」
禁術か。そういうものはやっぱりこっちにもあるんだよな。
「本来、式神に施される封印術は術者と共に戦う際に一時的に解除される。そうじゃなければ、戦えないからな。だが、この子の場合は完全に力が抑えられているんだ」
「じゃあ、クロは力を完全に封印されたままで契約を破棄されたってこと?」
「ああ。そう考えるのが普通だろう。考えたくなかったがな」
「そんな……」
ヴィスターラでもそんなことがあった。こっちの場合は、捨てられた使い魔。それをはぐれと呼んで通常の魔物よりも力が強く凶暴なので、よくクエストに出ていた。
使い魔達には罪はない。
罪があるとしたら、契約を結んでおいて、勝手に捨てた術者達だ。だけど、現実は非情。俺達は、凶暴化した使い魔達を倒すことでしか救う事ができなかった。
強力な術者であるのなら、再度契約を結ぶことでまた使い魔として使役することができるが。術者ではない俺達には……。
「でも、隆造さん。なぜ、クロから邪気が?」
「それは、俺にもわからない。もしかすると、力が封印されていることで抵抗力がなくなり、邪気に触れて体内に取り込んだ、のかもしれない」
「わからないことを考えてもしょうがないのです。今は、クロを温かいところで休ませたほうがいいのでは? こっちも酔い潰れたお馬鹿さんを連れて行く途中だったのです」
あ、そうだった。すっかり忘れていた。真面目な会話をしていたけど、背中には酔い潰れたジャージ神がいたんだった。
背中にとても柔らかい感触が当たって男ととしては嬉しいところだが、とても酒臭くてなぁ……はあ。
「そうですね。今は、ゆっくり休ませないと」
「ああ。俺は、巡回に戻る。さっきは俺が助けたが、次は」
「わかってる。私だって、鳳堂の霊能力者だよ。それに、クロは私が護るって決めたから」
隆造さんは、娘の成長を嬉しかったようで笑顔で旅館から去って行く。そして俺達は、早々と部屋に戻り眠りについた。
が、俺は廊下の散らばっている酒瓶やビール缶の存在を思い出し片付けに向かうのだった。




