はじまり。2
ヒーロー登場。
腹に響くような低い鐘の音が4回鳴る。この鐘がなったら見回りの時間。インプットされたとおりに彼は見回り用の底の厚い革靴に足を入れた。
見回りと言ってもこんな場所へ好き好んでくるものなどいないのだから何を見るわけでもないのだが、ここに集められたモノ《・・》は彼ら《・・》にとって恐怖の対象となるものだから異常がないかを確認するのは大切ということらしかった。その形式的なものがどれほど大切なのかということは彼にはわからない。わからなく ても、彼にとってそれだけが1日のうちで4回おとずれるただ1つの仕事だった。
いつものようにただぐるりと周囲をまわり、またここへ帰ってくる。それだけの簡単な仕事。常ならそのはずだった。感じたのはほんのわずかな違和感。いつもなら3903歩めでたどり着くB区に嗅ぎ慣れぬにおいがした。そのにおいは微かではあったけれど、たしかに常にはないもので。
においが常にないのなら、それは異常だ。彼の仕事は異常を取り除くこと。つまり年に1度あるかないかの仕事が舞い込んだということだ。ならば、取り除かなければならないだろうとプログラムされたとおり彼はにおいに近づいた。
「…………、……ヒト?」
それはここにいるはずのない生き物だった。そして、おそらくすぐに死ぬであろう、か弱い幼子。時たま親の再三の注意に耳を傾けないヒトの子が忍び込むことはあったが、それも彼らにとって比較的危険度の低いA区がせいぜいだ。さらにその奥にあるB区に忍び込めるわけがない。
しかし、ガラクタの山の中たしかに少女はそこにいた。見慣れぬ服装に身を包み、怯えるように肩をすくめながら彼に視線を向けていた。
「……たすけ、てっ……!」
涙目のその少女が彼に手を伸ばす、その違和感に彼は眉を寄せた。
ここは“ごみ捨て場”だ。いらないものを集める場。彼らにとってここにあるものは命を蝕むものだから、ここに彼ら――ヒトが近寄ることはまずない。彼の知る知識で、この夥しい量のガラクタに囲まれてヒトが生きていられるのはどう長く見積もっても5分程度。この少女のか弱さからいったら2分もつかもたないか。もう倒れ、息絶えていてもおかしくはない。
――けれど、少女は生きている。
生きて、こちらに手を伸ばしている。異常と判断したにおいは彼女のものだろう。彼は嗅いだことのないにおい。彼女から発せられるひどく頼りないかおり。そのかおりが生ぬるい風に吹かれ金属臭と入り混じったとき、彼は唐突に理解した。
助けなくてはならない。
プログラムはこの異常を取り除け《殺してしまえ》と言う。しかし、この怯え、震える少女を排除できるかと尋ねれば、プログラムは迷わず否と答えを出した。少女は異常だ、しかし、彼は自分のためにこの少女を排除することはできない。はじき出された矛盾にプログラムは混乱をきたす。ならば優先すべきは、意味のわからぬ仕事ではなくこの少女だ。少女が誰であるのかなんて些末は関係ない。この存在は守り、慈しまねばならないモノだ。
伸ばされたか細い指先に触れる。まるで折れそうに震える手を壊さないようそっと握った。
「あなたが、わたしの、」
聞き慣れぬ自らの掠れた声に、少女の真っ黒い瞳がひたと自分に向けられる。その濡れた瞳にうつる自分を見つけ、震えるのはあるはずのないココロか。ならば、身を満たすこの波はヨロコビと表現されるものなのか。
「あなたが、わたしのマスターです」
この手を放してはならない、と彼はただ本能で悟った。
七の月、日暮れ時。ごみの積み上げられたその場所で、1つの運命が動き出す。けれど、今は穏やかなまま。頬を濡らす少女の手を取り、彼は初めて微笑んだ。