第一番 ようこそ、数奇な運命へ
「用事が済んだのならさっさと帰んな。お嬢ちゃん」
お会計を済ませた途端にレジを担当したおばさんは迷惑そうな顔をして少女にそう告げた。
「……ありがとうございます」
伏し目がちに少女はお礼を言う。聞こえるか聞こえないかの声で。心がこもっているのかこもっていないのかわからない声で。
夕食の材料を抱え少女はしばらく歩いた。商店街を抜けて歩き続けた。左右を畑に挟まれた一本道を黙々と歩いていた少女は不意に天を仰いだ。街の人々は冷たい扱いをする。言葉にこそしないが迷惑がっている。それでもこの大空は人を区別することもなくただそこに存在する。人々を見守っているのかそれとも見下しているのかわからないぐらいに……
「うーん。日中の空も好きだけど星が見える夜空の方が好きだな」
再び歩き出した少女は街はずれの小さな集落にある自分の住まいと呼ばれる場所まで一言も喋らなかった。
「おかえりなさい。ユメノちゃん」
先程とは打って変わって優しい言葉が少女に告げられる。優しい声で優しい笑顔で。
「スモアおばさん!ただいまです」
こちらも先程とは打って変わってはっきりとした元気の良い声を出した少女。
「嫌がらせとかされていない?大丈夫?」
「大丈夫ですよ。必要最低限のことは向こうもしてくれるので大丈夫です」
「そう?もし何か嫌がらせとか受けたらすぐに報告してね」
わかりましたと告げて少女は自分の家と呼ばれる場所に着いた。
夕食、入浴ともに済ませ、学校に通えない分の勉強をしていた少女は母の形見でもある歌を口ずさんでいた。十二星座が歌詞に含まれている歌である。
一通り歌い終わると少女は気がかりを見つけた。
「そういえばこの歌には意味があるんだっけ。確か、どこかにメモっていたはずなんだけど……」
勉強はそっちのけで、教科書、ノートを開きっぱなしで少女はあらゆる引き出しを探していく。沢山の手紙が入っている引き出し。沢山の小物が入っている引き出し。沢山の写真が入っている引き出し……の中に混じっていた小さなメモ帳を少女は手に取り読み上げる。
「『黄道十二宮』の十二人が集まる時、一度だけ力を使うことが出来る」
歌の意味というより歌に付属している言葉の方がしっくりくるだろうこの言葉はそれでも少女にとって魅力的な言葉であった。
「『黄道十二宮』か……探してみようかな」
死んだ人を生き返らせることなんてできないのは十六歳の私ですら理解していること。理解して、あきらめていること。だから、私が『黄道十二宮』の力にお願いしたいのは、故郷の復興。私たちにとっても帰るべき場所が出来る。そしてよそ者の私たちが住まわせてもらっている街の人々もその方が助かる。本来あるべき形に戻るだけだ。
言い訳のようにも聞こえる少女の思いはそれでも彼女を旅へと誘っていく。行動あるのみと言わんばかりに大きなトランクを持ち出して荷物をまとめだした。
勉強のことをすっかり忘れて、トランクに荷物を詰めていく少女。その後ろには小さな小さな窓があり、夜空にぽっかり浮かぶ星々が輝いていた。
翌朝――
トランクを片手に少女は村人たちに囲まれていた。
「ユメノちゃん。私たちはユメノちゃんが生きているだけで満足なんだよ?わざわざ村の復興のためにユメノちゃんが旅に出るだなんて……」
「心配ありがとうございます。でも、もう決めたんです」
少女の顔には笑顔が見られる。無理しているような顔と自分の選んだ道を進もうとする顔。
「ユメノ。旅に出るということがどういうことか分かっているのか」
少女がトランクを引こうとしたとき、不意にどこからか声が聞こえた。
声の主は村人たちの間をかき分け前へ、前へと出てくる。ユメノと呼ばれる少女の前で歩みは止まる。
「イワナおじさん。現在私は高校を休学しています。最終学歴は中学校です。大したお金もありません。沢山の人とのコミュニケーション経験もありません」
返事がない。ただ少女の言葉を真摯に受け止めている。
「それでも、行かなければならないんです。村の復興だけではなく、私が私であるための何かを見つけるために。私の……あの日から止まったままの私の心の成長をするために」
不安はある。すべてが上手くいくなんて考えていない。『黄道十二宮』が存在しているという保証はない。それでも、この旅でお母さんの隠し事、私に関する秘密をつかむことが出来るかもしれない。
少女の瞳には迷いがなかった。しばらくの沈黙の中、少女とおじさんは目をそらさなかった。
「そうか。ならば行ってこい。いろんなものを見て、いろんな経験を経てそしてここに帰ってこい。学校の件は俺が何とかするから」
行ってこい――
言ってほしかった言葉。私の背中を押してくれる言葉。まさか本当に言ってくれる人がいるなんて思ってもいなかった少女の頬に一滴の涙が零れた。瞬間にいろんな感情が溢れだ
してきた。抑えられない感情の渦が涙という形となり少女の瞳から零れだしてきた。
トランクから手を放し迷うことなくイワナおじさんの胸に飛び込んでいく。故郷と母を失ってから見せたこともないくらいの子どもらしい泣き方。しがみつくような形でイワナおじさんの胸で小さくなる。少女の震える肩をしっかりと抱きとめる大きな腕。
やがて少女の涙も止まり、笑顔が出来るほどに回復した。村人たちも少女とイワナおじさんを囲むように集まってきてくれた。
「皆さん。お騒がせしてすみませんでした。あと、こんなにお金までいただいて……」
少女に手渡されていた封筒の中には沢山の一万円札が入っていた。村の人々があらかじめ用意していたお金らしいけれど何のために、また、なんで故郷と共に焼けなかったのかという疑問には今の少女には至らなかった。
再びトランクに手をかけ少女はくるりと村人の方を向きなおる。
「イワナおじさん!あの時、必死に名前を呼んでくれて、ありがとうございました。あのおかげで私はここまで立ち直ることができました」
本当に、ありがとうございました。
「では、行ってきます」
再びくるりと向き直り、堂々と胸を張って歩き出した。先程までの感情の渦が穏やかな波になったかのように。リズミカルに歩を進めていく。
届いていた。あの日、暗闇の世界で怒りと焦りを含んだ叫び声が響き渡る中で、ユメノと呼ぶあなたの声は、しっかりと届いていましたよ。
「お腹すいたな…喉乾いたな…」
交通に四時間もかけてたどり着いたこの街はどうやら物価が高いらしく、ついこないだまで買い物していた街のそれより値段が高かった。
ああああああ。ここまで来るのに結構なお金使っちゃったしなぁ。でもでも、倒れて病院送りになんてされたらそれ以上のお金が……
心の声が次第に独り言になっていく少女はベンチに座っていた。こともあろうか目の前にはパン屋が見える。何人もの人がパン屋に入っていったり出ていったりしている。そんな中、ひとりの女性が少女つまりユメノに気づき、まっすぐに近づいてくる。
「あなた観光客?その割には年も若そうだし、それにお腹すいたって顔してる」
不意に声をかけられ独り言をしていた自分が恥ずかしくなったユメノの顔はだんだん赤くなっていく。
「え、あ、いえ。観光客ではないです。その…」
ぐおおおぉぉぉぉぉぉぉ……
旅人ですと言わせてくれなかったのはユメノのお腹の音。大人へと背伸びをしたい年頃ではあるもののどうやらユメノのお腹は素直だった。
「いやぁ。すっごいお腹の音だったね。よっぽどお腹すいてたんだ」
先程の女性がユメノの隣に腰を下ろしていた。さっき買ってきたパンにかぶりついている。女性の手元にはまだパンが大量に残っていた。
「パンおすそ分けしていただきありがとうございます。もうお腹の音は忘れてください」
むぅうとした表情でパンにかぶりつく姿は何とも愛くるしい。
「いやぁ。でもわかるよ。その気持ち。私もね、しーんとした講義室の中で今だけは鳴るなぁって思ってても、盛大になっちゃうもん。お腹の音」
ユメノは答えない。目も合わせない。ただひたすらにパンにかじりついている。パンの美味しい味と共にちょっとしたパサつき感。喉が渇いていたユメノにとってこのパサつき感は徐々にユメノの我慢の閾値を低下させていく。
「ごめんなさい。飲み物買ってきます」
すくっと立ち上がり、ガサゴソと斜め掛けしている鞄の中から財布を取り出す。トランクを置いたまますたすたと自動販売機へと向かい、一番安いミネラルウォーターを購入した。その場で口をつける。
「おかえり~」
そそくさとベンチに帰ってきたユメノに対し、こちら、女性の方はまったりとしている。まるでベンチが彼女の所有物であるかのように。ベンチ周辺が彼女の支配領域であるかのように。
「ただいまです……」
反射のごとく返事をしてしまったユメノだが、兄弟、姉妹がいなかった一人っ子の自分にお姉ちゃんがいたらこんな感じなんだろうなと考えていた。
「えっと、旅人なんだっけ?またどうして旅を?」
私は語る。あの日の悲劇を。あの日の恐怖を。あの日の絶望を。そして、その後の生活を。
そして――
「『黄道十二宮』の人たちを探している?」
「はい、村の復興のために」
女性はしばらく考え込んだ。考え込んでいる。まるで自問自答しているように。今の彼女に話しかけていいかどうかはユメノには分からない。ただ、ベンチの前を幾度の人が通り過ぎていく。目の前のパン屋は相変わらず人が入ったり出ていったりを繰り返している。
うん。やっぱり放っておくなんて私には出来ないな。
彼女は結論に至った。そしてゆっくりユメノの方に向き直る。
「ユメノちゃんだったっけ。まずは何も言わずに見てほしいものがあるの」
そっと右手を開き、掌が露になった。そこにはコイン大の大きさのマークがある。魚座のマーク。
「魚座のマークが、刺青……ではないみたいですね」
失礼ながらもユメノは女性の掌をいじくりまわしている。正確にはマークを指でなぞっている。
「これはね、私が『双魚宮』の雨音であることの証明なの。」
『双魚宮』という言葉にユメノは触り続けていた手を止めた。窺うようにして女性の次の言葉を待った。
「つまり、ユメノちゃんが探している『黄道十二宮』は実在するんだよ」
こちら、現在『双魚宮』の雨音さん宅。
衝撃の事実と自分の恵まれ率に言葉で表現が出来なかったユメノは女性、つまりは雨音の案で今夜はこちらに泊めていただくこととなった。
というか、あまりにことが順調に進みすぎてて、怪しいだとか、これは詐欺に遭うやつなんじゃないかと考えるべきところをすっ飛ばして、ついてきてしまったユメノはやはり年相応の危機感である。とはいえ、雨音の方も慈悲だけでは語りつくせないほどの危険な行為だと思われるが……。こちらはどうやろ遺伝のようなもので。
「ユメノちゃん。さっき雨音から話は聞いたわ。明日から雨音のことをよろしくね」
「今日はうちでゆっくりしていきなさい。ちなみに、俺のことはお義父さんと呼んでもかまわないからね。いやむしろそう呼ぶべきだよ。ねぇ、ハニー」
「さすが私のダーリン。そうよ、私のことお義母さんって呼んでもいいからね」
雨音の両親も相当な慈悲心、同情心を持っているようだ。それでも、両親が揃っているという経験をしたことがなかったユメノはなんだか照れくさくなった。いや、もしかしたら客の前でもこうイチャイチャしてる様子のお二人に照れているのかもしれなかった。
ユメノが部屋でまったりしている中、部屋に戻ってきた雨音がにやにやしていた。
「お風呂準備できましたよ、ユメノさん。お姉さんがお背中、流してあげましょっか?」
にやにやと。まるで今からいたずらをしようと企んでいる顔だ!トリックオアトリートとか言ってお菓子くれなかった相手にいたずらするときの顔だ!
「え、遠慮します」
何とかその場を切り抜け、先にお風呂に入ることとなったユメノは湯船につかりながらようやく今日のことを振り返ることが出来た。
――まず、雨音が『双魚宮』の化身であること。そして、それが意味すること、つまり『黄道十二宮』は存在すること。そして、これは遺伝すること。もともとの化身だった雨音の母親から聞いた話だと、力も確かに存在するらしい。そして何よりも驚きなのは……
「まさか、私の願いを聞き入れてくれるなんてね」
しかも、旅にまで加わってくれるなんて。
肩までしっかりとつかりながら水圧のせいか呼吸が少し苦しい中でユメノは独り言を呟いた。
二人とも入浴、夕食共に済ませて布団の中に入っていた。雨音宅には何故か沢山の布団があり、きっとユメノ以外にもこの家に泊まった人たちがいるんだなと考えることが出来た。
「ユメノちゃん。急に話を進めちゃってごめんね。今更ながら迷惑じゃなかった?」
「いえ、迷惑じゃないです。それより……その、雨音さんって」
「雨音でいいよ。私もユメノって呼ぶから。」
「あ、雨音って実は何歳なんですか」
「十九歳。多分ユメノと三つ違いなんじゃないかな。私的に」
合ってる……。十九歳の雨音と十六歳のユメノが本当に姉妹に見えてくる年齢差。
「……雨音さん」
年齢を聞き、改めてさん付けで呼んだ方がいいのではないかと思う、ユメノであった。
彼女たちは数奇な運命へと一歩足を踏み入れたのである。
前回、誤植を発見してしまいまして……
今回は多分大丈夫でございます。多分。