1章-1 輝く都市
「鬼田、貴様。生きていたのか」
西新宿にある多摩急電鉄本社ビルの六階、役員会議室に集まった企業関係者は、会議室奥の重厚な扉が開き、百九十センチを越える巨大な上背が見えたとき、一斉に背筋を仰け反り、驚愕した。
『下北沢駅前再開発計画』
大きな横断幕が掲げられた会議室には、電鉄各社、ゼネコン、ディベロッパー、そして出資元としてコンソーシアムを取り仕切る安徳都市銀行泉田頭取の姿があった。僅かに上がった口角と豊かな銀白の前髪が貫禄を感じさせるが、その鋭い眼光は偉敬の光を放つ。巨大銀行の舵取り役として、泉田はその肩書きに相応しい風格を体現していた。
泉田の合図でゆっくりと開いた扉から、高端のある大男が現れる。一歩、そしてまた一歩と着実な足取りで壇上に向かう佇まい、その風貌は恐怖にも似た。
黒のスラックスに肩張った堅苦しい印象のジャケットを身に纏う鬼田。口元に見える細い髭と顳?に剃りの入ったパンチパーマは、まるで任侠映画の一節を彷彿させる様相だ。
鬼田の足音はズシン、ズシンと地鳴りのように会議室の床を打ち、一行はその一連の所作を、ただ黙って見つめるしかなかった。
「ようこそおいで下さった、鬼田相談役」
泉田が口にした意外な肩書きに、集まった首脳達は耳を疑った。
「相談役?」
山越は頓狂な口取りで声を上げた。
壇上に上がった鬼田を泉田は一瞥すると「ああ、そうだ」と、どこか自信に満ち溢れた表情で頷いた。
「鬼田権造氏は本日付で、我が安徳都市銀行の特別顧問相談役に就任頂くことが決定した。鬼田氏には今後、下北沢再開発の代表指揮官として、同地域の再開発プロジェクト遂行に関する全権を担ってもらおうと考えている――」
下北沢が大規模土地開発の対象となったのには二つの要因がある。
一つは八十年代から断続的に計画されてきた小田原線の複々線化、及び同線の地下化工事である。新宿駅を起点とする小田原線は、輸送効率向上のため、和泉多摩川までの区間の複々線化を推進してきた。
人口密集地である小田原線沿線は通勤通学時の混雑率が極めて高く、特に単線区域では単位時間あたりの輸送効率が著しく低い。多摩急電鉄はそれらの問題を回避するため、長年に渡って複線化工事を企ててきた。
しかし、路幅拡大に伴う用地取得には困難が付きまとい、特に都心近郊は地上での土地開発が難しく、地下化によって輸送効率を高めてきた帰来があり、その代表的な事例が東北沢から世田谷代田までの区間であるのだ。まさに今回、再開発の対象となった下北沢を含む区間であり、線路跡地の再利用、同時に駅舎の近代化が急務となっていた。
一方で、下北沢地域の再開発を急がせたもう一つの要因として、「補助五十四道路」計画がある。
五十四号線は環八通りと山手通りを結ぶ計画幹線道路であり、交通利便性の向上という目的の他に防災道路としての副次的な役割を有する。
現在、下北沢駅前には車一台が漸く通過できる程の細い道路が犇めき合い、その間に多くの露店が軒を連ねる。そういった徒歩回遊の町並みこそが下北沢の景観を象徴づけていると言われてきたのだが、しかし一方で利便性が低く緊急車両が通過できないといった安全性が問われているのも事実だ。
下北沢駅前に最大幅二十六メートルの幹線道路が通過することで、現存する店舗の立ち退きや建築規制の変化等、諸々の課題が伴い、これまで地元住民によって築き上げられてきた人情溢れる景観は完全に損なわれることになる。
再開発工事の決定は多くの地元住民の反感を煽り、如何に再開発と現存文化の保護を共立させるかに苦戦しているのが現状だ。
「――本日、お集まり頂いたのは言うまでもない、我社が多摩王電鉄と共に、兼ねてより推進している東北沢~世田谷代田区間の路線跡地再利用、そしてその中心となる下北沢駅前の再開発について、皆様方と決起の意味を込めて、今後の進展に纏わる情報の共有と意見交換の場を設けたいと思った次第であります」
御年六十五歳となる山越のゆったりとした、それでいて重みのある一声から会合は始まった。
多摩急電鉄の山越代表取締役の一声で集まったのは、同じく下北沢駅を沿線に有する多摩王電鉄の三田、新たな複合施設の開発を指揮する安徳不動産の室山、実際の建設を担う準大手ゼネコン多摩急建設の君津、そして事業に出資する安徳都市銀行頭取の泉田である。
シモキタという街が持つ独特のブランド力が再開発の魅力を一層掻き立てる。世間の注目度の高いプロジェクトに参画できることに、各社とも少なからずの誇りを抱くの言うまでもない。各企業の首脳ばかりが集められた大会議室には、大規模開発に対する期待度の高さから高揚した雰囲気が漂っていた。
「我が社は約三十年の歳月をかけ、小田原線都市部の複々線化工事を進めて参りました。これにより、着工当時二百パーセント以上あった乗車率も、工事終了後には四十パーセント以上改善される見込みであります。また向ヶ丘遊園から新宿区間の所要時間も急行で十二分縮まる計算で、これもまた大幅に乗客のストレスを緩和すると考えられます」
六月十日、梅雨の湿った空気が嘘のように清々しく晴れ、過ごしやすい一日であった。
ブラインドの隙間から漏れる一筋の光が壇上の山越の額を照らした。今後の再開発事業に成功を呼び入れる幸福の光のようにみえた。
山越は手にした茶を啜りながら口を細めると、飽くこともなく御託を並べ、出席者の賛同を得るように身を乗り出して開会の辞を続けた。
「周知のとおり、下北沢という街は、単に乗降客数が多いだけでなく、文化発祥の土地として重要な拠点にいると私自信は認識しております。戦後闇市の名残を匂わせつつ、複雑に入り組んだ旧路地と、そこに並ぶ店舗の数々が、下北沢特有の景観と文化を作り上げてきた。多くの演劇場や商店を抱え、若者を中心とした文化を生み出してきた。下北沢に生を受け、芸術芸能の分野で活躍する著名人も数多くいる。ここは数ある小田原線沿線駅の中でも特に重要な位置にある駅であります」
山越の一挙手一投足に腕を組んで聞き耳を立てる者もいれば、身を乗り出して感心する姿も見えた。いずれにしても、今回の再開発案件を前向きに捉え、関心や期待をもった姿勢の現れであることに違いはない。
土地開発には多くの関係企業が参画する。地権者から用地を取得し、開発計画を立案、その後の土地利用も含め、ひとつの町を造り上げる労力は並大抵でない。今日集まった経営者達もそうだ。各業界を代表する企業が名を連ね、下北沢という要地の開発に莫大な労と金を投じようとしている.
不動産開発の長はディベロパーである安徳不動産に一任されるが、ゼネコンや同財閥グループの銀行、そして対象地区に広大な土地を有する電鉄会社を主に、開発は進められる。大規模案件であることに変わりはないが、細かな調整に抜かりはない。土地開発は緻密な調整に時間を有し、種々の衝突を交えながら、着実に進めていくべきものだ。
現場に集まった有識者の多くは固唾を飲んで山越の辞に耳を傾けた。
「しかし、憂慮すべき事項も沢山ある」
山越はひとつ呼吸を整えると、視線を上げ、語気を改めると再び話し始めた。
「同地区には未だ古い建造物や使い勝手の悪い路地も多く、また今度新しくできる幹線道路の計画もある。いつまでも進化を待たずして本来の街づくりは実現致しない。そこでお集まり頂いた皆方と力を共にし、新しい下北沢の実現に向け、開発に着手して参りたい所存であります」
前置きの長い山越の話が、ようやく本線に流れ込んだ。
再開発――、それは古い町並みを完全に破壊し、全く新しい街に創り変えることを意味する。
演劇、音楽、ファッション、雑貨、喫茶、あらゆる文化的側面を持つ若者の街、下北沢。今宵、その歴史が経済と時代の変遷という大きな波によって終焉を迎えようとし、そして今後、この地に新たな巨大複合施設の建設が計画されようとしている。
「事実として、築三十年を越えた改修不可能な建物に、五年程度の短いスパンでテナントが入れ替わり立ち代りを繰り返している。建物は劣化し、表面上は綺麗に取り繕られているようでも、内面の骨組みは安全性を失いボロボロだ。このままでは、真の意味でこの街が新しく生まれ変わることはない。その点を踏まえ私が提唱したいのは、今回の地下化工事、そして補助五十四線計画を新たな事業機会と捉え、下北沢駅前商店街を一掃し、新たな街造りを推進することである。当然、そこには従来の芸術資産を継承し、これまで以上に統一感のある景観を維持するつもりだ。周辺住民の期待を裏切ることなく、地元と共生したまちづくりを考えていきたい。住民の要望を最大限に聞き入れ、これまでのような文化発祥の地としての役割を持った街の開発を推進したいと考えている」
会議は、山越の声明を受け明確な方向性を持って進行した。
下北沢に対して各々が抱いているイメージに多少の相違はあるのかも知れないが、従来の景観を破壊することなく、住民の意に即した開発をすべきだという共通認識を皆が抱いている。
それは事業に直接携わるゼネコンやディベロッパー、全体の指揮を行う電鉄両社、誰もが同じ意識を抱いているように思われた。
一通りの説明を終えると、山越は腰を下ろして瞑目した。
異論はない、積年の大望を余すことなく伝えた山越の表情は、どこか希望に充ちているようにも見えた。
一方で、そうした感服の潮流の中、どこか腑に落ちない表情を浮かべる者の姿があった。
「良い流れを断ち切るようで済まないが、一言、申し上げても良いかな」
泉田である。
どこか裏に含みを隠したような歪な表情を浮かべながら、同調気味の会議の場を切り拓くように重たい口を開いた。穏やかだった出席者の様相が一変、僅かに澱んでみえた。
「今回の再開発は、抜本的なコンセプトの見直しが必要となります。そうじゃないですか」
泉田といえば、日本金融界の重鎮と呼ばれる男である。
金融は経済の血液である。安徳都市銀行は東京丸の内に拠点を構えるメガバンクの一角で、総資産二百兆円超、国内の民間企業で断トツの資産規模を誇り、謂わばこの泉田こそが日本の金融界の頂点に立つ人物であると言って語弊はなく、また同行が出資に名乗り出るとすれば、それは世間を揺るがす大規模投資案件であることに疑いはない。
「山越取締役の所信声明には、当行として全面的に賛同したい一心でございますが―、」
泉田の言い方は、どこか意想外なことを言い出しそうな妙な雰囲気を伴っていた。
周囲の出席者達は、何を言い出すかといった様子で身乗りして次の言葉を待った。泉田の態度はまるで、全体の波長に逆らうような言い出し方に聞こえてならなかった。
泉田は語気を上げて続けた。
「しかし、一点だけ修正をお願いしたいのは、事業というのは慈善行為ではないということ。我行が出資を決定した以上、収益の見込みが無ければ、再開発を行う意味がありません」
同調気味の雰囲気に一矢報いる泉田の発言に、顔を顰める者の姿が散見された。
構いもなく泉田は、事業とは何たるか、自論を展開し続ける。
「確かに文化発祥圏としても名高い土地であるが、若者やら地元住民やらの恣意的な意見ばかりを汲み入れてまで、従来のコンセプトとやらを継承する意味はどこにもない。そこに新たなビジネスが生まれなければ、再開発の意義が薄れる。極端な開発を推し進める意思は毛頭ないが、どこかで儲ける仕組みを入れておかないと、新たな商圏として機能しないのではないか」
泉田が指示する通り銀行は慈善団体でなく、投資回収の目途が立たなければ途中で出資を取り止めることになり兼ねない。
街造りは住民の意思に沿って進むが、その根幹はボランティアでなく、多くの集客と見返りを得なければ成立しない。そこを勘違いしてはならぬという泉田の意見は至極真っ当であり、またその指摘は山越を迎合する風潮にメスを入れる狙いもあった。
山越の所信声明で一定の収束を見せかけた会議の方向性は、泉田の一言で切り崩された。
泉田という人間は一方で、少々組織に溶け込み難い帰来がある。正確に言うと安徳財閥グループ自体、他の企業体に馴染みづらい傾向があった。
安徳グループは銀行、商社、電機、自動車と、あらゆる分野で日本経済に根深く混在しているが、一方で、非常に組織的でリスク管理の厳しい社風は、時に関連企業にとって負の雰囲気を流入することも多く、今回の再開発事業も分かり易い事例で、利益の見込めない事業に投資するべからずという古くからの財閥精神が、陰で泉田の意見を後押していた。
泉田の発言で場の空気はがらりと変わった。
醒め切った室内には「あくまで街のコンセプトは変えるべきでない」というシモキタイズムと泉田との間で大きな亀裂が生じる形となった。
当の出席者達は、収益一辺倒の銀行を煙たがるように態度を変え、それまでの和やかな雰囲気は一変し、忽ち銀行潰しへと取り掛かったのだ。
「銀行が何故、土地開発といった専門領域まで口出しするんだ」
これは駅前複合施設の開発を担うディベロッパーの安徳不動産、室山の言葉である。同じ安徳財閥系として泉田と室山は顔見知り以上の関係であるが、これまでも銀行の横柄な態度に度々頭を悩ませてきた帰来がある。
「金貸しの責任管轄は資金調達だけだろう、実務領域は我々に任せてほしい」
ビジネスにおいて最も重要な糧は金であるという、古い銀行の認識を駆逐する室山の一言だ。
不動産開発は常に大きな投資を必要とし、事実これまで何度も銀行の力を借りてきたが、一度事業が行き詰まると掌を返して貸し渋りを行う銀行のやり方に嫌気がさし、更に事業の中身にも口を挟む態度は、たとえ頭取であっても許されべからずと室山は主張した。
室山に感化されるように銀行を批難する企業経営者。泉田の時代遅れな発言に、暗に苦言を呈した。
「まさか資金力を背景にプロジェクト全体の進行にまで介入するんじゃあるまいな」
「それで気に入らない案件は、出資の打ち切りをチラつかせると、おおこわ」
耳打ちが次第に大きくなり、徐々に銀行排除の声が泉田の耳に届き始める。
たかが金貸しが偉そうにするな、そんな意見が会議室を飛び交った。
仕事には管轄というものがある。一旦、その垣根を越えると互いを干渉し合い、自ずと内部崩壊を始める。特に銀行のような特殊な事業体が専門的な領域まで口を出すとなると、資金の使途を制限し、開発者の意向を捻じ曲げる恐れがある。それはやがて街のコンセプトを根底から否定し、事業そのものを否定する結果になりかねない。
「どうなんだ頭取、黙ってないで何とか答えたらどうだ」
痺れを切らした室山が立ち上がって泉田の額を指差すと、やあのやあの、と他の参加者も続き、会議は収集のつかない状態に陥った。
泉田の額には、焦りともとれる一筋の汗が滲んで見えた。批難一辺倒、泉田を支持する声はなく、会議は銀行にとって不都合極まりない状況を招いたのだ。
背水の陣となった泉田は一つ大きな溜息を吐いたあと、薄くなった頭頂部を右手でかき俯いた。
「辛気臭ぇ、黙って言うことを聞けばよいものを」、泉田が漏らした言葉は口の動きだけで周囲に伝播し、それを聞いた出席者達は、泉田の横柄な態度に怪訝な表情を示した。
「悪いが泉田君、以後、開発領域に関する発言は、極力慎みたまえよ」
山越の言葉を聞くと、泉田は腰を下ろし、釈然としない様子で腕組をした。
泉田茂雄が、前身となる安徳銀行に入行した一九七十年代後半は、石油危機の名残も完遂し、二十年近く続く安定成長の橋掛となった時代である。産業構造が多様化し、ハイテク商品の輸出が順調に推移した。銀行といえば旧大蔵省規制のもと護送船団方式がとられ、潰しても潰れぬ、選民思想が蔓延り、泉田自身、己の器量に過信があったのかも知れない。常に強硬姿勢を貫き、思い通りにいかない現実は全て、納得がいかなかった。
時刻は午後四時を過ぎ、強かった陽射しも次第に傾きかけていくのが見えた。
「分かったよ、うちも全く考えがないわけじゃない」
泉田は無言で立ち上がると、会議室の扉に手をやり、それを思い切り広げてみせた。
「なんだよ、逃げんのかい」
泉田の不審な行動を、何事かと疑る出席者達。
扉の向こうからは真っ直ぐに西陽が差し、一同が目を眩ましていると、その先に得体の知れない光景が広がっていることに気が付くまで、そう時間は掛からなかった。次の瞬間、それまでの泉田劣勢の空気が、急激に熱を失って萎んでいくのを誰もが気付くのであった。
「まさか…」
ゆっくりと扉が開くと、光々した大男の姿が、無数の光線に包まれながら近付く気配が分かった。神々しいまでの存在感を放った巨漢。男は大きな足を闊歩させ、泉田のいる壇上にまで向かってきた。
「久しぶりじゃのう、皆の衆」
ドスの効いた低い声。
目線の鋭さだけで周囲を焼き尽くしてしまうような、凄まじい眼光。
それは栄枯盛衰の日本経済の全てを知り尽くした、峻険な存在である。
「鬼田じゃないか。生きていたのか」
一同は驚愕のあまり大きく仰け反り、椅子から転げ落ちて尻餅をつく者もいた。六十を越えた御大達の足腰は弱く、一旦椅子から転げ落ちると再び立ち上がるのに時間を要する。室山も例外ではない、持病の椎間板ヘルニアが再発したような衝撃が腰椎に走った。
「鬼田氏については今後、安徳都市銀行の特別顧問相談役として、大規模事業投資に関する知恵を頂戴したいと考えている。本プロジェクトに関しても、鬼田氏と縁の深い下北沢という地の再開発について、全面的に事業をサポートして頂こうと考えている」
鬼田が睨むと、一行は皆、畏敬の目で巨匠に黙礼を為した。
形勢は逆転した。
このとき、既に泉田の有する頭取という瑣末な肩書きは鬼田の前で脆くも散っていたに違いない。
それまでの銀行排除の空気が一変、鬼田崇拝へと変わった。
――鬼田権造、九十八歳。
旧制安徳銀行、第七代目頭取を歴任した日本経済界、重鎮中の重鎮である。
下北沢駅前再開発計画に際して、特別顧問兼相談役として、引退から約三十年の空白期間を経て再び銀行に返り咲いた。
鬼田の名を知らない者は行内には存在しない。かつて泣く子も黙る猛烈な経営改革で経済界に名を馳せた男である。
鬼田権造は東京帝国大学経済学部を主席で卒業後、旧安徳財閥銀行に入行し、全国銀行協会会長も務めた金融界のエリートだ。
また身内には、三井財閥の大番頭、日銀総裁、大蔵大臣などがおり、血筋までもが金融一家なのだ。金融が経済の血液であるとすれば、鬼田の体を流れる血液は金そのものである。
鬼田は壇上で大きくメンチを切ると、語気を上げて、集まった老体達に次のように言い放った。
「肩書は相談役だが、政策に対してもどんどん口を出していきたいと思う」
反論する隙を与えることもなく、鬼田を除く出席者は、信じ難い光景を刮目して見上げた。
「以降、ワシの意志に反駁する者は命はないと思え。ワシのやりたいようにやらせてもらう。世の中を制するものは金、それがワシの信念じゃ。がっはっは」
予想もしなかった展開に、葬式のように静まり返った会議室は、鬼田を中心とした大きな輪ができた。これにより、下北沢駅前の再開発計画は鬼田の手に全権が委ねられることとなった。長年の歳月をかけて構築された地元住民と企業の共同開発が、鬼田を前に白紙となった。
「以上、解散!」
そう言うと鬼田は、再び大股を闊歩させながら会議室を去った。
残った出席者は呆気にとられ、身を硬直させた。穏やかだった決起集会の雰囲気は一転、今後の行末も分からぬまま、鬼田独裁の空気を残し幕を閉じたのであった。