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『きみがため、』

出ずる想いに

作者: 本宮愁

前作:「なにを食む」

「母なる獣よ――」



 闇の中、映える。黄金に輝く巨躯。



「わが身を喰らいて糧とするもよし。この命、もはや散るも散らぬもおなじこと。この身ひとつで鎮まる心ではあらねど、どうか願わくは、かの方を害することのなきよう」



 朗々と響く声は、微塵の迷いも滲ませず。



「共も連れず飛びこんだ愚かなヒトの子に、塵ほどの慈悲を投げかけてはいただけぬか」



 ゆるやかに弧を描く口もとを見つめながら、偉大なる獣は、その顎を大きく開けた。



*****



「珠光さま」



 開きっぱなしの戸口に、胸に手をあてた青年が立つ。第七師団の隊服。色は白。肩章は――。


 と考えたところで、珠光が筆を置いた。適当に書類を避けて、視線を戸口に向ける。



「なんでしょう」



 隊員をちらりと一瞥して、すぐに、嗚呼と声をもらす。



「予算ですか。おおむね、希望どおりの配分になると思いますよ。梓勑シライに伝えておいてください」

「え? あ、……はい。わかりました」



 一瞬、目を丸くした隊員が、あわただしく頭を下げて踵を返す。その背中を見送るまでもなく、次の足音が聞こえてきた。



「すみません、珠光さま――」



 今日も、この部屋は、訪問者が多い。

 報告なかばに指示を出す珠光の声を聞きながら、私は、窓の外へと視線を流した。


 外壁の向こうにつづく市街。一度も足を踏み入れたことのない城下町を想像して、退屈をまぎらわせる。



「――リ」



 あれは、教会だろうか。この世界にも、宗教があったりするのかな。


 そういえば、地龍を信仰する団体もあるって、言っていた気がする。あれがそうなのかもしれない。



「ワタリ!」

「え? はい」



 あわてて、窓から視線をはずすと、あきれた顔をした保護者さまと目があった。

 美麗な顔を器用にゆがめて、珠光は、ため息を吐く。



「なにか、気を引かれるものでもありましたか?」

「いいえ。なにも」



 短く答えると、いよいよ珠光は奇妙に眉を寄せた。



「では、なぜ」

「すこし、退屈していただけです。あまりにも、平穏な日がつづくものですから。こんなことを言ってはあれですけど、変化に乏しいというのもまた……」



 平穏がゆらぎかければ、まっさきに飛びだしていくことになる『国の宝剣』。その副長に対して、口に出したのは軽率というものだろう。


 つい、こぼれ落ちてしまった本音を、あわてて撤回する。



「ごめんなさい。悪気はなかったの」

「構いませんよ」



 あっさりとした返答。

 珠光の視線は、いつのまにやら、また手もとに引きよせた書類に落ちていた。


 黒檀に似た素材のデスク――デザイン性に欠ける実用一辺倒な作りは珠光の趣味だ――に、はらりと落ちる涼やかな金髪。


 透けるような絹糸の細束が、結いあげられた後頭部からほつれて、紙の上を滑っていた。


 それを、珠光は、なにげない仕草でかきあげる。蜂蜜のような黄玉は、私には読めないこの世界の飾り文字をみつめたまま。


 本人のストイックさとあいまって、執務中の珠光は、とても色っぽい。彼ほど美しい人間を、私は、ほかに知らない。


 別種の『美しさ』であれば、もうひとり。薄氷のような。砕けた欠片の、その切っ先のような。研ぎすまされた存在としての美しさを、もった人間もいたけれど。


 ――珠光の主は、まちがいなく、美しい男だ。


 珠光の美しさを、闇夜に注がれる月明かりに喩えるなら、その主の美しさは、冷然たる宵闇そのものだろう。


 深淵と光。対をなす主従が並びたつさまは、ハッと息をのむほどに美しい。完成された美。なにものにも踏みこむことを許さない世界観が、そこにある。


 ふたりを、はじめて見た瞬間、圧倒された。



「ルイス殿下は――」



 珠光の手が止まり、黄金色の瞳が一瞬だけ私をとらえて、すぐに逸れる。


 あやまり。

 どうやら、不正解を引いた。


 なにを、まちがえたのか。口調。ふるまい。ちがう。ふたりきりのときになら、珠光は、神経質にそれを気にしない。


 ……呼称だ。



「梏杜は、どうしたの?」



 軍部式に言いなおすと、ようやく合格をもらえたのか、珠光は筆を置いた。


 剣をふるう立場の人とは思えない、細く綺麗な手指。けれど、手のひらをうち返せば、そこに硬いタコがあることを知っている。ペンではなく、剣の。



「出られております」

「そうじゃなくて」



 蟻の巣に王がいないことはわかっていた。だって、緊張感がちがう。梏杜がいれば、第七の空気はもっと張りつめる。珠光の前でだけとりつくろうようなものじゃなくて、もっと、根本的なところから。



「珠光が一緒にいかないなんて、おかしいでしょう?」



 べったり張りついていた主従が。まさに、一対という言葉のふさわしい、そのまま見世物になりそうな主従が。



「そうですか? 我々は、別個の人間ですので、必ずしも、ともに動いているとは限りませんよ。特に、私は、生まれが生まれですから」



 自分を卑下する言い方に、いつか珠光自身が語った、『光色』のあつかいを思いだす。内に輝きを抱いたような、彼の美しい色彩は、この世では忌避されるものだという。


 単純な平民、というだけではない。『重ねの光色』――ふたつ以上の光色持ちは、たぶん、被差別人種のようなものなんだろう。


 王族の梏杜とおなじ行動範囲をもつことは、もちろん難しい。そういう理由で、側を離れていることは、いままでにもあった。


 けれど、その多くは、王城に呼びだされたときだ。ほとんどの場合は、梏杜が、その威光でおし通してしまうから。



「でも、外でしょう?」

「なぜ、そう思うのですか?」

「第七の空気が、ちがうもの。いつもより、緩い。外からきた人は、その逆ね」

「なるほど。よく見ていますね」



 感心したように言う珠光が、また、手もとに視線を落とした。その正面にまわりこんで、黒檀もどきに両手をつく。


 ばん。いまいち間のぬけた音が鳴って、顔をあげた珠光と、やっと目が合った。



「ねぇ、珠光。最近、忙しそうにしてるのは、どうして? さっきなんて、予算の話までしていたようだけど……」



 視界のすみで、瓶に入ったインクが揺れている。あぶなかった。倒したら、夕食を抜かれるところだった。心のなかで胸をなで下ろす。


 広げられた書類は、あいかわらず、意味不明。軍部でだけ使われる、この世界の古い文字らしいから、読めるはずもない。数字が並んでいるらしいと、かろうじてわかる。


 予算案? それとも、決算のほう? ただの報告書って可能性もある。資金をどういうふうに管理してるのかさえ知らないので、判別しようもない。



「第七師団は、掃討兵なのだと、言っていたわね」

「ええ。狩りが、我々の本分です」



 こういった書類仕事もありますけど、と珠光は机上の書面を叩く。



「いままで時間をもてあましていたのは、異変の兆候とやらがなかったから?」

「そうですね」

「なにか、あったのね? 梏杜が、あの部屋を出るようになってから、急に慌ただしくなった。外の人がよくくるようになったし、あなたは、この部屋にこもりっぱなし。私と一緒に、なんて、まるで軟禁だもの」



 珠光の目が、スゥ――と細まる。



「ワタリ。洞察するのはいいですが、口には出さない方がよいこともありますよ」

「珠光しかいないもの、大丈夫よ」

「信頼されたものですね……」



 すこし眉を下げて、こまったように笑う。私の好きな表情だった。彼がすこしだけ、身近に感じられるから。



「ワタリ」



 中世的な声が、優しく響く。


 男にしては高い声は、きっと、戦場でもよく通る。剣を片手に騎獣をかる、珠光の姿が思い浮かんだ。


 はじめて、珠光と梏杜をみた日。


 濡れ羽色を体現する梏杜の存在感もだけれど、なにより、スックと伸びた珠光の背中に。風にはためく、長い金糸の髪に。目が惹かれてやまなかった。


 かの名高い戦乙女ヴァルキリーとは、こういうものかと。宗教画から、そのまま飛びだしてきたんじゃないかと思うくらい。


 なんて勇ましく優美な女性――と、思いきや、彼らが軍人で、軍部に女性はいないと聞いて、度肝を抜かれることになったけど。


 とはいえ、確認したわけじゃないから、私は、彼の性別を正確には知らない。異世界ならではのファンタジーで中性とか言われたら、許容量こえて脳が溶けそう。


 『お兄さま』でも『お姉さま』でもかまわない。寄る辺のない私が、信頼をあずける相手は、ほかにいない。



「あなたには、伝えなければならないことがあります」



 だから。



「人は地龍を利用はできません。それが、只人であるならば。人は人を利用します。それが、常人であるならば」



 珠光に、なにを言われようとも。



「私は、こうなることを知っていました。あなたを逃がすこともできた。その上で、そうしなかったのだと。梏杜さまもまた、そうなのだと――」



 私は。

 彼を信じることを、やめられないのだ。



「あなたもまた、知っておきなさい」

「はい」



 間をあけず頷くと、珠光は、なんとも言いがたい表情をした。強い意思に、一滴の苦みを溶かして。



「私は、……ほんとうに、どうしようもない。ワタリ。あなたが、我々の前に落ちてきたことを、心から喜ばしく思います。小狡い打算を、差しひいても」



 大丈夫。その言葉だけで、私は、救われる。



「――ありがとう」



 ほほ笑んだとき、コツン、と、閉ざされていた扉を叩く音が聞こえた。


 外出制限――事実上の軟禁が始まってから、二週間。

 そろそろだろうとは、思っていた。


 珠光は、なにも言わない。


 けれど、さりげない日常のしぐさに、ほんの少しヒントを潜ませてくれる。そのすべてを、拾えていたとは思えないけれど。


 でも、自分の立場を、認識するには十分だった。

 持ちあげられていた不安定な足場が、はがれ落ちていく感覚。すこしずつ、すこしずつ。


 しがみつく素ぶりはみせずに。涼しい顔をして。愚鈍な子どもが、天性のバランス感覚で立ちつづけているように。


 まるで曲芸。だれも助けてはくれない。

 ここから先は、私が、ひとりで戦う場所。


 ……タイムリミットだね。


 理由も目的も言わなくていいから。笑って送りだしてくれれば、それでいい。



「失礼する」



 あたらしく戸口に立ったのは、第七の隊員ではなかった。かたっくるしい礼服に似た、装飾重視の華やかな衣裳が目に痛い。一目でそれとわかる、城の人間――。



「エドゥ国軍第七師団副長、えー……」

「ここは軍部です。通名でかまいませんよ」

「……珠光殿。渡り人の身柄を、渡していただきたい」

「彼女は、王命にてお預かりした客人です。勅書をお持ちですか?」



 珠光の言葉に、露骨に面倒くさそうな顔をして、使者は胸元をさばくった。


 こういうとき、光色という存在が負うハンデを感じる。


 以前、見せてもらった軍部の組織図で言えば、梏杜は、すこしどころでなく偉い立場だった。そのすぐ次の地位に立っている珠光も、かなりのお偉いさんのはずだ。


 実際、軍のなかでは、敬意をはらわれこそすれ、あからさまな侮蔑を向けるものはいなかった。


 まだ、ここへきて間もないころに交わした言葉が、よみがえる。



『エドゥでは、軍人の地位は総じて低いんです。仕事がありませんので、当然といえば、当然なのですが』

『どうして? 第七は、別物なのでしょう?』

『……怖いのですよ』

『こわい?』

『ええ。自分たちの持たない、実態をともなった武力――その頂点に立つ梏杜さまが、彼らは恐ろしいのです』

『梏杜が……』

『いつ反旗をひるがえすか。いつ寝首をかかれるか。しようもない仮説に怯えて、見下げることで自尊心を保っている。……皮肉なことに、梏杜さま自身は、欠片も興味をもっておられませんが』



 彼らは怯えている。地龍よりも、地龍がもたらす厄災よりも、厄災をはらうことのできる人間に、怯えている。


 わざわざ、梏杜がいないときを見計らってきたのだろう。あるいは、こうなることを見越して、梏杜は、第七を空けたのか。


 だまって使者をみつめる珠光の表情からは、なにも読めない。


 ……いつものことだ。

 彼は、決して、本意をみせたりしない。


 部屋を大股で横切ってきた使者が、机を挟んだ珠光の正面に立つ。

 そして、奥深くしまわれていた勅書を、嫌味なほど丁重な手つきで差しだした。


 受けとった珠光は、さらりと流し見て、すぐに書簡を返してしまった。



「たしかに。陛下には、渡り人を王城に招きいれる意思がおありのようですね」



 わざとらしくうそぶいて、珠光は執務卓を離れる。



「しかしなぜ、突然?」



 わきに控えていた私のとなりに立って、使者と向きあう。



「しらじらしい。第七の副長が、知らぬはずがなかろう」



 使者は、鼻をならして珠光をねめつけた。そのまま、横に滑った視線が、不躾に私を観察していく。


 ただの見極めというには、いささか悪意が強い。感づいてはいた変化だけれど。肌で感じて、覚悟はしていても、身体がこわばる。


 ……第七の人たちは、やはり優しかったのだ。



「あれの眠りが浅い。いつ目覚めてもおかしくないとさえ言われている。ルイス殿下など、日々あれの寝床を探しもとめていると聞いたが――」

「なんども言わせないでください。ここは、軍部です」



 やれやれ、と頭をふった珠光が、私の肩を抱いた。



「あいにくと、梏杜さまは不在です。陛下は、梏杜さまの了承を得たうえで渡り人を連れてくるように、とおっしゃっているようですが?」



 使者の顔が、はっきりと強張った。

 ――怖いのですよ。

 珠光の言ったとおり。怯えているのだ。梏杜に。


 色の抜けた表情を見て、今度は、珠光がクツリと笑った。



「出直してはくださらないようだ。確認をとった上で、のちほど、私がお連れしましょうか」



 うそだ。珠光が、梏杜の意思を把握していないはずがない。


 私のために、かばってくれているのだと、思いあがってもいいだろうか。たとえそれが、珠光の目的のついでにすぎなくても。


 ――かまわないから。


 使者の瞳が、いよいよ険を帯びて荒々しく光る。その口が、侮蔑の言葉を吐きだす前に。大丈夫。覚悟は、決まっている。


 珠光の袖を引いて、彼の意識をこちらに向けた。



「また、会える?」



 見開かれた瞳は、やはり宝玉のように美しい。



「ワタリ、――」



 なにかを言いかけた珠光の声を無視して、一歩、前に出る。


 答えは、聞かないまま。それでいい。知ってしまうのは怖いから。



「梏杜は、止めないよ。私の自由にしていいって、言ってたもの」



 いつか珠光に提案された、無邪気な猫をかぶって告げれる。使者は、あからさまにホッと肩を落として、身体の向きを変えた。



「では、こちらへ」



 使者の男について、珠光の側を離れる。もの言いたげな視線を背中に受けながら、庇護されて過ごした、第七師団――梏杜の庭を、出た。


 ひさびさに吸う外の空気は、カラカラに乾いていて美味しくなかった。


 地龍が目覚めると、エドゥには、雨の極端にすくない乾季が訪れるらしい。そして、地龍が眠った直後には、雨季が。


 一定の周期で、眠りと目覚めをくりかえすという、龍。


 気候さえ変動させてしまうのなら、その存在は、いわば異常気象にさえ近いのかもしれない。



「珠光――」



 振りかえった先に、芯に光を抱いた絹糸は見えない。


 ……感謝している。ほんとうに。恨む気持ちなど、どこにもない。



「ありがとう」



 もう一度。重ねる言葉は、彼には届かないけれど。

 めいっぱいの気持ちをこめて。


 地龍が、目覚める。

 災厄が、訪れる。


 吉兆は、その役目を、果たさない。


 ――わかってる。あるべき形に戻るだけだ。過剰に持ちあげられていただけ、落下のエネルギーは大きいけれど。



「ワタリ殿?」



 いぶかしげに振りかえる使者に、なんでもないと首をふる。


 そのとき、視界の端に、見覚えのある獣が映った。モフモフした鬣に、力強い四肢。優美な尾。そして、額でさん然と輝く、三つの角。


 気位の高いらしいトライホーンを、自在に駆ることができる人間は、エドゥにもたった二人しかいない。


 叢林の支配者のとなりには、ひとまわり小さい黒い影。ベルデに負けぬ風格を放っている。


 すぐに、わかった。

 あれこそが、人々の畏怖と憧憬を集める闇の御子。


 ――梏杜だ。


 彫像のように固まったまま、じっ――と、私たちを見ている。


 目視するのが精一杯なほどに距離は空いている。なのに、私には、はっきりとわかった。……梏杜は、笑っている。


 黒曜石のような瞳をさんざめかせて、唇を薄くつり上げているに違いないと、思った。


 梏杜が、なにを考えているのか、わからない。優しく親切な面を被り、兄のように接してくれた彼は、きっと偽物だろう。最後まで、欠片の真実も見せてはくれなかった。


 似たモノ主従。珠光も梏杜も、食わせ者。だけど、私にとっては、どちらも大切な恩人だ。


 だから、せめて、わからないなりに。どうせ踊らされるのならば、彼らの理想の近くがいいと、思う。



「ううん、――いこう」



 これは、私の意思。私の望み。なにを強制されたとしても、それだけは、揺らがせない。


 叶うならば、どうか。

 あなたたちとおなじ、夢が見たい。



*****



「あれが、出ていったそうだな」



 ひさしぶりに、執務室に身を落ちつけた梏杜が、クツリと笑う。



「ええ。貴方が戻られる、ほんの少し前に。城から、迎えがきました。あちらの官吏に、保護権が移るのでしょう」

「聞こえのいいことだ」



 監視ならば監視と言えばよかろう。

 身も蓋もなく言いはなって、梏杜は、目を細めた。


 おもしろがっているのか。……いや、期待しているのだろう。これまで、予兆のみで気配をみせなかった地龍が、動きだすと。そう、梏杜は考えている。



――目覚めの御子。あと少し。



 地龍の声は、より一層うるさく響く。梏杜に告げるわけにはいかない。なにか隠していることは、とっくに知れているだろう。


 それでも、まだ。



――あと少し。



 ワタリに、梏杜の注意が向いているうちに。


 目覚めの御子は、ただ一人。

 地龍の声を聞く者は、ただ一人。


 珠光は、知っている。この世で、ただ一人、もっとも地龍に近い『忌み子』だけが、知っている。


 ワタリは、なにも関係ない。ただ、珠光が黙したばかりに、槍玉にあげられている。なにも知らないまま。


 ワタリに罪はない。ほかの誰にも罪はない。

 ――かの獣に楔づけられた、この身を除いては。


 償えるものならば償いたいが、おそらく、それは無理だろう。ならば、地の底まで、業を抱いて堕ちるのみ。


 主の心理を探りながら、珠光は、静かに切りだした。



「梏杜さま。北領の査察を、私に任せてはいただけませんか?」

「なぜ?」

「地龍の目覚めが近いのならば、貴方が、遠く都を離れるわけにはいきません。代役を立てるのならば、私が適任でしょう」

「……なにを考えている」

「いえ」


 なにも。

 強いて、言うならば。


 ――あなたのことだけを、考えている。


 梏杜の視線を感じながら、『北』から聞こえる声に耳を塞いで、珠光は笑んだ。

next→「溺死せん」

タイトル上部、シリーズ名(きみがため、)のリンクから飛べます。

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