第十八話「月を見上げて」
「それじゃ、いくわよ。準備はいいかしら?」
「もちろん」
「わくわく! わくわく!!」
瀬川家に滞在して三日の昼。
どうやら、明日の午後には帰るようだ。あっちに到着した頃はもう夕方頃だろう。なので、思い出を少しでも作っておくべく、舞香さんの提案で流しそうめんを体験することにした。
亮治じいちゃんと一緒に俺が作った流しそうめん用の加工した竹。そこに水道から水を持ってきて準備完了。後は、そうめんを流すだけだ。
俺も初体験の流しそうめん。
近所の人たちの協力を得て、舞香さんも食べる側に。
コトミちゃんも初めて体験する流しそうめんにわくわくが止まらない様子。
有奈も、あまり表には出そうとはしないが真剣に流れる水を見詰め箸を構えている。
さて、これから楽しい流しそうめんが始まるのだが。
ひとつ問題がある。
今日の朝起きて、それは訪れた。
なにがって? 熊? 猿? 野犬? いいや、もっと面倒なのだ。
「なんと斬新な食事だ! まさか、麺を流し、それを取って食べるとは!」
魔帝が現れた。
こいつに知られると厄介だったので、何も言わずに来たのだが。
今日の朝起きたら、俺よりも先に朝食を食べていた。
どうしているのかと聞くと、わかりきった答える述べる。
「貴様の姿がなかったのでな! 次元ホールで追いかけてきた!」
亮治じいちゃんも、礼子ばあちゃんも本当に小さな子供の相手をしているように、優しい笑顔で対応していた。
俺は、言いたかった。
そいつは、生前の年齢だったら二人を軽く超えてる長寿な魔族だぞって。そういえばこいつ、今の姿に転生したってことは、年齢的には零歳なるわけか?
異世界転生ものだと、転生のパターンは俺が知っているのだと二パターンある。
まずは、赤ちゃんからのスタート。記憶はあるが、見た目はまったく別人からのスタート。
もうひとつは、死んだ時の姿で転生。記憶も体もそのままからのスタート。
だが、この魔帝はそのどちらのパターンでもない。
よくこいつのように性別が逆になって転生、という作品も見かけるが……。
「おい、どうした刃太郎よ。食わぬのか?」
「え? あ!?」
ずずずっとそうめんを啜っているロッサの姿に俺は現実に帰る。どうやら、俺は長く考え込んでいたらしい。
いつの間にか、俺以外全員そうめんをおいしく食べていた。
人数がちょっと多いため、そうめんを流す竹は二つ作ってある。俺、ロッサ、舞香さんでひとつ。有奈、コトミちゃん、サシャーナさんでひとつだ。
「食う時は、食う。考え事は食べた後にするがいい」
「ぐっ。まさか、お前に指摘をされるとはな……」
「ここに来て、我は異世界には数え切れない美味なものに溢れていると知った。あの食事など、食べられればいいと思っていた頃からは考えられないほどに、我は魅了されている!」
「大げさね、ロッサちゃん。そんなにそうめんおいしかった?」
ロッサの言葉に思わず舞香さんはくすっと笑う。
「ああ。そして!」
流れてきたそうめんを一本たりとも逃さず掴みと取るロッサ。こいつ、いつの間にこれだけの箸使いを……。
一ヶ月前までは、箸の存在すら知らなかったのに。
「こうして、楽しみながらの食事もあるのだと我は学んだ」
しっかり、わさびまで溶かして食べている。
溶け込みすぎだろ、こいつ。
ただの美食家になりかけている。
「そい!」
「取りこぼしをゲットです!!」
「ふ、二人とも食べすぎだよ!」
あっちはあっちでかなり楽しんでいるようだ。コトミちゃんとサシャーナさんの猛攻に、有奈はあまり食べれていない様子。
「それじゃ、いろんなものを混ぜていくぞ」
「色んなもの?」
どういうことだと首を傾げた。
そして、流れてきたのは。
「きゅうり!?」
「しかも、ざっくり半分に切られてる!?」
流れてきたのは、包丁でざっくり半分に切られたきゅうりだった。これを掴むのか? 勢いもあるし、太さもそうめんとは多い違いだ。
「おお!! こっちはプチトマトが流れてきたぞ!!」
「なんて掴み難いものを!!」
あっちはきゅうりだったが、こっちはプチトマトだった。
水の流れもあり、プチトマトの丸々とした形。
これを箸で掴むのは一苦労しそうだ。
「貰った!!」
「させるか!!」
さっそくロッサがプチトマトを取ろうと箸を伸ばすが俺がそれを阻止。水飛沫を上げ、箸同士がぶつかり合い、プチトマトが天高く飛び上がった。
「ハッ!」
「させぬ!」
飛び上がったプチトマトを掴もうと箸を伸ばす。
ロッサも箸を伸ばし、対抗してくる。
箸を箸の攻防。
そこで、俺は思った。なんで、俺プチトマトでここまで熱くなってるんだ? と。冷静になった俺は漬け汁が入った器を沿え、プチトマトを直接入れた。
「なに!? 貴様、勝負を投げ出す気か!?」
突然取り合いをやめた俺に、ロッサは不満だったようでぎゃーぎゃーっと騒ぐ。が、俺はそんなロッサを無視して流しそうめんに集中することにした。
「別に勝負してないし。ほら、次のものが流れてくるぞ」
「今度は、天ぷらが流れてきたー!」
「ふにゃふにゃにならないうちに取りましょう!!」
「だから、二人とも食べすぎだよ!!」
「こっちはカニカマが流れてきたぞ!!」
流しそうめんは大盛り上がりだった。
・・・★・・・
その日の夜。
明日には帰宅するということで、コトミちゃん達は俺がふとんを敷いている居間に集まって夜遅くまで騒いでいた。
そこには、当然のようにロッサもパジャマ姿でいる。
ちりんちりんっと、夜風で風鈴が心地よい音を響かせる。少女達が、楽しく話し合い、ゲームで楽しんでいる様子を俺は静かに見ていた。
「角は取ったぁ!!」
「ふおっ!? ま、また角を取られてしまいました……」
「サシャーナ頑張れ!」
これまで、ロッサと有奈、コトミ、サシャーナさんと続きオセロで対戦をしているのだが。全て、ロッサの一人勝ち。
他にも、将棋やチェスなどで対戦しているのだが、どれもロッサが全勝。
どうやら、こっちに来てからというもの、食べ物を楽しむだけではなく色んな娯楽も楽しんでいるようだ。
「つ、強すぎます……本当に、こんなに強いロッサ様に刃太郎様は全勝しているのですか?!」
すでに、角を三つも取られて絶望的な状況の中、サシャーナさんは疑問の声を俺に投げる。
「うんまあ、そうですね。俺的、そいつがそこまで強いとは思いませんでしたよ」
「ふん。我は、貴様以外には負けておらぬ。我も考えた。なぜ、貴様だけに勝てないのだと!」
「うひゃ!? 一気に、五つも……」
一度も負けた事がないから、ロッサがこれほど強いとは思いもしなかった。鏡の迷宮の時は、ロッサ本人からいいと言われたので、なしだけど。
コトミちゃんも、相当強かった。
大会で優勝するほどに強いらしいが、それをも破ってしまった。とはいえ、ギリギリの戦いだったけどな。
俺自身もびっくりだ。
ロッサとは、何度か将棋やチェスで勝負をしてきたが。自分がそこまで強かったとは。
「ま、参りましたぁ!!」
「ふはははは! 負けなし! 絶好調だ!! この勢いならば、刃太郎にも勝てる! さあ、勝負だ!!」
ずびし! と人差し指を突きつけてくるロッサ。その横で、サシャーナさんは力尽きたかのように、うつぶせに倒れていた。
「いいや、やらん」
「なぜだ!」
「時計を見ろ。もう何時だと思ってるんだ」
「……一時を過ぎたところだな。まだ余裕ではないか!」
どこが余裕なんだよ。
良い子はもうすでに夢の世界の時間だぞ。
「周りを見ろ。すでに灯りが一件もついてないぞ」
とはいえ、この辺りはそこまで住宅が密集していないので、少ないのだが。
「そうだね。そろそろ寝たほうがいいよね」
「私はまだ余裕!」
「我もだ!」
「いえ、コトミ様。さすがにそろそろご就寝なさってください。イズミ様からメールが届きました」
先ほどまで、倒れていたサシャーナさんは起き上がり、スマホの画面を見せる。
そこには、イズミさんから、あまり夜更かしは駄目だぞ。ちゃんと、適度な睡眠を取らないといざと言う時に力が入らない。
そんなメール内容だった。なんで、コトミちゃんがまだ起きているというのをわかったんだ? まさか、母親としてそういうのを感じ取れるのか?
「むぅ、わかったー。大人しく寝る」
「だそうだ。ロッサ。お前も、諦めろ」
「……仕方ないか。では、我は一足先に帰っているぞ! 続きは、貴様達が帰って来てからだ!!」
素直に次元ホールで帰ってくれた。
有奈とコトミちゃん、サシャーナさんも居間を後にする。一人になった俺は、電気を消して布団の中に潜る。
(後ちょっとで満月か)
布団から、見える月。
そんな満月に近づいている月を見て、俺はあのことを思い出す。満月の夜に、コトミちゃんの中の力の根源が表に出てくる。
コトミちゃんの成長は順調だ。
いつでも、巨大な力を制御できるようには仕上げている。
残り少ない日にちで、後どれくらい成長させられるか……。
「ん?」
眠りにつこうとした刹那。
目の前に現れるキツネの尻尾。
「コトミ、ちゃん?」
そこには、月を見詰めるコトミちゃんの姿があった。俺の声に反応せず、ただただ月を見詰めている。どうしたのかと起き上がり近づいてみると。
「まさか」
コトミちゃんの瞳を見て俺は驚いた。彼女の瞳は、イズミさんから受け継いだ赤い瞳。だが、今のコトミちゃんは、左目だけが青く染まっていた。
この瞳の色は知っている。
力の根源。彼女の瞳の色と同じだ。
「お前、出てきたのか?」
「……え? あ、刃太郎お兄ちゃん。どうしたの? あれ? ここって」
彼女がもう出てきたのかと構えていたが、我に返ったコトミちゃんの瞳は元に戻る。そして、なぜここにいるのかわかっていない様子。
「覚えてないのか?」
「うーんっと。変な夢を見ていた気がしたんだけど」
「変な夢?」
「うん。なんかね、私と同じ姿をした子がいたの! でもね、私違って真っ白な髪の毛だったんだよ!」
それは彼女のことだろう。やっぱり、満月が近づいているから表に出掛かっているのか。
「その子は、なんか言っていたか?」
「わかんない。ただ、私のことを見ていただけだと思う。そしたら、刃太郎お兄ちゃんの声が聞こえて。気がついたらここに」
まだ声は聞こえていない。ただ、姿を現しただけ。でも、心配だ。
「その子を見て、どう思った?」
「えっとね。なんだか、悲しそうだったというか、苦しそうだったというか」
悲しそう、苦しそう、ね。
彼女と会ったからわかるけど、なんだか的を射ているかもしれない。
「……月、綺麗だね。なんだか今は、すっごくそう思うんだ」
「そっか」
彼女と会った時の場所での満月。
今でも印象に残っている。
その後、俺達はしばらく夜空に浮かんでいる月を一緒に見詰めていた。




