想像力
そう、いつも思い出すのは、空港でのクルミとの別れだった。ふとした場面で、彼女の真っ直ぐな瞳を思い出す。
タカシが日本を発ってから一ヶ月が過ぎた。
イタリア在住の日本人修復師に弟子入りしたのである。
「おはよう」
クルミからのいつものメール。
クルミは必ずイタリアの現地時間にあわせて言葉を選ぶ。日本では夕方のはずだ。
「おはよう、今さっき起きた」
昨日の出来事や、こちらの生活の事を書きたいと思うが、いつも無愛想になってしまう。
タカシは自分でも分かっているが、どうもメールは苦手だ。
「そろそろバイトしようかと思うんだけど、何がいいかなあ?
「う〜ん、クルミはなんでも出来るから、接客とかいいんじゃない?」
とは言ったものの、女の子の相談なんてどうせ、自分ではある程度、候補があるに決まってる。なんてタカシは思いながら、メールを打つ。
ここで、「自分がやりたい事をやればいいじゃん」なんて書いたら、逆ギレされるに決まっているのだ。
「タカシがしてみたいバイトってある?」
逆に質問されるとは思っていなかったので、まだ寝起きで布団の中だったタカシは、布団から出て考える。
「やっぱり、まかないご飯が付いてくるとこかなあ、飲食店とか、カラオケボックスとかもいいかも」
「カラオケかあ、仕事終わったら歌えるのかな?
カラオケって言えば、卒業式の後にみんなで行ったとき、タカシが歌った曲、面白かったね、なんて曲だっけ?
卒業なんとか、だっけ?」
タカシはふと考えこむ。何を歌ったんたんだろう?はっと思い出す。
「尾崎豊の卒業だよ、オヤジが尾崎フリークでいつも聴いてた。面白いか?」
中高生の大人に対する反発の歌だ、尾崎の歌は、かつての不良少年の気持ちを描いている。
タカシもクルミも同じ中高一貫校だったので、田舎にしては、お坊っちゃま、お嬢様が多く、平和な中高生活だった。
一人っ子で大切に育てられたクルミには、面白く見えるのかもしれない。
昔は学校の窓ガラスをバットで割る生徒がいて、バイクが校庭を走っていた。とオヤジが良く言ってた。
「いや、タカシの歌い方が面白かったんだよ、みんなウケてた」
「そうか?」
タカシは、あの歌に少し憧れていた。
殆どの同級生が大学進学するのに対し、学歴なんか関係なく、夢に向かって突き進む事が美徳だと思ったりしたのだ。
実はただ逃げたかったのかもしれない。
勉強は嫌いだったし、絵を描く事は好きだったけど、コンプレックスもあった。
タカシの絵はいつもみんなに褒めらた。緻密に正確に描けたからだ。
しかし、タカシは自分でも、素質がない事を知っていた。
緻密に描ける。でも想像して作り出す事ができない。
クルミは逆だった。クルミの豊な想像力にはいつも、驚かされた。
だからタカシは、修復師の道を選んだ。修復なら、忠実に再現し、緻密な作業が生きると思ったからだ。
しかし、たった一ヶ月でその考えはくつがえされてしまった。タカシは師匠に常にこう言われる。
「作品だけを見るんじゃない。作家の気持ちになって想像しなさい。
どうやって描いたのか?なぜこの絵の具を使ったのか?どんな順序で描いたのか?推測して想像してみなさい。
作品には目的があるはず。宗教画なのか、記録画なのか、そして、それを描いている姿を想像しなさい」
全てには、原因と結果がある。
何気ない会話の中にも気持ちがあり、目的がある。タカシは、常に、感じて考える事を師匠に要求されている。
「あ、ゴメン、もう時間じゃない?
今日も頑張ってね」
ぼーっと考えていたタカシはクルミのメールにはっとする。
「うん、じゃまた」
タカシは、あの日のカラオケを再び思い出す。
あの後、サキが勝手に「I love you」を予約して、タカシに歌わせた。
そして、みんなで二人をからかった。
ちょっと前の出来事なのに、タカシには遠い昔のように感じられた。
「卒業」と言う曲を話題にしたクルミも実は、それを思い出したのかもしれない。