患者の尊厳
私は医者で精神科医をしている。
私の仕事は主に、ホスピスでの患者のメンタルケアではあるが、一般のカウンセリングや診療も行っている。
患者によっては安楽死という選択を勧めることもあり、その最期を私の手で下すこともある。
安楽死とは、「回復不可能な病気・障害」、「終末期」、「耐えがたい心身の苦痛」 という条件を満たし、「患者の苦痛からの解放が目的」とした、「医師」が行う、患者を死に至らせる行為のことである。
ある日、私の元に一人の男性が診療にやってきた。私は彼とは初対面だが、私は彼を知っていた。なぜなら、彼は有名な活動家だからだ。
彼は喫煙の罰則化と煙草の撲滅を訴え、病的なまでの活動をしてきた。
最初のうちは、喫煙スペースであろうが煙草を吸っている人に寄って行き説教をしたり、煙草の及ぼす健康被害を講演会の場や街中で訴えて回った。
また最近では、「煙草のような中毒性が高く危険なものを蔓延させているのは政府による陰謀だ」と広く流布しようとしたり、「喫煙者は周囲の人間の健康をも脅かす間接的な殺人者だ」と喫煙者に暴力を振るうなど、主張が過激化している。
そんな彼がなぜ私のところに来たのかというと、「私は最近とうとう煙草が存在ということ自体がストレスになってしまい、世の中が息苦しくて仕方がない」と、困り果てていたのだ。
私が「活動を止め、思い切って田舎の奥地で煙草にも人にも関わらないように生活してみればばいい」とアドバイスをすると、「それだと、活動家としての私は死んだも同然だ。そのことは私自身の死を意味する」と彼は沈痛な面持ちで否定的な感想を述べるだけだった。
困った私は、「あなたの望みはなんなのですか?」と尋ねると、「煙草を一生見ないですむようにしたい」と答えた。
なので、私は彼を家に帰し、その日の夜遅く、彼の家に忍び込み、彼を死なせてあげた。
これで彼は苦痛からも解放され楽になったことだろう。