最終話 別れ
「もう、私はここに来られない」
口を開くのが嫌だった。彼にこの言葉を伝えることが本当に嫌だった。
「どうして?」
「主に、あなたとは関わるなって言われた」
あの日、二度と会うなと言った主に私は最後の嘆願をした。
『全ての原因は私にあります。私が彼に感情を抱いたから。・・・でも、もしお赦しいただけるのなら後一度だけ、彼に会わせてください』
必死な私の様子に渋々ながらも主は会いに行くことを許可してくれた。
「そっか」
告げられた言葉は彼を再び孤独の闇に落とす宣告であるはずなのに、彼はどこか嬉しそうに笑っていた。
「優しい人だね、君の主は」
「優しい?」
私にあなたと会うことを止めるようにいったあの方が?
「君の主はきっと僕と君の両方のことを想ってそう言ったんだよ」
私がどれだけ不審そうな目をしても、アキの瞳からは喜びの光が消えることはなかった。
「言っただろう?僕が払っている代償は『変わらずにいること』」
そう、それが彼の支払う代償。ずっと変わることなく、一人で待ち続けること。
「『誰かと一緒』になったら僕は此処にいられなくなる。そうなったら川を渡らなくてはいけない」
そのとき、一瞬彼の瞳にあった光が翳ったような気がした。
「二回目に君に会ったとき、喧嘩を売るようなことをしたのだって、君にここに来て欲しくなかったから」
本心ではずっと寂しいと思っていた。自分に会いに来てくれるその存在が無性に欲していた。でも、それはお互いにとって不幸しか生まない。そのことを分かっていたから、アキはわざと私に嫌われようとしたのだ。
「ごめん・・・」
それはどちらが言った言葉だったのだろうか。
やっと気付くことが出来た。彼の優しさに私は救われていたのかも知れない。終わることのない日々に飽き、何か変わることを心のどこかで求めていた。だから、『アキ』という未知に惹かれた。
そんな御使いとしての本来の道を外れかけた私を、彼は嫌われることで救おうとしてくれていたのだ。
気付けば瞳に涙が溜まっていることに気付いた。それは何百年ぶりのこと。此処まで私の心を動かすことが出来るのは後にも先にも彼だけなのではないだろうか。
「一つ、聞いて欲しい話があるんです」
私は彼を失いたくない。だから、私は少し前から考えていたことを彼に言う決意をした。
「下仕えになって、私と共に主の下で働かない?」
思いがけない提案にアキは固まった。下仕えといえば御使いの前座、御使いと同じく人としての全てを捨て冥界の主に仕える者だ。
全てをなくす代わりに、彼らは転生の苦しみからの解放と、永遠を得ることが出来る。
「此処は寂しいわ。向こうで下仕えとして働きながら家族を待つのはどう?家族も下仕えになったら、それこそ永遠に一緒にいられる」
私の必死の説得にアキは気まずそうに目をそらした。
「・・・・・・ごめん」
苦々しい顔でアキは、そう応えた。
「僕は別に、永遠に一緒にいたい訳じゃない。転生したくないわけでもない。次こそ、あの世界での人生を謳歌したいって思ってる」
下仕えになると言うことはもう二度と人として生まれることが無くなると言うこと。
確かにアキの生前は良い物ではなかった。でも、アキはそんな人生も悪くないと想っている。多少の後悔はあっても、次があるから頑張れるのだと思っていた。
「ごめんなさい。分かってる。あなたならそう言うと思ってた」
決してこの青年は私の提案には乗らないという前から分かっていた。分かっていた上で、私は投げかけたのだ。彼の意志の強さを再確認するために。
「ねえ運命って言うのは君の主が決めるの?」
不意にアキはそんな問いかけをした。私も昔、主に同じ問いかけをしたことがある。
「いいえ。運命は神が決めるもの。主もまた、神に作られた存在です」
主が教えてくれた答えを、彼にも伝える。彼はどんな顔をするだろうか。
「そっか。神様は残酷だね」
「ええ。本当に」
そう。神様は残酷なのだ。冥界と下界、そんな風に世界を分けたから人々は悩み、苦しみ、いやがおうにも進まなくてはいけなくなったのだ。
「アキ、もう一度だけ言います。すべての死者がここに残りたいと願い、それでもこの川を渡ってゆきます」
それが自然の摂理。そうなることが冥界のルールであり、私のルールでもあった。
「それは次に進むため。よりより未来を掴むため」
停滞する彼に最後の言葉を。
「此処にいる限りあなたには未来はない」
それでも良いのですか?
彼はただ静かに、静かに応えた。
「此処にいるのは辛いよ。苦しい」
それは彼の両親が望んだ姿ではない。
「長生きして欲しいと思いながら、早く会いたいと思っている自分もいる」
それは苦しみの果てに浮かび上がったアキの弱さ。
「でも、彼らが僕みたいな後悔を残すことなくここに来ることをずっと願ってる」
これもまた彼の一部。偉大なる家族への愛であり彼の強さであるもの。
「僕に力があれば、この手で彼らの背を押せたかも知れない。でも、僕に出来ることは待つことだけ」
自分の無力さを嘆きながら、それでも彼は前を向いている。現在を生きようとしている。
ならば私も覚悟を決めて進まなくてはいけない。
「・・・分かりました。私は主に絶対服従を誓った身。だからもう、あなたに会うことは出来ない。あなたはまた、一人になる」
今度あの川を渡ったら、私とあなたの縁は切れてしまう。次ぎ会う私はもう、あなたの知っている私ではない。
「それでも僕は、ここを渡れない」
その強い意志が苦しくて苦しくて、でも嬉しかった。
「何ごとにも終わりは来るよ、必ず。僕にも、御使いにも」
視線の先の彼の顔は希望に満ちていた。絶望をしているが為の希望の色に染まっていた。
「いつか終わりが来るのならそれもまた良いのかも知れない」
「ならば僕は、七十年でも八十年でも待つよ」
アキの顔はどこまでも澄み渡る秋の空のように晴れ渡っていた。
ならば、私も笑おう。最上級の笑みと祈りの言葉を以て、あなたに別れを。
「あなたの願いがいつか果たされることをあの川の向こうで祈っています」
私も待とう。いつかあなたがこちらに来るときを。
あれからどれくらいの時が経っただろうか。
彼は今日もあの場所で、大切な誰かを待っている。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
初めて完結できた作品なので、最後まで読んでいただけて嬉しいです。
評価や感想などをいただけると狂喜乱舞します。