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下北沢ヒルズ  作者: 市川比佐氏
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1章-4

難航する用地買収。


住民との折衝も平行線のままであったが、困難な状況に構わず鬼田はこの日も丸の内にある安徳銀行本店へと向かった。

三十階にある役員フロアからは皇居や東京駅を望むことができる。歴史的な財閥村の頂点に鬼田は君臨した。


「世の中を支配した気分になれる」


頭取をはじめ一部の取締役のみに許された空間。

それが鬼田にとっては極日常的な光景であった。


「これが本当の都市じゃ。下北沢のようなちっぽけな街など一掃せねば」


国内に八百の支店を構えるメガバンクの本社ビルは四階部分までが白煉瓦に囲われており、その上階は重厚な鉄骨造りのオフィスビルとなっている。


本社ビルには一般の支店に存在するようなリテール部門はなく、広報や人事、システム部といったコーポレート部門が入居する。

忙しない支店の光景とは異なり、管理部門らしい厳かな雰囲気が立ち込めていた。


この日も銀行、ゼネコン、電鉄など施工団体で開発に纏わる会合が行われていた。

鬼田を中心とする企業グループは「下北沢地区再開発組合」と名付けられ、多くの観光客やビジネスマンが訪れる下北沢の今後のあり方について度重なる議論が続けられた。


「都心の開発事例として二子玉川ライズ、東京スカイツリー、虎ノ門ヒルズが挙げられる。この辺に負けない都市を造りたい。土地の利としては、下北沢の方が群を抜いて良い。余程やり方を誤らない限り、このプロジェクトはコケることはない」


都心の古い土地は大手ディベロッパーの垂涎の眼差しを浴びる。

とはいえ、簡単に立退きを呑む地権者の方が圧倒的に少ない。

高額な買取価格を提示し、粘り強く交渉するが、簡単に済まないのが常である。


鬼田の視線の先には受付入口に飾られたシモネッタの肖像が映る。過去に頭取の趣味が高じて購入された代物であるが、公私混同と株主に非難されたのは言うまでもない。


「古い建物を壊して再興した例として表参道ヒルズがある」


思いついたように鬼田は青山アパートメントを引き合いにした。

関東大震災後に建設された同潤会アパートは記憶に残る東京の都市開発の伏線である。


「わしがまだ小学校に上がったばかりの餓鬼の頃だったかのう、東京は震災で壊滅的な被害にあった。その後、大正十五年に住宅機構によって青山アパートが建設された。当時としては珍しい鉄筋造のアパートで、震災復興の象徴となった。それが今ではすっかりと取り壊され、近代的な商業施設が建っている」


コルビジェのグランコンフォールに深く腰を下ろした鬼田であるが、百九十センチの上背から座高も高く、参加者の目線は上をいくままだ。


「時代は変わるもんだ。下北沢駅前のボロアパートも、いつかは取り壊されることになる。最初は反感を買うもんだが、一年も経てば街として自然に定着していく。青山アパート取り壊しのときも住民のデモが発生したが、今となってはすっかり表参道ヒルズが街の一部となって溶け込んだ」


鬼田の言葉には説得力があった。幾つかの変遷を経て、街の姿は変わっていく。


戦前、田園地帯であった北沢地区が、その後宅地化され、戦後闇市の時代を経て、サブカルチャー発祥の地として名声を得たのはここ最近のことだ。

そして今尚、大型幹線道路と多摩急の地下線化によって、その姿を変えようとしている。変化を拒む地元住民の声は絶えないが、いつかは変革の時期を迎えるのである。


「六本木ヒルズも同様、六本木六丁目、通称六六地区はかつて住宅密集地で道が狭く、車も通行できないほどであった。古い街は利便性、景観の問題から開発対象となる。それが都市の運命というものだ」


鬼田は立ち上がると、本店ビルから丸の内ビルヂング方面に広がる景色に目を細めた。


安徳不動産が開発を続ける東京駅周辺地域。

再開発を開始して久しいが、未だに所々、工事中の現場が見られる。多くの人が行き交う都心は常に新しく生まれ変わり続ける。

建てては壊し、古くなったら建て替える。それが都市の摂理というものだ。


土地開発のような異業種が参画するプロジェクトにおいて他企業に異見することは越権行為として非難されやすい。

銀行が建設事業会社に対して細かく資金の使途説明を求めるなど、企業間の関係に軋轢を生む大きな要因となる。

こういった意味で、鬼田が建築のコンセプトにまで言及することは本来言語道断であるのだが、その存在の大きさ故、役員でしても誰も反論ができないでいた。


「二十三区の中でも新宿以西は都市としての機能が薄い。西東京、神奈川方面から来る客は、一度新宿を経由して都心に向かっていく他に方法がない。ターミナル駅として新宿に大きな商圏が偏りがちだ。都市を分散させる効果は大きい」


小田原線沿いの商圏と言えば、新宿を除くと、代々木上原、経堂、新百合ヶ丘の他に、町田、相模大野の二駅間が存在する位で、利用者の割に決して規模が大きいとは言えない。

もしくは神奈川西部まで足を伸ばして海老名、本厚木とあるが、どこも地方都市の雰囲気を逸せず、わざわざ遠出して行くような駅でもない。


同じく下北沢駅を通過する井之頭線も渋谷以降これといって目立った商施設がある訳ではなく、沿線は専ら宅地利用が中心だ。

ビジネス、商業、娯楽といった魅力を求めるには、住民はわざわざ終点駅まで遠出する必要がある。


「新宿、渋谷という大都市を出発して、以降の駅は何ら変哲もない住宅利用地が続く。この二路線の終点駅以西に大きな商業施設がないというのは、東京都市一極集中の構造上、危機であると存ずる」


人気沿線ランキングでも常に上位に君臨する両路線だが、実態は意外にも観光資源が少なく、多くの経済機会を損失している鬼田は懸念した。


「そこで新しい下北沢の統一コンセプトだが、六本木赤坂に倣って名を馳せる意味で、下北沢ヒルズというのは如何だろうか」


「下北沢ヒルズ?」


鬼田は周囲に同調を求めたが、不意を突かれた出席者は呆気にとられて固まった。

狐に頬をつままれた室山は、失笑を耐えながらも、勇気を振り絞って鬼田に意見した。


「それはつまり、森ビルの商標を兼ねるという意味ですか」


「商標?」


相手が鬼田でなければ、馬鹿げたネーミングセンスを一蹴したが室山は穏便に言葉を選んだ。


「駅前に地上六十階、地下七階のランドマークを建設し、駅舎からペデストリアンデッキでビルを繋ぐ。テナントにはファッションブランドやカフェを入居させ、高層階にはホテルやカジノを併設する。どうじゃ、魅力的だろう」


参加者達は目で互いを牽制し合うと、誰か鬼田に異論を唱える者がいないか、待ち望んだ。


下北沢ヒルズ?馬鹿げてる。俄かに鬼田が提示した超高層駅舎は、都市と緑の共生を図る従来のコンセプトからは大逸れて映った。しかし誰も鬼田の意見に反論はできる者はいるはずもなく、次第に議論は収集の一途を辿る。


「都市と緑の共生というから、コルビジェの垂直緑園都市を真似たのだろう。何か異論はあるのか、なかろう。なければ今日はこれで解散じゃ」


鬼田はそう言うと颯爽と会議室を後にした。


残された関係者の目線には、恍惚と輝くコルビジェの光の都市が映る。下北沢ヒルズ。高度成長時代の悪趣味を反映させたような高層計画が、下北沢で現実のものと化そうとしていた。


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