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下北沢ヒルズ  作者: 市川比佐氏
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1章-3

「ル・コルビュジエ的でいいじゃないか」


丸の内にある安徳都市銀行の役員フロアで、公募で募った幾つかの駅舎案を眺めて鬼田は満足そうな笑みを浮かべた。


「知っているか。コルビジェの輝く都市」


鬼田は豪快に煙草の煙は吐くと、巨体を仰け反らせて言った。他者の話に耳を貸す素振りも見せない。対面する中津川は、愛想よく口角を上げるばかりだ。


「近代建築家の巨匠、コルビジェ。東京のような人口過密地域では高層ビルを造り、新たな空地をつくる方が土地の利用効率が良いと唱えている。これこそ、今の下北沢にぴったりの構想じゃないか」


役員フロアからは丸の内の街が一望できる。背後には皇居を含む広大な東京駅前の高層ビル群。その多くが、安徳不動産が手掛けたものだ。世界に誇る安徳村と呼ばれる所以である。


「これこそが近代都市ってもんだ。丸の内に引けを取らない街になるぞ」


鬼田は駅舎構想図を嬉々と見つめた。


有名建築家から美術学生まで、全国から集められた構想図には鬼田の欲望を高揚させるアイデアが溢れていた。


「ほう、これなんて名案じゃないかね。駅前に六十階建のランドマークを建設し、新宿、渋谷の二拠点を見渡す、か。さらに高層階にはホテルとカジノを併設し、東京オリンピックの外国人招致客に利用してもらうと。どの案も捨て難いな」


鬼田は豪快な音を立てながら土産の乾物を口に運んだ。


「海老名や相模大野のように、周辺一体をぺデストリアンデッキで繋げるのもいい。多摩鉄の三田社長も首を縦に振るんじゃないか。尤も誰も俺の意見にノーとは言わせないがな、がはは」


過去の開発事例を引き合いにとり、鬼田は具体的なイメージを膨らませた。


「どうせやるなら思い切りやろう」鬼田の気概である


中津川邦彦は安徳銀行で経営統括室に在籍する四十一歳の中堅行員である。本社部門の特命業務を専任し、特別顧問として安徳銀行に返り咲いた鬼田の秘書役を担っていた。


職位は次長階級であるが、中途入行のため支店経験はない。


中津川は鬼田の機嫌を損なわないよう最大限の配慮をとっていた。金融界として実績は計り知れないが、時に傍若無人で大胆な決断を好む鬼田である。細かな調整が必要な不動産投資において、鬼田のやり方は聊かリスクがあるように思われた。


興奮気味の鬼田に中津川は対峙すると、言葉を選びながら声を潜めて言った。


「しかしながら鬼田相談役。海老名と下北沢では周辺事情が違います。海老名は周辺一帯が殆ど手付かずの更地だったため、用地取得が比較的容易でした。しかし、下北沢は現存する店舗や住宅を一度すべて立ち退かせなければなりません。大規模な開発をするとなれば、住民の理解も必要となります」


「煩い、ゴチャゴチャ言うな」


反論する中津川を叱りつけると、鬼田は長い足を組み直して語気を荒げた。


「他言許さず全部ぶっ潰せばいいんだよ、いいか、再開発ってのはな、金が全てだ」


「しかし…」


「そんなに街の歴史を残したいなら写真にでも撮って飾っておけ」


鬼田にとって再開発は、現存する建築物を全て更地にし、零から建設を始めればいいという安易な考えに過ぎない。


その土地の歴史や文化に対し、鬼田は何ら興味関心もない。


今後の開発で見込まれる商業施設やビジネスオフィスの収益から比べれば、小ぢんまりとした下北沢商店街の売上など塵芥でしかない。世の中は資本主義。弱肉強食の中で、街は生まれ変わるのである。


「そんなに文化を残したければ博物館でやればいい。下北沢みたいな金回りのいい好立地は今すぐにでもテコ入れする必要がある」


鬼田は立ち上がって拳を上げた。


「住民の声の中には、新宿都心のような画一的な都市構造は下北沢にはそぐわないと。収益性を考えれば高層ビル群も魅力的ではありますが、下北沢には下北沢なりの街の景観があるのではないでしょうか。過去を踏襲した街造りを推進すべきという声に、耳を傾けても良いのではないでしょうか」


銀行という特殊な組織の中で生きる中津川は、現実的な思考を持つ傾向にある。今回の案件も例外ではない。意思決定には稟議を交え時間をかけるべきではないか。そう鬼田に訴えかけた。


「ああん?」


意見を聞いた鬼田は眉を顰めて中津川を睨んだ。

部下の思わぬ反論に対し、鬼田は鋭い眼光を向けて言った。


「貴様、どっちの見方なんだ」


睨む鬼田の腰元には自動小銃の入った嚢が見え隠れしている。

途端、中津川は発言を撤回した。


「は、申し訳ありません」


「いいか、銀行は収益性が全てだ。古い街を有難がるのは博物館でやれ。俺はこの街にビルを建てると決めた。下北沢は必ず新宿、渋谷に双肩する商圏になる。これがその証拠だ」


鬼田はコルビジェの本を投げ付けると、中津川を一蹴し、再び手元の資料を眺め始める。

目の前の実益に比べれば住民の意見など足元にも及ばない。そんな財閥意識の中で鬼田は次なる策を粛々と練っていたのであった。


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